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第四夜:角部屋の女霊

正体イマジネーション

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「よく無事でしたね」

 部長の話を聞き終わって、まず初めに七瀬が思ったのはそんなことだった。
 丑三つ時と言ういかにも怪奇にお似合いな時刻とはいえ、だ。実際に幽霊が出てくるなんて、そう滅多にありはしない。
 ましてや部長は七瀬たちと違って“見えない”人だから、普通“見える人”を探している幽霊からは興味の対象外である筈だ。
 以前、部長の部屋で催された闇鍋の集いを思い起こす。あの時七瀬と渚が感じた視線も、あるいは、何か関係があるのだろうか。

「“幽霊”って言いましたけど、それだともう性質たちの悪い悪霊です」

 隣で相槌をうちながら、渚が応える。

「はい。ただ、普通そんな霊が現れる場所といえば――」
「強いて言うなら、“いわくつきの心霊スポット”とか、それくらいかな。でも部長の部屋にもあのマンションそのものにも、変な噂は無かったと思うよ」
「その幽霊がただの行きずりということも……いや、それだとそもそも部屋には入れない筈ですよね。先輩は、どう思いますか」
「そうだね、何か特別な訳があるのかも。それが何かはまだ分からないけど――部長、どうしました?」

 部長がポカンとしていたので七瀬がそう尋ねたところ、彼女はしばし逡巡を浮かべた後で口を開いた。

「――信じてくれるのか?」
「……はい?」
「いや……自分から話しておいて何だが、普通いきなりこんな話をされても、信じられないだろう。私だって自分で話していて、そう感じるんだから」

 自嘲気味に放ったその言葉は、最後の方になるにつれて小さくなっていった。目を伏せて、机に目線を落とす。睫まつげの下で何かが光った。

「それなのにお前たちは、信じてくれるのか」
「信じますよ。えっと……そうですね」

 確かに部長の心情ももっともだ。幽霊が見えるんです、なんて告白したところで、普通の人はまともに取り合ってくれないだろう。
 実際に、幽霊が見える人を除いては。
 七瀬と渚はそっとアイコンタクトを交わした。七瀬がかすかに首を振ると、応えるように渚が頷き返し、そして一緒に部長の方へと向き直る。
 息の合った動きに、部長は少し面食らったようだった。

「お、おいどうした、いきなり」
「部長。実は僕たち、これまで秘密にしてきたことがあるんです」
「秘密……?」
「聞いてくれますか」

 七瀬が言うと、部長は二、三度瞬きをしてから、ふうっと息を吐き出した。

「よし。話してみろ」
「はい」

 唇が乾く。
 親しい相手であっても、自身の能力について打ち明けるのはやはり緊張する。

「部長。僕たちは」
「私たちは」
「「――幽霊が見えるんです」」

 固唾を飲んで部長の反応を待った。

「――そうか」

 しかしその返事は、予想したよりも呆気ないものだった。

「なるほどな。道理でか」

 一人納得した風で何度も頷くものだから、こちらの方が逆に戸惑ってしまう。

「あ、あの部長?」
「うん?」
「驚かないんですか。いきなりこんなこと言われて」
「そうだな……。驚きよりも、やっぱりそうだったのかっていう思いの方が強いよ」
「……どういうことですか」

 椅子の背に体をもたれかけて、部長は二人を交互に見つめた。

「この前私の部屋で闇鍋をしただろ。あの途中で、部屋のブレーカーが落ちていたこと、覚えてるか」
「……はい」
「私がブレーカーを付けてすぐ、ちゃんと電気が点いたな。だけどその時、お前たちの様子は私から見ておかしかった。だから、七瀬。お前たちが帰る前に、私は訊いただろ。“何か見たのか”って」
「たしかその時僕は、“何でもない”と返した筈です。記憶が正しければ」
「そうだ。でも、お前が何か隠してることは、すぐに分かったぞ」

