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禁断の箱庭と融合する前の世界(145)

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 目が覚めるとヤイバは薄汚い狭い小屋にいた。

「うわっ!何だここは!」

 潔癖症が脳内で警報を鳴らし、ダニやノミがいそうなムシロから飛び上がる。

 跳ね起きた時に視界に入った自分の手足が妙に小さい。

「これはゴブリンの・・・」

 ペタペタと体や顔を触ってみると確かにゴブリンだと解った。

「何でだ・・・?」

 こうなった記憶を探ろうとしたが、昨日は洞窟掃討作戦で疲れてしまい夕飯を終えると直ぐに寝たはずだ。本当なら今頃は兵舎のベッドの上・・・。

 急いで小屋から出ると、そこはゴデの街を一望できる崖の近くにある小屋だった。桃色城がはっきりと見える。

「ゴブリンの猟師の小屋か?取り敢えず、ゴデの街へ向かおう。こうなった原因を調べなければ」

 ヤイバは思いの外冷静であった。異世界や時間旅行をしたのでこれくらいでは驚かなくなってしまった。

 小屋に戻って弓矢とダガーを手に取ると、街に続く道を急ぐ。

 街につくと自分にとっては見覚えのない知り合いのゴブリンらしき男が近づいてくる。

「よう、カリウ!珍しく手ぶらじゃねぇか。いつもは売り物の肉を持ってるのによ」

(カリウ・・・。それがこのゴブリンの名前か・・・)

「やぁ・・・えーっと君は・・・誰だったかな?」

「こりゃあ珍しいものが見れた。今日は雪が降るんじゃねぇか?カリウが冗談言ってるなんてよ。朝から暇なんだったら、オーガ酒場へ行かねぇか?俺さ、昨日豚オーガに賭博で勝ってよ、少しは金持ってんだ。一回でいいからオーガ酒場で金持ちに紛れて、コーヒーってやつを飲んでみたいわけ。な?付き合えよ。勿論奢るからさ」

「(ヘカ母さんかワロに話せば手伝ってくれるかもしれない)うん、ご馳走になるよ。ありがとう」

「ハッハ!なんだよ、カリウ!もう金持ち気分でいるのかよ!喋り方が上品過ぎるぞ!」

 名も知らぬゴブリンはヤイバの背中をバシバシ叩いて、オーガ酒場の扉を開いた。いつものドアベルがカランカランと音をさせる。

「いらっしゃい。おや?猟師のカリウとかんざし職人のキヘイ。いいのか?うちは高いど?」

「ああ、構わねえよ。ちょっと懐が暖かくてな。モーニングってやつを二つ頼まぁ!」

 最初こそ安酒場だったオーガの酒場は、あまりに人が多く来るようになったのでミカティニスは料理代から宿代まで大幅な値上げをして客の制限をしたのだが、それでも連日客はたくさんやって来る。

