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氷狼の村

どれとも違う冷気

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 ォ、オォ……オ……


 まるでなにかの叫び声のような。先ほどとは比べ物にならない風が、吹く。それは間違いなくユーデリア本人のものだ。

 彼を中心に吹く風は、いや吹雪は……近寄るものすべてを、拒絶する。


「っ、ちぃ!」


 手を伸ばし、ユーデリアに触れてすらいないノットは……ただ近くにいたというだけで、右肩から腹部にかけて、凍らされてしまう。

 とっさに離れて全身氷付けは回避したものの、かなりの重傷だ。氷付けの部分は、役には立たない。


 ボゥッ!


 だからだろう。氷が皮膚を腐らせる前に、溶かそうとするのは当然の行為と言える。ノットは自らの炎により、体を覆う氷を燃やした。

 氷付けにされてから、わずか数秒。慌て混乱するではなく、体に被害の爪痕を残さないうちに消し去ってしまおうというのは、正しい判断だろう。

 ……本来ならば。


『ぐ、おぉおっ!?』


 炎は、溶けた。いかに強力な冷気であっても、ノットの炎はそれをも上回る。咄嗟の判断で氷を溶かしたのだ、無傷とはいかなくてもそこまで大きな痕は残らないと思われた。

 だが……ノットの体は、右腕を含め、右肩から腹部にかけ、大きな凍傷の痕が残されていた。見るも無惨な、痛々しい姿。


『わ、私の……体……』


 フードを被っているめ、顔こそ見えない。しかし、着ていた服は冷気のせいで粉々に砕け、赤黒くなった皮膚が見えている。

 あの体つき……女、か?


『て、めぇ……!』

『ノット戻れ! そいつなにかおかしい!』

『わかってるよ!』


 触れていない、近づいただけであの様だ。しかも、すぐに氷を溶かしたというのに、まるで何十分も氷付けになっていたかのような凍傷の痕。

 あの冷気は、違う。氷狼の村人のものとも、ユーデリアの父親のものとも……いつものユーデリア自身のものとも。


『あ、ぁ……』

「ユーデリア……」


 この吹雪の張本人ユーデリアは、この事態に見向きもしない。ただ一点だけを……父親だけを、見ている。

 多分、意識が飛んでいる。母親の、妹の、父親の無惨な姿に、ユーデリアの心は耐えられなかったのだ。

 リミッターが、外れてしまっている。ユーデリアがバーチと戦ったとき、制御が効かずに国一つに影響を及ぼすほどの吹雪を起こしたが……あれとも、違う。これは、範囲はそんなに広くない。

 ただ、近づくものを瞬時に凍らせるほどの冷気。恐ろしいほどの力。多分、復讐という怒りや憎しみすらも感じないほどの虚無……それが、この冷気を生み出したのだろう。


『あっははは! 素晴らしい! 目の前で家族が死に、絶望し、もはや力を垂れ流すのみか!』

『なあ、あいつ殺していいか』

『ダメだ。それに、お前の炎も今は効かないだろう』

『……言ってくれるな』


 愉快なバーチとは裏腹に、ノットの声には怒りが乗っている。自らの体をめちゃくちゃにされ、その心情は穏やかではないのだ。

 そんな彼女がユーデリアを殺したいと思うのは、間違っていないのだろう。ただ、彼女がしたことを思えば、むしろお前がユーデリアに殺されてもおかしくない状況だけど。

 バーチの、挑発とも言える言葉にノットは、笑みを浮かべる。そこには、すでに指パッチンの構えがあって……


『なら、試してみろよ!』


 ボォッ!


 指を鳴らし、ユーデリアの体が燃える。激しい音を立てて、炎に包まれて。それも、今まで見た中で一番激しい炎だ。

 ユーデリアの体はあっという間に炎に包まれ、ごうごうと燃え上がる。

 ただし、まだ吹雪はやんでいない。


『っははぁ! なにが効かないだろうだ! 見てみろ、お前が絶賛したガキは、私の炎で燃えカスに……』


 キィイインッ……


 ……直後のことだ。あれだけ激しく燃えていた炎が一気に、凍った。メラメラと人を燃やしていた炎は、瞬時に氷のオブジェへと姿を変えて……


 パキィイン……!


 粉々に、砕けた。その中から現れるのは、先ほどとなにも体勢の変わらないユーデリアだ。


『んなっ、バカな……』

『だから言ったろう。今のあのガキの力は、キミや俺に手の負えるものじゃない。まったく、雇われのくせに、雇い主であるあの人の命を忘れて殺そうとするとは』

『っ……氷狼一匹捕まえればいいんだ、あのガキはただお前の趣味なだけだろうが』


 なんであれ、近づけもしないどころか、ノットの炎も効果がない。人も、炎も、瞬時に凍らせる冷気。

 まだ見たことのない、氷狼の力。それは、しかし村を救う逆転の一手にはならない。当のユーデリア本人が、放心状態なのだから。


『それに、すかしてんじゃねぇぞ。あいつを捕まえるとして、どうやって捕まえるつもりだ』

『さあて。近づかなければ脅威ではないが、近づかなければ対処もできない。はてさて、どうしたものか』


 いくら対象が弱っていても、近づけなければ意味はない。ユーデリアを捕まえたいバーチにとって、これは由々しき問題だろう。全然冷静に見えるけど。

 そこへ、一人の男が近づいてくる。


『バーチさん! 村の氷狼、大方処理しました! 全滅も時間の問題かと!』


 それは、バーチに忠誠を誓う、マルゴニア王国の兵士だ。


『そうか、ご苦労さん』

『いえ! ……ところで、あのガキは……?』

『あぁいや……そうだ。キミに一つ、仕事を与えよう』

『は? いったいどんな……』


 ドンッ


『え……?』


 仕事とはなにか……それを問いかける兵士の体を、バーチは押した。……ユーデリアの、方へ。

 油断していた兵士は、軽く押されただけでもよろけてしまい……倒れないように必死に抗う。一歩二歩三歩と、押された方向に向かって歩いて。

 ……倒れて止まっていた方が、正解だったのに。


 キィイイン……!


『っ……』


 兵士の体は、ユーデリアに近づいたことで瞬時に氷付けになり……そう長く時間が持たないうちに……


 パキィイン!


 その体は、砕け散った。


『……あんた、なにしてんだ?』


 ノットが驚くのも、無理はない。バーチは、自身を慕う兵士を……殺したのだから。それは、まさに異常な行動だ。

 しかし、バーチは……


『今のは、事故だ。悲しい事故。まさかよろけて、あの子供の方へと近づいてしまうとは』

『は?』


 白々しい言葉を、淡々と吐く。そこには、自分が人を、それも味方を殺したことに対する罪悪感は、まったく感じられない。


『だが、彼の犠牲のおかげで得たものもある。あの子供に近づける限界の距離は、半径五メートルかそこら。そのラインを越えると、氷付け……もちろん、距離が近づく度にその速度は増していく。キミが咄嗟に飛び退かなかったら、今頃全身氷付けだ』

『っ……』

『さらに、氷付けになったものは数秒で粉々になる。これも、キミの判断が一秒でも遅かったら、その右半身は粉々に砕けていたかもしれないわけだ。悪運が強いね』


 と、今のやり取りで得た情報を元に、推理を組み立てる。

 こいつは、それを確認するために……味方を一人、平気で殺したのか……!
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