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XXXVIII 嫉妬と優劣-IV
しおりを挟む「随分と派手にやられたね」
青年が苦笑いを浮かべ、此方に手を差し出した。
その手を見て、私はまだ水溜まりの中に尻餅を付いたままだという事に気付く。
「――私の夫は、女性から好かれる事が多いから……」
なんと無しにその手を取る事が憚られ、石畳に手を突いて自力でその場に立ち上がった。
この街では見た事の無い顔だ。何処か、別の街から来た人なのだろうか。服に染みた水を両手で絞りながら、青年の顔を盗み見る。
「高そうな服だけど、大丈夫?汚れてない?」
彼の視線が、私の服に止まる。それに釣られて自身の服に目を遣ると、目立ちはしないものの所々に泥が付着していた。水溜りの中に倒れてしまったのだから、汚れてしまうのも当然だ。
汚れる原因を作ったのはあの少女だが、私がもう少し周囲を気に掛けていれば防げた事である。セドリックに買ってもらった服をこの様な形で汚してしまった事に罪悪感とほんの少しの苛立ちを感じながら、深く溜息を吐いた。
「大切にしていた服なのだけど……残念ね……」
目の前の青年に曖昧に返答すると、彼が僅かに困惑の表情を浮かべた。慰めの言葉を探してくれている様だが、彼に慰めて貰った所でこの気持ちが晴れる訳では無い。
青年に向かってぺこりと小さく会釈をし、自宅へ戻ろうと踵を返した。
「――あ、待って」
突如、強く掴まれた右手首。メアリーの夢を思い出す、妙に冷たい奇妙な感覚。
拘束される様な不快感に、思わずその手を振り払った。
「ご、ごめん」
「……いえ、此方こそごめんなさい。少し、驚いてしまって」
右手首を摩りながら、青年の視線から逃れるように顔を背けた。
動きを封じる様な拘束は、されて気分の良い物では決してない。相手がセドリックなら話は別だっただろうが、少なくても目の前の青年にむやみに触れられて何も感じない程の愚婦では無かった。
「――僕はアルフレッド・ガーランド。君は?」
彼が此方に手を差し出し、握手を求める。
「――エル・アンドールよ」
差し出された手を一瞥し、名を告げた。
握手に応じるには、右手を出さなくてはならない。今は例の夢の事もあり、右手を誰かに触れられる事は極力避けたかった。
だが、握手に応じないのは失礼にあたる行為だ。少々悩んだ末に、躊躇いながらも彼の手を取った。
先程引き止められた時にも感じた事だが、彼の手はやけに冷たい。
なのに、何処か生温かさを感じて気味が悪い。一刻もその感触から逃れたくて、思わず手を引いた。
しかし、彼が私の手を離す事は無かった。
強引に引き寄せ、そして紳士の真似事でもするかの様に私の右の手の甲にキスを落とす。
その瞬間、虫が背筋を這う様な気妙な不快感を覚えた。キスをされた場所から、何か嫌な物が広がっていく様な。そんな感覚に、恐怖さえも感じる。
振りほどく様にやや乱暴に彼から手を離し、右手を自身の背後に隠した。そしてそっと、濡れたスカートで手の甲を拭う。
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