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ヘカティニス、惚れる

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 貧民街の雑踏の中で、ヒジリは追い払っても追い払っても寄ってくる物売りににうんざりしながら歩いていた。

 如何にウメボシの制御する高速移動が、ありがたいものだったのかを今、痛感している。

「オーガの旦那、何かキャってくれよ!」

「お兄さん、いい娘いますぜ!」

「右や左の旦那様~・・・」

 あまりに多い物売りや物乞いので、乱心オーガを装って追い払おうかなどと考え歩いていると、やせ細ったゴブリンの少女に目が止まる。

 骨の浮く手に握られた売り物は、道端で摘んできた雑草の花ばかりなので誰も買おうとはしない。

 元は黒髪だったであろう伸び放題の髪は白髪が混じり、頬はこけ、新緑色の肌には生気が無い。

 このゴブリンの少女は元は良い暮らしをしていたのだろう。

 色褪せて擦り切れてはいるが、上品な水色のワンピースを着ていた。

(こんな小さな子供も、必死になって物を売らないと生きていない世界なのか・・・)

 ヒジリの鼓動が速くなり『永遠の死』という言葉と、ミミの亡骸が頭をよぎる。

 胸を押さえて落ち着こうと深呼吸をしてみたが何も変わらなかった。

「君ィ。ちょっと此方にきたまえ」

 そう言ってヒジリは人気の少ない路地裏からゴブリンの少女を呼んだ。目立つ所で彼女に声をかければ、有象無象が近寄ってくるからだ。

 少女はついにこの時が来たかという顔をして上を向き、覚悟を決めたように小さく息を吐くと、ワンピースのスカートをギュッと握りながらヒジリに向かって歩きだした。

 花売りは春売りでもあるのだ。

「あの・・・あたしまだそういう経験ないキャらオーガのおじちゃんを満足させるのは無理だと思う。でも一生懸命言われた通りに頑張るから、お金沢山頂戴ね!」

「ん? 何の話だね? そんな事よりもこれを食べたまえ」

 ヒジリは少女の覚悟には気づかず、袋に入った小さなブロック状の携帯食料をみせる。こんな事をしてもヒジリには何のメリットも無い。が、ミミの件以来、合理主義者だったヒジリの心に変化が現れていた。
 
「こうやって、袋を破いて食べるのだ」

 ヒジリは個包装された一袋を破いて食べてみせる。そして一つを差し出すが、少女は何故自分に食料を分け与えてくれるのかが理解できずにいるようだ。

「あの・・・」

 少女はこれを食べてしまうと、今の花売りの生活よりももっと酷い境遇に置かれてしまうのではないかという不安が先立ち躊躇する。目の前のオーガは奴隷商人か変質者に違いない。

「おじちゃん・・・、私ギャこれを食べたら次は私を食べるの? ゴブリンの肉ギャ好きなの? それともどこかに売り飛ばすの?」

 少女は絶望した時の樹族と同じように長い耳を下げてそう問いかけた。

 女性のゴブリンは男性のように鼻が尖っていない。

 鋭い犬歯が無く濃い緑の肌をしてさえいなければ、どことなく樹族の少女にも見える。

「私は人型の肉は食わん。(ああ、私を警戒しているのだな・・・そうだ!)実はな、これを君に売ってほしいのだ。代わりに一日一個までならこれを食っても構わんぞ。半年後にまたここを通るからその時売り上げの半分をくれ。きっかり半分だぞ。家はどこだ?」

 その話を聞いてゴブリンの少女は胸を撫で下ろし、他の小屋と違ってそこそこ広い穴だらけのバラック小屋を指さした。

 ヒジリがバラック小屋の小さな扉を開けてトカゲのような体勢で中を覗き込むと、すぐ近くに木箱がぽつんと置いてあった。

 その上には思い出の石板があり、両親らしき人物の映像が繰り返し映し出されている。

 やせ細った幼い兄弟二人が、突然扉を開けて覗き込んできたオーガに怯えて部屋の隅で抱き合って固まっていた。

 ヒジリの心臓が煩く鼓動する。ミミの件以来、子供の死や幼い命が死に近づく姿を見るとこうなる。

「弟がいるのか。仕方ないな。弟たちも一日一個までだ。その代わり売り上げの六割を貰う。わかったな? 値段はそうだな・・・、一個千銅貨で売れ」

「一個・・・千銅貨・・・」

 食料にしては高めの値段設定なのだ。しかも小さな一欠片である。結局このオーガは無理難題を押し付けて、自分を奴隷にしてしまうのではないかと不安になる。

 ヒジリは左肩のポケットから次々と携帯食料の大袋を大量に出し、小屋にどんどん投げ入れた。

 話を聞いていた弟たちは、食べ物が貰えると分かり、すぐ整理に取り掛かった。

 見る間に姉と弟たちが何とか眠れるスペースを残して、小屋は携帯食料でいっぱいになった。

「少しでも誤魔化したら許さんぞ? 食っていいのは一日一個だけだ。それ以上食うとお腹が苦しくなるから気を付けろ。宣伝文句は『三年も日持ちがして一日一個でお腹いっぱい! ボク、一個で満足!』だ。半年後絶対来るからな?」

