上 下
9 / 162

III 回り続ける問い-I

しおりを挟む
 夜が更け、街の灯りが一つ、また一つと消えていく。
 エインズワース家の屋敷から自宅まで、時間にすると約30分といった所だ。そこから抜け道を使うと、約20分まで時間を短縮できる。
 しかし今回使用したのは、その抜け道では無く、更には本道でも無い。自宅まで1時間を超える、遠回りも甚だしいルートだ。
 たかが30分の距離に、1時間も掛けるなんて事があるだろうか。仕事上様々な理由で遠回りをする事は多いが、今日程に時間を無駄にした事は無い。

 だが、今の自分達にはそうする他無かった。
 良質なドレスに身を包み、如何にも貴族令嬢だという風貌の女を連れて、表通りを歩ける人間が何処に居るだろう。
 貴族がこの時間に外を出歩く事は無いに等しく、況してや令嬢が自分より身分の低い男と街を共に歩くなんて事は絶対にありえない。仮にそんな光景を目の当たりにする事があったとしたら、誘拐、もしくは駆け落ちの二択だと断定して良いだろう。
 運悪く自分を知る人間や、犯罪を取り締まる機関に見つかろうものなら、自分は間違いなく“貴族令嬢を誑かした挙句屋敷から攫った誘拐犯”だ。それを誤魔化せる理由など持ち合わせていない。
 街の人間に彼女の存在を知られるのは時間の問題だろうが、せめてもう少し誤魔化し文句を用意してからであって欲しいものだ。

 狭く長い裏路地を抜け、漸く辿り着いたのは自宅へと続く一本道。街の中心から逸れたこの道は、人通りが少なく人目を気にする心配は殆ど無い。張っていた気が緩み、押し寄せる安堵感から小さく息を吐く。

「――足、痛くないか」

 背後の彼女――エルに視線と言葉を投げると、彼女が柔らかく微笑み小さく頷いた。
 彼女が屋敷を出る選択をした理由。それが、日常の退屈や虚栄を張り続ける事への疲労では無い事は、態度を見ていれば直ぐに分かった。
 貴族暮らしは不自由が無く、誰もが憧れる“幸せ”が約束された生活だ。謙虚で大人しく、見るからに聡明な彼女が、深い理由も無しにその全てを手放してしまうとは到底思えなかった。
 だがどれだけそれに疑問を抱いても、彼女の過去を問い詰める様な事はしたくない。自身だって、彼女から過去を問われれば少なからず厭悪するだろう。
 自身の心を縛る呪いを彼女に知られたくない様に、彼女にだって知られたくない事がある筈だ。
 回る思考を止め、意識を逸らそうと顔を上げた。

 ふと、遠目に見えた大きなローブに身を包んだ人物。
 目深に被ったフードの所為でその顔は見えないが、体格からして女性で間違いないだろう。その足取りは覚束なく、ふらふらとしていて何処か危なっかしい。
 その女性の存在に背後のエルも気が付いたのか、彼女が徐に俺との距離を詰めた。女性の姿を凝視しながら、俺の腕に自らの腕を絡ませる。

「前、見てないと危ないぞ」

 そう声を掛けるも、彼女は曖昧に頷くだけで視線を前に戻そうとはしない。腕に感じる彼女の体温に鼓動が早まるのを感じながら、呆れ交じりに溜息を漏らした。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

婚約者から婚約破棄をされて喜んだのに、どうも様子がおかしい

恋愛
婚約者には初恋の人がいる。 王太子リエトの婚約者ベルティーナ=アンナローロ公爵令嬢は、呼び出された先で婚約破棄を告げられた。婚約者の隣には、家族や婚約者が常に可愛いと口にする従妹がいて。次の婚約者は従妹になると。 待ちに待った婚約破棄を喜んでいると思われる訳にもいかず、冷静に、でも笑顔は忘れずに二人の幸せを願ってあっさりと従者と部屋を出た。 婚約破棄をされた件で父に勘当されるか、何処かの貴族の後妻にされるか待っていても一向に婚約破棄の話をされない。また、婚約破棄をしたのに何故か王太子から呼び出しの声が掛かる。 従者を連れてさっさと家を出たいべルティーナと従者のせいで拗らせまくったリエトの話。 ※なろうさんにも公開しています。 ※短編→長編に変更しました(2023.7.19)

愛してほしかった

こな
恋愛
「側室でもいいか」最愛の人にそう問われ、頷くしかなかった。  心はすり減り、期待を持つことを止めた。  ──なのに、今更どういうおつもりですか? ※設定ふんわり ※何でも大丈夫な方向け ※合わない方は即ブラウザバックしてください ※指示、暴言を含むコメント、読後の苦情などはお控えください

