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XXXII 忠告と犯意-III

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「今日はありがとう。じゃあ、また来るね」

 店の扉を開き、彼女に手を振る。
 
「産まれたら、赤ちゃんの顔見に来てね」

 そう言ってお腹を摩ったアシュリーに笑顔で頷いて見せ、彼女の店を後にした。
 胸に抱いているのは、彼女の好意で譲ってもらった少量の紅茶。古くなってもうお店には出せない茶葉を、幾つか持たせてくれたのだ。常連客には時々無償で譲ってる、とアシュリーは言ったが、それは彼女の小さな嘘であり、顔色の優れない私を気遣いわざわざ持たせてくれたのだという事は直ぐに分かった。

 ――セドリックにとっての最愛はエルで、エルにとっての最愛がセドリックだという様に、この世の中の人には皆最愛の人物がいる。アシュリーもそうだ。
 エリオット先生やマリアと共に居た時は特に気にした事が無かったが、マクファーデンとこうして離れてみて、私には“最愛”が居らず、1人きりだという事に気付いた。故に少し、寂しく思っていたのかもしれない。
 アシュリーには、気を遣わせてしまって申し訳ないと思っている。しかし、私を見てくれている人が少なからず居るのだという事が分かり、心が軽くなった様に思えた。

 胸に抱いた紙袋を撫でならが、辺りを見渡し置き去りにしてしまったセドリックの姿を探す。
 だが、どれだけ見渡してみても彼の姿が見えない。何処かへ行ってしまったのだろうか。探しに行こうと、1歩前へ足を踏み出した。

「――あっ」

 ふわりと鼻腔を抜けるシトラスの甘い香り。どこか懐かしさを感じさせる香りだと思いながらも、誰かにぶつかってしまったのだと瞬時に悟り慌てて顔を上げる。

「ご、ごめんなさい!」

 普段なら、どれだけ別の事に気を取られようと人の気配を感じ取りぶつかる事は無い。しかし最近、その気配を感じ取る能力さえも衰えているのか、“あの女”と再会した時もぶつかってしまった。
 もう少ししっかりしなければ。そう思うも、今日は何かが変だ。
 人間には少なからず、気配というものがある。なのに、今日は“何も感じなかった”。まるで無機物にぶつかったのかと思う程に、人間の気配を感じなかったのだ。

 ぶつかった人物に、視線を向ける。
 黒いドレスに、キャペリンハットをかぶった若い女性。クラウンに結ばれたリボンは大きく、長い垂れがハットのブリムから流れ落ち風が吹く度にひらひらと揺れていた。まるで貴族、もしくは女優の様な佇まいだ。
 その女性と視線が交わったのはほんの一瞬。だというのに、何故だかその女性の顔が焼き付いた様に脳内に色濃く残った。
 白い肌に、ストロベリーピンクの瞳。黒いドレスとハットとは対照的な白髪。1度見たら、忘れられない様な女性だ。
 私の言葉に微笑みで返したその女性が、ひらりとドレスの裾を揺らしながら優雅な足取りで自身の傍から去っていく。そんな女性の背を見つめながら、ただただ不思議な人だと思った。

 心が読めない訳では無い筈なのに、あの女性からは何も伝わってこない。まるで人形ドールを見ているかの様だ。
 時々、人から大切にされすぎた人形からは魂の様な物を感じる事があった。感情は何も伝わってこないが、ただそこに生命があるのだという妙な感覚。あの女性は、それにそっくりだ。マクファーデンの心が読めないのとは、少し違っている。
 本当は、あの女性を追いかけて少し話がしてみたい。私が感じたものは何だったのかが知りたい。
 しかし、本能が警報を鳴らす様に自身を引き止めていた。あの女性に関わるべきでは無いと、そんな形容し難い何かを感じる。

 ――気味が悪い。

 妙な寒気を感じ、自身の腕を摩りながら再び歩を進めた。

「……ん?」

 しかし、その足は直ぐに止まる。
 腰に感じた、妙な違和感。ベストのポケットがかさりと音を立てた様な気がして、視線を自身の右側の腰に下げた。

「……なにこれ」

 ベストのポケットに差し込まれていたのは、血液、もしくは赤薔薇を連想させる色の封蝋が押された黒い封筒。郵便封筒にしては、少々大きく見える。
 封蝋の中心には、“B”の印璽いんじ。その印璽に、見覚えは無い。
 その封筒の匂いを嗅ぐ様に鼻に近付けると、僅かにシトラスの香りがした。先程の女性が入れた物の様だ。一度ぶつかっただけだと言うのに、一体いつポケットに入れたのだろう。
 黒の封筒は、滅多に見る事は無い。仮面舞踏会マスカレイドの招待状で、無礼講を意味する為に敢えて黒の封筒を使う事がある、というのは聞いた事があるが、基本的には訃報ふほうにですら使われない色だ。黒は不吉の象徴であり、その手紙を開くのは少々躊躇われる。
 しかし、悪戯や嫌がらせだとは考えづらい。何か、重要なメッセージだと考えるのが妥当だ。
 小さく息を吐き、赤い封蝋を剥がした。あまり見たくは無いものだが、無意味な物で無い事は確かだ。封筒の中に入れられていた、封筒と同じく黒い色をしたメッセージカードをゆっくりと取り出した。
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