 そう脅しながら説明すると少女は真剣な顔で頷いた。

 少女に先程までの怯えはなくなり、この食料が長旅をする旅行者や冒険者に価値があるものだと気がついたようだ。

(まぁ、半年後にここに来る予定はないがね)

 ヒジリは賢い少女の頭を撫でながら、ニッコリと笑うと名前を聞いた。

 もじもじとはにかむ少女は、このオーガを信用して携帯食料を売るしか生きていく道は無いと決心する。
 
「私の名前はイシーです。私ギャんばって売り捌いてみせますキャら! 半年後楽しみにしててくださいね!」
 
 濁っていた少女の目に光が宿った気がして、ヒジリはどこかホッとした気持ちになり、心臓の音も穏やかになった。

(所詮は自己満足の自慰行為だ。こうする事で私はストレスから逃げる事が出来る。情けない話だな、全く・・・)

 子供を助けたという自己満足と自分が助かりたいが為にやったという自己嫌悪が心の中でせめぎ合う。

 この星に来てから地球では味わった事のない気持ちに戸惑いつつも、ヒジリは少女に手を振ってその場を離れた。




 押し寄せる葛藤を雑踏に押し付けてかき分け、なるべく無心になるように歩いていると、ゴブリンゲートに到着していた。

 そして、門の前で毘沙門天のような顔をして此方を睨みつけてくるヘカティニスと顔を合わせていた。

 休憩時間なのかヘカティニスは鎧とグレートソードを外しており、革で出来た胸当てと腰布一枚だけで腕を組んで立っている。

 肌の露出が多い為、引き締まった肩や腕の筋肉、六つに分かれた逞しい腹筋が見えている。
 
 彼女は通行料の支払いを拒否した荒くれ者対策として、顔を貸している状態なので戦う事はまずない。

 この英雄クラスの傭兵が剣と鎧を着て戦う事態になれば、ゲートギルド(実際は雇われ責任者が)はヘカティニスに対して高い追加報酬を払う契約となっている。

 そうでなくとも、一日鉄貨五枚という高給がゲートギルドから支払われている。

「おまえを待っていたど。ゴブリンにこの糞団子を作らせた。これを食え。これで許ぅす」

 棒の先に、ドリアン飴と同じくらいの大きさの動物の糞が丸められてくっついていた。ハエが嬉しそうにその周りを飛び交っている。

「遠慮する」

 ヒジリがそう即答すると、ヘカティニスは鬼神の顔のまま近くにいたゴブリンに静かに糞キャンディーを渡した。

 そして振り向きざま、いきなり怒気の籠ったヘッドロックを仕掛けてきた。

「食えったら食え! お前、おでにウンコ飴、食わせた!」

 彼女の腕と脇が完璧に締まる前にヒジリは頭を抜き、ヘカティニスと向き合ってロックアップする。

 勢いよく手と手が合わさった事でお互いのエネルギーがぶつかり合い、パーンという音とともに空気が揺れる。

 その際、抱えていたウメボシを落としてしまったので、糞キャンディーを持っているゴブリンに預かっておいてくれと頼んでみた。

「合点承知! お安い御用で!」

 このオーガ同士の戦いが楽しみで仕方ないゴブリンは、邪魔な要素を全て排除しようという姿勢だったので、すぐさまウメボシを拾い、少し離れた場所で興奮しながら糞キャンディーをペロペロと舐めて観戦を始めた。

 ゴブリンは自分の手に持っている物が糞キャンディーだという事をすっかり忘れているようだ。

 最初は拮抗していた力比べもジワジワと負けている事にヒジリは気がついた。片膝が地面を触ろうとしている。

「ほう? この私が力負けしているだと?」

 パワー特化型地球人ではないが、そこそこ筋力はある。それにヒジリは戦いにおいて総合的な能力を重視する。最適解を動きに反映させる知性と素早さ、トリッキーな動きで撹乱させる器用さ、行動し続ける事ができる体力。

