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XIV 趣味
I
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――この屋敷に来て、3日が経過した。
言わずもがな、此処での生活に慣れる事は無い。感覚的に言えば旅先のホテルの様で――これが旅先のホテルであればこんなにも苦痛を感じる必要は無かったのだが――慣れ親しんだ生家のベッドでは無い故に眠りは浅く、夢見も悪い。アイリーンが部屋に入ってくる気配で目を覚まし、これが悪夢では無く現実だという事を起きしなに絶望する。
今日も、昨日に引き続き屋敷案内だ。音楽室を最後に終わった為、その隣の部屋からである。
しかし今日のアイリーンはどうしてだか、私たちに先に行くよう促し、ずっと後尾についていた。屋敷案内の筈なのに、まるで私たちがどれだけこの屋敷の間取りを覚えられているかを試しているかの様である。
今の感覚を言葉にして例えるのなら、眠っている肉食獣の隣で息を潜めて座っている気分――だろうか。眼光は鋭く、それでいて氷の様に冷たい色をした瞳は、或いは肉食獣よりも恐ろしいかもしれない。記憶の抽斗を全てひっくり返しても各部屋の場所を思い出せない位には、背後のアイリーンに意識と集中力が奪われてしまっていた。
そんな弊害が伴っているにも関わらず、私もレイも、今日は案内をしてくれないのかと尋ねる事は出来なかった。この3日間、見咎められてもおかしくはない位に生意気な口を利いてきた私たちではあるが、決して度胸が据わっている訳では無いのだ。今はレイと額を寄せて、言葉少なに記憶を共有し合いながら音楽室を目指すほか無かった。
けれどそれもそう簡単な話ではない。レイは記憶力が壊滅的に悪く、私は興味のある事以外は記憶しないという大変都合のいい頭をしていた。そのお陰で記憶を共有したところでまるで意味が無く、曲がり角に直面しては私は右と言って、レイは左と言う。
背にアイリーンの視線が突き刺さっていた為口論に発展する事は無かったが、漸く音楽室に辿り着いた頃には身も心も困憊しきっており、アイリーンも心做しか呆れた顔をしている様に見えた。
「無事お着きになれて何よりです」
アイリーンの冷淡な言葉に頷き、「すみません」と力無く言う。
「時間が掛かろうとも、辿り着けただけまだ良いでしょう。及第点といったところでしょうか。人に連れられてばかりではいつまで経っても覚えられませんからね、ご自身の足で屋敷を歩いてみるのも大切です。そうすれば、一週間もすれば間取りを覚えられるでしょう」
アイリーンのその言葉に、妙な引っ掛かりを覚える。
彼女は屋敷案内をする前に、
『基本、お嬢様方にはわたくしかネルが付きますので無理に間取りを覚える必要はございません』
と言った。なのに今のアイリーンときたら、まるで間取りを覚える必要があるかの様な物言いをする。
「間取りは覚えなくとも、アイリーンやネルが付き添ってくれるのでは無かったのですか?」
そう尋ねてみれば、彼女は僅かに瞳を揺らし、
「左様で御座います。私たち使用人がこの屋敷に来たばかりの頃は、大変苦労したものですので。つい」
と答えになっていない言葉を返してきた。本音の見えない人である。
「では、本日は書斎と撞球室のご案内となります」
「書斎……!」
本の虫である私にとって、“書斎”は非常に魅力的な場所である。
背に刺さっていたアイリーンの尖った視線も不可解な言葉も全て忘れ反応すると、隣のレイがくすりと笑みを零した。
「本が、沢山あるんですか?」
やや前のめりになりながらも、アイリーンに問う。すると彼女が、僅かに口角を緩めた。
「スタインフェルド家の皆さまは読書がお好きでしたので、他のお屋敷よりも書籍の数は多いかと」
笑顔と言うには程遠いが、冷徹な彼女がこうして温かな表情を見せるのは初めての様に思えた。今の私は、そんなにも面白かっただろうか。
羞恥に顔が熱くなるのを感じながらも、「そうなんですか」と返答し意味も無く前髪を弄る。
「では、書斎は後のお楽しみという事で、先に撞球室をご案内致します」
なんだか揶揄われている様な、面白がられている様な気分だ。レイ至ってはそれを隠そうともせず、にんまりとしている。どうにも居心地が悪い。
