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VII 鳥籠の外-IV
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部屋の中心まで歩を進めたセドリックのシルエットを目で追いながら、1人思考を巡らせる。
私は今日、此処へ来てしまって良かったのだろうか。私の手を取ったのは紛れも無い彼だが、それでも一度は拒絶した。それを、無理に迫ってしまったのは事実だ。それがどうしても、頭の中から消えない。
呼吸が苦しい程きつく締め上げられたコルセットをドレスの上から摩り、小さく溜息を吐く。
がたりとテーブルの方から聞こえた物音。マッチが擦られる音が聞こえ、その瞬間灯った強いオレンジ色の光が暗闇に慣れた瞳を刺す。
屋敷で使用していた物よりも小さな、蝋燭1本だけが乗せられた燭台にその火は映され、縦に長く伸びる様に灯る火が部屋を照らした。
彼が全身に疲労を滲ませた様子で、脱いだジャケットとウェストコートをチェストの上に放り投げる。そして部屋の奥、壁際にぽつりと置かれたベッドに身を投げる様に腰を下ろし、私に視線を投げた。
「…いつまでそこに居るつもりだ」
突然掛けられた声に、思わずびくりと肩を揺らす。
特別中を案内された訳でも無かった為、せめて迷惑にならない様にと壁際を選んだつもりだったが、彼にとってはそれが不可解だった様だ。私を見据える視線が痛く、ぐるぐると思考を回しながらもいそいそとベッドに座る彼の方へと足を向ける。
だが、“とある事”に気付き、その足を止めた。
「…あの」
突然人の家に押し掛けておいて、こんな問いをするのは非常識甚だしい。だが、どうしても“それ”を問わずにはいられなかった。
「――私と貴方は、今晩何処で眠るの…?」
見る限り、この部屋にベッドは1つだけ。それも、成人男性1人が眠れば埋まってしまう様な小さなシングルベッドだ。
勿論、床で寝ろと言われればそれに従うつもりではいたが、家具の位置を見ても眠るスペースは無い様に思える。それとも、雨風を凌げる場所に居るのだから、どんなに狭い床でも我慢しろとでも言われるのだろうか。
だが彼は、さも当然かの様に座っていたベッドを叩いた。
「此処にベッドがあるんだから、此処しか無いだろ」
まるで私の発言が“異常”だとでも言うような、彼の怪訝な表情。
その言葉に、思考が止まる。
確かに、私も彼も細身である為、多少窮屈でも眠る事は出来るだろう。
だが、私達は仮にも男女であり、男女が1つのベッドで眠るなんて事があって良いのだろうか。腕や手に触れただけでも鼓動は高鳴り、触れた場所は火傷してしまいそうな程熱を帯びるというのに、こんなに小さなベッドで共に眠るなんて。私の心臓が持ちそうにない。想像しただけで、顔に熱が溜まっていく。
だが、そもそもお互いの素性もよく知らない状態で駆け落ち同然の事をしてしまった時点で、その常識は通用しない。此処は彼の言葉通り、同じベッドで眠るしかないのだろうか。
その瞬間脳裏を駆け巡るのは、自身の寝相や寝顔について。眠っている自分を、自分で確認する事は不可能だ。その為、私は自身の寝相が良いのか悪いのかは分からない。
屋敷に居た頃は、3人程であれば余裕をもって眠れる大きなベッドで、1人で眠っていた。同然ベッドから転落した事も無ければ、妙な行動を起こした事も無い。――と、思う。
この小さなベッドで、寝返りも十分に打てない程の狭さで、もし万が一私が眠っている間に彼に危害を加えてしまったら?ベッドから転落してしまったら?それに、見るに堪えない寝顔を見せてしまったら?
それこそ、幻滅されてもおかしくない案件だ。
「何が気に入らないのか知らねぇけど、不満なら明日にしてくれ」
私の思考を再び止めたのは、彼のため息交じりの一言。彼がごろりとベッドに横たわり、私に背を向ける様に寝返りを打つ。
心底面倒くさそうなその声音。先程の考えが嘘の様に引いていき、変わりにズキズキと胸を締め付ける。
「不満なんかじゃないわ…。そうではなくて…」
否定の言葉を口にするが、彼は私に背を向けたまま。自身の声も次第に小さくなり、最後まで言葉を述べる前に止まった。
ただ私は、彼とベッドとを共にする事に女性として恥じらいを抱いていただけで、決して不満に思っていた訳では無い。床で眠るのも覚悟の上だった。
だが、彼の口から発せられた、その突き放すような言葉に酷く胸が痛む。
彼にとっては、女性とベッドを共にする事は大した事では無いのかもしれない。過去に何度も、様々な女性と夜を共にしてきた可能性だってある。いや、彼の年齢で、更には彼ほどの美貌の持ち主であれば、女性経験が豊富だったとしても不思議ではない。
再び、ずきりと痛む胸。
何故、こんなに苦しいのか。先程の、あのローブを身に纏った美しい女性を見かけた時も同じように思った。
彼が、女性の美貌に惹かれている。過去に女性との関係もある。そう考えるだけで、胸が張り裂けそうな程に苦しい。
確か、この感情には名前があった筈。頭の中に詰め込んだ知識の中から、その名前を探そうと必死に思考を回す。
だが、今現在その感情に苛まれているからなのか、中々その感情の名前を探し出せない。