美しい公爵様の、凄まじい独占欲と溺れるほどの愛

らがまふぃん
恋愛
 こちらは以前投稿いたしました、 美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛 の続編となっております。前作よりマイルドな作品に仕上がっておりますが、内面のダークさが前作よりはあるのではなかろうかと。こちらのみでも楽しめるとは思いますが、わかりづらいかもしれません。よろしかったら前作をお読みいただいた方が、より楽しんでいただけるかと思いますので、お時間の都合のつく方は、是非。時々予告なく残酷な表現が入りますので、苦手な方はお控えください。 *早速のお気に入り登録、しおり、エールをありがとうございます。とても励みになります。前作もお読みくださっている方々にも、多大なる感謝を! ※R5.7/23本編完結いたしました。たくさんの方々に支えられ、ここまで続けることが出来ました。本当にありがとうございます。ばんがいへんを数話投稿いたしますので、引き続きお付き合いくださるとありがたいです。この作品の前作が、お気に入り登録をしてくださった方が、ありがたいことに200を超えておりました。感謝を込めて、前作の方に一話、近日中にお届けいたします。よろしかったらお付き合いください。 ※R5.8/6ばんがいへん終了いたしました。長い間お付き合いくださり、また、たくさんのお気に入り登録、しおり、エールを、本当にありがとうございました。 ※R5.9/3お気に入り登録200になっていました。本当にありがとうございます(泣)。嬉しかったので、一話書いてみました。 ※R5.10/30らがまふぃん活動一周年記念として、一話お届けいたします。 ※R6.1/27美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛(前作) と、こちらの作品の間のお話し 美しく冷酷な公爵令息様の、狂おしい熱情に彩られた愛 始めました。お時間の都合のつく方は、是非ご一読くださると嬉しいです。 *らがまふぃん活動二周年記念として、R6.11/4に一話お届けいたします。少しでも楽しんでいただけますように。

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが

ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

愛する殿下の為に身を引いたのに…なぜかヤンデレ化した殿下に囚われてしまいました

Karamimi
恋愛
公爵令嬢のレティシアは、愛する婚約者で王太子のリアムとの結婚を約1年後に控え、毎日幸せな生活を送っていた。 そんな幸せ絶頂の中、両親が馬車の事故で命を落としてしまう。大好きな両親を失い、悲しみに暮れるレティシアを心配したリアムによって、王宮で生活する事になる。 相変わらず自分を大切にしてくれるリアムによって、少しずつ元気を取り戻していくレティシア。そんな中、たまたま王宮で貴族たちが話をしているのを聞いてしまう。その内容と言うのが、そもそもリアムはレティシアの父からの結婚の申し出を断る事が出来ず、仕方なくレティシアと婚約したという事。 トンプソン公爵がいなくなった今、本来婚約する予定だったガルシア侯爵家の、ミランダとの婚約を考えていると言う事。でも心優しいリアムは、その事をレティシアに言い出せずに悩んでいると言う、レティシアにとって衝撃的な内容だった。 あまりのショックに、フラフラと歩くレティシアの目に飛び込んできたのは、楽しそうにお茶をする、リアムとミランダの姿だった。ミランダの髪を優しく撫でるリアムを見た瞬間、先ほど貴族が話していた事が本当だったと理解する。 ずっと自分を支えてくれたリアム。大好きなリアムの為、身を引く事を決意。それと同時に、国を出る準備を始めるレティシア。 そして1ヶ月後、大好きなリアムの為、自ら王宮を後にしたレティシアだったが… 追記:ヒーローが物凄く気持ち悪いです。 今更ですが、閲覧の際はご注意ください。

自信家CEOは花嫁を略奪する

朝陽ゆりね
恋愛
「あなたとは、一夜限りの関係です」 そのはずだったのに、 そう言ったはずなのに―― 私には婚約者がいて、あなたと交際することはできない。 それにあなたは特定の女とはつきあわないのでしょ? だったら、なぜ? お願いだからもうかまわないで―― 松坂和眞は特定の相手とは交際しないと宣言し、言い寄る女と一時を愉しむ男だ。 だが、経営者としての手腕は世間に広く知られている。 璃桜はそんな和眞に憧れて入社したが、親からもらった自由な時間は3年だった。 そしてその期間が来てしまった。 半年後、親が決めた相手と結婚する。 退職する前日、和眞を誘惑する決意をし、成功するが――

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

処理中です...