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LVII 分岐点-V
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◇ ◇ ◇
「ねぇメアリー、メアリーの旧姓ってなんだったの?」
出張で父が居らず、そして母が書斎に籠りきりになってしまったとある月曜日。
その日は両親が居ない穏やかな日であり、昼間から居間でメアリーとお茶会に興じていた。
「スチュアートですよ。メアリー・スチュアート。何故突然そんな事を?」
「ごめんなさい、少し気になってしまって。でも、素敵な名前ね」
「私の旧姓など、気になる程の物では御座いませんよ。ですが、私はバレンタインの姓よりスチュアートの姓を大切にしておりましたので、そう言っていただけると少し嬉しいです」
ふふ、と照れた様に笑うメアリーが、音を立てずカップに紅茶を注ぐ。
「因みに、いつまでその名を名乗っていたの? 此処へ来た時にはもう、バレンタインの姓だったわよね?」
「14の頃迄です。此処へは16の時に来ているので、そうですね、私はメアリー・バレンタインとしてこのお屋敷で雇って頂いております」
「バレンタインの姓の方が馴染み深いけど、メアリー・スチュアートも素敵ね。可愛らしくて、私はそっちの方が好きよ」
「うふふ、ありがとうございます」
私と向かい合う様にテーブルに着いた彼女が、赤い頬を隠す様にティーカップに口を付けた。
「お母様は今、何処に?」
「母、ですか?えっと、何処かのお屋敷でレディーズメイドをしていたと記憶しております」
「あら、メアリーと同じね。何処のお屋敷か覚えていないの?」
「私はまだ見習いですが……。過去の手紙を遡れば分かると思います。ですが、知ったとしてももう会う事は無いと思いますので……」
「そんな!メアリーだってお母様に会いたいでしょう?」
「それは……、会えるなら会いたいですが……、でも過去の手紙はとても量があるので遡るのも難しく……。それに私はまだ見習いですので覚えねばならぬ事も沢山あります。母の勤め先を調べる時間は、私にはありません」
彼女は気にしていないとでも言う様に、私に優しく微笑んで見せた。
しかし、その瞳の奥に寂しさが隠されている様に見えて、私は黙っている事が出来なかった。
「お母様の、名前を教えて頂戴。私が貴女のお母様を探すわ」
「そ、そんな……! いけません!」
「いいのよ、私は社交パーティーに参加する機会があるから、その時に探ってみるわ」
「――……」
メアリーがそっと、自身の唇をなぞる。それは、彼女が何かを決めかねている時の癖だ。
彼女はきっと、実母に会いたいのだろう。しかし、お互い忙しい為会う事は叶わない。だがそれでも、勤め先を知っているのと知らないのとでは大きく違う。
「私じゃ、頼りないかしら?」
鎌をかける様な言い方をしてみれば、彼女が大きく肩を揺らし勢いよくカップをソーサーに置いた。
「とんでもございません! そんな事は決して……!」
「じゃあ、お母様の名前を教えてくれるわね?」
多少強引なやり方だったが、彼女の願いを叶えてやりたかった。それが、唯一私に出来る事だからだ。
諦めを滲ませた表情をした彼女が、ゆっくり口を開く。
「――アイリーン・スチュアート。それが、私の母の名前です」
◇ ◇ ◇
「……この女を、知ってるのか?」
セドリックの問いに、ふと我に返る。
あの時、威勢よくメアリーの母を探すと言ったはいいが、結局探し出す事は出来なかった。社交パーティーで様々な人と関われば分かると思っていたが、使用人の名前を知りたがる私に不信感を抱いたのだろう。皆怪訝な視線を向けるだけで何も教えてはくれなかった。
メアリーはそんな私に、「気にしなくていいんですよ」と言って笑って見せてくれたが、それでも何処か悲しそうな顔をしていた事を覚えている。
「――私が屋敷に居た頃に、とても仲の良い使用人が居たの。メアリーって名前の女の子でね。その、メアリーのお母様が、アイリーン・スチュアートという人で……」
「その母親は、今どこに?」
「そこまでは……分からないわ……。でも当時、メアリーと同じ様に“何処かの屋敷に勤めている”と言っていたのを覚えてる」
私の言葉に、彼がもう一度紙に視線を落とす。
彼は、何も教えてくれる様子はない。しかし、何処か焦った様子で口を開いた。
