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III 新しい父親
III
しおりを挟む「――君たち、名前は?」
ラルフに問われ、私とレイはほぼ無意識的に顔を見合わせる。
昔、何かで読んだ。危険な人物に囚われた時は、なるだけ従順な従順なふりをして警戒心を緩ませろ、と。最も行ってはいけないのは、相手の逆鱗に触れる事だ。
男の腕にペンを突き立ててしまった時点でもう手遅れの様な気はするが、恐らくこの男――ラルフには従っておいた方が良いのだろう。
「私はルイ。こっちは妹の――」
そこで言葉を区切るが、隣のレイは何も言わない。ラルフに気付かれぬ様に彼女の背中をポンと叩くと、「レイ、です」と私にギリギリ聞こえる位の声量で答えた。
この状況に強い恐怖を抱き、怯えきってしまっているのだから声が出ないのも無理もない。自身の名前を言えただけでも上出来だろう。
だが、彼がそれを許すだろうか。果たせる哉ラルフは、男たちが言っていた“あのお方”に当たる人物だ。怒らせてしまったら、生きて此処を出られるか分からない。
「レ、レイ、声が小さいわ。ちゃんと、ご挨拶、しないと」
慌てて助け舟を出すが、ラルフが何故だか声を上げて笑った。何か可笑しな事でもあっただろうか。恐る恐る彼を見上げると、ラルフが「いきなりこんな場所に連れて来られて、緊張しているのだろう。仕方が無い」と言って再び豪快に笑った。なんとか事なきを得た様だ。安堵の溜息をつき、そっとレイとの距離を詰める。そしてレイの手をぎゅっと握ると、彼女もまた、弱々しくも私の手を握った。
「ルイと、レイか。姉の方がしっかりとしている様だな。それに比べて、妹は少々気弱な様だ」
「すみません、妹はその……人見知りでして」
彼の言葉に、咄嗟に口から出任せを言う。人見知りなのは、私の方だ。
レイは人懐っこく、街で話しかけられれば知らぬ相手でも愛想よく返事をする。しかし私はというと、顔見知りの相手であっても中々上手く会話が出来ない。産まれた時から近くにいて、私達の世話をしてくれた身内であるライリーさんやマーシャからは「幼少期のセドリック以上に将来が不安な子だ」と心配されてしまう始末だった。失礼な事をいってくれるなと思ったものだが、事実なのだから文句の言いようがない。
そんな私が今こうして見知らぬ男――ラルフ・スタインフェルドとすらすらと会話が出来ているのは、恐らく“レイを守らなくては”といった姉としての使命感の様なものなのだろう。
「人見知りだというのなら仕方が無いな。だが、これからは家族になるのだから少しずつでも心を開いて欲しいものだね」
ラルフはそう言って、レイに手を差し出した。
握手を求められている事は直ぐに分かった様で、レイが不安げな顔で私を一瞥したのち、ラルフの手を怖ず怖ずと握った。
時間にする事2、3秒。特別な事は何もないごく普通の握手で終わり、2人は手を離した――と、思いきや、ラルフが突然レイの手を乱暴に掴み上げた。
「なんだこの薄汚い指輪は」
空気が凍てつく様な、怒りの孕んだ冷たい声。先程までの優しい言葉が嘘のようだ。裏のありそうな男だと思っていたが、果然此方が本性だったか。
「高貴なるスタインフェルド家にこんな薄汚い物を持ち込むだなんて! それに、よく見てみれば貧相な身形だ。これでは私の娘に相応しくない」
怒りを露わにしたラルフが、ギリギリとレイの手首を締めあげる。レイの顔は痛みに歪み、その口からは小さな悲鳴が漏れた。
――なんとかしないと。早く、彼の気を逸らせる何かを……
「旦那様」
私の思考を遮る様に、ホールに凛然とした女性の声が響いた。
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