 ミカティニスは厨房でモーニングセットの用意を始めた。

 コーヒーはヘカティニスが作っている。

「今日は特に色気がむんむんだな、ヘカちゃん」

「馬鹿な事いっでねぇで、さっさと座れ」

 昨日は父さんとゴニョゴニョをしたのだろうとヤイバは想像し顔を赤らめる。

「(18歳だもんな・・・父さんは。僕と二歳しか違わない。そりゃ盛んだよ)旦那様の体力は無尽蔵でしょう?ヘカ母・・・ヘカさん」

 自分がゴブリンなのを良い事にヤイバはヘカティニスに冗談っぽく聞く。

「ああ、おでが気をやっても許してくでねぇ・・・。って何言わすんだ!馬鹿!だ、旦那様は・・・し、死んでこの世にいねぇど!」

 キヘイが笑いながらヘカに答える。

「こいつ朝から変でよ。さっきも俺の名前を知らないフリして笑わすんだぜ?珍しいだろ?」

「んだな。変なキノコでも食ったか?カリウ」

 コトっとコーヒーを二人に差し出してヘカは心配そうにカリウを見つめた。

 心配そうに見つめる顔が段々とヤイバに近づいてくる。

 ヘカはカウンター越しにカリウのおでこに自分のおでこを付けて熱を計った。

「うわぁ!顔が近いよ、ヘカ母さん!」

 以前のワロティニスと同じ顔が目の前にあるので、ヤイバは反射的にキスをしたくなる衝動を抑えた。

「なに照れてんだよ、カリウ。お前は何事にも動じない奴たろ。ますますおかしいぞ!」

「熱はねえど。それからお前はおでをヘカ母さんと呼ぶな。ヤイバか!」

 話の切っ掛けが出来た!チャンスだ!とヤイバは思った。

「僕はそのヤイバですよ!ヘカ母さん!朝起きたら、このカリウって人になっていたんです!」

 ヘカティニスとキヘイは顔を見合わせたあと、腹を抱えて笑い出した。

「ヒーーーー!腹がいだい!」

「どうしたどうしたカリウ!今日は冗談が冴えわたってるな!」

「ヤイバの物真似が上手いど!どこで観察していた?」

「もう!ではヘカ母さんの身近な者しか知らない情報で僕がヤイバだって証明してみますよ!ヘカ母さんの左脚の付け根にはホクロが一つある!」

「な!なななな!何でそでを知ってんだ!」

 ヘカティニスの顔が真っ赤になり恥じらいと怒りがごっちゃになった。

「どーこーで見たー!変態がぁ~!」

「ち、違いますよ!僕が小さい頃よく一緒にお風呂に入って・・・」

 若い頃から戦場を渡り歩いてきた割に綺麗な手がヤイバの頭を掴むと、ミシミシと嫌な音がしだした。

「あだだだだだ!」

「どーこーでー見ーたー?」

「(なんて怪力だ・・・。そりゃ以前のワロも強かったはずだ)だから・・・小さい頃・・・」

 カランカランと音がしてヒジリが店に入って来た。

「やぁ、おはよう。食後のコーヒーを貰いに来た」

「旦那・・・ライジンいらっしゃい!」

 ヘカティニスはアイアンクローを外すと、そそくさとコーヒーを作り始める。

「た、助かった・・・」

「調子に乗り過ぎだ、カリウ。っていうかいつヘカちゃんのきわどい所を見たんだ?羨ましい。お前はクールな女たらしだから、我らが中年のアイドル、ヘカちゃんを攻略したのかと思ったわ。ほんの一瞬だけどな」

 ヤイバはキヘイの言葉が聞こえておらず、どうやって父親に近づくかを考えた。今はヘカティニスと楽しそうに談笑している。

(あの中に割り込むのは相当難しいぞ。下手したらヘカ母さんのパンチが飛んでくるかもしれない。さり気なくあの会話に入り込むには・・・)

「やぁ!ライジン殿!君は仕事を探しているそうだね!単発の仕事で良ければ依頼したいのだが」

 ヤイバは父親が仕事探しをしているのを知っているので、それをとっかかりにして話しかけてみた。

(流石にこれは話を聞かざるを得ないだろう!)

 思惑通り父親はこちらに関心を向けて来た。

「ほう?この私を雇えるだけの金が君にあると?」

 ヤイバは一瞬たじろぐ。

 父親と言っても世間ではライジンという名のオーガメイジで通っている。ヒジリに似た風貌と能力を持つ彼は人々から、聖下に憧れる若造という目で見られている。

 ヒジリに憧れる若者は各地にいるので誰も驚いたり、ライジンの正体を疑ったりはしない。

 そしてヒジリを模す者は総じてその名に恥じないよう鍛錬を怠らないので強者が多いのだ。そうなると自然と依頼料も高くなる。

「ああ、勿論さ。金貨十枚でどうだ?(お金はフーリー家が管理しているから手元にないけど、それぐらいならヘソクリで何とかなるぞ!)」

「旦那様、仕事か!よがったな!」

 そう言ってヘカティニスは店の用事を始めた。

(よし!後は父さんに事情を話して・・・)

「おい、いい加減にしろカリウ。お前のどこにそんな大金があるんだよ!寝言は寝て言え!」

「なんだ、冷やかしかね・・・」

「(キヘイのバカ!)いや、金はある!ツィガル城まで来てくれればあるんだ!」

「何でお前が帝国のお城に金を隠すんだよ。もういいって。早くモーニング食っちまえよ。すいません、ライジンの旦那。今日はこいつちょっとおかしくてね」

「なに、気にしなくていい」

 人の気も知らないで好機を尽く潰すキヘイの首をヤイバは絞めたくなったが、ぐっと堪える。

(これは、大変な事になった。僕がこのゴブリンになったって事は僕の体にカリウが入ってるかもしれない。キヘイの話によればカリウはクールな女たらしらしいし、今頃騎士団の女を片っ端から口説きまくっているのでは・・・)