 部長が不敵な笑みを見せてくる。
 最初の内はどこか放心状態で、彼女の表情にも疲労が色濃く残っていた。だが七瀬らと合流してから、次第に普段の調子を取り戻してきているようだった。少なくとも、こうして笑えるだけの余裕がある。

「あの時二人で何か話していたのは、そういうことだったんですね」

 合点がいったという風に渚が言った。

「何の話をしてるんだろうなと、気になっていました。私の方までは聞こえてこなかったので」
「無駄に怖がらせても悪いと思ったからな。どうした渚。何かいかがわしいことでも想像してたのか」
「い、いえっ……! ただ、やけに距離が近かったなあ……と思ったので」
「……ああ、なるほどな。大丈夫だ、そういうことではないから安心していいぞ」
「はい……」

 渚が頬を赤くして縮こまり、それを部長が面白げに眺めていた。二人のやりとりにどういう意味があるのかよく分からない七瀬だったが、とりあえず逸れかけた話を戻しにいく。

「――僕が隠し事をしてるのが、部長には分かっていたんですよね」
「ああ。それで、だ。謎の物音が聞こえ始めたのはあの日よりも前。原因が分からないまま闇鍋を開いて、そしたらお前が、何かを見たらしいとなった。口には出せない何かをな。実際そうなんだろう?」

 七瀬が頷く。実際のところ、七瀬はその姿を直接見ていないのだが、存在は感じていたのでここは話を合わせておく。逆に渚の方は、シルエットだけだが確かにその存在を捉えていた。

「今日私がお前たちを呼んだのはあの日の事があったからだ。お前ら二人なら、何か知っているんじゃないかと思ったんだよ。……まさか、二人とも“幽霊が見える”とまでは思ってなかったけどな。でも確かに、それなら色々と説明が付く」
「驚いてますか?」
「そりゃ驚いてるさ。でも信じてない訳じゃないぞ。―――お前たちが本当のことを言ってるのは目を見れば分かるし、私自身、幽霊がいることは嫌ほど信じさせられたからな。なら、見える人がいたところで不思議じゃないだろう」

 さも当たり前のように部長は言い切る。その反応が七瀬にはありがたかった。“幽霊が見える”という凡そ普通ではない告白、それを正面から受け入れてくれたのだ。
 隣を見ると、安堵の微笑みを浮かべる渚と目があった。

「部長さんが、部長さんで良かったですね。先輩」
「うん。……今の僕、そんなにほっとした顔だった?」
「いつも見ているので、ぼんやりとなら雰囲気で分かるんですよ」

 そんなものなのか。考えてみればたしかに、ここ最近二人が一緒にいる時間は増えていたりするし、七瀬だって彼女の気分が沈んでいれば何となく気付ける自信がある。別に読心術を習得しているわけではなくて、ただ仲の良さが為せる技なのだろう。
 部長が通りがかった店員を捕まえて二人分のドリンクバーを注文した。七瀬と渚は遠慮したのだが、部長はいいからいいからと手をひらりと振って笑った。

「喉も渇いてるだろ。わざわざ此処まで来てくれて、何も無しじゃあ悪いからな。せめてこれぐらいはおごらせてくれ」

 せっかくの厚意を反故にするのも何なので、取り敢えず飲み物を取りに行くことにした。
 爽健美茶とグレープフルーツで迷って結局ウーロン茶にする。渚は迷いの無い様子で爽健美茶を選んでいた。
 席に戻って、一口。程よく冷えた液体で喉を潤してから、いよいよ話は本題へと移った。

「部長さんにいくつか訊きたいことがあります」

 渚がその口火を切る。

「部屋の中でおかしな事が起き始めた、何か心当たりはありませんか」
「心当たり……例えばどんなことだ?」
「何でもいいんです。幽霊の姿に覚えがあるとか、何処其処に行ってから変なことが起きるようになったとか、どんな些細な事でも手掛かりになるかもしれませんから」

