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XVII 恋の意識-IV
しおりを挟むたかが指先を切っただけなのに、随分と仰々しい見た目だ。これでは、フォークを扱う事すら困難だろう。
それでも、彼がこうして自らの意思で手当てをしてくれた事は純粋に嬉しかった。
「あ、ありがとう……」
手早く箱の中に包帯やガーゼなどを片付けていく彼に礼を告げると、彼はふと手を止め、私の顔をじっと見つめた。
その視線は冷たい訳でも、熱が籠っている訳でも無い、不思議な視線。
段々と黙って見つめられる事に居た堪れなくなってきて、ぎこちなくもにこりと笑い首を小さく傾げた。
彼の性格は凡そ掴めてきている様な気がする、なんて思っていたが、実際は全く掴めていない。
思い返してみれば最近、彼が私の顔をぼんやりと見つめる事が多く、その度にこうして愛想笑いを見せている様な気がした。
彼は今何を考えているのだろう。
そんな事を思いながら彼をじっと見つめ返すと、不意に彼が小さく笑った。
いや、笑ったという表現は適切では無い。口元をふわりと緩めた程度だ。だがその表情は、普段の物よりずっと優しく、私の鼓動を高鳴らせるのには十分すぎる物だった。
「自分の身体は大事にしろよ」
ぱたり、と小箱の蓋を閉め、彼が私の髪をくしゃりと撫でる。
撫でると言うには少々乱暴だが、掌から彼の優しさが伝わってくる様で全く嫌では無い。寧ろ、時々こうして髪を乱す様に撫でてくれるのは彼の愛情表現の様で、彼への期待が高まる一方だった。
頭を撫でる手が離れるのとほぼ同時に、彼の足が再び2階の方へと向く。
小箱を持って階段の方へと消えていく彼の背を見ながら、まだ彼の手の感触が残った頭に、そっと自らの手を触れさせた。
彼が居なくなり、しんと静まり返った居間。冷めてしまったパイから発せられる僅かなスパイスの香りを感じながら、治まらない鼓動と顔の火照りを冷ます為に水が注がれていたグラスを手に取った。
そのグラスの中にはもう水は残っておらず、グラスも通常の温度に戻っている。だが、その温度ですら今の私には冷たく感じ、徐にグラスを頬に触れさせた。
――あんな風に、突然笑うだなんてずるい。
喜怒哀楽が乏しく、表情も硬い彼が、私にそんな顔を見せるなんて。どれだけ“彼に特別な意図は無い”と思い込んでも、意思と心は一致せず、悲しくなる程に期待が膨らんでいく。
「……好き」
誰に言う訳でも無く、静かな居間で1人呟く。
メアリーは優しくて、可愛くて、大好きだった。
モーリスも、誰よりも優しく接してくれて、いつも私の我儘を聞いてくれて大好きだった。
マーシャだって、出逢って日は浅いが優しく頼れる女性で好きだ。
――では、彼の事は?
不愛想で、言葉に棘があって、感情が読めなくて、どう接するのが正しいのかが分からなくなる。
だが、時々優しくて、時々髪を撫でてくれて、時々、私にだけ普段と違う表情を見せてくれる。
それは、メアリーやモーリス、マーシャへの“好き”と違う。
この感情は――
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