146 / 215
XL 自問-III
しおりを挟む「私は大丈夫よ、ほら早く、仕事に行って」
精一杯の笑顔を顔に浮かべ、彼の肩をぽんと叩く。
私の頬から名残惜しそうに手を離す彼が、ほんの一瞬その顔に不安を滲ませた。だが直ぐにベッドから立ち上がり、玄関の方へ向かっていく。
「じゃあ、行ってくる。ちゃんと診療所行けよ」
「分かっているわ。行ってらっしゃい」
ベッドの中から手を振り、家を去っていく彼を見送る。
彼はというと、私を余程心配していたのか扉が閉まる瞬間まで私を見つめていてくれていた。
パタリ、と音を立て扉が閉まる。そして扉が施錠され、愛しい彼の靴音が遠ざかっていく。
マーシャが来るまで、まだ時間があるだろう。彼女は夜型で、朝が弱く中々起きる事が出来ないと前に言っていた。もしかすると、まだ眠っているかもしれない。
彼女が来るまでの間、少しだけでも眠った方がいいだろうか。今も、寝返りを打つたびに船酔いでもしているかの様な眩暈に襲われ、それと同時に僅かな吐き気が込み上げるのを感じた。このままでは、とてもじゃないが外に出られそうに無い。
肩まで布団を被り、瞳を閉じる。極力何も考えない様頭の中を空っぽにし、ただ眠る事だけに意識を向けた。
――だが、一向に眠気はやってこない。どれだけ何も考えない様心掛けても、自然と沸き上がるのは強い不安。
溜息と共に、瞳を開く。
リビングの床には、先程落とした筈の朝食の姿は無かった。
奥に見えるキッチンの台の上に、割れた皿が重ねて置かれている。きっと彼が片付けてくれたのだろう。
料理を駄目にしてしまった事と、彼の手を煩わせてしまった事への罪悪感が一気に押し寄せる。
ごろりと仰向けになり、再び溜息を吐いた。
顔を手で覆い、絡まった糸を解く様に思考を整理する。だが、思考の糸は絡まっていくばかりで全く答えが見えてこない。
もっと、柔軟に考えるべきなのだろう。難しく考えすぎているのかもしれない。
今の私は、セドリックの性格や人柄、そして彼への信頼を無視し、勝手に1人であれこれと考え不安に思っているだけだ。
今日だって、仕事があるのにも関わらず私が目覚めるまで寄り添ってくれて、更には扉が閉まる瞬間まで心配の眼差し向けてくれた。診療所だって、私は街へ何度も足を運んでいる為場所も勿論把握している。だと言うのに、決して1人では行かせようとせず、マーシャを派遣してくれるなどの気遣いをしてくれた。
普通に考えれば、そんな彼が私を拒絶するとは思えない。そもそも、拒絶する位ならば最初から娶ったりなどしないだろう。
そんな中、ふと頭に浮かんだのは母の存在。今の私には、母も父も居ないも同然だ。だがもし、今も両親の存在があったとしたら。こんなにも悩む事は、無かったのだろうか。
母は、自身の胎内に新しい命が宿ったと知った時どの様に思ったのだろう。私が産まれた時、どの様に感じたのだろう。そして父は、私が産まれた事を少しでも喜ばしく思っただろうか。
謎の多かった両親の事を考えてもキリが無い。どれだけ考えたって、それを確かめる術は無いのだ。
それよりも今は、モーリスが私をどの様に思っていたのかが知りたかった。
彼は私が産まれる前から、エインズワース家に勤めていた筈だ。彼は産まれた私を見て、何を感じたのだろう。何を感じて、何を思って、ずっと私に傅いていたのだろう。
――モーリスに、会いたい。
街で彼の気配を感じた時、何故私は彼を追い掛けなかったのだろうか。何故、彼の姿を探さなかったのだろうか。浮かぶのは、後悔ばかり。
じわりと滲んだ涙が頬を伝う。
これでは駄目だ。そう頭では分かっているのに、心が弱っている所為か今はまともに考えられそうになかった。
0
お気に入りに追加
37
あなたにおすすめの小説
【完結】俺様御曹司の隠された溺愛野望 〜花嫁は蜜愛から逃れられない〜
雪井しい
恋愛
「こはる、俺の妻になれ」その日、大女優を母に持つ2世女優の花宮こはるは自分の所属していた劇団の解散に絶望していた。そんなこはるに救いの手を差し伸べたのは年上の幼馴染で大企業の御曹司、月ノ島玲二だった。けれど代わりに妻になることを強要してきて──。花嫁となったこはるに対し、俺様な玲二は独占欲を露わにし始める。
【幼馴染の俺様御曹司×大物女優を母に持つ2世女優】
☆☆☆ベリーズカフェで日間4位いただきました☆☆☆
※ベリーズカフェでも掲載中
※推敲、校正前のものです。ご注意下さい
羽柴弁護士の愛はいろいろと重すぎるので返品したい。
泉野あおい
恋愛
人の気持ちに重い軽いがあるなんて変だと思ってた。
でも今、確かに思ってる。
―――この愛は、重い。
------------------------------------------
羽柴健人(30)
羽柴法律事務所所長 鳳凰グループ法律顧問
座右の銘『危ない橋ほど渡りたい。』
好き:柊みゆ
嫌い:褒められること
×