 部長は腕を組んでから、暫く天井を向いて唸っていた。

「―――切っ掛けか。私はこれまで、心霊スポットで肝試しをするような真似をしたことはないし、幽霊の顔も直接は見ていないから分からない。恨まれる筋は……無いと思うんだけどな。私の部屋が実は事故物件、なんて噂も聞かないし」

 申し訳なさそうに首を横に振るのを見て、渚も困った様子で言葉を詰まらせる。部長に心当たりがまるでないとなると、事はそう簡単に解決してはくれないようだ。
 本来幽霊とは、おいそれと縁の無い人の家に入ってくることは出来ない。家そのものがある種の結界的な役割を果たしていて、“ウチとソト”を区別しているからだ。だから色々な物語を読んでも分かる通り、古今東西、怪奇はあの手この手で家主にドアを開けさせようとしてくる。近頃だと都市伝説の“さとるくん”がその一例だろうか。

「……それでも、何かしら切っ掛けがある筈です。部長の部屋で怪奇が初めて起きた日、何かいつもと変わった事はありませんでしたか」

 渚に変わって七瀬が質問を引き継ぐと、部長は腕を解いて椅子の背に身体を預け、眉間に手を当てた。

「あ――、初めてって言うと二週間まえだったな。あの日は……待てよ。そうだった。ということは、やっぱりあれは見間違いなんかじゃなかったんだんな」
「何か、あったんですね」
「ああ、いきなりなんだが、一つ思い出したことがある。奇妙な事が起きるようになった、その初日のことだ」
「詳しく聞かせてください」
「たしか夜の十一時頃だったな。あの日は月が綺麗だって聞いたから、私も夜空を見ようと思ってカーテンを開けたんだ。部屋が明るいと外が見えないから、明かりを消そうと振り向いた。その時ふと鏡に目がいったんだが――」

 一拍の間があった。

「一瞬だけ、私以外の何かが、そこに映っていたんだよ」
「――――」
「ぼやっとしていて……黒い霧みたいだった。すぐに消えてしまったから気のせいかと思ってたんだが、これも何か関係があるのか?」
「……分かりません。それだけではまだ何とも。ただ、今のではっきりしたこともあります」

 そう前置きしてから、七瀬は一瞬だけ渚の方に視線を向けた。
 お互いに小さな首肯を交わす。それだけで、二人が同じ事を考えていると確認するのには十分だ。

「まず、部長が見た物の色が”黒”ということから、その正体が何にしても、危険だということは確定できます。怪奇現象の始まりがその日ということも併せて、黒い影と今日部長が会った幽霊は、恐らく同じものです」

 凡そ間違いではない、と思う。
 心霊写真の危険度を判別する際には、映っているモノの色を見ればよいとよく言われる。青や緑のオーブならばそれは幸運の象徴、黄色はその人の守護霊が映り込んだものであるそうだ。対して黒や赤色の光は、敵意や憎しみを表しており危険とされる。
 概ね、その色から受けるイメージに対応していると考えてもらえればいい。

「――そして、もう一つ」

 部長が納得したのを確かめてから、今度は渚が口を開いた。

「その幽霊は、自縛霊ではありません」
「自縛霊って言うと……自分が死んだ場所から動けない幽霊、のことだよな。前にどっかで聞いたことがある」
「そうです。もし自縛霊なら、もっと前から怪奇現象が起きていないとおかしい。そうですよね、先輩」
「自縛霊だったとしたら、それは部長が住み始める前からその部屋にいたことになるからね。僕は一年前にも部長のアパートに行ったことがあるけど、その時は何もいなかった。それは確かだよ」

 一口に幽霊と言っても、その中身は大きく自縛霊と浮遊霊の二つに分かれる。前者は部長の言ったとおり、特定の場所から動けない霊。後者は書いて字の如く、比較的自由にうろつき回っている霊のことだ。
 どちらかといえば自縛霊の方が恨みや執着心が強くて危険なのだが、かと言って浮遊霊が無害な訳でもなく、関わらないことに越したことはない。
 だから。

