74 / 162
XVIII 雨の中で-II
しおりを挟む
膝を抱える彼女は何処か寂し気で、その物憂げな表情は美しさを引き立てる。だがどれ程その表情が美しくとも、最愛の人には常に笑っていて欲しいと思うものだろう。彼女が不機嫌な理由よりも、彼女を笑顔にする方法に重点を置いて思考を巡らせた。
そしてなんとか辿り着いた答えは、最も簡単で尚且つ卑怯だと言われても仕方が無い方法。
彼女は、髪や頬を撫でられる事をとても好んでいる。どれだけ機嫌が悪くとも、頭を撫でてやればそれだけで笑顔を見せてくれる程だ。
そんな方法で機嫌を取ろうなんて、自分でも狡いと分かっている。しかし、それでも彼女に笑っていて欲しかった。
ポケットから手を引き抜き、彼女の方へ手を伸ばす。
――しかし、その手は彼女の髪に触れる寸前で止まった。
今の彼女なら、俺の手を払い退けかねない。そんな事をされたら、暫くは立ち直れないだろう。
「――何でもいいけど、とりあえず帰るぞ」
伸ばした手で彼女の腕を掴み、強く引き上げる。
「帰りたければ、貴方1人で帰ればいいじゃない」
だが、拒絶する様に手の中の細い腕に力が籠った。
「私の事は放っておいて」
容赦無く心に刺さる、棘の様な言葉と視線。
どうせすぐに収まるだろうと軽視していたのが間違いだったか、やはり狡いと分かっていても頭を撫でて機嫌を取るべきだったのか。彼女の機嫌は更に悪くなっている様にすら思える。
「……やっぱ、怒ってんじゃねぇか」
渋々、彼女の腕から手を離した。
彼女が此処まで怒る理由とはなんだろうか。コンサートの練習中、短い期間で譜面を覚えなくてはならない事から俺は常に機嫌が悪かった。3日が過ぎた頃には、理不尽に彼女を怒鳴りつけてしまい、共に彼女を傷つける言葉まで投げ掛けてしまった。しかしその事を根に持っているのなら、態々置手紙を残したり、コンサートを見に来たりなどしない筈だ。
穏やかで居られない気持ちを誤魔化す様に、前髪を上げていたワックスを手で乱す。長らく上げていた前髪には癖がついてしまい、すんなりと普段の様には戻ってくれない。
早く風呂に入って洗い流したい衝動に駆られながらも、ブロック状に固まったワックスを丁寧に解していく。
「――似合っていたのに」
その声に視線を横に向けると、彼女と視線が絡まった。
眉を下げ、残念そうに呟く彼女からは先程の様な機嫌の悪さは伝わってこない。
「……前髪あげるの嫌いなんだよ。昔から、変に顔を見られる事が多いから」
癖のついた前髪を押さえ、嘆く様に呟く。
幼少期は、周りの目など気にしていなかった。自身が注目されていようが、どうだって良かったからだ。
しかし14歳の頃、自身が周りから必要以上に注目されている事に気付き、18歳になった頃には長い前髪で極力顔を隠す様になった。
その視線に、どんな意味が込められていようが関係ない。今も昔も、目立たず生きていきたい願望は変わる事は無かった。
「……いつまでそこに居るつもりだ」
「貴方が大人しく1人で帰ってくれれば、私も帰れるのだけど」
相変わらず棘のある返答に、深く溜息を吐く。
どれだけ彼女の機嫌が悪かろうと、夜の街に彼女を置いて帰る訳にはいかない。それを分かっていて、彼女はそんな事を言っているのだろうか。
もどかしさを感じながらも、黙って彼女の隣で煙草の煙を吸い込む。
「――アリス、凄く綺麗な女性だったでしょう?」
ぽつりと、彼女が独り言を呟く様に言った。
先程迄共に居た、アリスの顔を思い浮かべる。
「……」
あれ程近くに居て、長く話していたのにはっきりとアリスの顔が思い出せない。
ぼんやりとしか浮かばないアリスの顔に、自分は本当にエル以外の女性に興味が無いのだと改めて実感した。
「……よく見てなかったから知らないが、男からは人気があったみたいだな」
ステージ上で、殆どの男性スタッフがアリスに熱烈な視線を送っていたのを思い出す。
愛想が良く、美人な歌姫だ。男なら、あの様な女性に惹かれるのでは無いか。勿論、自分は例外だが。
「アリスとは、何度も一緒に練習したの?」
「いやあの女に会ったのは今日が初めてだ。譜面を頭に叩き込むので精一杯で、リハーサルなんかしてる時間無かった」
「……そう」
相変わらず、彼女の心中が読めない。
せめて、彼女が今何を思うのかだけでも分かれば少しは状況が良くなるのだろうが、それを訪ねるのは火に油を注ぐだけの様に感じる。
どうした物か、と頭を抱えたくなる衝動に駆られていると、不意に彼女が切なげな声を漏らした。
そしてなんとか辿り着いた答えは、最も簡単で尚且つ卑怯だと言われても仕方が無い方法。
