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XLVIII 飼いならされた猫-IV

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「――先生が飼ってた猫、どうなったの?」

 彼の質問には答えず、なんと無しに気になった事を問うてみる。

「病気で亡くなりました。僕は獣医ではないですし、当時はまだ医学の勉強もしていなかったので何もしてやる事が出来ず、体調を崩した数日後、呆気なく逝ってしまいました」

「そう……」

 彼は何も咎める事は無く、ただ質問に答えてくれた。もしかすると、彼は元より私がその質問に答えられない事を見越していたのかもしれない。

「――私、ずっと気になってた事があるんだ。エルちゃんが妊娠してるって分かった時、なんでエルちゃんはあんなに不安がってたんだろうって。嬉しいに決まってるのにって」

「……旦那様にも直ぐに伝えなかった様ですしね」

「え? そうなの?」

「えぇ、妊娠が発覚して3日が経過した頃位でしょうか。旦那様が血相を変えて診療所へ駆け込んできて、奥様が倒れたと」

「えぇ! そんな話されてない!」

「まぁ、しないでしょうね」

 淡々と話す彼からはもう先程の甘さは伝わって来ず、今はただ医者として話をしているのだと分かった。しかし、何故だか少々複雑な表情をしている。一体何を考えているのかとその顔を見つめていると、彼がやや困った様に口を開いた。

「……あの、これは患者の個人情報になるのでここだけの話にしてくださいね。間違っても、ご本人を問い詰めたりしないように」

 彼はどうやら、医者としての守秘義務を破ってしまった事を気にしていたらしい。その苦虫を噛み潰した様な顔がおかしくて、思わずふふ、と笑みを零した

「別に言わないよ。まぁ2人の間にも色々あるでしょ。私が首突っ込む事じゃないのは分かってるから」

「……そうですか」

 ごろりと私の隣に寝転んだ彼が、私を背後から強く抱きしめた。タオル越しに伝わる彼の体温に愛おしさを感じながら、言葉を紡ぐ。

「やっと、彼女がなんで不安に思っていたか分かった気がするの。人間は相手の心が読めないのが当然であって、セディが妊娠を受け入れたとしてもそれが本心かどうか、エルちゃんは確かめる術が無かったんだよね」

「……そうですね。悲しい話になりますが、人間の本心を見抜くのは難しいですからね。他人であれば分かるものが、夫婦の様に距離が近い者同士には分からない、そんな話はよくある事です」

「うん、彼女の場合、そうだったんだと思う」

 マクファーデンに恋をして、彼を愛して、エルの感情が初めて分かった。
 “分からない”とは、こんなにも怖い。相手の言葉が本心なのかと、疑う気持ちが途切れない。
 嘘なんて簡単に吐ける。私はそんな人間の嘘を、ずっと見て来た。
 本当は人の心など見たくはなかったのに、今では見れない事が何よりも怖い。きっと、もうとっくに私は彼に飼い慣らされている。彼だけのものになっている。
 だが彼の言葉が、何処まで本心なのか。何処まで、その心が続くのか。
 飼い慣らされた末に、捨てられてしまうのではないか。そんな不安ばかり募り、素直になれないまま日が経っていく。

「分からないんだよ、私は先生の心が」

「……」

「飼い慣らされた末に、捨てられたくないの。数ある女の中の1人になりたくないの」

 私を抱く彼の腕に、力が籠る。
 この腕の温かさに、この腕の力強さに慣れてしまったら、私はきっと1人では生きていけなくなる。
 誰かに依存し、大切な物を作るのが怖い。自分が、弱くなっていくのが怖い。私は常に誰かの為に生きて、危険から守って、遠くから見守っているだけの存在でいい。自分自身が、幸せを求めるべきではない。
 だがどれだけそう思っても、この腕を離せない。自ら、マクファーデンから離れる事が出来ない。

「――マーシャ?」

 彼の、優しい声が耳元で響く。

「――なんでも、ない」

 頬を伝う暖かな雫の意味も、これからの事も、私の口からはまだ言えない。
 そんな私を、彼は問い詰める事はしなかった。


 夜は深まり、時は私を夢へと誘う。このまま永遠の眠りについて、良い夢だけを見続けられたら。そんな儚い願望を抱きながら、私は眠りに落ちた。

「――僕だって、貴女を失うのが怖いんですよ」
 
 夢と現実の間に落ちかけた頃。耳に届いたマクファーデンのその声は現実か、それとも幻か。
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