名前が分かれば、感情の理由が分かれば、少しは楽になれる筈なのに。どれだけ頭を悩ませても、それ等の正体は分からないままだった。
私は今日、此処へ来てしまって良かったのだろうか。私の手を取ったのは紛れも無い彼だが、それでも一度は拒絶した。それを、無理に迫ってしまったのは事実だ。それがどうしても、頭の中から消えない。
呼吸が苦しい程きつく締め上げられたコルセットをドレスの上から摩り、小さく溜息を吐く。
がたりとテーブルの方から聞こえた物音。マッチが擦られる音が聞こえ、その瞬間灯った強いオレンジ色の光が暗闇に慣れた瞳を刺す。
屋敷で使用していた物よりも小さな、蝋燭1本だけが乗せられた燭台にその火は映され、縦に長く伸びる様に灯る火が部屋を照らした。
彼が全身に疲労を滲ませた様子で、脱いだジャケットとウェストコートをチェストの上に放り投げる。そして部屋の奥、壁際にぽつりと置かれたベッドに身を投げる様に腰を下ろし、私に視線を投げた。
「…いつまでそこに居るつもりだ」
突然掛けられた声に、思わずびくりと肩を揺らす。
特別中を案内された訳でも無かった為、せめて迷惑にならない様にと壁際を選んだつもりだったが、彼にとってはそれが不可解だった様だ。私を見据える視線が痛く、ぐるぐると思考を回しながらもいそいそとベッドに座る彼の方へと足を向ける。
だが、“とある事”に気付き、その足を止めた。
「…あの」
突然人の家に押し掛けておいて、こんな問いをするのは非常識甚だしい。だが、どうしても“それ”を問わずにはいられなかった。
「――私と貴方は、今晩何処で眠るの…?」
見る限り、この部屋にベッドは1つだけ。それも、成人男性1人が眠れば埋まってしまう様な小さなシングルベッドだ。
勿論、床で寝ろと言われればそれに従うつもりではいたが、家具の位置を見ても眠るスペースは無い様に思える。それとも、雨風を凌げる場所に居るのだから、どんなに狭い床でも我慢しろとでも言われるのだろうか。
だが彼は、さも当然かの様に座っていたベッドを叩いた。
「此処にベッドがあるんだから、此処しか無いだろ」
まるで私の発言が“異常”だとでも言うような、彼の怪訝な表情。
その言葉に、思考が止まる。
確かに、私も彼も細身である為、多少窮屈でも眠る事は出来るだろう。
だが、私達は仮にも男女であり、男女が1つのベッドで眠るなんて事があって良いのだろうか。腕や手に触れただけでも鼓動は高鳴り、触れた場所は火傷してしまいそうな程熱を帯びるというのに、こんなに小さなベッドで共に眠るなんて。私の心臓が持ちそうにない。想像しただけで、顔に熱が溜まっていく。
だが、そもそもお互いの素性もよく知らない状態で駆け落ち同然の事をしてしまった時点で、その常識は通用しない。此処は彼の言葉通り、同じベッドで眠るしかないのだろうか。
その瞬間脳裏を駆け巡るのは、自身の寝相や寝顔について。眠っている自分を、自分で確認する事は不可能だ。その為、私は自身の寝相が良いのか悪いのかは分からない。
屋敷に居た頃は、3人程であれば余裕をもって眠れる大きなベッドで、1人で眠っていた。同然ベッドから転落した事も無ければ、妙な行動を起こした事も無い。――と、思う。
この小さなベッドで、寝返りも十分に打てない程の狭さで、もし万が一私が眠っている間に彼に危害を加えてしまったら?ベッドから転落してしまったら?それに、見るに堪えない寝顔を見せてしまったら?
それこそ、幻滅されてもおかしくない案件だ。
「何が気に入らないのか知らねぇけど、不満なら明日にしてくれ」
私の思考を再び止めたのは、彼のため息交じりの一言。彼がごろりとベッドに横たわり、私に背を向ける様に寝返りを打つ。
心底面倒くさそうなその声音。先程の考えが嘘の様に引いていき、変わりにズキズキと胸を締め付ける。
「不満なんかじゃないわ…。そうではなくて…」
否定の言葉を口にするが、彼は私に背を向けたまま。自身の声も次第に小さくなり、最後まで言葉を述べる前に止まった。
ただ私は、彼とベッドとを共にする事に女性として恥じらいを抱いていただけで、決して不満に思っていた訳では無い。床で眠るのも覚悟の上だった。
だが、彼の口から発せられた、その突き放すような言葉に酷く胸が痛む。
彼にとっては、女性とベッドを共にする事は大した事では無いのかもしれない。過去に何度も、様々な女性と夜を共にしてきた可能性だってある。いや、彼の年齢で、更には彼ほどの美貌の持ち主であれば、女性経験が豊富だったとしても不思議ではない。
再び、ずきりと痛む胸。
何故、こんなに苦しいのか。先程の、あのローブを身に纏った美しい女性を見かけた時も同じように思った。
彼が、女性の美貌に惹かれている。過去に女性との関係もある。そう考えるだけで、胸が張り裂けそうな程に苦しい。
確か、この感情には名前があった筈。頭の中に詰め込んだ知識の中から、その名前を探そうと必死に思考を回す。
だが、今現在その感情に苛まれているからなのか、中々その感情の名前を探し出せない。
名前が分かれば、感情の理由が分かれば、少しは楽になれる筈なのに。どれだけ頭を悩ませても、それ等の正体は分からないままだった。
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