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氷狼の村
最高のショー
しおりを挟む父親は身体中を切り刻まれ倒れ、妹も命の危機にある。それは、ユーデリアにとってはこれ以上ないプレッシャーとなって彼に襲いかかる。
『あ……ぁ……ぁ……』
ビュウッ……
『! これは……』
ユーデリアの父親が起こしていた吹雪は、彼が倒れると同時にやんだ。しかし、今また新たな風が吹いている。
その原因は……倒れている父親ではない。動けない母親でもない。それは……ユーデリアのものだ。
『ユー、デリア?』
その異変に気づいたのだろう母親が、ユーデリアへと視線を向ける。だがユーデリア自身、無意識なのだろう……母親の声に、反応しない。
吹き荒れる風は、まるでユーデリアの心を表しているかのようで。
『お、父さん……』
身体中を切り刻まれたとはいえ、まだ息はある。だけど、あちこちの切り傷からは痛々しく出血し、もはや虫の息だ。
その姿を見て、ユーデリアの心に今あるのは……
『よくも、お父さんを……! ユリアを、離せ!』
今、自分が敵と見定めた相手に、ユーデリアは震える足で吠える。その心意気は立派だが、今のユーデリアの力ではバーチに勝てるはずもない。
ユーデリアの父親が、あの様なのだ。もしかしたら、現時点でのユーデリアよりも強いかもしれないあの氷狼が、もう立てないほどにやられてしまっている。
ただの子供であるユーデリアに、どうできるとも思えない。
『これは、いい目をしているな。……お前に、するか』
『ひっ!?』
やはりバーチは、ユーデリアを脅威と思っていない。それどころか、あれは獲物を定めた目だ。鋭い眼光が、ユーデリアを射ぬく。
強大な力を持つ、氷狼の血を引く者……将来性を見越し、今は力のないユーデリアか、ユリアを奴隷にするつもりだ。
だけど、今……ユーデリアがバーチに向けた目が、バーチのメガネに叶ってしまった。弱々しくある小さな氷狼よりも、今は力はなくとも強い目をしている氷狼。
どちらを奴隷にするか……それが決まれば、もはや手の中にある命に興味などなく。
『っ、がっ……ぅ、あ……!』
その細い首が、絞められていく。幼い少女にとって、少し力を加えられただけでそれはもはや致命傷となりうるものだ。
その光景を、黙って見ているはずもない。
『やめなさい!!』
獣型へと変化した母親が、バーチに襲いかかる。先ほどは慎重に状況を見極めて動かなかったのだ……娘の首がへし折られそうな今、じっとしている理由はどこにもない。
牙を輝かせ、バーチへと襲いかかる。しかし、それを予期していたバーチは、まるで少女を盾のように扱って……
『!?』
その爪が届く寸前、娘に手をあげられない母親は、なんとか踏みとどまるも……無理な方向転換に、転び、地面に体を打ち付けられてしまう。
その際、皮肉にも夫が凍らせた場の影響で滑ってしまい、さらに体勢を崩して頭から地面に衝突した。
いくら氷狼が、自身に優位な環境とはいっても……そのすべてが、彼らに味方するわけではない。滑りやすくなっている足場では、体勢を崩せば私たちと同じく滑って転んでしまう。
娘の盾扱いに動揺すれば、なおのこと。
『ゥアァ!?』
痛々しい音が、響く。『お母さん!』と叫ぶ子供らの声が、果たして届いているのかわからない。
その様子を尻目に、バーチはいつの間にか『呪剣』を手にしていた。
『さあて、どちらを斬るか』
「……まさか」
何事か、思案するバーチ。その姿に、言いようもない不安が私の中に募っていき……それは、現実のものとなる。
バーチは、手にした『呪剣』で……転んでしまっている母親を、容赦なく斬りつける。もちろん、死なない程度に。
『ギャア!?』
輝く氷の上を、赤い血汚していく。斬られた……『呪剣』で!
『お母さん!』
『おとなしくしてろ』
ドゴッ
駆け寄るユーデリアに、鋭い一撃が蹴りこまれる。大の大人の一撃が、子供の腹部を直撃したのだ。
いくら氷狼とはいえ、その身に強烈すぎる一撃。
『が、はっ……』
『そのまま見てろ。今から、面白いショーを見せてやる』
咳き込むユーデリアを尻目に、バーチは手に持っていたユリアを、投げ捨てる。……母親の下へ。
それは一見、母親と娘をせめて最期は一緒にしてやろうという、一種の慈悲に見えたかもしれない。
『……グルルル……!』
……母親が、『呪剣』によって呪いを刻まれていなければ。
『ぅ……おかあ、さん……?』
『グゥルルル……!』
母親が娘を見つめる眼差しは、本来ならば情愛に満ちたものだろう。だが、今母親が浮かべているのは情愛などではなく……敵意。いや、そもそも正気を失っているのだ。そこには敵意すらない。
あるのは純粋に、本能の赴くままに。自分が何者かもわからずに、目の前の娘が娘ともわからずに。
『おかあさん……? 目が、怖いよ……』
困惑するユリアは、なにが起こっているのかわかっていない。たとえわかっていたとしても……理解するのを、拒んでいる。本能が。
母親に、そんな目で見られるなどと、理解したくないのだ。
『ガァア……!』
『おい、なにを……する気だ! エルスト!』
妻の異変に、夫は叫ぶ。エルストとは、彼女の名前だろうか。
自分は、呪いに耐えた。だが、同じく呪いを受けた者がどうなるか、周りを見れば一目瞭然だ。
敵も味方も関係なく、襲いかかる。たとえ隣人であっても、友人であっても、親兄弟であっても……
『やめろ! やめてくれ!!』
『お母、さん!? げほっ、げほ!』
『無駄だ。あの母親に、呪いに勝つ力はない。さあ…………最高のショーを、見せてくれ』
夫の、息子の、声は届かない。娘の泣き声も、届かない。
動けない体を必死に動かそうとしても、血が出るばかり。意思とは関係なく、体が言うことを効かない。父親も、息子も。
……愛しい我が子を抱くはずのその腕で。愛しい我が子の名を呼ぶはずのその口で。愛しい我が子の姿を見るはずのその口で。
『ガァアァアアァア!!』
『いやぁああ! やだ、やだよおかあさん! 痛い、痛い! えぇええ、ぅあ……ああ! 助け、て、おと、さ……おに、ぃ……ゃ…………か、ぁ…』
……呪いに負けた母親は、一切の抗いを見せることなく……娘を、その手にかけた。
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