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LIV 招かれざる客-II
しおりを挟む私の場合、どれだけ怒り狂っていようと紅茶を飲んで茶菓子を食べれば大体は落ち着く。だが目の前の彼は甘味を嫌い、紅茶にも執着が無い。そんな物で落ち着くとはとても思えなかった。寧ろ逆効果の様な気さえしてくる。
どうにか彼を落ち着かせてやりたいが、彼の性格を考えると時間に任せるしかなさそうだ。諦めは心の養生、等と考えながら立ったまま紅茶を啜っていると、彼が溜息を吐きつつソファから腰を上げた。曲がったテーブルを一瞥するも、直す気が無い様でポケットに手を入れたまま玄関へと向かっていく。
「どこ行くの?」
彼の背に向けて問うと、「直ぐ戻る」と答えになっていない答えが返ってきた。
バタン、とやや強めに玄関扉が閉められ、ホールに静寂が訪れる。そんな静寂の中、私はティーカップとソーサーを手に持ったまま玄関を見つめ立ち尽くしていた。
今の彼が放つ殺気は並みじゃない。それこそ、街で人と肩がぶつかっただけで喧嘩になってしまいそうな勢いだ。
子供を持った事で、心境が変わってしまうのは分かる。今迄通り仕事がスムーズに行えない事だって理解出来る。しかし職業柄目立つ事が出来ない上に、彼が街の人間と喧嘩にでもなったら他でも無いエルが悲しむだろう。だが出て行ってしまった彼を追いかけ、屋敷に留まらせるのも逆効果だ。今はただ、問題を起こさない様にと願う事しか出来なかった。
カップとソーサーを手近な場所に置き、曲がったテーブルを元の位置に戻す。そして床に散らばった書類を拾い上げ、テーブルの上に並べて溜息を吐いた。
彼も、上手く考え方を変える事が出来れば良いのだが。これから先もずっと依頼者に腹を立てていたらきりが無いだろう。仕事は仕事だと、ある程度割り切るべきだ。きっとその苛立ちは、子を持つ親にしか分からないものなのだろうが。
ぼんやりと先程の彼を思い返しながら、僅かに痛む腰を摩りソファに戻る。少し屈んだだけで腰が痛む事に運動不足を感じながらも、仕事が立て込んでいるからだと内心言い訳をして紅茶に手を伸ばした。
――丁度、指先がティーカップのハンドルに触れた時。屋敷の外から、馬車が一台止まる音が聞こえた。
この辺りは人通りが極端に少なく、馬車が止まれば十中八九この屋敷の客人だ。
紅茶に伸ばした手を引っ込めソファから腰を上げると、見計らった様に玄関のドアノッカーが叩かれた。
馬車で訪ねてくるという事は、少なくとも貧困層の客人では無い。私の依頼者は事前連絡無しで此処を訪れる事は無い為、セドリックの客人だと考えて良いだろう。
確かセドリックは、この後に面談の予定は入れていなかった筈だ。となると、突発の依頼者の可能性が高い。
いそいそと玄関へ向かい、対応方法を頭の中で繰り返しながら玄関扉を解錠した。ゆっくり扉を開き、訪問者へと目を向ける。
「――此方で、子供を譲って頂けると聞いたのですが……」
扉を開いた先に立っていたのは、アッシュゴールドの髪に、まるでサファイアの様な双眸が印象的な中年の女性。身に纏っているドレスや宝石などの装飾品はどれも絢爛豪華な最高級品で、何処かの屋敷の貴婦人だということが一目で分かる。
しかし、その女性は気味が悪い程に無表情だった。頬は痩け、瞳は何処か焦点が合っておらず、私が知っている貴族とは程遠い容貌だ。それに彼女からは、心を病んでいるというのが容易に分かる不気味で複雑な感情が伝わってきた。その心を言葉にするのなら、コンテで紙を雑に塗りつぶしている様な。心を読んでいる此方まで気を狂わせてしまいそうなものであった。
「……今担当の者が外しておりまして。直ぐに戻ると思うので、客室でお待ちください」
静かにそう返答し、中に入る様促すと、その女性がまるで操り人形の様な不自然な動きで屋敷に足を踏み入れた。怪物や悪魔などの、人ならざるものを招き入れてしまった錯覚に陥り、背筋に冷や汗が伝う。
その女性の後姿を眺めていると、ふと視界の隅で黒と白のコントラストが揺れた。其方に目を遣ると、何処か暗い印象の妙齢の女性が1人。彼女が身に纏っている黒い踝丈のドレスに白のエプロンは、貴族の屋敷に勤める使用人を象徴とするものだ。使用人が纏うには少々質が良すぎる様にも思えるが、近頃では虚栄心から使用人に上質な服を仕立てる貴族が多いと聞いた。彼女が勤める屋敷でもそうなのだろうか。
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