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3巻
3-2
しおりを挟む「よしっ! やったぞ!」
また、襲いかかってきた魔物を討伐隊が倒して、うおおおお! と騒いでいる。
「アンドーさん。お願いします」
オリアナにそう言われて、俺は倒された魔物の元へ向かった。
俺が頼まれているのは、倒した魔物を収納魔術で回収すること。
俺が取得している二つの能力である、勇者が必ず持っているスキル『収納』と、この世界にある収納の魔術。これは完全に別物だ。前者は触れたと認識した対象を任意の形で収納したり、結界なんかを収納できたりする。後者は別空間に繋がる黒い渦を生み出し、そこに物を収納することができる。
スキルの方はバレると困るけど、魔術の方なら珍しいだけで使える奴は他にもそこらへんにいるので問題ない。おかしな使い方をしない限りは、だけど。
倒れているのは、俺が以前、ここの里に来る前に入った森で倒した鹿型の魔物だった。
ただ、以前の魔物は普通の鹿と同じ茶色だったが、今回のは緑色だ。
「……あ」
そうか。やっと分かった。
さっきから俺が抱いていた違和感の正体に、今目の前にいる魔物を見て気がついた。
今日遭遇した魔物は全て緑色だったんだ。
もちろん完全に同じ色というわけじゃなくて、多少は濃淡があった。けど、緑色という枠組みから外れることはなかった。
「……どうしました? 何か分かりましたか?」
オリアナが聞いてくるけど、話してもいいのか?
討伐隊のメンバーが気にしてないってことは、ここではこれが普通なのだろう。だから今更そんなことを話していいものか少し迷う。
確か、毛の色って魔力の属性の影響を受けるんだっけ。
緑は風系統の魔力の色が強いと出る色だったな。魔物だけでなく里の住人全員が薄緑の髪をしていることから、この辺りにはそうなるような何かがある、もしくはいるんだと思う。
そんなこと分かってると思うけど、気づいたことがあったら、って言われてるし一応伝えておくか。
「……なるほど。違和感というのはそれでしたか。であれば問題ありません。その影響を及ぼす原因となっている存在は、私たちも把握しています」
「それはよかったです……ちなみに、それを教えてもらうことは……」
「申し訳ありませんが、できません。アンドーさんがイリンちゃんと結婚して正式に里の一員となれば問題ありませんが、今はまだ……」
「……そうですか」
里の一員にならなければ教えてくれないってのは理解できるし、結婚すれば里の一員になるっていうのは分かるけど、なんでイリン一択だったんだ? いやまあ、俺はイリンと一緒にここに来たし、イリンも俺に懐いてるからそうなるのも分からないでもないけど……
……気になる。どこまでどう話が広まっているのか、すごい気になる。もしかして、里の人たち全員が俺はイリンと結婚する、なんて思ってるんだろうか?
そう考えると、すごく気になる……気になるけど、聞きたくない気もする。聞いたらもう後戻りできないというか。
……もうこのままではいけないというのは分かっている。それでも俺は、やっぱり……
「アンドーさん!」
考え込んでいた俺の意識がオリアナの一言で現実に向いた。
「大物が来ます! 気をつけてください!」
その言葉が示すように、俺が魔力を広げて行なっている探知の中に、既にその存在があった。
しっかりしろよ俺。ボケてる場合じゃないだろ。ここは安全な場所じゃないんだ。何のために探知を広げてんだよ!