 ヤイバの額から汗がとめどなく落ちる。

(大変だ・・・。何としてでもツィガル城に向かわなくては・・・)

 ヤイバは立ち上がるとオーガの酒場を出た。後ろからキヘイの声がする。

「おい!モーニングを食べ終わってないぞ!」



 
 ツィガル城で退屈そうにバルコニーから外を眺めるナンベルは、中庭の東屋に屯する鉄騎士団の女たちの会話を【地獄耳】という魔法で聞いて驚いた。

「最近の鉄騎士団の女たちは、樹族の様に香水の話をするのですねぇ」

 昼休みの女子たちは小鳥の様にひっきりなしにさえずっている。

「そんなにいい香水なんですかぁ?何々?男を落とす効果抜群だって?そんなバカな。惚れ薬でも入っているのですかね?それは。キュッキュ!」

 細い目を更に細めて笑うナンベルは東屋にマーが現れたのを見て、また興味深そうに観察しだした。

「こら!貴様ら!もうすぐ午後の訓練が始まるというのに何をダラダラしておるのか!大体香水なんてものは戦う我らには必要ないだろう!寧ろ、身を隠している時に自分の居場所を知らせるようなものだ!香水は私が没収する!訓練が終わったら返してやるから後で取りに来い!」

「えーー!まだ使ってないのにーー!」

「なんだ?何か文句でもあるのか?」

「ないですー!」

「だったらさっさと行け!」

 女子たちは不満顔でドタドタと走って行く。

「おお、怖い。流石は鬼のマ―隊長。あの彫りの深い目で睨まれると小生でも震え上がりますよ!キュッキュ!」

 暫くナンベルはマーの様子を窺った。彼女はきょろきょろしている。

「まさかねぇ・・。鉄騎士団でもトップの指揮能力を持つ鬼のマー隊長が、まさかねぇ?」

 ナンベルの予想通り、彼女は香水を自分に掛けて鼻歌を唄いながらヤイバたちのいる兵舎へと向かった。

「おい!ヤイバはいるか!午後の訓練は私と組む事になったぞ。みっちり小隊での動き方を教えて・・・ん?なんだ?ヤイバ・・・ちょ・・・」

 中にはヤイバしかおらず、ベッドの下をゴソゴソ探っていたかと思うと、マーを暫く見つめて頬を赤らめる。そしてヤイバは何も言わずマーを抱きしめた。

(キターーー!香水のお蔭か?凄まじい効果だな!難攻不落のヤイバをあっさりと!)

「はは!そういうのは今は止めてくれ。いや!勿論嬉しいんだがな。今はちょっと・・・。おい!むぐ!」

 ヤイバが強引に唇を重ねてきた。マーの目はトロンとして喜びが全身を駆け巡る。いつも完璧に立っているトサカのような髪がヘナヘナと萎れて普通のショートヘアーに戻った。

「ああ、ヤイバ・・・この日をどんなに待ち焦がれたか。でも・・・ええぃ!・・・やっぱりだめだ!もうすぐ訓練が始まる!後で・・・後でな?今晩デートしてからだぞ?そういう事は。雰囲気も大事だから!」

 マーは何とかヤイバの誘惑を振り切ると、腰が抜けたような妙な歩き方で兵舎を出て行った。

 兵舎から、驚いた小鹿のようにヘナヘナと出てくるマーを見て、ナンベルは何だ?という顔をする。

「え・・・?中で一体何が?マー隊長が腰を抜かしているじゃありませんか。何かイケナイ☆事でもあったのかな?香水の効果で?あぁぁぁ気になるぅ!気になりゅぅぅ!キュキュ!」

 ナンベルは頭を抱えてデンプシーロールのような動きで苦悩した。




 訓練が始まるとふわりと辺りに良い香りが漂った。

 香水を没収された女子がキッ!とマー隊長を睨む。

(私から香水を没収しといて、勝手に使うなんてサイテー。高かったのに!)