彼女は、髪や頬を撫でられる事をとても好んでいる。どれだけ機嫌が悪くとも、頭を撫でてやればそれだけで笑顔を見せてくれる程だ。
そんな方法で機嫌を取ろうなんて、自分でも狡いと分かっている。しかし、それでも彼女に笑っていて欲しかった。
ポケットから手を引き抜き、彼女の方へ手を伸ばす。
――しかし、その手は彼女の髪に触れる寸前で止まった。
今の彼女なら、俺の手を払い退けかねない。そんな事をされたら、暫くは立ち直れないだろう。
「――何でもいいけど、とりあえず帰るぞ」
伸ばした手で彼女の腕を掴み、強く引き上げる。
「帰りたければ、貴方1人で帰ればいいじゃない」
だが、拒絶する様に手の中の細い腕に力が籠った。
「私の事は放っておいて」
容赦無く心に刺さる、棘の様な言葉と視線。
どうせすぐに収まるだろうと軽視していたのが間違いだったか、やはり狡いと分かっていても頭を撫でて機嫌を取るべきだったのか。彼女の機嫌は更に悪くなっている様にすら思える。
「……やっぱ、怒ってんじゃねぇか」
渋々、彼女の腕から手を離した。
彼女が此処まで怒る理由とはなんだろうか。コンサートの練習中、短い期間で譜面を覚えなくてはならない事から俺は常に機嫌が悪かった。3日が過ぎた頃には、理不尽に彼女を怒鳴りつけてしまい、共に彼女を傷つける言葉まで投げ掛けてしまった。しかしその事を根に持っているのなら、態々置手紙を残したり、コンサートを見に来たりなどしない筈だ。
穏やかで居られない気持ちを誤魔化す様に、前髪を上げていたワックスを手で乱す。長らく上げていた前髪には癖がついてしまい、すんなりと普段の様には戻ってくれない。
早く風呂に入って洗い流したい衝動に駆られながらも、ブロック状に固まったワックスを丁寧に解していく。
「――似合っていたのに」
その声に視線を横に向けると、彼女と視線が絡まった。
眉を下げ、残念そうに呟く彼女からは先程の様な機嫌の悪さは伝わってこない。
「……前髪あげるの嫌いなんだよ。昔から、変に顔を見られる事が多いから」
癖のついた前髪を押さえ、嘆く様に呟く。
幼少期は、周りの目など気にしていなかった。自身が注目されていようが、どうだって良かったからだ。
しかし14歳の頃、自身が周りから必要以上に注目されている事に気付き、18歳になった頃には長い前髪で極力顔を隠す様になった。
その視線に、どんな意味が込められていようが関係ない。今も昔も、目立たず生きていきたい願望は変わる事は無かった。
「……いつまでそこに居るつもりだ」
「貴方が大人しく1人で帰ってくれれば、私も帰れるのだけど」
相変わらず棘のある返答に、深く溜息を吐く。
どれだけ彼女の機嫌が悪かろうと、夜の街に彼女を置いて帰る訳にはいかない。それを分かっていて、彼女はそんな事を言っているのだろうか。
もどかしさを感じながらも、黙って彼女の隣で煙草の煙を吸い込む。
「――アリス、凄く綺麗な女性だったでしょう?」
ぽつりと、彼女が独り言を呟く様に言った。
先程迄共に居た、アリスの顔を思い浮かべる。
「……」
あれ程近くに居て、長く話していたのにはっきりとアリスの顔が思い出せない。
ぼんやりとしか浮かばないアリスの顔に、自分は本当にエル以外の女性に興味が無いのだと改めて実感した。
「……よく見てなかったから知らないが、男からは人気があったみたいだな」
ステージ上で、殆どの男性スタッフがアリスに熱烈な視線を送っていたのを思い出す。
愛想が良く、美人な歌姫だ。男なら、あの様な女性に惹かれるのでは無いか。勿論、自分は例外だが。
「アリスとは、何度も一緒に練習したの?」
「いやあの女に会ったのは今日が初めてだ。譜面を頭に叩き込むので精一杯で、リハーサルなんかしてる時間無かった」
「……そう」
相変わらず、彼女の心中が読めない。
せめて、彼女が今何を思うのかだけでも分かれば少しは状況が良くなるのだろうが、それを訪ねるのは火に油を注ぐだけの様に感じる。
どうした物か、と頭を抱えたくなる衝動に駆られていると、不意に彼女が切なげな声を漏らした。
0
お気に入りに追加
15
あなたにおすすめの小説
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
【完結】俺様御曹司の隠された溺愛野望 〜花嫁は蜜愛から逃れられない〜
雪井しい
恋愛