柊 みゆ(28)
弱小飲料メーカー→鳳凰グループ・ホウオウ総務部
座右の銘『石橋は叩いて渡りたい。』
好き:走ること
苦手:羽柴健人
------------------------------------------
ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる
Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした
ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。
でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。
彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。
憧れのあなたとの再会は私の運命を変えました~ハッピーウェディングは御曹司との偽装恋愛から始まる~
けいこ
恋愛
15歳のまだ子どもだった私を励まし続けてくれた家庭教師の「千隼先生」。
私は密かに先生に「憧れ」ていた。
でもこれは、恋心じゃなくただの「憧れ」。
そう思って生きてきたのに、10年の月日が過ぎ去って25歳になった私は、再び「千隼先生」に出会ってしまった。
久しぶりに会った先生は、男性なのにとんでもなく美しい顔立ちで、ありえない程の大人の魅力と色気をまとってた。
まるで人気モデルのような文句のつけようもないスタイルで、その姿は周りを魅了して止まない。
しかも、高級ホテルなどを世界展開する日本有数の大企業「晴月グループ」の御曹司だったなんて…
ウエディングプランナーとして働く私と、一緒に仕事をしている仲間達との関係、そして、家族の絆…
様々な人間関係の中で進んでいく新しい展開は、毎日何が起こってるのかわからないくらい目まぐるしくて。
『僕達の再会は…本当の奇跡だ。里桜ちゃんとの出会いを僕は大切にしたいと思ってる』
「憧れ」のままの存在だったはずの先生との再会。
気づけば「千隼先生」に偽装恋愛の相手を頼まれて…
ねえ、この出会いに何か意味はあるの?
本当に…「奇跡」なの?
それとも…
晴月グループ
LUNA BLUホテル東京ベイ 経営企画部長
晴月 千隼(はづき ちはや) 30歳
×
LUNA BLUホテル東京ベイ
ウエディングプランナー
優木 里桜(ゆうき りお) 25歳
うららかな春の到来と共に、今、2人の止まった時間がキラキラと鮮やかに動き出す。
結婚直後にとある理由で離婚を申し出ましたが、 別れてくれないどころか次期社長の同期に執着されて愛されています
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「結婚したらこっちのもんだ。
絶対に離婚届に判なんて押さないからな」
既婚マウントにキレて勢いで同期の紘希と結婚した純華。
まあ、悪い人ではないし、などと脳天気にかまえていたが。
紘希が我が社の御曹司だと知って、事態は一転!
純華の誰にも言えない事情で、紘希は絶対に結婚してはいけない相手だった。
離婚を申し出るが、紘希は取り合ってくれない。
それどころか紘希に溺愛され、惹かれていく。
このままでは紘希の弱点になる。
わかっているけれど……。
瑞木純華
みずきすみか
28
イベントデザイン部係長
姉御肌で面倒見がいいのが、長所であり弱点
おかげで、いつも多数の仕事を抱えがち
後輩女子からは慕われるが、男性とは縁がない
恋に関しては夢見がち
×
矢崎紘希
やざきひろき
28
営業部課長
一般社員に擬態してるが、会長は母方の祖父で次期社長
サバサバした爽やかくん
実体は押しが強くて粘着質
秘密を抱えたまま、あなたを好きになっていいですか……?
【完結】溺愛予告~御曹司の告白躱します~
蓮美ちま
恋愛
モテる彼氏はいらない。
嫉妬に身を焦がす恋愛はこりごり。
だから、仲の良い同期のままでいたい。
そう思っているのに。
今までと違う甘い視線で見つめられて、
“女”扱いしてるって私に気付かせようとしてる気がする。
全部ぜんぶ、勘違いだったらいいのに。
「勘違いじゃないから」
告白したい御曹司と
告白されたくない小ボケ女子
ラブバトル開始
【完結】誰にも知られては、いけない私の好きな人。
真守 輪
恋愛
年下の恋人を持つ図書館司書のわたし。
地味でメンヘラなわたしに対して、高校生の恋人は顔も頭もイイが、嫉妬深くて性格と愛情表現が歪みまくっている。
ドSな彼に振り回されるわたしの日常。でも、そんな関係も長くは続かない。わたしたちの関係が、彼の学校に知られた時、わたしは断罪されるから……。
イラスト提供 千里さま
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる