DachuRa 1st story -最低で残酷な、ハッピーエンドを今-

白城 由紀菜

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XIX 眠れない夜-I

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 昔、屋敷の書斎で読んだ本。
 とある屋敷に勤める使用人の少女達が、屋敷の当主である男性に想いを馳せる恋愛小説だ。話の結末こそ覚えてないものの、私はその本で初めて“恋”と言う物を知った。
 だが、私は本の中でしか“恋”を知る事は出来ない。社交界で殿方に見初められようと、どれだけ容姿を褒められようと、少女達の様に恋に焦がれる事は無かった。
 
 物語の中の少女達は、とても苦しく、つらそうだった。
 想い人の声を聞くだけで胸が高鳴り、自然と姿を目で追い、自分では無い別の女性と親し気に会話をしているだけで、気が狂いそうな程傷心する。そして時には、叶わぬ恋だと悟り1人涙を零したりなど。
 そんな彼女達を本越しに見ながら、そんなにつらいのなら、苦しいのなら、恋などやめてしまえばいいのにと思っていた。好きで居る事をやめてしまえば、もう傷心する事は無いのに、と。

 半分程開いたカーテンから、街灯の光が差し込む。その光に照らされたあどけなさの残る寝顔を見つめながら、小さく溜息を吐いた。

 ――恋を知った今なら、彼女達の気持ちが良く分かる。
 恋心など、一度自覚してしまえばもう手放せない。
 どれだけ期待してはいけないと思っても、どれだけ好きになるのをやめようとしても、恋慕の情は募っていく。
 抱きしめられた感触、掌の熱、そして、嵐の夜の触れそうな程に近づいた顔。どれも、忘れられない。思い出すだけで鼓動は高鳴り、それと同時に胸が張り裂けそうな程に痛む。

 私はこの気持ちを、きっとバルコニーで彼と出逢った時から持ち合わせていた。
 なのに今の今迄それに気付かなかったのは、きっと“気付かなかった”のでは無く、“気付かないふりをしていた”からだ。

 屋敷で暮らして居た頃、何度も父と母に期待しては落とされた。その度に、何度も心を痛めた。
 父も母も、私を見ていないと、もう交わる事は出来ないと、ずっと分かっていたのに、それでも私は期待をし続けた。
 その所為だろうか。屋敷を出て自由になった今、もうあの時の様に心を痛めながら生きてはいたくないと無意識に思う様になった。
 だからきっと私は、彼への気持ちに蓋をし続けた。この感情が何か分からない、なんて誤魔化しながら。

 誕生日パーティーがあったあの晩。バルコニーで、彼ではない別の男性が来ていたとしたら、私はその男性と屋敷を抜け出していたのだろうか。
 その疑問の答えは、考えずとも直ぐに導き出すことが出来た。きっと、セドリックでは無い男性であれば私は屋敷から出ていない。恐らくその場を世間話でやり過ごすか、1人ホールに戻っていた事だろう。
 他でも無い彼だったから、私は全てを捨てる決断をした。彼と共にありたかったから、彼と共に、生きたかったから。 

 眠った彼は、普段の彼と少し違う。長い睫毛が際立ち、肌の色も白く、まるで精密に作られた美しいドールの様だ。
 顔に掛かった長い前髪に指先で触れると、糸の様に細く柔らかな髪がさらりと額から滑り落ちた。
 そのまま指先を少し下へずらし、規則正しい呼吸が繰り返される唇に触れさせる。
 あの晩、落雷が無ければ。私が彼の膝から退かなければ。彼との関係は、少し変わっていたのだろうか。
 もしあの時、唇を重ねていれば、彼は私だけの物になっていたのだろうか。
 まるで女性の物の様に触り心地の良い、彼の唇を指先でなぞりながらぼんやりと考える。

 その唇を、白い肌を、美しい寝顔を、全て私の物にしてしまえたらどれだけ満たされるだろう。
 吸い寄せられる様に、彼に顔を近づける。起こしてしまわぬ様に、そっと息を潜めて。

 嵐が過ぎ去った後、私はどれだけ後悔しただろう。あのまま彼と口付けをしていれば良かったと、あのまま彼に縋って泣けば良かったと。
 全てが過ぎてしまった今では、もうあの時と同じ事など出来やしない。「傍にいる」と言ってくれたその言葉を、確認する事すら出来やしないのだ。
 瞳を閉じ、その寝息を飲み込む様に唇を近づける。ずっと欲していたそれを、此処で奪ってしまおうと。


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