徒然怪奇譚~恋と怪奇と春の花~

どくだみ

文字の大きさ
上 下
6 / 48
第一夜:怪奇譚の始まり

幽霊屋敷徒然探検記

しおりを挟む
    恐怖からくる独特の興奮を追い求める者たちは、およそ大多数の人が好まないような場所へよく足をむける。
 使われなくなったトンネル。夜中の墓場。あるいは、打ち捨てられた廃墟。目を皿にしたところで、人間の営みの残り香しか発見出来ないような場所だ。
 彼らはそこで、スリルを味わう。そして時に怪我をし、時に禁忌を犯して痛い目に合う。
 と、そんな風に、口を酸っぱくして表現してみたものの。
 今自分たちがしていることも、端からは、彼らと同じに見えるのだろう。
 勿論、その目的はまったくもって違う。

 玄関からは、板張りの廊下が真っ直ぐに伸びていた。両側にはそれぞれ扉があり、つきあたりには二階への階段だ。探索すべき所はおおまかに三か所、といった所だろうか。
 この建物が無人となってから、まだ数年程しか経っていないからか、全体的に当時の面影が少なからず残っている。完全な荒廃状態ではなかった。
 だからといって、探索の恐怖が和らぐわけではないのだけれど。

 右側の扉からまずは調べることにした。
 中に入った途端に、カビ臭いつんとした臭いが漂って来て鼻腔を刺した。どうやらそこは洗面所のようだ。扉を開けた風圧で埃が舞いあがり、思わず一歩後ずさった。
 正面の姿見には、鏡体を縦断するように鋭いヒビが走っていた。映っている自分の顔がゆがんで見える。何かの拍子に割れたのか、それとも誰かが割ったのかは知り得ないが、どちらにせよおどろおどろしい。

「先輩、来てください」

 風呂場の方から渚が呼んだ。

「誰かいたの」
「いえ。ただ、浴槽に水が張ってあります」
「水?……ほんとだ」

 近づいて覗き込むと、確かに風呂桶の中には半分程水がたまっていた。ただしそれは汚水だ。淀んで黒っぽく、顔を寄せると腐臭が漂ってきて、七瀬は顔をしかめた。
 濁りがひどくて底は見えない。今にも何かが、下から水面を割って飛び出してきそうだった。

「これには何か意味が……あったりするのかな? 雨漏りじゃあ、こんなには溜まらないだろうし」
「ここに住んでいた人は、お風呂にでも入ろうとしてたんでしょうか?」
「多分、というかそうとしか考えられないけど。ただそうすると、一つ分からないことが出来るんだよね。家を出ていく前に、わざわざ風呂に入る? 普通は帰ってきてからだろうに」
「……ここに住んでいた人たちは、いつごろいなくなったんですか?」

 渚が訊くと、七瀬は目を細くして思案顔になった。

「少なくとも、僕が入学する前だと思う。そのころにはもう噂があったから。でもはっきりとした時期は、多分誰も知らない。先輩から聞いた話だと、気付いたらいつのまにかこうなっていたそうだよ」

 一家全員の消失。きっとそれは一夜の内に。
 正確な時期は不明だが建物の寂れ具合からするに、それはそう昔のことでもないはずだ。十年や二十年が経過していれば、この家は目も当てられないほどに荒れ果てていることだろうが、ここにはまだ僅かながら生活の残滓がある。おそらく数年前、といった所だろう。

「僕はてっきり、金に困って夜逃げでもしたのかと思ってた。でも夜逃げをしようという人は、普通悠長に風呂なんか入らないよね。それに夜逃げなら、この家は差し押さえられてなくちゃおかしい」
「何かが起きた、そういうことですね」
「それが何かは、分からないけどね。……まあ、考えるのは後でも出来る。今は渚ちゃんの連れを見つけるのが最優先。とりあえず洗面所ここから出よう。何もないみたいだし」
「はい先輩。ここは何か息苦しいような感じですし、長居するべきじゃなさそうです。なんとなく、息苦しさを感じます」
「……気が淀んでるのかな」

 七瀬が独語気味に答えた。
 陰陽道、あるいはそれの礎である古代中国の風水において、水というのはその場の「気」と大きな関わりがある。
 基本的に流水は悪しきものを祓い、清めるカがあるとされる。吸血鬼が流水を越えられないのはそのためだ。
 対して流れのない水、とりわけそれ自体がひどく汚れている場合、それはその場の「気」を停滞させて霊を呼び寄せることにつながる。例えば、小学校の七不思議には大抵プールが入っているように。
 此処のような、汚水が張られた浴槽なんてその最たる例だ。

 風呂場を出ようとした七瀬の目に、あるものが留まった。ビー玉くらいの丸い球、二つ。拾い上げてみると、それは目玉だった。

「うわっ」

 とはいってもプラスチックの作り物だ。だが何故それがこんな所に落ちているのか。もう訳が分からない。

「先輩……? ひっ」
「大丈夫。偽物」

 渚がそっと、目玉を七瀬の手の平から掴み取った。顔を近づけてじっと凝視、そして嫌そうな顔をする。

「趣味が悪いですね」

 彼女はそれを浴槽に投げ捨てた。汚水の中へ沈んでいった目玉は、やがて見えなくなる。

「行こう」

 廊下へ出ていこうと、七瀬が洗面所の敷居を跨いだ。その時だ。

「――っ!」

 首筋に、チリリと焼けるような感覚が走る。例えるなら、そう。丁度今頃の陽射しを、至近距離から当てられているような。
 誰かに見られていると、直感的に分かった。
 意を決して姿見の方を振り向いた。そこには不安げな表情の二人だけが映っている。

「気のせいか……?」

 こんな場所だから、自然と、何かがいるように想像してしまうのかもしれない。幽霊が見える人間でもそういうことはある。
 そう思って、気を緩めかけたその時。
 七瀬の後ろ、板張りの廊下を、何かの影が軽快な足音と共に駆け抜けるのが、ひび割れた鏡にしっかりと映った。
 慌てて振り返るが、案の上もう何もいない。ただ、先程そこを何かが通過した事を示すが如く、灰色の埃が宙に舞い上がっていた。
 ネズミではない。ネズミはこんなに埃を巻きあげたりしない。

「先輩、今のは」

 姿は見ていないにしろ、渚にも足音と気配は感じ取れたのだろう。彼女の声は強張っていた。
 そして実を言うと七瀬も内心、今の一件でかなりびびっていた。入って早々に、謎の目玉と黒い影だ。出来ることなら、今すぐこの屋敷から出て行きたい。
 だがそれはどだい無理な話。だからせめて外面そとづらだけでもと。恐怖を堪えて精一杯の強がりを見せる。

「歓迎してくれているみたいだよ。幽霊たちが」

 笑って言ったつもりだったが、その笑みは明らかに引き攣っていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

【完結】捨ててください

仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
ずっと貴方の側にいた。 でも、あの人と再会してから貴方は私ではなく、あの人を見つめるようになった。 分かっている。 貴方は私の事を愛していない。 私は貴方の側にいるだけで良かったのに。 貴方が、あの人の側へ行きたいと悩んでいる事が私に伝わってくる。 もういいの。 ありがとう貴方。 もう私の事は、、、 捨ててください。 続編投稿しました。 初回完結6月25日 第2回目完結7月18日

子持ちの私は、夫に駆け落ちされました

月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。

初恋の呪縛

緑谷めい
恋愛
「エミリ。すまないが、これから暫くの間、俺の同僚のアーダの家に食事を作りに行ってくれないだろうか?」  王国騎士団の騎士である夫デニスにそう頼まれたエミリは、もちろん二つ返事で引き受けた。女性騎士のアーダは夫と同期だと聞いている。半年前にエミリとデニスが結婚した際に結婚パーティーの席で他の同僚達と共にデニスから紹介され、面識もある。  ※ 全6話完結予定

最愛の彼

詩織
恋愛
部長の愛人がバレてた。 彼の言うとおりに従ってるうちに私の中で気持ちが揺れ動く

後宮の棘

香月みまり
キャラ文芸
蔑ろにされ婚期をのがした25歳皇女がついに輿入り!相手は敵国の禁軍将軍。冷めた姫vs堅物男のチグハグな夫婦は帝国内の騒乱に巻き込まれていく。 ☆完結しました☆ スピンオフ「孤児が皇后陛下と呼ばれるまで」の進捗と合わせて番外編を不定期に公開していきます。 第13回ファンタジー大賞特別賞受賞! ありがとうございました!!

好きな人がいるならちゃんと言ってよ

しがと
恋愛
高校1年生から好きだった彼に毎日のようにアピールして、2年の夏にようやく交際を始めることができた。それなのに、彼は私ではない女性が好きみたいで……。 彼目線と彼女目線の両方で話が進みます。*全4話

処理中です...