けれども、緊張感のある、冷え冷えとした空気が漂っているよりかは余程良かった。
*
言わずもがな、此処での生活に慣れる事は無い。感覚的に言えば旅先のホテルの様で――これが旅先のホテルであればこんなにも苦痛を感じる必要は無かったのだが――慣れ親しんだ生家のベッドでは無い故に眠りは浅く、夢見も悪い。アイリーンが部屋に入ってくる気配で目を覚まし、これが悪夢では無く現実だという事を起きしなに絶望する。
今日も、昨日に引き続き屋敷案内だ。音楽室を最後に終わった為、その隣の部屋からである。
しかし今日のアイリーンはどうしてだか、私たちに先に行くよう促し、ずっと後尾についていた。屋敷案内の筈なのに、まるで私たちがどれだけこの屋敷の間取りを覚えられているかを試しているかの様である。
今の感覚を言葉にして例えるのなら、眠っている肉食獣の隣で息を潜めて座っている気分――だろうか。眼光は鋭く、それでいて氷の様に冷たい色をした瞳は、或いは肉食獣よりも恐ろしいかもしれない。記憶の抽斗を全てひっくり返しても各部屋の場所を思い出せない位には、背後のアイリーンに意識と集中力が奪われてしまっていた。
そんな弊害が伴っているにも関わらず、私もレイも、今日は案内をしてくれないのかと尋ねる事は出来なかった。この3日間、見咎められてもおかしくはない位に生意気な口を利いてきた私たちではあるが、決して度胸が据わっている訳では無いのだ。今はレイと額を寄せて、言葉少なに記憶を共有し合いながら音楽室を目指すほか無かった。
けれどそれもそう簡単な話ではない。レイは記憶力が壊滅的に悪く、私は興味のある事以外は記憶しないという大変都合のいい頭をしていた。そのお陰で記憶を共有したところでまるで意味が無く、曲がり角に直面しては私は右と言って、レイは左と言う。
背にアイリーンの視線が突き刺さっていた為口論に発展する事は無かったが、漸く音楽室に辿り着いた頃には身も心も困憊しきっており、アイリーンも心做しか呆れた顔をしている様に見えた。
「無事お着きになれて何よりです」
アイリーンの冷淡な言葉に頷き、「すみません」と力無く言う。
「時間が掛かろうとも、辿り着けただけまだ良いでしょう。及第点といったところでしょうか。人に連れられてばかりではいつまで経っても覚えられませんからね、ご自身の足で屋敷を歩いてみるのも大切です。そうすれば、一週間もすれば間取りを覚えられるでしょう」
アイリーンのその言葉に、妙な引っ掛かりを覚える。
彼女は屋敷案内をする前に、
『基本、お嬢様方にはわたくしかネルが付きますので無理に間取りを覚える必要はございません』
と言った。なのに今のアイリーンときたら、まるで間取りを覚える必要があるかの様な物言いをする。
「間取りは覚えなくとも、アイリーンやネルが付き添ってくれるのでは無かったのですか?」
そう尋ねてみれば、彼女は僅かに瞳を揺らし、
「左様で御座います。私たち使用人がこの屋敷に来たばかりの頃は、大変苦労したものですので。つい」
と答えになっていない言葉を返してきた。本音の見えない人である。
「では、本日は書斎と撞球室のご案内となります」
「書斎……!」
本の虫である私にとって、“書斎”は非常に魅力的な場所である。
背に刺さっていたアイリーンの尖った視線も不可解な言葉も全て忘れ反応すると、隣のレイがくすりと笑みを零した。
「本が、沢山あるんですか?」
やや前のめりになりながらも、アイリーンに問う。すると彼女が、僅かに口角を緩めた。
「スタインフェルド家の皆さまは読書がお好きでしたので、他のお屋敷よりも書籍の数は多いかと」
笑顔と言うには程遠いが、冷徹な彼女がこうして温かな表情を見せるのは初めての様に思えた。今の私は、そんなにも面白かっただろうか。
羞恥に顔が熱くなるのを感じながらも、「そうなんですか」と返答し意味も無く前髪を弄る。
「では、書斎は後のお楽しみという事で、先に撞球室をご案内致します」
なんだか揶揄われている様な、面白がられている様な気分だ。レイ至ってはそれを隠そうともせず、にんまりとしている。どうにも居心地が悪い。
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