自分を叱咤して、武器を構える。
「俺はどう動けばいいですか!」
「アンドーは自分の身を守ってろ! 戦えるのは知ってるが、連携の訓練をしてないからな!」
俺はオリアナに聞いたつもりだったが、返事は隊長であるオーレルからあった。
目の前に迫る強力な魔物に対し、俺一人だけ戦わないというのは歯がゆいものがあるが、仕方がない。オーレルの言うことは正しい。連携の訓練をしてない俺が入ったところでろくに役に立たないどころか、むしろ邪魔をすることになりかねない。
そうして討伐隊が準備をしていると、森の奥からガサガサと音を立てながらそれは現れた。
その姿は異様の一言だった。
緑色の毛で覆われた胴体から猿の頭と手を生やしている魔物だ。
それだけ聞くと普通に思えるかもしれないが、それしかないのである。
緑色の猿の頭。これはまあいい。色は変だが、この辺りの魔物は全部そうらしいから問題ない。
問題になるのは手だ。猿の頭のすぐ下に胴体があり、そこから八本もの腕が生えていて、足が無かったのだ。
魔物はその八本の腕を蜘蛛のように使い、木々の間をぬって近づいてきた。
「チッ、『腕蜘蛛』かよ! 総員陣形を組め! 絶対に掴まれるなよ! 訓練通りにやれば問題はない!」
オーレルの号令で、機敏に動き戦い始める討伐隊の面々。
俺はやることがないので、少し離れた場所で周囲に探知を広げながら見ていた。側にはオリアナを含め、数人が戦わずに待機している。
残っている全員が戦いたそうにうずうずしているけど、全員が戦うわけにはいかないんだろう。
周囲の警戒もそうだが、何かあった時の交代要員として待機しているのだと思う。俺が城にいた時も、騎士たちが同じようなことをしていたからな。
「すみません。あの魔物はなんですか? 『腕蜘蛛』って呼ばれていたと思いますが、どういったものか教えていただいても?」
俺は邪魔になるかもしれないと思いながらも、討伐隊の戦いを見ているオリアナに話しかけた。
俺の頭には、勇者召喚をした城の魔術師の爺さんの知識がある。しかしその知識の中には、あの魔物は存在していなかった。おそらくこの辺りにしかいないか、少なくとも王国には存在していない魔物なんだろう。
「構いませんよ。あの魔物……正式な名前は別にあるのかもしれませんが、私たちは腕蜘蛛と呼んでいます。その特色は、名前にある通り『腕』の力です。掴まれれば、逃げることはできません」
オリアナは腕蜘蛛と戦う討伐隊から目を離さずに話を続けるが、その手には武器が握りしめられ、いつでも出ていけるようになっていた。
「蜘蛛、と呼んではいますが、糸を吐き出すことはありません」
蜘蛛と呼びながらも蜘蛛としての能力は持たないっていうことは、腕蜘蛛っていうのは見た目からとった名前か。まあ、蜘蛛に見えないこともないか。
「――代わりに見えない腕を伸ばします」
「え? ……腕、ですか……?」
腕を伸ばすというのはどういうことだろうか? それも、見えない腕、というのは。
まさか、腕が透明化して伸びるんだろうか?
「はい。アンドーさんのお気づきの通り、この辺りは風の魔力の影響を受けた魔物が多くいます。腕蜘蛛もそうです」
「……『風』で形成した見えない腕を作る魔術を使う、といったところですか……」
なるほど。腕自体が伸びるわけでも透明化するわけでもなかったか。
「その通りです。その攻撃が見えない故に、常に慎重に戦わなければならないので、どうしても時間がかかってしまうのです」
ん? 見えないんだったら、避けられないだろ。時間がかかるとかいう話じゃないと思うんだが。
「……見えない腕、と言いましたが、どうやって避けるのですか?」
「いくつか方法はありますが、そうですね……まずは空気の揺らぎを感じることでしょうか。腕を伸ばすといっても、その速度は大して速くはありません。ですので異変を感じて避けることができます。あとは、その見えない腕は本物の腕を向けた方向にしか伸ばせないので、腕を向けられたらとにかく動き回ることで回避できます」
なるほど、討伐隊の奴らが時々変な動きをしているのはそのせいか。何も知らないまま見ていれば戦いの最中にふざけているようにしか見えないな。
戦闘が始まってから、数十分が経過した。
腕蜘蛛は自分の近くを動き回る討伐隊の面々を捕まえようと、腕を振り回している。
何度か腕蜘蛛の魔力が高まることがあったから、多分その度に魔術の腕を伸ばしていたんだろうと思う。だがそれでも誰も捕まることはなかった。
まあ、獣人の身体能力をもってすれば、油断しない限りは大丈夫だろうな。
いくら腕を伸ばしても捕まえられないことに焦れたのか、腕蜘蛛は側にあった木を力任せに引っこ抜き、そのまま振り回す。
流石に攻撃範囲が広すぎるのか、避けきることのできない者も何人かいたが、致命傷というわけではない。精々が吹き飛ばされて木や地面に打ち付けられるだけだ。
攻撃を受けた者は一旦後ろに下がって、手当てをしてから戦線に戻っている。
