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XLIII 悪いのは-VII

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 先程迄は気にならなかった秒針の音がやけに耳に付き、沈黙が長く感じられる。
 自分の両親の事を尋ねられて、直ぐにどの様な人だったかを口にできる者は、幸せな家庭で育った人間、もしくは劣悪な環境で育った人間の二択に別れる。
 ――優しい人だった、良く笑う人だった、お喋りな人だった。
 ――暴力を振るう奴だった、酒癖、女癖が悪かった、夫婦喧嘩ばかりしていた、など。
 それ等の言葉は、実際に過去に人から聞いてきた言葉だ。私は幼少期、仕事柄――と言って良いものか、自身が助けた人間に家族の事を尋ねる事が多かった。
 それは子供ながらに家族が恋しかったからか、それとも好奇心からかは分からない。それでも、家族――主に両親の話をよく尋ねていた事を覚えている。

「――僕の父は、優秀な医者でした」

 彼がぽつりと、零す様に言葉を紡ぐ。
 
「母は病弱で、常にベッドの上で生活している様な人でした。そんな母を、献身的に支え続けていたのが父でした。母の治療も、父が1人で行っていたのだと記憶しています。そして僕が17の時、母が他界しました。年齢の事を考えると、寿命だったのでしょう。しかし、父は持病で母は亡くなったのだと言い張った。母の死がきっかけで、名医だった父は医者を辞めてしまった」

「――……」

「父は医者を辞めてから、酒に溺れ自堕落な生活を送る様になりました。僕は、そんな父を見ているのが嫌だった。しかし、幼少期から見ていた父が、名医だった父の姿が忘れられなくて、僕は医学を学ぶ為に全寮制の大学へ進みました。ですが父は、医者を目指す僕に無関心だった。父にとっては、母が全てだったのでしょう。そして僕が無事医師免許を取得し聖バーソロミュー病院に勤務する様になって半年、父は他界しました」

「そう、なんだ」

 普通だとも、悲しいとも、残酷だとも言えない、ただ虚しさだけが残る家庭。
 彼は最後まで淡々としていたが、その心には一体何を映していたのだろうか。彼の心が読めたらと思う事は過去に何度もあったが、今この瞬間程、彼の心が読めない事実を呪った事は無かった。

「つまらない話でしょう? 僕は父が他界しても、不思議と寂しくなかったんです。だからもしかすると、僕はあくまで父を“名医”としてしか見ていなくて、父親としては見ていなかったのかもしれません。ただ喪うには惜しい人間だったと思うだけでした」

「……先生は、名医になりたいの?」

「どうでしょうか。一応、これでもバーソロミューに居た頃はそれなりに優秀だと言われていたんですよ。腕も、知識も、経験も、そこらの医者よりかはあったと思います」

「……でも、満足してなさそうだね」

 彼の顔を見て、思わず口を衝いた言葉。しかし、すぐさまその言葉を口にした事を後悔した。
 私から顔を背け、俯いた彼が自嘲気味に笑う。そんな彼の表情を見るのは初めてだった。

「先程も言った通り、僕は貴女のカルテに恋をした。この診療所に来て、考え方を改めてからはそれなりに満足した人生を送っています。しかし、貴女の言う通り、優秀な医者になっても僕は満足しなかった。エリオット先生は、僕の上席に当たる医師でして、所謂先輩だったんですが、僕は彼の性格に苛立つ事が多かった。何故こんな人が、僕よりも優秀なのだと妬んだ事もありました。でも、此処に来て、貴女に出会って、エリオット先生が何故優秀だったのかが分かりました」

 彼が私と視線を合わせ、悲しげに笑った。

「エリオット先生だったら、貴女をこんな目に遭わせなかったでしょう。彼だったら、貴女をこんな目に遭わせた人間が直ぐに誰か分かるでしょう。彼は貴女に天使だという呪いの言葉を与え、更には患者扱いしていましたが、それと同じ位貴女を熟知していた」

「それ……は……」

「僕は、分からないんです。貴女をこんな目に遭わせた人間が誰か、何故貴女が隠そうとするのか、貴女が本当は僕をどう思っているのか。何故、僕は貴女を守れなかったのか」

 彼が再び俯き「分からないんです」と譫言の様に繰り返す。
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