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XVIII 雨の中で-II

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 膝を抱える彼女は何処か寂し気で、その物憂げな表情は美しさを引き立てる。だがどれ程その表情が美しくとも、最愛の人には常に笑っていて欲しいと思うものだろう。彼女が不機嫌な理由よりも、彼女を笑顔にする方法に重点を置いて思考を巡らせた。

 そしてなんとか辿り着いた答えは、最も簡単で尚且つ卑怯だと言われても仕方が無い方法。
 彼女は、髪や頬を撫でられる事をとても好んでいる。どれだけ機嫌が悪くとも、頭を撫でてやればそれだけで笑顔を見せてくれる程だ。
 そんな方法で機嫌を取ろうなんて、自分でも狡いと分かっている。しかし、それでも彼女に笑っていて欲しかった。
 ポケットから手を引き抜き、彼女の方へ手を伸ばす。

 ――しかし、その手は彼女の髪に触れる寸前で止まった。
 今の彼女なら、俺の手を払い退けかねない。そんな事をされたら、暫くは立ち直れないだろう。

「――何でもいいけど、とりあえず帰るぞ」

 伸ばした手で彼女の腕を掴み、強く引き上げる。

「帰りたければ、貴方1人で帰ればいいじゃない」

 だが、拒絶する様に手の中の細い腕に力が籠った。

「私の事は放っておいて」

 容赦無く心に刺さる、棘の様な言葉と視線。
 どうせすぐに収まるだろうと軽視していたのが間違いだったか、やはり狡いと分かっていても頭を撫でて機嫌を取るべきだったのか。彼女の機嫌は更に悪くなっている様にすら思える。

「……やっぱ、怒ってんじゃねぇか」

 渋々、彼女の腕から手を離した。
 彼女が此処まで怒る理由とはなんだろうか。コンサートの練習中、短い期間で譜面を覚えなくてはならない事から俺は常に機嫌が悪かった。3日が過ぎた頃には、理不尽に彼女を怒鳴りつけてしまい、共に彼女を傷つける言葉まで投げ掛けてしまった。しかしその事を根に持っているのなら、態々置手紙を残したり、コンサートを見に来たりなどしない筈だ。

 穏やかで居られない気持ちを誤魔化す様に、前髪を上げていたワックスを手で乱す。長らく上げていた前髪には癖がついてしまい、すんなりと普段の様には戻ってくれない。
 早く風呂に入って洗い流したい衝動に駆られながらも、ブロック状に固まったワックスを丁寧に解していく。

「――似合っていたのに」

 その声に視線を横に向けると、彼女と視線が絡まった。
 眉を下げ、残念そうに呟く彼女からは先程の様な機嫌の悪さは伝わってこない。

「……前髪あげるの嫌いなんだよ。昔から、変に顔を見られる事が多いから」

 癖のついた前髪を押さえ、嘆く様に呟く。
 幼少期は、周りの目など気にしていなかった。自身が注目されていようが、どうだって良かったからだ。
 しかし14歳の頃、自身が周りから必要以上に注目されている事に気付き、18歳になった頃には長い前髪で極力顔を隠す様になった。
 その視線に、どんな意味が込められていようが関係ない。今も昔も、目立たず生きていきたい願望は変わる事は無かった。


「……いつまでそこに居るつもりだ」

「貴方が大人しく1人で帰ってくれれば、私も帰れるのだけど」

 相変わらず棘のある返答に、深く溜息を吐く。

 どれだけ彼女の機嫌が悪かろうと、夜の街に彼女を置いて帰る訳にはいかない。それを分かっていて、彼女はそんな事を言っているのだろうか。
 もどかしさを感じながらも、黙って彼女の隣で煙草の煙を吸い込む。

「――アリス、凄く綺麗な女性だったでしょう?」

 ぽつりと、彼女が独り言を呟く様に言った。
 先程迄共に居た、アリスの顔を思い浮かべる。

「……」

 あれ程近くに居て、長く話していたのにはっきりとアリスの顔が思い出せない。
 ぼんやりとしか浮かばないアリスの顔に、自分は本当にエル以外の女性に興味が無いのだと改めて実感した。

「……よく見てなかったから知らないが、男からは人気があったみたいだな」

 ステージ上で、殆どの男性スタッフがアリスに熱烈な視線を送っていたのを思い出す。
 愛想が良く、美人な歌姫だ。男なら、あの様な女性に惹かれるのでは無いか。勿論、自分は例外だが。

「アリスとは、何度も一緒に練習したの?」

「いやあの女に会ったのは今日が初めてだ。譜面を頭に叩き込むので精一杯で、リハーサルなんかしてる時間無かった」

「……そう」

 相変わらず、彼女の心中が読めない。
 せめて、彼女が今何を思うのかだけでも分かれば少しは状況が良くなるのだろうが、それを訪ねるのは火に油を注ぐだけの様に感じる。
 どうした物か、と頭を抱えたくなる衝動に駆られていると、不意に彼女が切なげな声を漏らした。
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