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III 新しい父親
I
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初めて乗る四輪馬車は、貴族の所有車故か特別乗り心地が良かった。
屋根が作り付けになっている箱型の車体に、赤いベルベットが張られたベンチ式のシートが2つ。4人乗りであるが、スペースが余ってしまう位にはゆとりがある。多少詰めれば、6人は優に乗れるだろう。
額の傷はそれほど深くはなかった様で、馬車に揺られているうちに出血は止まった。こめかみに伝っていた血液は乾き、粉になってぱらぱらと服に落ちる。それがなんとも汚らしく感じ手で払い落とそうとしたが、私が乗っているのは貴族の馬車なのだという事を思い出し、すんでの所で思い止まった。汚したら、今度は殴られるだけでは済まないかもしれない。
窓に掛けられた、シートと同じベルベットのカーテンを捲り外に目を遣る。馬車に乗ってそれ程時間は経っていないというのに、窓の外は見知らぬ街を映していた。此処は何処だろう。窓に額が付くすれすれまで顔を近づけ、辺りを見渡してみる。
「――っ!」
突然脛に痛みと衝撃が走り、驚きから肩が小さく跳ねた。カーテンから手を離し、私と向かい合う様に座る男を見遣る。黒髪の方だ。
「人に見られたら困る。あまり顔を出すな」
囁く様に静かに、しかし有無を言わせない声で男が言った。
どうやら、固い革靴で脛を思い切り蹴られたらしい。踝丈のワンピースには、くっきりと靴裏の黒い痕が付いていた。
「どうして」男を見据え、口を開く。「どうして、私を殺さなかったの?」
私は先程、彼の腕にペンを突き立てた。誰もが私の死を確信する行動であり、死に急ぎにも程があると自分でも思う。しかし何故だか、私は九死に一生を得た。
ここは素直に奇跡を信じ、命拾いした事と自身の運の良さを神に感謝するところだ。それは十二分に分かっている。だが厄介な性格をしている所為で『何故彼は私を殺さなかったのか』という疑問に囚われてしまい、答えを持っている人物が目の前に居るのならそれを問うべきだ――と考えるより先に実行してしまったのだ。
ぎょっとするレイに内心申し訳なく思いつつも、男を真っすぐに見つめる。男もまた、真っすぐに私を見つめていた。
「――ペン先が神経に触れた。この腕じゃ銃は撃てない。それだけだ」
ややあって、男が答えた。そしてふいと私から顔を背け、窓枠に肘をつく。
いつ抜いたのか男の腕に刺さっていたペンは消えており、代わりに傷口を塞ぐ様に白い布がきつく結ばれていた。布には鮮血が滲んでいて、ジャケットから覗く男の手は伝った血で汚れている。今は止まっている様だが、ペンを抜いた直後にはそれ相応の出血があった事が窺えた。
「殺せる方法は他にもあった筈。銃が撃てない、は理由にならないのではないかしら」
男の回答に納得がいかず、危険だと分かっていながらも反駁する。すると、隣に座っていたレイが私の服の袖を引っ張った。不安げな表情を浮かべ、私の言動を制する様に首を横に振る。
男が私を一瞥し、呆れた様に小さく溜息をついた。
「肝が据わったガキだな」
面倒で厄介だ、と言葉を続け、男が興味を失った様に目を伏せる。先程の暴悪な振る舞いが思い出せなくなる程に静かだ。真意の分からない、不思議な男である。
この状況はあまりに不明瞭で、雲を掴んでいる様だと言っても過言ではない。そもそも誘拐に特別な理由がある方が珍しいが――大体が金か個人的欲求を満たす為だろう――しかし何かが違う気がして引っ掛かるのだ。誰かの命令で私達を連れ去ろうとしている事は明瞭だが、それ程大掛かりな事をするほど我が家は目立つ家でも名が知れている訳でも無い。
――やはり、父の仕事が関わっているのだろうか。
怒りや恐怖が無いとは勿論言わないが、今は漠然とした不安の方が大きい。
悶々と思索に耽っているうちに目的地に到着した様で、金属が擦れる耳障りな音を立てて、馬車がゆっくりと停車した。
茶髪の男が自らの手で扉を開き、馬車を降りてゆく。黒髪の男もそれに続き、私たちに一瞥もくれる事無く馬車を降りた。置き去りにされた私たちはどうするべきか分からず、どちらからともなく顔を見合わせる。
「何してんだ! お前らも来るんだよ! 早くしろ!」
茶髪の男が少し離れた所から振り返り、怒声を上げた。最早当然ではあるのだが、馬車から降りるのに手を貸してくれる事は無い様だ。
黒髪の男は私たちにまるで興味が無く、ポケットから出した懐中時計に視線を落としている。しかし、茶髪の男は苛立たしげにポケットに手を入れたり出したりと忙しなくしていた。あまりもたもたとしていたら、馬車から無理矢理引き摺り降ろされてしまいそうだ。
決して落ちても大きな怪我をする高さでは無いが、ステップ台があっても降りるのに慎重になってしまう程である。此処から無理矢理引き摺り落されたら――なんて事を考えるだけで総毛立った。
