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LII 堕落-III

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 仕事を終えた、18時。
 今日はいつもより、早い時間に仕事を終える事が出来た。それに、空き時間にライリーからも良い言葉を聞けた。とても気分が良く、心が軽い。
 私の感情は、私達の愛は、決して間違っていない。歪な愛情を赦して貰える事が、愛だと認めて貰える事が、こんなにも救われる事だとは思っていなかった。
 ――私達は、紛れもなく狂ってる。
 しかしそれが、私達の愛の形なのだ。それを認めたのはライリーたった1人かもしれないが、それでも私の心は晴れていた。

 診療所の扉を押し開き、カラリと控えめに鳴ったドアベルの音を聞きながら中を覗く。見る限り、患者は居ない様だ。ほっと息を吐き、診療所の中へと足を踏み入れる。
 患者や来客者が居た時は、私が此処に来た言い訳を考えなくてはならない為少々面倒だ。マクファーデンは、言い訳などせずに恋人だと明かしてしまえば良いと常々不満そうに言っているが、彼に熱烈な想いを抱く女性達から袋叩きに合うのは目に見えている。結婚をする、などであればまた話は違ってくるだろうが、恋人関係となればそれを無理矢理解消させようとする過激な人間も出てくるだろう。そんな事になれば、仕事に支障が出る可能性がある上に、巻き込まなくて良い人間を巻き込んでしまう事になるかもしれない。それだけは御免だ。
 その様な理由もあり、私はマクファーデンと交際している事も同棲している事も、誰にも話していなかった。


「ただいま」

 軽やかな足取りで診療所の中を通り、彼が居るであろう部屋のカーテンを開いた。
 目に入ったのは、珍しくテーブルについて医学書を読んでいるマクファーデンの姿。普段はデスクに山済みになった患者のカルテを纏めているというのに、今日は1冊もカルテが見当たらなかった。

「おかえりなさい、マーシャ」

 本から顔を上げ、顔を綻ばせた彼に笑みを返す。

「珍しいね、先生がデスクに居ないの」

「今日は患者が1人も来なかったんです。それに、昨日のうちにカルテをある程度纏めておいたので、手持無沙汰になってしまって。久々に読書でもしようかと」

 彼の言葉に適当に相槌を打ち、肩から下げた鞄をテーブルに置く。今日は早く仕事を終えられた為、ベッドの上で読書でもしようと思い書斎からお気に入りの本を持ってきた。その本が少々分厚く重い物だったからか、鞄を置いた瞬間にゴト、と振動がテーブルに伝わった。

「貴女こそ、珍しいですね。こんな時間に帰ってくるなんて。それに、何かを持って帰って来た様ですが……」

 彼の興味深そうな視線が、鞄に向く。

「今日は仕事が早く終わってね。読書しようと思って、お気に入りの本持ってきたの」

「そうでしたか。では、後程紅茶でも淹れましょう。診療所を閉めるまでまだ時間がありますし、僕も少々口が寂しく感じていたので」

「そうだね。この前買った茶葉がいいなぁ」

「ベリーのフレーバードですか。良いですね、それにしましょう」

 他愛のない会話を交わし、定位置である椅子に座る。そしてきつく結っていた胸元のリボンを解き、嵌められた首輪を露出させた。首元に冷たい空気が流れ込み、僅かな開放感を抱く。
 他者に気付かれない様にと気を張っているからか、ついつい普段以上にきつく襟元を閉めてしまう。それがやはり少々息苦しく、窮屈に感じていた。
 手でぱたぱたと首元を仰ぎ、首輪の内側まで風を送る。

「マーシャ、今日は何か良い事でもあったんですか?」

「え? なんで?」

 彼の唐突な問いに、首を傾げる。

「随分と、すっきりとした表情をしているので」

 少々不愛想に、彼が本に視線を落としたまま答えた。
 確かに彼の言う通り、今日はライリーと話せて心が晴れた。しかし、彼は何故だか不満げだ。先程迄微笑みを浮べていたというのに、一体何が彼の機嫌を損ねてしまったのだろうか。
 疑問に思いつつも、やや慎重に言葉を選ぶ。

「今日、ライリー姐さんと久々に話して、悩み聞いて貰ったの」

「ライリー……? あの、雑貨屋の店主ですか?」

「そう、流石の先生も姐さんの事は知ってるよね」

「直接話した事は有りませんが、貴女が幼少期から慕っている方、とカルテに乗っていたので知っています。それに、街でも名が知れた方の様なので」

「あぁ、姐さんは顔広いから――」

 パタリ、と本を閉じた音で、言葉が遮られる。
 本をテーブルに置き、顔を上げた彼が優しく微笑んだ。
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