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XXXVI 普段と違う朝-III
しおりを挟む「エル?どうした」
彼に声を掛けられ、ふと我に返った。
彼が居た筈のベッドは空。辺りを見渡すと、いつの間にか彼は私のすぐ隣に立っていて、ハンガーに掛けていたシャツに袖を通していた。
「――今日は体調が優れなくって……、もしかしたらその所為かもしれないわね」
彼の問いに曖昧に答え、ぱっと彼から顔を逸らした。
本来なら今頃、朝食の支度をしている時間だ。だが体調が芳しくなく、とても朝食の用意が出来そうに無い。
まだ此処に来た当時の事だが、彼は“朝食はあっても無くてもどちらでも良い”と言っていた。朝食を出す事が習慣化した今はどうか分からないが、今日の体調不良は決して軽い物では無く、無理をしても動けそうにない。
今日だけは、彼のその言葉に甘え休ませて貰っても良いだろうか。
そんな事を考えていると、彼が徐に私の方へ手を伸ばした。優しく額に触れ、そしてその手は頬、首筋へと滑る。
「……少し、熱いな」
片手で器用にシャツのボタンを留めながら、彼が独り言を漏らす様にぽつりと呟いた。
彼は少々過保護な一面があり、些細な怪我も見逃したりはしない。その為、発熱ともなれば診療所へ行く事を強く勧められるかもしれない。
「風邪かもな。今日は1日、家で大人しく寝てろ」
――しかし彼は、随分とあっさりした言葉を私に投げた。
頭の中で幾つか彼を言いくるめる言葉を用意したと言うのに、拍子抜けした気分だ。
彼の手が、私の背に触れる。そしてやんわりと、ベッドに入る様促した。
僅かに遣る瀬無さを感じながらも、それに応じベッドへ潜り込む。
随分と彼らしくない行動だ。普段は小さな怪我を過度に心配するというのに、こうして風邪だと一存で決めてしまうだなんて。
口元まで布団を被り、ふらふらとした足取りで脱衣所へ向かっていく彼の背を見つめる。
しかし、今の私の頭には全く別の事が浮かんでいた。パタリと脱衣所の扉が閉まったと同時に深く溜息を吐き、絡む糸を解く様に思考を回す。
“それ”とは、先程私の脳裏を過ったとある可能性の事だ。
全く、考えていなかった訳では無い。私も彼も健康な身体をしていれば、いつかは直面する筈だった事である。
それに今は、まだこれが憶測の域を出る事は無い。真実かどうかを知るには、診療所へ行き医師の元で正しい検査を行わなければならなかった。
だが女性には、本能的にそれを感じ取る能力でも備わっているのだろうか。
自身が“子を身籠った”時、他でも無い自分自身が真っ先に気付くのだと、何処かで聞いた事があった。病だって医師に診せるまで気が付く事が出来ないと言うのに、身籠った時だけは直ぐに察しが付くのだと。
もし本当に、この憶測が正しかったとしたら。私のお腹に、セドリックと私の遺伝子を継いだ命が宿っていたとしたら。
それは書類上じゃなく、誰も否定できない愛し合った証。彼と私が夫婦だったと、愛し合っていたと、証明できる存在になる。
しかし自身を駆り立てる強い不安感に、それ等の感情が掻き消された。
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