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第四章 魔動乱編
161話 ルリーの過去⑧ 【瓦解】
しおりを挟む轟く雄叫び……それは、なにかしらの生物の声だろうというのは、なんとなくわかった。
いや、そもそもこんなものを生物が発せられるのか、という疑問もあるが……明らかに言葉のようなものが聞こえた。音、ではない。
となれば、これは声以外ではあり得ないだろう。
ならば、これはなんの声だ?
およそ、人の出せる声なのか。モンスター……いや、それよりももっと恐ろしい、なにかだ。
魔物か、あるいは……
「みんな! 魔獣だ! 魔獣が現れたぞ!」
カンカンカンッ、とけたたましい音が鳴り響く。それは、見張りの高台から鳴り響くものだ。
鐘を鳴らすその行為は、緊急時の合図。なにか、良からぬことが起こっているサインだ。
そう聞いてはいたが、ルリーたちにとっては、それを聞くのは初めてだ。
少なくとも子供らが生まれてから、このような警報は聞いたことがない。そして、それが鳴るとしたらよほどの事態であると、言われずともルリーにはわかった。
なにせ、これまでは魔物が出現しても鳴ることのなかった鐘だ。それが、今は鳴っている。つまり、魔物以上の脅威があるということ。
そして、それは……今、叫ばれた内容のとおりだ。
「ま……じゅう……?」
魔獣。……モンスターが魔石を取り込み変化したのが魔物。それが、さらに変化を及ぼしたものを魔獣と言う。
聞いたことはある。しかし、見たことはない。これまでに対処してきたのも、魔物がせいぜい……それも、大人が立ち会いの下でだ。
しかも……ただ、魔獣が現れただけで、ここまで過剰な反応になるだろうか?
ルリーたちが知らないだけで、この村には魔獣と相対したことのある者もいる。ならば、魔獣の一体や二体くらい……
「魔獣か! 何体だ!」
「見えたのは一体だ……
だが、おそらく"上位種"だ!」
「なんだと!?」
降りてくる若者に、近くにいた者は詳細を聞き出す。
ここから森の中まで見通せるのは、エルフ族の視力あってだ。
その目を持って、見えたのは一体の魔獣……しかし、問題は数ではない。
問題は、それが"上位種"だということだ。
「じょう……?」
「ルリー! リーサ、ネル! ここにいたか!」
混乱する場を見ているしかないルリーたちのところに駆け寄ってくるのは、ラティーアだ。傍らにはリーフェルもいる。
これまでに、見たことのない表情を浮かべている。それだけで、今起こっているのがとんでもない出来事だというのは、わかった。
「今の、聞いていたな!
三人とも、家に戻ってるんだ!」
「ねぇ……みんなで、力を合わせれば。大丈夫じゃ、ないの?」
焦るラティーアに、リーサは恐る恐る首を傾げる。
それは、わかりきっている答え……もしも、リーサの言葉通りに事が運ぶなら、村のみんながこんなに慌てる必要もないのだから。
「……相手は、"上位種"だ。そううまくはいかない」
「その、じょーいしゅ、って?」
「簡単に言えば、言葉を喋る魔獣。ただ、人の言葉を真似て喋っているだけだから、言葉の内容を理解する知性は持っていない……
けど、言葉を話すだけの知性は持っている」
苦々しく話すラティーアに質問を重ねるネル。それを引き継ぐ形で答えるのは、リーフェルだ。
ルリーたちにとって、魔獣を見るのが初めてだ。だから、上位だなんだと言われても、その違いはわからない。
わからないまでも、二人の様子は、凄まじい緊張を孕んだものだ。ルリーは、リーサは、ネルは。それぞれ息を、飲み込んだ。
「ルリーたちも、魔物と対峙したことがあるから魔物の厄介さは知ってると思う。
魔獣というのは、魔物とは比較にならないほどに恐ろしい存在なんだ」
「その中でも"上位種"は、災害と呼ばれるほどよ」
村の中が慌ただしくなる中、このまま問答を続けている時間はないことは明らかだ。
本当ならば、みんなの……ラティーアの力になりたい。しかし、ルリーは知っている……それが、彼を困らせることにしかならないと。
だから……
「わかった……家に、戻ってる」
ラティーアの言葉に、従う他になかった。
「ありがとう。
リーフェル!」
「えぇ!」
ルリーの言葉に満足げにうなずくラティーアは、隣のリーフェルに話しかけ互いに足を進める。
彼らも当然のように、魔獣討伐に参加するのだ。ラティーアが強いのは、ルリーはよく知っている。
大丈夫、大丈夫……なにも、心配することなど、ないはずだ。
「ラティ兄!」
「ん?」
振り向き、ルリーはラティーアの背中へと声をかける。足を止め、彼は振り向いた。
その大きな背中が好きだ。自分を見つめるときの優しい目が好きだ。自分に語りかけてくれる優しい声が好きだ。語り尽くせないほど、好きなところがたくさんある。
だから……
「あとで……言いたいことが、あるの」
先ほどまでウジウジ悩んでいたのが嘘のように。
不思議と、口にできた。同時に、胸の奥が熱くなるのを感じる。
胸の前で握りこぶしを作り、ぎゅっと握る。言いたいこと……そんなのは、決まっている。
この気持ちを、もう隠しておくことはできない。どうして、急にそう思ったのだろうか。
わからない。わからないが……
「わかった、あとでな!」
彼は、ルリーの言葉を不思議に思うこともなく、ニッと笑った。
……彼の笑った顔が、好きだ。叶うことなら、その笑顔は自分だけに向けてほしいし……その笑顔の隣には、自分が立っていたい。
手を上げ、約束だと応えるラティーア。約束……必ず帰ると、約束だ。
大丈夫、村のみんなもいる。"上位種"とはいえ、魔獣はただの一体。
なにも心配はいらない。だから、このうるさいほどに叫んでいる心臓よ、落ち着いてくれ。
違う、これはきっと、約束を果たしたときのことを考えている。彼が約束を果たしたとき、それはルリーが自分の想いを伝える瞬間だ。
もう、引き返せない。気持ちをごまかすつもりもない。結果がどうなろうと、ルリーはこの気持ちを伝えるのだと。決めたのだ。
「だから……」
このドキドキが……自分の告白のカウントダウンが近づいている、ただそれだけのドキドキだと、そう思わせてくれ。
悪いことなど起こらない。みんな、必ず無事で戻ってくるから。
「……っ」
祈るように手を握るルリー。その手に、リーサとネルの手が、それぞれ重ねられた。
気持ちは三人、同じだった。今は苦しくとも、きっとみんなでいつも通りの明日を、迎えられるはずだと。
……程なくして、村は壊滅の運命を、辿ることになる。
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