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XVI 私を救う貴方の声-I
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多くの人で賑わう、街の中心部。
セドリックに連れられるままに、人混みの中へと歩を進めていく。
この短時間で、彼は沢山の事を教えてくれた。
食材を調達出来る店や場所、街の診療所に、情報収集をするのに適した人物。そして、安易に近づくべきではない場所等々。
この街は、私の想像とは遥かに掛け離れた活気で溢れていた。
下層階級の人間は心が荒んでいて、喧嘩や盗難が相次ぎ、問題ばかりが起こる。屋敷での教育が私にそのような印象を持たせたのか、私はずっと、街は危険な場所だと思っていた。
しかし、実際はその真逆だった。
笑顔に溢れ、社交界の様な見栄やお世辞も無く、皆が苦労の中に幸せを見つけ精一杯に生きている。
勿論、私が想像していた危険な場所だって存在し、喧嘩や盗難が無いという訳では無い。だがそれでも、私の想像とは全く異なっていた。
私が元居た場所とは大違いだ。
マナーやルールに厳しく、幸福自慢と悪口が絶えない。口を開けば、金、地位、名誉、などそんな事ばかり。
私はそんな場所に居るよりも、此処に居た方が余程“人間”らしく生きられると、今日やっと確信を持つ事が出来た。
道の隅で足を止め、小さく息を吐き空を見上げる。
雲は多い物の、隙間からは青空が見えていて比較的天気が良い。家を出て彼此1時間程が経過しているが、足の疲れなど感じさせない程外の空気は気持ちが良かった。
今までは、この空を窓から眺める事しか出来なかったのに。今や、自分の足で街を歩き、そして空を見上げているだなんて不思議だ。
温かな風を頬に感じながら、少し離れた先を歩くセドリックを駆け足で追いかけた。
「お出かけはもうお終い?」
相変わらずの無表情で歩を進める彼の背に、言葉を投げ掛ける。
幾らこの街の事を知らずとも、進む先は見覚えのある道。彼が帰路についているという事は、なんとなく分かった。
「あぁ、もう粗方説明は済んだからな」
振り返る事無く、彼が淡々と答える。
「残念ね…、まだ陽が落ちるには早すぎる時間なのに」
「まぁ、気持ちは分からなくも無いが」
約1時間街を練り歩き、彼も私も、薄々気付き始めていた。
注意深く周囲を確認しながら歩いていたが、誰かを探している素振りを見せる人物は居らず、街の人達の立ち話等を盗み聞きしてみても、誰もエインズワース家の話をしていなかった。
屋敷を出て1週間が経過し、この状況だ。本気で連れ戻す気があるのならば、もっと本腰を入れて探す筈。だがこの街は平穏で、絶える事の無い噂話もどれも些細な事ばかり。
それを口にしないものの、もうお互い分かっている。エインズワース家の人間は、私を探していないという事を。そしてもう、警戒を強める必要が無いという事も。
楽しみにしていた外出もこれで終わってしまうのか、と少々残念に思いながら、黙ってセドリックの1歩後ろをついて歩く。
欲を言えば、先程見つけた貸本屋や、良い香りの漂う紅茶専門店も覗いてみたい。
だが1時間も街を歩いた後だ。私は外出自体然程経験がない為、1時間でも2時間でも問題は無いが、この街での生活に慣れている彼は別だろう。
彼はあまり積極的に物事を熟す方では無く、仕事が無い日は殆どの時間をベッドの上で過ごす。それに、口には出さないものの毎日の仕事も面倒臭いと思っている様だった。そんな彼が、私の為にと1時間も街を案内してくれた事には感謝が尽きない。
何処か気になる店があるのなら、彼が仕事へ行っている間に私が1人で訪れれば良い話だ。今日は大人しく、彼と共に帰ろう。
夕食の時間まではまだ時間がある。
帰ったら、ゆっくり紅茶でも飲みながらマーシャが貸してくれた本でも読んで過ごそうか。
あぁでも、帰ったらすぐに眠ってしまうであろうセドリックの寝顔を、こっそりと堪能するのもありかもしれない。色々と考えながら、1人ふふ、と笑みを零した。
だがそんな自身の妄想は、突如真横で響いた金属音によって掻き消される。
一体何事かと、騒音に顔を歪めながら音の方に視線を向けると、そこには1台の馬車が止まっていた。
それは辻馬車でも乗合馬車でも無い、貴族が所有する馬車。そして車体に描かれた、とある名家の紋章。
目にした“それ”に、心臓が冷たい手で掴まれた様な感覚に陥る。全身から血の気が引き、身体は強張って動かない。
ガチャリ、と心地良くも重たい音を響かせながら、馬車の扉がゆっくりと開いた。その奥に見えたのは、1人の男の顔。
自らの足で馬車を降り、“彼”が紳士的な笑みを見せる。
「1週間ぶりだね、ミス・エインズワース」
ブラウンのスーツに身を包んだ、金の髪が印象的な男。
その瞳の奥に潜んだ闇は、今でも忘れる事は無い。
「――キース、様……」
セドリックに連れられるままに、人混みの中へと歩を進めていく。
この短時間で、彼は沢山の事を教えてくれた。
食材を調達出来る店や場所、街の診療所に、情報収集をするのに適した人物。そして、安易に近づくべきではない場所等々。
この街は、私の想像とは遥かに掛け離れた活気で溢れていた。
下層階級の人間は心が荒んでいて、喧嘩や盗難が相次ぎ、問題ばかりが起こる。屋敷での教育が私にそのような印象を持たせたのか、私はずっと、街は危険な場所だと思っていた。
しかし、実際はその真逆だった。
笑顔に溢れ、社交界の様な見栄やお世辞も無く、皆が苦労の中に幸せを見つけ精一杯に生きている。
勿論、私が想像していた危険な場所だって存在し、喧嘩や盗難が無いという訳では無い。だがそれでも、私の想像とは全く異なっていた。
私が元居た場所とは大違いだ。
マナーやルールに厳しく、幸福自慢と悪口が絶えない。口を開けば、金、地位、名誉、などそんな事ばかり。
私はそんな場所に居るよりも、此処に居た方が余程“人間”らしく生きられると、今日やっと確信を持つ事が出来た。
道の隅で足を止め、小さく息を吐き空を見上げる。
雲は多い物の、隙間からは青空が見えていて比較的天気が良い。家を出て彼此1時間程が経過しているが、足の疲れなど感じさせない程外の空気は気持ちが良かった。
今までは、この空を窓から眺める事しか出来なかったのに。今や、自分の足で街を歩き、そして空を見上げているだなんて不思議だ。
温かな風を頬に感じながら、少し離れた先を歩くセドリックを駆け足で追いかけた。
「お出かけはもうお終い?」
相変わらずの無表情で歩を進める彼の背に、言葉を投げ掛ける。
幾らこの街の事を知らずとも、進む先は見覚えのある道。彼が帰路についているという事は、なんとなく分かった。
「あぁ、もう粗方説明は済んだからな」
振り返る事無く、彼が淡々と答える。
「残念ね…、まだ陽が落ちるには早すぎる時間なのに」
「まぁ、気持ちは分からなくも無いが」
約1時間街を練り歩き、彼も私も、薄々気付き始めていた。
注意深く周囲を確認しながら歩いていたが、誰かを探している素振りを見せる人物は居らず、街の人達の立ち話等を盗み聞きしてみても、誰もエインズワース家の話をしていなかった。
屋敷を出て1週間が経過し、この状況だ。本気で連れ戻す気があるのならば、もっと本腰を入れて探す筈。だがこの街は平穏で、絶える事の無い噂話もどれも些細な事ばかり。
それを口にしないものの、もうお互い分かっている。エインズワース家の人間は、私を探していないという事を。そしてもう、警戒を強める必要が無いという事も。
楽しみにしていた外出もこれで終わってしまうのか、と少々残念に思いながら、黙ってセドリックの1歩後ろをついて歩く。
欲を言えば、先程見つけた貸本屋や、良い香りの漂う紅茶専門店も覗いてみたい。
だが1時間も街を歩いた後だ。私は外出自体然程経験がない為、1時間でも2時間でも問題は無いが、この街での生活に慣れている彼は別だろう。
彼はあまり積極的に物事を熟す方では無く、仕事が無い日は殆どの時間をベッドの上で過ごす。それに、口には出さないものの毎日の仕事も面倒臭いと思っている様だった。そんな彼が、私の為にと1時間も街を案内してくれた事には感謝が尽きない。
何処か気になる店があるのなら、彼が仕事へ行っている間に私が1人で訪れれば良い話だ。今日は大人しく、彼と共に帰ろう。
夕食の時間まではまだ時間がある。
帰ったら、ゆっくり紅茶でも飲みながらマーシャが貸してくれた本でも読んで過ごそうか。
あぁでも、帰ったらすぐに眠ってしまうであろうセドリックの寝顔を、こっそりと堪能するのもありかもしれない。色々と考えながら、1人ふふ、と笑みを零した。
だがそんな自身の妄想は、突如真横で響いた金属音によって掻き消される。
一体何事かと、騒音に顔を歪めながら音の方に視線を向けると、そこには1台の馬車が止まっていた。
それは辻馬車でも乗合馬車でも無い、貴族が所有する馬車。そして車体に描かれた、とある名家の紋章。
目にした“それ”に、心臓が冷たい手で掴まれた様な感覚に陥る。全身から血の気が引き、身体は強張って動かない。
ガチャリ、と心地良くも重たい音を響かせながら、馬車の扉がゆっくりと開いた。その奥に見えたのは、1人の男の顔。
自らの足で馬車を降り、“彼”が紳士的な笑みを見せる。
「1週間ぶりだね、ミス・エインズワース」
ブラウンのスーツに身を包んだ、金の髪が印象的な男。
その瞳の奥に潜んだ闇は、今でも忘れる事は無い。
「――キース、様……」
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