 しかし、そんな視線も気にならないほどマーはヤイバの姿を目で追っている。目で追ってはいるが近づこうとはしない。

「隊長。ヤイバと組まないのですか?あれ?なんだか良い匂いがしますね」

 マーはギクリとする。ヤイバだけではなくカワ―まで!このままではこの場にいる男全員を虜にするのではないか、とビクビクした。

 しかし、カワ―は不思議そうな顔をしただけで、ハイダルネと前衛中衛の組み合わせによる攻撃パターンの練習を始めた。

(ホッ!セーフ。カワ―とヤイバを両手に侍らせる事が出来ればこの世の天国だけども・・・)

 今夜の事を考えると訓練に身が入らず、どこか気まずそうな顔で一人練習するヤイバをマーはただぼんやりと見つめるのであった。




 帝国に向かおうとしたヤイバではあったが、カリウである自分は馬車代すら持っておらず途方に暮れていた。

「昔よりも道が安全になったとはいえ、やはりゴブリンの身で帝国まで歩いていくのは心許無いな・・・」

 項垂れて道脇にあるベンチに腰を掛けていると、買い物帰りのワロティニスとイグナが歩いて来た。

 少し諦めムードでヤイバは悩む。

(二人を頼って声を掛けたところでどうやって証明すればいいんだ。【読心】でイグナ母さんに心を読んでもらうか?それでも信じてもらえなかったら?それにしても何でこうなった・・・。一生このままだったらどうしよう。今頃ツィガル城の僕は何をしているのだろうか?)

 纏まりの無い考えが頭で渦巻くので、ヤイバは一旦落ち着こうと目をギュッと閉じ、再び目を開けるとイグナの顔が目の前にあった。

「何故私の事をイグナ母さんと呼ぶの?」

「【読心】していたんですか・・・。だって僕は見た目はゴブリンですけど中身はヒジリの息子ヤイバですから」

「そう・・・。それで貴方はどうしたい?」

「何で急にカリウと話をしているの?」

 ワロティニスは道端でしょぼくれる狩人にいきなり近づいて話かけたイグナに驚いた。いつも肉屋に獲物の肉を持ってくる無口なカリウの顔と名前位は知っている。他のゴブリン女子達が彼に黄色い声を飛ばしているのをよく見かけるからだ。

「僕はツィガル城に行って自分が今、何をやっているのか知りたい。出来れば元に戻りたい・・・」

「そう。戻れるかどうかは判らないけど帝国に行ってみる?」

「でも・・・馬車代が無いんです。イグナ母さんは僕がヤイバだと信じてくれるのですか?」

「それはまだ判断できないけど、でも貴方の持つ記憶はヤイバのもの。一緒にご飯を食べたり、買い物に出かけた記憶は私の記憶と合致する。そして何よりも私は一度限りしか発動させていない【虚無の渦】を貴方は見ている。全てを知るにはツィガル城まで行って確かめるしかない。馬車代は私が出すから」

「はい・・・、ありがとうございます」

「なに?何の話?」

 ワロティニスは最後まで二人の会話を理解する事は出来きず、暇を持て余す。白い大きなリボンの形を直してポニーテールを手櫛で解いて二人を不思議そうに見つめた。


 
 マーは夜の街でぎこちなくヤイバの腕に絡みついてい歩いている。こういう事に慣れていないのだ。

「私~、うれし~い!ヤイバとぉ~、こうやって夜のデートが出来るなんてぇ~!」

 鬼のマー隊長と呼ばれた彼女は、心を許す相手にはこうなのだ。しかし、この姿を見た者はいない。知っているのはマーの部屋に置かれた熊の縫いぐるだけだ。

「今日の~ヤイバは全然喋ってくれない~。でもそんなヤイバもクールで素敵ぃ~」

 道行く人々は誰もが、堅物で浮いた噂の無い人物だと思っていた神の子ヤイバが、只ならぬ関係と思しき女性を連れて歩いている事に驚く。

「隣の個性的な美人は誰だ?」

「さぁ・・・?見覚えがある様な無い様な・・・」

「くやしぃぃ!あの女!どうやってヤイバ様を落としたのかしら!キィィィ!」

 誰もが化粧をしたマーに気が付いていない。裏でこっそりとゴリラの愛称で呼ばれる彼女は、ゴデの街で売っている黒のゴスロリドレスを着ているからだ。頭には同じく黒のヘッドドレスが付いており可愛さを強調している。いつもの質実剛健なイメージの彼女とは真逆である。

 人々が騒ぐ声を聴いてマーは優越感に浸る。

(オーガの中でも頂点に立つヤイバを我が物にしたんだから、もっと騒いでもいいのよぉ?)