「こはる、俺の妻になれ」その日、大女優を母に持つ2世女優の花宮こはるは自分の所属していた劇団の解散に絶望していた。そんなこはるに救いの手を差し伸べたのは年上の幼馴染で大企業の御曹司、月ノ島玲二だった。けれど代わりに妻になることを強要してきて──。花嫁となったこはるに対し、俺様な玲二は独占欲を露わにし始める。
【幼馴染の俺様御曹司×大物女優を母に持つ2世女優】
☆☆☆ベリーズカフェで日間4位いただきました☆☆☆
※ベリーズカフェでも掲載中
※推敲、校正前のものです。ご注意下さい
【取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
美しい公爵様の、凄まじい独占欲と溺れるほどの愛
らがまふぃん
恋愛
こちらは以前投稿いたしました、 美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛 の続編となっております。前作よりマイルドな作品に仕上がっておりますが、内面のダークさが前作よりはあるのではなかろうかと。こちらのみでも楽しめるとは思いますが、わかりづらいかもしれません。よろしかったら前作をお読みいただいた方が、より楽しんでいただけるかと思いますので、お時間の都合のつく方は、是非。時々予告なく残酷な表現が入りますので、苦手な方はお控えください。 *早速のお気に入り登録、しおり、エールをありがとうございます。とても励みになります。前作もお読みくださっている方々にも、多大なる感謝を! ※R5.7/23本編完結いたしました。たくさんの方々に支えられ、ここまで続けることが出来ました。本当にありがとうございます。ばんがいへんを数話投稿いたしますので、引き続きお付き合いくださるとありがたいです。この作品の前作が、お気に入り登録をしてくださった方が、ありがたいことに200を超えておりました。感謝を込めて、前作の方に一話、近日中にお届けいたします。よろしかったらお付き合いください。 ※R5.8/6ばんがいへん終了いたしました。長い間お付き合いくださり、また、たくさんのお気に入り登録、しおり、エールを、本当にありがとうございました。 ※R5.9/3お気に入り登録200になっていました。本当にありがとうございます(泣)。嬉しかったので、一話書いてみました。 ※R5.10/30らがまふぃん活動一周年記念として、一話お届けいたします。 ※R6.1/27美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛(前作) と、こちらの作品の間のお話し 美しく冷酷な公爵令息様の、狂おしい熱情に彩られた愛 始めました。お時間の都合のつく方は、是非ご一読くださると嬉しいです。
*らがまふぃん活動二周年記念として、R6.11/4に一話お届けいたします。少しでも楽しんでいただけますように。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。
イケメン御曹司、地味子へのストーカー始めました 〜マイナス余命1日〜
和泉杏咲
恋愛
表紙イラストは「帳カオル」様に描いていただきました……!眼福です(´ω`)
https://twitter.com/tobari_kaoru
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私は間も無く死ぬ。だから、彼に別れを告げたいのだ。それなのに……
なぜ、私だけがこんな目に遭うのか。
なぜ、私だけにこんなに執着するのか。
私は間も無く死んでしまう。
どうか、私のことは忘れて……。
だから私は、あえて言うの。
バイバイって。
死を覚悟した少女と、彼女を一途(?)に追いかけた少年の追いかけっこの終わりの始まりのお話。
<登場人物>
矢部雪穂:ガリ勉してエリート中学校に入学した努力少女。小説家志望
悠木 清:雪穂のクラスメイト。金持ち&ギフテッドと呼ばれるほどの天才奇人イケメン御曹司
山田:清に仕えるスーパー執事
ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる
Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした
ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。
でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。
彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる