169 / 849
第四章 魔動乱編
165話 ルリーの過去⑫ 【母の願い】
しおりを挟む「な、なに……? どういう、こと?」
その言葉を、ルリーは理解できなかった。いや、ルリーだけではない。ルランもだ。
周囲には、逃げ回るダークエルフたち。魔獣が暴れまわり、侵入してきた人間も狂気に笑っている。
もう、平穏な日常は戻ってこない……それは、誰の目にも明らかだった。
「だから、って……」
『だからせめて、あなたたちだけでも逃げて』
ルールリアは、こう言った。一緒に逃げよう、ではない。
この言い方だと、まるで……
「お母さん、は?」
「……」
その問いに、ルールリアは答えない。ただ、じっとルリーを見つめていた。
その表情は固く、とても冗談を言っているようにも思えない。
その答えに、ルリーはイヤイヤと首を振る。
「いや……いや、だよ。お母さんも、一緒に逃げよう? お父さんも……みんなで、逃げようよ!」
「ルリー」
「だって……ほら、魔術で、目くらましとか、してさ。隙を作って、逃げよう。戦わなくていいから、逃げよう」
「それは無理なの」
涙を浮かべながらも訴えるルリーの言葉に、しかしルールリアは首を縦に振ってはくれない。
どうしてだ。逃げるくらい、頑張ればできる。ここでみんな死んじゃうよりも、逃げてしまえば……
「あの魔獣は、魔力を感知しているみたい。
大勢で逃げても、追われるのがオチだわ」
「魔力……かん、ち?」
よく意味がわからない。考えることを、放棄しているだけかもしれない。
ただわかることは、逃げても逃げられない……ルールリアが、そう判断していることだ。
ただ、適当に暴れ回っているかに見えた魔獣。あれに、目があるのかはわからない……だが、魔力で相手を識別しているなら。
そう見たルールリアは、冷静に魔獣の生態を探る。
……もっとも、そんな時間は残されていない。
「どうした、足が震えて動けねぇか?」
「!」
いつの間にか……そこには、エレガの姿があった。
男は、その顔を狂気の笑みを染め上げ、顔や服には返り血がついていた。手に持つ剣にも血がついており、あれでダークエルフの仲間を斬ったであろうことはすぐにわかった。
ルールリアは、子供たちを背に庇うように、立ち上がる。
「子供たちに、手は出させない」
「お、いいねぇその目。まだ死んでないって目だ……」
「おぉおおお!」
「!」
ガギィンッ……と、鋭い音が響いた。エレガはとっさに、剣で攻撃を防ぐ。
エレガの眼前まで迫ったのは、魔導の杖……それも、魔力強化により格段と硬度と攻撃力を高めたものだ。
それを行ったのは、ルーク。ルークの魔力であれば、そこらの剣など折れてしまうはずなのだが……
「お父さん!」
「あいつ……父さんと張り合ってる!」
エレガが笑みを携えたまま、ルークを跳ね返し……再び踏み込んだルークの放つ杖の斬撃を、剣で捌いていく。
ルークの猛攻を、エレガは涼しい顔でかわしていく。しかも、ルークの動きは鈍くなる一方。
それもそのはずだ。ルークはすでに、魔獣アルファとの戦いで満身創痍となっている。対してエレガは、まだ元気なまま。
すぐに、形勢は逆転……いや、そもそもエレガはルークの攻撃を捌いていただけだ。エレガからの反撃に、ルークは押される一方。
「お父さ……」
「ゴァアアアア!!」
獣の雄叫び……魔獣ミューが、次なる獲物を求めてさ迷っていた。その姿に、ルリーは吐き気を覚える。
頭部にあるはずの顔はなく、代わりに首からうねうねと伸びている触手……それに、何人ものダークエルフが串刺しにされている。
すぐにルールリアは、ルリーとルランの目を塞ぐが……すでに、目に焼き付いてしまった。
しかも、視界が閉ざされたことで聴覚が過敏になる。ただでさえ耳のいいエルフ族、聞こえなくていいものまで聞こえてしまう。
「ぐぅっ……お前たち、逃げろ……!」
「あなた!」
それは、ルークとルールリアの声。ルークも、子供たちを逃がすつもりのようだ。ただ、彼は妻も一緒に逃がそうとしている。
「いいねぇ泣かせるねぇ! 家族のために身を捧げようってか……
なら、捧げてみせろよ!」
ぶしゃっ……
「あなたぁああああ!」
「お父さん! お母さん、手、退けて!」
「どうしたんだよ、なにが……!」
視界を塞がれ、なにも見えない。ただ聞こえたのは、母の叫びと、直前に聞こえたなにかを斬り裂くような音。
そして、抑えてはいるが父の苦しそうな声だった。それをかき消すように、エレガの耳障りな高笑いが聞こえる。
直後に、ズシン……と、胸の奥にまで響くような重低音。同時に、体が浮くような感覚……
いや、実際に浮いている。その衝撃に、目隠しが外れ……ルリーたちは、地面へと投げ出される。
目を開くと、巨大な足が視線の先に見える……魔獣ミューが地面を蹴りつけ、その衝撃でルリーたちの体が浮いたのだ。
ルリ―はすぐに、視線を巡らせる。倒れているみんな……兄ルラン……母ルールリア……そして……
「あ、あ……」
……エレガの刃に貫かれた、父ルークの姿。
「やだ……やだやだ、やだぁ……」
すがるように、手を伸ばす……しかし、その先に掴めるものは、なにもなかった。
そんなルリーの体が、持ち上げられた。自分の意思とは反した力に、ルリーは首を動かした。
ルリーの体を立たせたのは、ルランだった。
「おにい、ちゃん……」
「ルリー、逃げるぞ」
「! なに、言ってるの?」
兄が、なにを言っているのかわからない。ただ、つらそうな目をしていて……ルリーの視線を、まともに受けられないのか、目を合わせようとしない。
ルリーは、いやいやと首を振る。
「だめだよ、そんな……だって……」
「ここにいても、俺たちはなんの役にも立たない。
わからないのか、俺たちがここに残ってたら、父さんや母さんの足手まといにしかならない」
「っ、でもぉ……」
ルリーの肩を掴み、そらしていた目でしっかりと、ルランはルリーを見た。
その選択が正しいかなんて、わからない。けれど、その言葉自体には間違いはないように思えて。
自分たちだけ逃げたくない……そう思うのは、ルリーのエゴだ。
その間にも、知った顔が、死んでいく。周囲を見ても、そこには死しかない。隣のおばちゃんが、いつも野菜を分けてくれるおじさんが、それだけではない……
先ほどの衝撃で、一人飛ばされてしまったのだろう、力なく倒れているマイソンの体が……魔獣の足に、踏み潰された。
「いやぁああ! みんな、逃げよう! 早く逃げようよぉおおおお!」
「っ、どうした、ルリー!」
急に暴れ出した妹の姿に驚きつつも、ルランはルリーをしっかりと抱きしめた。
……ルランの位置からは、友達が踏み潰された場面は見えてはいない。彼の遥か背後で起こった出来事は、しかしルリーには見えていた。
皮肉にも、ルランがルリーの顔を自分の顔へと向けていたために。
「落ち着け、おい……」
「ごめんね、ルリー……あなたの言うように逃げるのは、それは無理みたい……」
「お母さ……」
ルリーを安心させるために、語りかけるルールリアの右腕は……なくなっていた。
吹き飛ばされた衝撃で千切れたのか、それとも別の要因か。
痛みがあるだろうに、そんな様子はつゆほども見せない。
「もうそこまで来てるぞぉ!」
「ルリー、お兄ちゃんと、逃げなさい。母さんたちは……大丈夫だから。ね」
まだ動ける者は、魔獣と人間の対処に当たっている。
だがそんなもの、長く持つはずもない。
母は、暴れる娘を落ち着かせるように、頬に手を添えた。
「みんな、なんとしてもあの魔獣を食い止めるぞ! 子供たちだけでも逃がすんだ!」
「……あなたたちは私たちの大切な子供。せめて、ルリーとルランだけでも逃げて!」
「やだ、やだやだ! みんなと一緒がいい! 私もここに……」
こんなことをしても、母を困らせるだけだとわかっている……しかし、ルリーはいやだいやだと暴れるしかない。
もっと、自分に力があれば、なんとかなったのだろうか。逃げてと言われる子供ではなくて、一緒に戦える子供だったなら……
「ルリー…………っ……
ルラン、お願い」
「……あぁ、わかった。行くぞルリー!」
込み上げる感情を、必死に抑える……ルールリアは、最愛の息子に、最愛の娘を託す。
ルランも、本当は自分たちだけで逃げたくはない。そんなことはわかっている。つらい思いをさせている。
それでも……賢い我が子は、想いを汲んでくれた。
「! やだよぅ、お母さん! お父さん! 離して、お兄ちゃん! いやぁあああ!」
「二人とも、必ず生き延びて!」
「いやぁああああああ!!!」
ルリーの叫びは、戦火の前にかき消される……ルランはルリーを担ぎ、無理やり走り出す。
その姿を見届け……ルールリアは、杖を構える。これ以上、子供たちを危険にさらさないため。
せめて遠くに逃げてくれと、願いを込めて。
「あの子たちは、絶対に追わせない……みんな!」
「おう、やってくれ!」
「……あん?」
覚悟を決めたダークエルフたち、その様子にエレガは眉を潜めた。
ルールリアの持つ杖が、まばゆい光を放ち……大気中の魔力が、凝縮されていく。
「全てを包み込みなさい!
闇幕!!!」
……漆黒の闇が、辺り一面を、覆い隠した。
11
お気に入りに追加
189
あなたにおすすめの小説

異世界に転生したら?(改)
まさ
ファンタジー
事故で死んでしまった主人公のマサムネ(奥田 政宗)は41歳、独身、彼女無し、最近の楽しみと言えば、従兄弟から借りて読んだラノベにハマり、今ではアパートの部屋に数十冊の『転生』系小説、通称『ラノベ』がところ狭しと重なっていた。
そして今日も残業の帰り道、脳内で転生したら、あーしよ、こーしよと現実逃避よろしくで想像しながら歩いていた。
物語はまさに、その時に起きる!
横断歩道を歩き目的他のアパートまで、もうすぐ、、、だったのに居眠り運転のトラックに轢かれ、意識を失った。
そして再び意識を取り戻した時、目の前に女神がいた。
◇
5年前の作品の改稿板になります。
少し(?)年数があって文章がおかしい所があるかもですが、素人の作品。
生暖かい目で見て下されば幸いです。

公爵令嬢はアホ係から卒業する
依智川ゆかり
ファンタジー
『エルメリア・バーンフラウト! お前との婚約を破棄すると、ここに宣言する!!」
婚約相手だったアルフォード王子からそんな宣言を受けたエルメリア。
そんな王子は、数日後バーンフラウト家にて、土下座を披露する事になる。
いや、婚約破棄自体はむしろ願ったり叶ったりだったんですが、あなた本当に分かってます?
何故、私があなたと婚約する事になったのか。そして、何故公爵令嬢である私が『アホ係』と呼ばれるようになったのか。
エルメリアはアルフォード王子……いや、アホ王子に話し始めた。
彼女が『アホ係』となった経緯を、嘘偽りなく。
*『小説家になろう』でも公開しています。

異世界に飛ばされたら守護霊として八百万の神々も何故か付いてきた。
いけお
ファンタジー
仕事からの帰宅途中に突如足元に出来た穴に落ちて目が覚めるとそこは異世界でした。
元の世界に戻れないと言うので諦めて細々と身の丈に合った生活をして過ごそうと思っていたのに心配性な方々が守護霊として付いてきた所為で静かな暮らしになりそうもありません。
登場してくる神の性格などでツッコミや苦情等出るかと思いますが、こんな神様達が居たっていいじゃないかと大目に見てください。
追記 小説家になろう ツギクル でも投稿しております。

出来損ないと呼ばれた伯爵令嬢は出来損ないを望む
家具屋ふふみに
ファンタジー
この世界には魔法が存在する。
そして生まれ持つ適性がある属性しか使えない。
その属性は主に6つ。
火・水・風・土・雷・そして……無。
クーリアは伯爵令嬢として生まれた。
貴族は生まれながらに魔力、そして属性の適性が多いとされている。
そんな中で、クーリアは無属性の適性しかなかった。
無属性しか扱えない者は『白』と呼ばれる。
その呼び名は貴族にとって屈辱でしかない。
だからクーリアは出来損ないと呼ばれた。
そして彼女はその通りの出来損ない……ではなかった。
これは彼女の本気を引き出したい彼女の周りの人達と、絶対に本気を出したくない彼女との攻防を描いた、そんな物語。
そしてクーリアは、自身に隠された秘密を知る……そんなお話。
設定揺らぎまくりで安定しないかもしれませんが、そういうものだと納得してくださいm(_ _)m
※←このマークがある話は大体一人称。

異世界リナトリオン〜平凡な田舎娘だと思った私、実は転生者でした?!〜
青山喜太
ファンタジー
ある日、母が死んだ
孤独に暮らす少女、エイダは今日も1人分の食器を片付ける、1人で食べる朝食も慣れたものだ。
そしてそれは母が死んでからいつもと変わらない日常だった、ドアがノックされるその時までは。
これは1人の少女が世界を巻き込む巨大な秘密に立ち向かうお話。
小説家になろう様からの転載です!

【完結】クビだと言われ、実家に帰らないといけないの?と思っていたけれどどうにかなりそうです。
まりぃべる
ファンタジー
「お前はクビだ!今すぐ出て行け!!」
そう、第二王子に言われました。
そんな…せっかく王宮の侍女の仕事にありつけたのに…!
でも王宮の庭園で、出会った人に連れてこられた先で、どうにかなりそうです!?
☆★☆★
全33話です。出来上がってますので、随時更新していきます。
読んでいただけると嬉しいです。
【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる
三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。
こんなはずじゃなかった!
異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。
珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に!
やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活!
右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり!
アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる