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VIII 夢の中に生きる-I

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 その晩、悪い夢を見た。
 大切な使用人が、両親に傷つけられている夢だ。あの日のメアリーの様に。
 それを見て、私は何も出来なかった。救う事も、抗う事も出来ず、ただ1人、蹲って時が過ぎるのを待っていた。今すぐにこの場所から逃げ出したいと、こんな身分捨ててしまいたいと、そう願いながら。
 そしていつの間にか、私の周りには誰も居なくなっていた。真っ暗で何も見えず、私はただ恐怖の気配に怯えていた。
 そんな中、ゆらりと動いた人の影。その影が、私に手を差し出す。それが誰の影か、誰の手か、認識する事は出来なかったが、何故だか私の瞳にはとても温かい物に見えていた。



 目を覚ました先。目の前には、見知らぬ天井が広がっていた。
 暫くその天井を見つめながら、思考を巡らせる。

 昨晩は、私の18歳の誕生日パーティーを行っていた。そして婚約者であるキース様と会話を交わし、彼は使用人達が噂していた通りの人間だという事を確信した。その後バルコニーで1人、絶望に明け暮れていた所までは確かな記憶だ。
 だが、それからの記憶が非常に曖昧である。
 不思議な男性とバルコニーで出逢い、自分でも解き明かす事の出来ない感情を覚えた。そして一時の激情に駆られ、彼と共に屋敷を抜け出してしまった。
 まるで夢の中の出来事の様にふわふわとしていて、何一つ実感が湧かない。だが私が今此処に居るという事は、それ等全て事実であり、これが現実なのだろう。

 頭を抱えたくなる衝動に駆られながらもゆっくりと身体を起こし、辺りを見渡す。
 隣に、彼の姿は無い。何処かへ出かけてしまったのだろうか。 
 8時半を指す時計を見つめながら、ぼんやりと寝起きの頭で今迄の事を思い出す。

 屋敷での起床時間は8時。優しい使用人がカーテンを開けながら起こしてくれて、よく眠れたか、疲れは取れたか、等と労いの言葉をくれる。そしてアーリー・モーニングティーで、寝起きの頭を覚醒させる。
 使用人から1日のレッスンの予定を聞くのはその時だ。今日も変化の無い1日が始まるのだと、使用人の声に耳を傾けながら絶望に浸る。
 紅茶が終われば、次は身支度。寝室に備え付けられたドレッサーの前で、使用人が丁寧に髪を整えてくれる。使用人は必ずその日のドレスに合った髪型にしてくれる為、今日はどんな髪型になるのだろうかと、どんな髪飾りを付けて貰えるのだろうかと、毎朝密かに楽しみにしていた。
 そして用意されたドレスに着替えれば、今度は朝食だ。寝室を出て、使用人と共に居間へ向かう。
 朝食は家族揃って摂る事が一般的だが、エインズワース家では1日3食の食事に父が同席する事は殆ど無かった。その為、朝食も母と2人きり。特別会話を交わす事無く、お互い無干渉を貫き朝食の時間を過ごす。
 朝食が終われば、母も私も思い思いの時間を過ごし、午後になれば私は屋敷を訪ねてくる家庭教師ガヴァネスからレッスンを受ける。
 それが、私の日常。

 此処には、優しく起こしてくれる使用人も、アーリー・モーニングティーも、凝った朝食も無い。
 だがそれと同時に、毎朝感じていた“変化の無い1日を繰り返す絶望”も無かった。手にした自由に、心が軽くなるのを感じながら徐々に冴えてきた頭で再び部屋を見渡す。

「――!」

 僅かに引かれた椅子の上に、丁寧に畳んで置かれているのは昨晩私が脱ぎ捨てたドレスと下着。
 早朝に起きて片付ければ良いと思っていたが、朝は彼の方が早かった様だ。
 こんな事になるなら、眠る前にきちんと畳んでおけば良かった。彼はどんな思いで私の衣類を畳んでいたのだろうと考えると、羞恥でどうにかなってしまいそうだった。今度こそ衝動に堪えられず、両手で頭を抱える。
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