「エル、紙と封筒。それとペンを用意してくれ。急ぎで手紙を出したい」
「ねぇメアリー、メアリーの旧姓ってなんだったの?」
出張で父が居らず、そして母が書斎に籠りきりになってしまったとある月曜日。
その日は両親が居ない穏やかな日であり、昼間から居間でメアリーとお茶会に興じていた。
「スチュアートですよ。メアリー・スチュアート。何故突然そんな事を?」
「ごめんなさい、少し気になってしまって。でも、素敵な名前ね」
「私の旧姓など、気になる程の物では御座いませんよ。ですが、私はバレンタインの姓よりスチュアートの姓を大切にしておりましたので、そう言っていただけると少し嬉しいです」
ふふ、と照れた様に笑うメアリーが、音を立てずカップに紅茶を注ぐ。
「因みに、いつまでその名を名乗っていたの? 此処へ来た時にはもう、バレンタインの姓だったわよね?」
「14の頃迄です。此処へは16の時に来ているので、そうですね、私はメアリー・バレンタインとしてこのお屋敷で雇って頂いております」
「バレンタインの姓の方が馴染み深いけど、メアリー・スチュアートも素敵ね。可愛らしくて、私はそっちの方が好きよ」
「うふふ、ありがとうございます」
私と向かい合う様にテーブルに着いた彼女が、赤い頬を隠す様にティーカップに口を付けた。
「お母様は今、何処に?」
「母、ですか?えっと、何処かのお屋敷でレディーズメイドをしていたと記憶しております」
「あら、メアリーと同じね。何処のお屋敷か覚えていないの?」
「私はまだ見習いですが……。過去の手紙を遡れば分かると思います。ですが、知ったとしてももう会う事は無いと思いますので……」
「そんな!メアリーだってお母様に会いたいでしょう?」
「それは……、会えるなら会いたいですが……、でも過去の手紙はとても量があるので遡るのも難しく……。それに私はまだ見習いですので覚えねばならぬ事も沢山あります。母の勤め先を調べる時間は、私にはありません」
彼女は気にしていないとでも言う様に、私に優しく微笑んで見せた。
しかし、その瞳の奥に寂しさが隠されている様に見えて、私は黙っている事が出来なかった。
「お母様の、名前を教えて頂戴。私が貴女のお母様を探すわ」
「そ、そんな……! いけません!」
「いいのよ、私は社交パーティーに参加する機会があるから、その時に探ってみるわ」
「――……」
メアリーがそっと、自身の唇をなぞる。それは、彼女が何かを決めかねている時の癖だ。
彼女はきっと、実母に会いたいのだろう。しかし、お互い忙しい為会う事は叶わない。だがそれでも、勤め先を知っているのと知らないのとでは大きく違う。
「私じゃ、頼りないかしら?」
鎌をかける様な言い方をしてみれば、彼女が大きく肩を揺らし勢いよくカップをソーサーに置いた。
「とんでもございません! そんな事は決して……!」
「じゃあ、お母様の名前を教えてくれるわね?」
多少強引なやり方だったが、彼女の願いを叶えてやりたかった。それが、唯一私に出来る事だからだ。
諦めを滲ませた表情をした彼女が、ゆっくり口を開く。
「――アイリーン・スチュアート。それが、私の母の名前です」
◇ ◇ ◇
「……この女を、知ってるのか?」
セドリックの問いに、ふと我に返る。
あの時、威勢よくメアリーの母を探すと言ったはいいが、結局探し出す事は出来なかった。社交パーティーで様々な人と関われば分かると思っていたが、使用人の名前を知りたがる私に不信感を抱いたのだろう。皆怪訝な視線を向けるだけで何も教えてはくれなかった。
メアリーはそんな私に、「気にしなくていいんですよ」と言って笑って見せてくれたが、それでも何処か悲しそうな顔をしていた事を覚えている。
「――私が屋敷に居た頃に、とても仲の良い使用人が居たの。メアリーって名前の女の子でね。その、メアリーのお母様が、アイリーン・スチュアートという人で……」
「その母親は、今どこに?」
「そこまでは……分からないわ……。でも当時、メアリーと同じ様に“何処かの屋敷に勤めている”と言っていたのを覚えてる」
私の言葉に、彼がもう一度紙に視線を落とす。
彼は、何も教えてくれる様子はない。しかし、何処か焦った様子で口を開いた。
「エル、紙と封筒。それとペンを用意してくれ。急ぎで手紙を出したい」
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