「自縛霊でないなら、部長が見た幽霊は浮遊霊の類……ってことになる、けど」

 それでもまだ納得のいかない点が残ってしまう。
 七瀬に代わって、渚がその続きを受け継いだ。

「でもそれだと、幽霊がどうやって部長さんの部屋に入れたのか説明が出来なくなるんです。家や部屋は、それだけで結界のような役割を果たすように作られています。幽霊だからといって、簡単には外から入ってこれません」

 一つを立てれば他方が立たず。推論はまた振り出しに戻った。机上の話し合いだけで納得いく理屈を作るのは、どうやら無理そうだ。幽霊が関わっている事だから、もとより理詰めだけでどうにかなるなんて思ってはいないが。
 故に最終的な解決法は、自ずと絞られてくる。

「……出来ることなら、避けたかったけど」

 ポツリとそう言った七瀬に、渚と部長の視線が向く。

「行ってみましょう、部長のアパートへ。この目で直に見れば何か分かるかもしれません」

 “百聞は一見に如かず”という諺だってある。どちらにせよ、部長の事を考えると今日中には片を付けないといけない。
 このまま徒いたずらに時間を消費してずっと部屋に戻らない訳には行かないし――何より部長自身も、顔色が悪い。気丈に振る舞っていてもその実、相当疲れているのだろう。
 しかし相手は幽霊、元は同じ人間でも今は生死の境界を隔てた間柄だから、当然危険も伴う。
 だからこそ明るい内に手を打とうと、七瀬は考えていた。時刻はまだ正午を過ぎていない。だが、それでも時間は多い方がいい。

「私の部屋に戻って……それで、どうする」
「幽霊次第です。方法は二つ。話し合って出ていってもらうか、無理やり追い出すかです。出来ることなら話し合いで解決したいですが」
「そうか……分かった」

 襲われた時の事を思い出したのか、固い表情で部長が頷く。

「――部長さん」

 そこへ、渚が声をかけた。

「凄く偉そうになってしまうんですが――あの、私たちは、幽霊が見えます。だから幽霊のことにも、詳しかったりするんです。もし危なそうだったら、すぐに部長さんに教えます。なのでその、安心してください。部長さんは、私と先輩で守りますので」
「――――」

 部長は驚いた風に目を開き渚を見ていた。やがて数秒の沈黙が過ぎた後、不意にその頬が緩んだ。

「……そうだな。今度は私一人じゃなくて、お前たちが一緒にいてくれるんだ。――ありがとう、渚。おかげで楽になった」
「はい……!」

 部長に笑顔が戻って、渚もホッとしたみたいだった。以前部長を見て“憧れる”と言っていた程だから、いつもと違う様子に、渚も相当心配していたに違いない。
 勿論、それは七瀬も同じだ。二人の様子に温かいものを感じつつ、ショルダーバッグの外ポケットを探る。

「じゃあ、僕からも」

 中から四角に折りたたまれた白紙を取り出して、部長に手渡した。

「これは何だ?」
「お守りみたいなものです。中には粗塩が入ってるので、弱い幽霊くらいなら追い払えます。これが終わるまで持っていてください。大丈夫だと思いますが念のため」

 種のお守りと同じで、七瀬がいつも持ち歩いている物の一つだ。外出先で何か嫌な気配を感じた時などに、この塩をつまんで肩に振りかける。塩にはお清めのカがあるため、こうすることで変なモノを連れ帰らずに済むのだ。

「助かるよ。悪いな。私なんかのために」
「気にしないでください。文芸部は“家族”みたいなもの、なんでしょう。家族が困っていたら助けるのは当たり前です」

 そろそろ行きましょう。
 七瀬がそう言ったのに合わせて渚も席を立った。部長が何故だか放心したようになっていたので名前を呼ぶと、慌ててその腰を上げる。顔には微かな苦笑が浮かんでいた。七瀬と渚には聞き取れないくらいの小ささで、彼女の唇がそっと言葉を紡いだ。

「――私は幸せ者だな」


「部長、何か言いました?」
「いや。ただの独り言さ」
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