 次の一手をどうするか、考えていると甲高い声が野次馬の中から聞こえてきた。

「軟弱なオーガメイジごときが百戦錬磨のヘキャティニス様に勝てるわけギャない。おつむは足りないが戦闘のセンス、腕力、頑強さ、素早さ、どれをとっても一級品ですから!」

 如何にも三下キャラという感じの出っ歯ゴブリンが、分厚いビン底眼鏡をクイッと上げて勝手に解説を始めた。

「さぁ~、どうする! オーガメイジ! やれるのキャ~! やれないのか~! ど~うなんだい! これ難題!」

「お! ヤンスが来たぞ! これで一層この戦いが面白くなる!」

 ゴデの街の名物ゴブリンなのだろうか?

(ヤンス、か。少々不愉快な声をしている!)

 実況ゴブリンの声に苛立ったヒジリは、歯を食いしばり抵抗を試みるも、ヘカティニスの腕はびくともしない。

(なるほど。上には上がいるというわけか。どうやら私はこの星の頂点ではないようだ)

 素の能力だけでは敵わない相手がいる事を知りヒジリは驚く。

 思い返せば大型の生物に勝てたのも不意打ちと電撃グローブのお蔭だ。まともに攻撃を食らっていたらどうなっていたか解らない。

(ふむ。悔しいがパワードスーツの力を借りるか)

 ヒジリの着る黒いスーツからブゥゥンと低く唸るような音がし、ヘカティニスの腕を押し返したかと思うとあっという間に彼女をねじ伏せていた。

「あぁぁっと! ヘキャティニス様がいとも簡単にねじ伏せられたァー! あのオーガメイジは一体何者なのキャー!」

 ヤンスは興奮して、眼鏡を忙しなく指でカチャカチャと揺らしている。

 周りのゴブリン達はこの煩い実況者に対して迷惑顔を向けている。我らが誇り、英雄傭兵ヘカティニスが負けようとしているのに、ヤンスはお構いなしだからだ。

 が、周りの落胆とは裏腹に、ヘカティニスはまだ心が折れてはいなかった。

 仰向けにねじ伏せられた状態から足をヒジリの胴体に当て、巴投げで投げ飛ばす。

 ヒジリは絡んだままの指は離さず、ブリッジのような形で耐え、投げつけられた勢いを利用してサッカーのスプリングスローのようにヘカティニスを地面に叩きつけた。

 本来の能力でこの無理ある体勢から、重いヘカティニスを叩きつけるのは不可能だが、パワードスーツがそれを可能にしている。

 ゴブリン達からどよめきと拍手が湧き起こった。最早、勝負の行方はどうでもいい。できるだけこの超人的な戦いが続くことを祈っている。

 ヤンスは興奮のあまり眼鏡を指で揺らし過ぎて、振動で壊してしまった。

「ンーーッ! ンンーッ!」

 と言葉にすらならない声を発している。

 ヒジリは手を離すと、うつ伏せのヘカティニスの背中に乗って、腕を押さえつけ顔を寄せて問う。

「くれてやった飴はウンコ飴だけじゃなかったろう? 他の飴はどうだった? 美味しかったのではないかね?」

 ヒジリの問いかけにヘカティニスは暫く考えた後、勢いよく海老ぞりになって満面の笑みで答えた。満面の笑みではあるが地面に叩きつけられた時に鼻を打ちつけたのか鼻血を垂らしている。

「うん! おいじかった!」

 美味しい飴を思い出して嬉しそうに海老ぞりになった時、ヘカティニスの後頭部がヒジリのおでこにぶつかりお互い星が飛ぶ。

 二人ともふらふらとしながら立ち上がると、ヘカティニスはヒジリに向けて垢と泥だらけの顔で二カッと笑った。歯だけはしっかりと磨いてるのか、白くて綺麗だ。

 ヒジリはお尻の左側のポケットからティッシュを出すと棒のようにして、どぼどぼと鼻血の出ているヘカティニスの鼻に突っ込んで応急処置を施す。

 だが見る間にティッシュが赤く染まったので取り替えて、もう一度ティッシュを突っ込む。

 オーガの世界では見返りの無い優しさは弱さと受け止められるが、鼻血の手当てをしてくれる目の前のオーガに対して、ヘカティニスはその行為は強さから来る自信と余裕の表れだと捉えたようだ。

「お前、軟弱なメイジなのに強い。おでの嫁にしてやってもいい」

「婿じゃなくて嫁なのかね・・・。おまえ もっと強くなったら おでも 考えてやる」

「ほんとか? 約束だぞ! じゃあ約束の飴くで! ウンコ飴は無しだど!」

「君は単に飴が欲しいだけなのでは・・・」

 ヒジリは呆れながらも、右肩のポケットからいつものように飴の入った袋を取り出して、ヘカティニスに渡した。

 ヘカティニスはヒジリの頬をペロリと舐めると、袋を分捕り大事そうに抱えている。

 ヘカティニスと取っ組み合いをし、汗をかいた事でヒジリは先程までの鬱屈した気分がどこかに吹き飛んでいた。ヒジリは心の中で密かにヘカティニスに感謝の言葉を述べる。

(時には激しく体を動かしてみるのも良いな。ありがとう、ヘカティニス)

 ヒジリに見つめられていると解ったヘカティニスは、飴を胸に抱えたまま体を左右にねじって少し照れた。

「あまりおでを見るな。心臓が太鼓を鳴らすから。お前はオスの匂いがし過ぎる」

 強さというのはオーガの女性にとって、恋人選びの条件の殆どを占める。特にヘカティニスより強い男はそうそういない。彼女が育った砦の戦士ギルドでもだ。
 
 ヘカティニスは初めて同族の男性に恋愛感情を持った自分に気がついた。

 以前ゴブリンゲートでヒジリを舐めた時は、“好き”程度だったが、今は“愛している”に昇格したのだ。

 この強い男を逃すともう二度と恋人を作るチャンスは無いような気がしたが、相手に自分の気持ちを上手く伝える術をヘカティニスは知らない。

 モジモジしている間にヒジリは軽く手を振って別れを告げて、先程ウメボシを預けたゴブリンに近づいた。
 
 ゴブリンに近づく途中で背後からヘカティニスの焦るような「アッ! アッ! アノ!」という声が聞こえてきたが急ぐヒジリは特に気にはしなかった。

 ゴブリンは興奮のあまり糞キャンディーを全部食べてしまいゲーゲーと虹色の何かを吐き出している。が、ピリリーンという音とともに、ニュータイプのような勘でゴブリンはヒジリの接近を察し、相手を確認せずに真顔でウメボシを差し出す。

 一瞬、周りは宇宙のような背景となりゴブリンは残像の見える緩慢な動きでウメボシを差し出したようにも見えたが、全てはヒジリの白昼夢だった。

(これがニュータイプ、というものなのか?)

 そのまま意識のない彼女を受け取り、代わりにゴブリンの手にお礼の千銅貨一枚を渡すと、ウメボシが汚物で汚れていないかをチェックしだした。

 どこも汚れていない事を確認し、ゲートに向かって進むと、前にも会ったゲートの責任者ゴブリンが興奮した様子で走ってくる。

「いやー、いい試合を見せて頂きました。すぐに決着がついてしまい、すキョし物足りませんが・・・」

「勝負なんてものは大概は一瞬か数分で決まる。バカみたいに三週間も叫んでやっと勝負が始まるなんて事はない」

「・・・ん? 何の話ですキャ? それにしても本気のヘキャティニス様ではなかったとはいえ、あの方を押さえつけるなんて、貴方様は並みのオーガメイジではないですね。これが真剣勝負であったならばまた違った結果になっていたでしょうギャ。いいものを見せて頂いたので、お代は三つのゲートの通行料込みでチタン硬貨一枚で結構です」

「五鉄貨だ」

「ハァイ、仰せのままに」

 責任者ゴブリンは即答すると頭を丁寧に下げてゲートを開けさせる。

 道の端にはゴブリン達が時代劇の参勤交代に遭遇した平民の如く、土下座をして並んでいた。

 自分が演出したのだ、どうだ? と言わんばかりのドヤ顔で此方を見る責任者ゴブリンに料金を支払って、ヒジリは急いで全てのゲートを通り過ぎてからある事に気が付く。

「あ! しまったあの飴の袋には・・・」

 そう言い終わらない内に三キロも離れた後方のゲートから、ヘカティニスの獣のような咆哮が聞こえてくる。

「おどぉぉぉぉ!! 辛い! こで、辛いぃぃぃ!! 鼻がもげる! 水! 水!」

「すまぬ・・・すまぬ、ヘカティニス。その袋には一個だけ激辛ワサビ飴が入っていたのだった。すっかり忘れていた・・・」

 遠くからは八つ当たりで何かが壊れる音が聞こえ、ゴブリン達の悲鳴がその後に続くのだった。
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