だがそれでも、まともにくらってしまえば、いくら人間よりも頑丈な獣人であっても、大怪我は免れない筈だ。
だからどうしても慎重になってしまい、時間がかかる。
しかし、こういった森では戦闘の時間がかかるほど危険は増していくものだ。
それを証明するかのように、腕蜘蛛と戦う討伐隊の背後を突くかたちで魔物の群れがやってくるのが探知に引っ掛かった。
「っ!!」
それを認識した瞬間、俺はオリアナに警戒を促す。
「オリアナ! 魔物の群れがやってくる!」
「っ! ……それは確かですか?」
言葉遣いなど気にしている場合ではない、急いで伝えなければと声を荒らげたのだが、オリアナは周囲に視線を巡らせつつ、疑うように尋ねてきた。
まだ遠いので、分からなくても仕方がないか。俺は内心苛立ちながらも頷き、魔物を探知した方向――腕蜘蛛が現れた、さらにその奥を指で指す。
「あっちから、数は二十くらいだ」
俺がそう言うと、オリアナは顔をしかめてそちらの方角を睨んだ。
だが、魔物の存在を感じ取ることができなかったのか、口元に手を当てて考え込む。
おそらく俺を信じて移動するか、この場所に留まるか考えているんだろう。
しかし、移動速度からすると悠長にしている時間はない。
「……あなたが動かなくても俺は行きますよ」
「待ってください……私たちも行きます」
その表情からは、今ひとつ俺のことを信じきれていないが、放っておくわけにもいかないという思いが透けて見えた。
だがこの場ではそんなことはどうでもいい。今大事なのは、迫ってくる魔物を、腕蜘蛛と戦う討伐隊の面々に近づけさせずに済むか、ということだ。
俺はオリアナと予備戦力として待機していた者たちと共に、戦っている討伐隊の邪魔にならないように、少し大回りして魔物の通り道となるであろう場所に移動する。
「――!? これは……!」
その場所で俺が剣を抜き構えると、オリアナもやっと気づいたようでビクリと反応している。
「どうやら本当に魔物が来ていたようですね……疑って申し訳ありませんでした」
「いえ、外からやってきた人間をいきなり完全に信用することなど、できなくて当然でしょう」
「……」
俺の言葉に思うところがあったらしく、オリアナは少しだけ顔を俯ける。
が、今はそんな時ではない。
「来ますよ」
俺がそう言うと、オリアナはハッとしたように顔を上げた。
そして思考を切り替えたのか、武器を構えると戦っている討伐隊の方を向く。
「オーレル! こちらから魔物が迫ってきていますが、私たちが対処します! あなた方は気にせずその腕蜘蛛を倒してください!」
おう! とオーレルが返事した直後、何かが衝突したような音が聞こえ、一拍遅れて腕蜘蛛の絶叫が響き渡った。
チラリと見てみると、どす黒い緑色の液体を撒き散らしながら腕蜘蛛が暴れている。
その液体は腕の一本があった場所から流れている。オーレルが切り落としたんだろう。
「……すごいな」
純粋にそう思った。あれだけの魔物の腕を切り落とすなど、俺にはできない。
そして俺たちがそれぞれ準備を整えたところで、前方から魔物の群れがやってきた。
腕蜘蛛のような強敵が一体いるのではなく、こちらよりも個体数が多い雑魚の群れだった。しかし雑魚とはいえ、一体も逃さないようにするのはなかなかに骨が折れる。
が、やるしかない。今邪魔が入れば、討伐隊はやられてしまうだろうから。
「皆さん、準備はいいですか?」
オリアナの問いに、ついてきた数人の討伐隊が返事をする。
「一体も後ろに通してはなりません。それでは――いきます!」
オリアナは手を上にあげ、号令と共に振り下ろした。
「潰れなさい!」
彼女の言葉に従うかのように、迫ってきていた魔物たちは足を折り頭を地面に擦り付けた。
……重力? ……いや、ここの人たちは髪が緑だから適性は風系統の筈だ。なら風で上から押しつぶしているのか。
オリアナの魔術は、それ自体には魔物を潰すほどの力はないようだけど、足を止めるには十分だったみたいだな。
オリアナに続いて、討伐隊からも魔法が飛ぶ。
風の球。風の刃。風の槍――見事に風系統の魔術ばかりだけど、その威力は申し分ない。
迫ってきていた魔物は、動けなくなったところを魔術で仕留められていった。
何体かはオリアナの魔術の拘束から逃れたようだけど、それは俺が近づいて切っていく。
前に魔族と戦った時に『収納』した魔法の残りがあるけど、あれは炎だから森の中では使えない……まあ、森の中でなくとも人前で使う気は無いが。
そうして一体も討ち漏らしを出すこともなく倒し、討伐隊の本隊の方に戻る頃には、既に腕蜘蛛も死にかけていた。
俺たちが戻って少ししてから、ドスンと地響きを立てながら腕蜘蛛が倒れ込む。
「うおおおおお!」
「「「「「うおおおおおおおお!」」」」」
オーレルが武器を掲げて勝鬨をあげると、それに続くように討伐隊の面々も叫んだ。
「うおおおおおお!!」
……こんなこと言ったら空気が読めてないと思われるかもしれないけど、うるさい。
勝ったのが嬉しいのは分かるけど、もう少し静かにできないのだろうか?