レイも同じことを考えているのか、躊躇う様子は見せずいそいそと馬車を降りていった。自身も重い腰を上げてその後に続く。
屋根が作り付けになっている箱型の車体に、赤いベルベットが張られたベンチ式のシートが2つ。4人乗りであるが、スペースが余ってしまう位にはゆとりがある。多少詰めれば、6人は優に乗れるだろう。
額の傷はそれほど深くはなかった様で、馬車に揺られているうちに出血は止まった。こめかみに伝っていた血液は乾き、粉になってぱらぱらと服に落ちる。それがなんとも汚らしく感じ手で払い落とそうとしたが、私が乗っているのは貴族の馬車なのだという事を思い出し、すんでの所で思い止まった。汚したら、今度は殴られるだけでは済まないかもしれない。
窓に掛けられた、シートと同じベルベットのカーテンを捲り外に目を遣る。馬車に乗ってそれ程時間は経っていないというのに、窓の外は見知らぬ街を映していた。此処は何処だろう。窓に額が付くすれすれまで顔を近づけ、辺りを見渡してみる。
「――っ!」
突然脛に痛みと衝撃が走り、驚きから肩が小さく跳ねた。カーテンから手を離し、私と向かい合う様に座る男を見遣る。黒髪の方だ。
「人に見られたら困る。あまり顔を出すな」
囁く様に静かに、しかし有無を言わせない声で男が言った。
どうやら、固い革靴で脛を思い切り蹴られたらしい。踝丈のワンピースには、くっきりと靴裏の黒い痕が付いていた。
「どうして」男を見据え、口を開く。「どうして、私を殺さなかったの?」
私は先程、彼の腕にペンを突き立てた。誰もが私の死を確信する行動であり、死に急ぎにも程があると自分でも思う。しかし何故だか、私は九死に一生を得た。
ここは素直に奇跡を信じ、命拾いした事と自身の運の良さを神に感謝するところだ。それは十二分に分かっている。だが厄介な性格をしている所為で『何故彼は私を殺さなかったのか』という疑問に囚われてしまい、答えを持っている人物が目の前に居るのならそれを問うべきだ――と考えるより先に実行してしまったのだ。
ぎょっとするレイに内心申し訳なく思いつつも、男を真っすぐに見つめる。男もまた、真っすぐに私を見つめていた。
「――ペン先が神経に触れた。この腕じゃ銃は撃てない。それだけだ」
ややあって、男が答えた。そしてふいと私から顔を背け、窓枠に肘をつく。
いつ抜いたのか男の腕に刺さっていたペンは消えており、代わりに傷口を塞ぐ様に白い布がきつく結ばれていた。布には鮮血が滲んでいて、ジャケットから覗く男の手は伝った血で汚れている。今は止まっている様だが、ペンを抜いた直後にはそれ相応の出血があった事が窺えた。
「殺せる方法は他にもあった筈。銃が撃てない、は理由にならないのではないかしら」
男の回答に納得がいかず、危険だと分かっていながらも反駁する。すると、隣に座っていたレイが私の服の袖を引っ張った。不安げな表情を浮かべ、私の言動を制する様に首を横に振る。
男が私を一瞥し、呆れた様に小さく溜息をついた。
「肝が据わったガキだな」
面倒で厄介だ、と言葉を続け、男が興味を失った様に目を伏せる。先程の暴悪な振る舞いが思い出せなくなる程に静かだ。真意の分からない、不思議な男である。
この状況はあまりに不明瞭で、雲を掴んでいる様だと言っても過言ではない。そもそも誘拐に特別な理由がある方が珍しいが――大体が金か個人的欲求を満たす為だろう――しかし何かが違う気がして引っ掛かるのだ。誰かの命令で私達を連れ去ろうとしている事は明瞭だが、それ程大掛かりな事をするほど我が家は目立つ家でも名が知れている訳でも無い。
――やはり、父の仕事が関わっているのだろうか。
怒りや恐怖が無いとは勿論言わないが、今は漠然とした不安の方が大きい。
悶々と思索に耽っているうちに目的地に到着した様で、金属が擦れる耳障りな音を立てて、馬車がゆっくりと停車した。
茶髪の男が自らの手で扉を開き、馬車を降りてゆく。黒髪の男もそれに続き、私たちに一瞥もくれる事無く馬車を降りた。置き去りにされた私たちはどうするべきか分からず、どちらからともなく顔を見合わせる。
「何してんだ! お前らも来るんだよ! 早くしろ!」
茶髪の男が少し離れた所から振り返り、怒声を上げた。最早当然ではあるのだが、馬車から降りるのに手を貸してくれる事は無い様だ。
黒髪の男は私たちにまるで興味が無く、ポケットから出した懐中時計に視線を落としている。しかし、茶髪の男は苛立たしげにポケットに手を入れたり出したりと忙しなくしていた。あまりもたもたとしていたら、馬車から無理矢理引き摺り降ろされてしまいそうだ。
決して落ちても大きな怪我をする高さでは無いが、ステップ台があっても降りるのに慎重になってしまう程である。此処から無理矢理引き摺り落されたら――なんて事を考えるだけで総毛立った。
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