DachuRa 1st story -最低で残酷な、ハッピーエンドを今-

白城 由紀菜

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XLV 診療所-III

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「――先生」

 扉を開いたまま振り返り、カルテに視線を落としたままの彼に声を掛けた。先生は変わらず不愛想で、カルテを見ながら「なんですか」と一言応える。

「お客様でも来ているんですか?」

 なんと無しに尋ねた言葉。しかし、その言葉が先生の何かに触れたのか、彼が勢いよく顔を上げ私に視線を向けた。
 その動作に驚きつつも、黙って彼の瞳を見つめ返す。

「――何故ですか?」

 先生がその言葉を発したのは、数秒の間があった後。

「いえ、大した事では。ただ、甘い香水の香りがして……、それと、カーテンの向こう側に人影が見えたので」

「――……」

 私を見つめるその顔は、いつも通りの無表情だ。しかし、ほんの一瞬眼鏡の奥の瞳に“焦り”が見えた様な気がした。

「――すみません、今はまだ匂い等は少々きつい時期でしたね」

 彼は不自然に私から顔を逸らし、再びカルテに視線を落とした。

「匂いは、大丈夫なのですが……ただ少し、気になった香りで……」

 私の返答を聞いているのかいないのか、先生はそれ以上何かを言う事は無かった。
 先生と私は、あくまで主治医と患者でしか無く、踏み込んだ質問をしていい間柄では決してない。彼が口を噤んだという事は、これ以上聞いてはならない事だ。 
 
 先生から受け取った本を胸に抱え直し、ペコリと頭を下げて診察室を出た。扉を後ろ手で閉め、もう一度カーテンの方を見遣る。
 そこにはもう人影は無く、甘い香水の香りすらも消えてしまっていた。ただ変哲の無いオフホワイトのカーテンが掛けられているだけだ。人の気配すらも感じられない。

 先程感じた、甘い香り。それがただの香水の香りであればきっと何も思わなかっただろう。
 しかし、私はその香りを知っていた。
 誰かが身に着けていた香りだ。それも、私の身近な“誰か”が。

 そっとカーテンの方に足を向け、ゆっくりと手を伸ばす。
 先生に気付かれてしまえば、怒られてしまう事間違いない。だが、今はその香りの正体を確かめたい一心だった。

 ――少し、覗くだけだ。誰の姿も見えなかったら諦めよう。

 そう自身に言い聞かせ、指先をカーテンに触れさせた。


「――エル」


 突如背後から聞こえた男性の声に、ドキリと鼓動が跳ね上がる。それは“驚く”なんて言葉では言い表せない程で、思わず胸に抱えていた本を落としそうになってしまった。
 慌ててカーテンから手を離し、振り返る。 
 
「何してるんだ、そんな所で」

 振り返った先には、待合室で待っていた筈のセドリックが居た。壁に凭れ掛かり、彼は怪訝な視線を此方に向けている。
 待合室と診察室は1枚の薄いカーテンで仕切られているだけで、大きな障害物は何も無い。その為、診察室の扉が開閉される音は待合室に筒抜けだった。
 扉が開いたのにも関わらず、いつまでも待合室に戻ってこない私を疑問に思ったのだろう。態々様子を見に来てくれた様だった。
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