それに、また声につられて敵が来るとか考えないのか? ……考えないんだろうな。
「静かにしてください。まだここは森の中ですよ」
オリアナがそう言った途端、ピタリと声は止んだ。討伐隊の声にかき消されてしまいそうな彼女の声は、しっかりと届いたようだ。
というか、そう言われて止まるぐらいなら最初から静かにしとけよ。
そんな風に思っているとオーレルが近づいてきた。
「お疲れさん。さっきは助かった。おかげで挟撃されずに済んだからな」
「気にしなくていいさ。それが予備戦力の役目だろ」
「そうか。だが、それでも感謝するよ」
オーレルに頷き、オリアナも口を開く。
「そうですね。悔しいですが、私たちが魔物の気配に気づいてからでは、手遅れになっていたでしょう。ですので、私からも感謝を。それと、改めて謝罪をさせてください。先ほどはあなたを信じきることができずに申し訳ありませんでした」
俺としてはそんなことは気にしていないんだけど、謝りたいっていうなら素直に受けよう。
「謝罪をお受けしますので、もう気になさらないでください」
「なんだ? お前なんかあったのか?」
俺たちの間に何があったのか知らないオーレルはオリアナにそう聞き、オリアナは少し恥ずかしそうに何があったかを告げる。
「――ハハハッ! 確かにそりゃお前が悪いな。いくら人間だからっていっても、アンドー殿はイリンを里に連れて来てくれた恩人だ。それに、今は共に戦う仲間でもある。戦いの最中に仲間を疑うのはまずいだろ」
オーレルの言葉に、オリアナは気を落としてわずかながら俯いてしまった。
「それに、そんなに心配すんなよ。どうしても邪魔になるような奴なら俺がなんとかしてるさ……ただまあ、俺も突っ走りすぎることがあるからな。なんでもできるってわけじゃない。だからお前はこれからも俺を助けてくれ」
そう言ってオーレルはニカッと笑いかけ、オリアナはそんなオーレルに顔を赤らめ小さく「……はい」と返事をした。
……なるほど。この光景を見れば、いい加減に見えていたオーレルが隊長を務めるのにふさわしいカリスマがあったのだと納得できた。
だが、独り身である俺に見せられても困る。正直殴りたい。
とりあえず、この桃色の空気をぶち壊して話を進めよう。
俺は咳払いをしてから二人に話しかけた。
「……これからどうする? さっきの魔物の出現に驚いてたようだけど、このあたりにいない魔物なのか? だとしたら、調査とか里への報告とか必要じゃないのか?」
「……そうだな。いないってわけじゃないけど、確かにこの辺だと珍しくはある」
「ええ、腕蜘蛛はもっと森の奥の方で見られる魔物ですが、この辺りに絶対に出ないというわけでもありません……ただ、その後の、私たちが倒した魔物の群れが気になります」
「あの中にも珍しい魔物が?」
「いえ、そういうわけではありません……あの魔物の群れが、腕蜘蛛に追われて私たちの目の前に現れたのだとしたら、問題はありませんでした。強敵に追われて逃げることも、獲物を追いかけて普段の行動から外れることも自然なことですから……ですが実際には逆。本来捕食者である筈の腕蜘蛛が先に来て、被捕食者である魔物の群れがその後を追ってきました。そこにはなんらかの理由があると考えられます」
なるほど。そう言われてみれば、おかしいとはっきり分かる。
討伐隊の隊長としてはどんな判断をするのか、とオーレルのことをチラリと見ると腕を組み、目を瞑っている。
数秒後、オーレルはパチリと目を開け口を開いた。
「調査しよう。今から調べるとなると予定の帰還時刻を過ぎるが、仕方ないだろう……アンドー殿はどうする? 一応里にも伝令を出すから、その者と共に戻るか?」
「……いや、俺もこのまま同行させてもらいたい。ダメだろうか?」
まだしばらくは里に厄介になるんだから、問題は早いうちに潰しておいた方がいい。
それに俺がいる間は問題がなかったとしても、出ていった後も里のことを心配し続けているとなると精神衛生的に悪い。
だから問題がありそうなら、せめて一度くらいは確認をしておきたかった。
「構わないぞ。正直手は多い方が助かるからな!」
それだけ言うとオーレルは振り返り、休憩している討伐隊の面々に説明し始めた。
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