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第一夜:怪奇譚の始まり

幽霊屋敷徒然探検記

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    恐怖からくる独特の興奮を追い求める者たちは、およそ大多数の人が好まないような場所へよく足をむける。
 使われなくなったトンネル。夜中の墓場。あるいは、打ち捨てられた廃墟。目を皿にしたところで、人間の営みの残り香しか発見出来ないような場所だ。
 彼らはそこで、スリルを味わう。そして時に怪我をし、時に禁忌を犯して痛い目に合う。
 と、そんな風に、口を酸っぱくして表現してみたものの。
 今自分たちがしていることも、端からは、彼らと同じに見えるのだろう。
 勿論、その目的はまったくもって違う。

 玄関からは、板張りの廊下が真っ直ぐに伸びていた。両側にはそれぞれ扉があり、つきあたりには二階への階段だ。探索すべき所はおおまかに三か所、といった所だろうか。
 この建物が無人となってから、まだ数年程しか経っていないからか、全体的に当時の面影が少なからず残っている。完全な荒廃状態ではなかった。
 だからといって、探索の恐怖が和らぐわけではないのだけれど。

 右側の扉からまずは調べることにした。
 中に入った途端に、カビ臭いつんとした臭いが漂って来て鼻腔を刺した。どうやらそこは洗面所のようだ。扉を開けた風圧で埃が舞いあがり、思わず一歩後ずさった。
 正面の姿見には、鏡体を縦断するように鋭いヒビが走っていた。映っている自分の顔がゆがんで見える。何かの拍子に割れたのか、それとも誰かが割ったのかは知り得ないが、どちらにせよおどろおどろしい。

「先輩、来てください」

 風呂場の方から渚が呼んだ。

「誰かいたの」
「いえ。ただ、浴槽に水が張ってあります」
「水?……ほんとだ」

 近づいて覗き込むと、確かに風呂桶の中には半分程水がたまっていた。ただしそれは汚水だ。淀んで黒っぽく、顔を寄せると腐臭が漂ってきて、七瀬は顔をしかめた。
 濁りがひどくて底は見えない。今にも何かが、下から水面を割って飛び出してきそうだった。

「これには何か意味が……あったりするのかな? 雨漏りじゃあ、こんなには溜まらないだろうし」
「ここに住んでいた人は、お風呂にでも入ろうとしてたんでしょうか?」
「多分、というかそうとしか考えられないけど。ただそうすると、一つ分からないことが出来るんだよね。家を出ていく前に、わざわざ風呂に入る? 普通は帰ってきてからだろうに」
「……ここに住んでいた人たちは、いつごろいなくなったんですか?」

 渚が訊くと、七瀬は目を細くして思案顔になった。

「少なくとも、僕が入学する前だと思う。そのころにはもう噂があったから。でもはっきりとした時期は、多分誰も知らない。先輩から聞いた話だと、気付いたらいつのまにかこうなっていたそうだよ」

 一家全員の消失。きっとそれは一夜の内に。
 正確な時期は不明だが建物の寂れ具合からするに、それはそう昔のことでもないはずだ。十年や二十年が経過していれば、この家は目も当てられないほどに荒れ果てていることだろうが、ここにはまだ僅かながら生活の残滓がある。おそらく数年前、といった所だろう。

「僕はてっきり、金に困って夜逃げでもしたのかと思ってた。でも夜逃げをしようという人は、普通悠長に風呂なんか入らないよね。それに夜逃げなら、この家は差し押さえられてなくちゃおかしい」
「何かが起きた、そういうことですね」
「それが何かは、分からないけどね。……まあ、考えるのは後でも出来る。今は渚ちゃんの連れを見つけるのが最優先。とりあえず洗面所ここから出よう。何もないみたいだし」
「はい先輩。ここは何か息苦しいような感じですし、長居するべきじゃなさそうです。なんとなく、息苦しさを感じます」
「……気が淀んでるのかな」

 七瀬が独語気味に答えた。
 陰陽道、あるいはそれの礎である古代中国の風水において、水というのはその場の「気」と大きな関わりがある。
 基本的に流水は悪しきものを祓い、清めるカがあるとされる。吸血鬼が流水を越えられないのはそのためだ。
 対して流れのない水、とりわけそれ自体がひどく汚れている場合、それはその場の「気」を停滞させて霊を呼び寄せることにつながる。例えば、小学校の七不思議には大抵プールが入っているように。
 此処のような、汚水が張られた浴槽なんてその最たる例だ。

 風呂場を出ようとした七瀬の目に、あるものが留まった。ビー玉くらいの丸い球、二つ。拾い上げてみると、それは目玉だった。

「うわっ」

 とはいってもプラスチックの作り物だ。だが何故それがこんな所に落ちているのか。もう訳が分からない。

「先輩……? ひっ」
「大丈夫。偽物」

 渚がそっと、目玉を七瀬の手の平から掴み取った。顔を近づけてじっと凝視、そして嫌そうな顔をする。

「趣味が悪いですね」

 彼女はそれを浴槽に投げ捨てた。汚水の中へ沈んでいった目玉は、やがて見えなくなる。

「行こう」

 廊下へ出ていこうと、七瀬が洗面所の敷居を跨いだ。その時だ。

「――っ!」

 首筋に、チリリと焼けるような感覚が走る。例えるなら、そう。丁度今頃の陽射しを、至近距離から当てられているような。
 誰かに見られていると、直感的に分かった。
 意を決して姿見の方を振り向いた。そこには不安げな表情の二人だけが映っている。

「気のせいか……?」

 こんな場所だから、自然と、何かがいるように想像してしまうのかもしれない。幽霊が見える人間でもそういうことはある。
 そう思って、気を緩めかけたその時。
 七瀬の後ろ、板張りの廊下を、何かの影が軽快な足音と共に駆け抜けるのが、ひび割れた鏡にしっかりと映った。
 慌てて振り返るが、案の上もう何もいない。ただ、先程そこを何かが通過した事を示すが如く、灰色の埃が宙に舞い上がっていた。
 ネズミではない。ネズミはこんなに埃を巻きあげたりしない。

「先輩、今のは」

 姿は見ていないにしろ、渚にも足音と気配は感じ取れたのだろう。彼女の声は強張っていた。
 そして実を言うと七瀬も内心、今の一件でかなりびびっていた。入って早々に、謎の目玉と黒い影だ。出来ることなら、今すぐこの屋敷から出て行きたい。
 だがそれはどだい無理な話。だからせめて外面そとづらだけでもと。恐怖を堪えて精一杯の強がりを見せる。

「歓迎してくれているみたいだよ。幽霊たちが」

 笑って言ったつもりだったが、その笑みは明らかに引き攣っていた。
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