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XIII 追憶-交渉- -I

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 診療所から職場までの道中、私はずっとマリアとセドリックの事を考えていた。
 セドリックに交渉すると言ったは良いが、セドリックが私の話を真面に聞いてくれるとは限らない。交渉のテーブルに着く事すら出来ない可能性だって大いにあり得るのだ。
 それに、交渉が成立したとしても良い引き取り手が見つからなければ意味が無い。
 マリアとノエルには、残された時間が少ない。借金取りがいつ、ノエルを連れ去ってしまうか分からないのだ。出来れば今日、明日にでも、マリアの面談をして貰いたいところだ。

 辿り着いた職場の前。扉の鍵穴に鍵を差し込み、小さく息を吐いた。
 ぐるぐると思考は悪い方向へと向かっていってしまうが、今はとにかく悩む前に話をすべきだ。差し込んだ鍵を回して解錠し、玄関扉を勢い良く開いた。

 ホールに、セドリックの姿は無い。
 現時刻を壁時計で確認するが、彼が仕事を終えるにはまだ早い時間だ。それに、シャンデリアには明かりが灯っている為外へ出ている事も考えられない。彼はこの屋敷の何処かに居る筈だ。
 普段はホールで寛いでいるというのに、肝心な時に居ないなんて、と内心毒づきながら、屋敷に足を踏み入れ扉を後ろ手で閉めた。

 ――何処から聞こえる、人の話し声。片方は、セドリックのものだ。もう片方は――依頼者だろうか。
 ホールの奥に位置する客室から聞こえるそれ等の声に、セドリックは現在依頼者との面談中だという事を悟る。
 この様な場合は、面談が終わるまでホールで大人しく待つべきだ。お気に入りの紅茶を淹れて、心を落ち着かせるのも良いかもしれない。
 しかし、脳裏に張り付いているのはマリアの泣き顔とあの言葉。こうしてる間にもぐるぐると頭の中を回り、面談が終わるまで落ち着いて座っていられる自信は全くない。

 こんな事を、してはいけない。セドリックと交渉のテーブルに着くには、今は彼の機嫌を損ねる事はするべきじゃない。それは分かっている。
 だが私の心は焦燥感に駆られたまま落ち着く事は無く、吸い寄せられる様に客室の方へ足が向いた。

 客室の前に立ち止まり、扉の杢目もくめをじっと見つめる。
 セドリックの声は相変わらず落ち着いているが、依頼者であろう男性は上機嫌で会話に興じている。取引を通して引き取った子供が、想像以上に良い娘だった様だ。本当の娘の様に、愛情を込めて育てていこうと思う、といった言葉が漏れ聞こえてくる。
 顔も見た事の無い彼の言葉を、全面的に信じる訳では無い。だが、彼の言葉に嘘は無い様に思えた。
 彼の様な男性にノエルを引き取って貰えたら、ノエルは幸せになれる筈だ。マリアも、安心出来るだろう。少なくとも、競売に掛けられるよりかは何倍もマシだ。
 漏れ聞こえてくる声を聴く限り、依頼者は気さくな人の様だ。緊急の案件だと言えば、分かってくれるだろう。セドリックはあまり良い顔をしないだろうが、今はもうこうするしかない。
 深く息を吐き、扉をノックしようと握り締めた手を持ち上げた。

「――あ」

 カチャ、と耳に心地よい音が響き、ノックをするよりも先に扉が開いた。予想外の展開に思わず声が漏れ、ノックしようとした手は宙に取り残される。
 扉を開いたのは、長身で短く刈った赤毛の髪が印象的な貴族の男だった。顔立ちは整っている方だとは思うが、あまり女性受けしなさそうな見た目だ。しかし、高級ブランドの装飾品を身に着けておらず、金持ちだという事をひけらかすタイプでは無い所に好印象を持つ。

「失礼」

 男と見つめ合う事数秒。セドリックが男にそう囁き掛ける様に告げ、私を客室の前から強く押し退けた。
 
「可愛らしいお嬢さんじゃないか。君も彼と同じ仕事を?」

「あ、えっと」

 男に話を振られるが、咄嗟の事に言葉が出て来ない。
 それを見て、彼は何を思ったのか此方に手を差し出した。そして自己紹介をされるが、今の私の脳内はマリアとノエルの事で埋まっており、彼の名を記憶する事は出来なかった。
 差し出された手を無視する訳にもいかず、ぎこちなく握り返し「どうも」と短く告げる。
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