 浮かれるマーの前に一人の男が立ちはだかった。

 割れた顎、ウェーブした癖毛のオールバック。濃い睫毛。城ではよく見る顔だ。

「おやおや、マー隊長?部下とデートかい?しかもこれは驚いた!相手は神の子ヤイバ様ときたもんだ!」

「香水を返してよ!マー隊長!」

 マーの先輩、ガス・ターンの後ろから昼間香水を取り上げた女子団員がピョコっと現れる。

「うちの後輩の香水を取り上げておいてデートとは筋が通らねぇぜ?マー隊長よ~?」

「(この香水、何故かヤイバにしか聞かないんだもん、返したくはない!)こ、香水を返すことは出来ん!どうも怪しい成分が入っているからな!そ、それを今から調べようとしていたところだ!」

 しかしその話は嘘だと見抜いたガスは片眉を上げて半眼でマーを睨む。

「へぇ~?お化粧をばっちりして、神の子と腕を組んで何を調べに行くんですかねぇ~?」

「そうだそうだー!」

「ぐぬぬ!」

「大体、そう思ったなら何故、直ぐに魔法騎士団に香水を提出しないんだぁ?隊長さんよぉ~?」

 ガスの割れた顎がグイっと上がって、見下すようにマーを見ている。他の小隊と違って少数精鋭を認められて特別扱いされているマーに平団員の先輩騎士はここぞとばかりにマーを責めている。

「うるさい!明日提出しようと思っていたのだ!」

「じゃあ今日は何を調べに行くんですか?キャ!まさか!これからヤイバ様の体を調べに行くとか?ヤダァ!」

 甘ったれ顔の下膨れホッペを揺らし、女子団員はくねくねと動いて顔を真っ赤にした。

「あぁぁぁぁ!!!!うっとおぉぉしいい!!邪魔だ!貴様ら!この場から消え去れ!」

 ついにマーがブチ切れた。

 誤魔化しが利かなくなって逆切れをしたのだ。恥も外聞も捨てブチ切れた。

「あれれれれ?逆切れですか?マー隊長ともあろうお方が!」

「黙れ!一生平団員のくせに先輩面するんじゃない!いいか!我ら闇の者は力こそ全て!力こそが正義!お前のような格下が力ある者にいう事を聞かせたいのならば、戦って勝ち取れ!」

「いいぜぇ~?格下の恐ろしさをッ!今ここでッ!思い知らせてやるぞッ!マー!これで俺が勝ったらお前の隊を貰うからな!お前は辞職して俺様が小隊長になるのだ!上にもそう進言しろよ!」

 そう言って万年平先輩は妙なポーズを決めたあと、頭上で円を描いた指先で、ビシッ!とマーを指す。

「いいだろう。まぁそれは鬼イノシシがトリッキーに戦う位あり得ない事だけどな!ハッ!」

 最近では珍しくなった闇側ルールで決闘をする二人を見て、周りの者は円形に取り囲んで即席のリングを作った。

「いいぞ!やれやれ~!」

「久々だな!こういうのってさ!二人ともギャンバレ!」

「顎割れの人~?そこの雌ゴリラをぶちのめして、ヤイバ様を解放してあげて!」

 オークやゴブリン達が囃し立て、ヤイバを手籠めにしたマーへ嫉妬するオーガの娘たちはガスを応援した。

 声援に気を良くしたのかガスが吠えた。

「いっくぜぇぇ!帝国鉄騎士団下剋上のォ!はぁぁぁじまり、始まりぃぃぃ!!」




 拳をゴキゴキと鳴らしてマーは愛するヤイバをチラリと見た。相変わらず自分に魅了されぼんやりとした目で此方を見つめている。

(ふふふ、見ててよ、ヤイバ。この戦いで勝利したら貴方との結婚宣言までしちゃうんだから)

 夜の繁華街で起こった決闘を止める衛兵はいない。決闘罪など無いからだ。

 マーの着る夏用のゴスロリドレスの半袖からは腕が見えるが、これまでごつごつとした筋肉は見えなかった。しかし今は違う。戦闘モードに入ったのか、鋼のささ身の様な筋肉が現れている。

 喧噪の中、集中したマーの耳は余計なものを排除しだす。野次馬の声は次第にくぐもって聞こえなくなり、暗視する瞳の中では白黒に映るガスの姿がくっきりと見える。

「どうした?来いよ?マー隊長さんよ?」

 ガスがそう言い終わらない内にマーの細い鋼のような腕が伸びて、打撃音を放つ。

―――スパン!―――

「ひゅー!あぶねぇ!確実に急所を狙ってくるなんて流石だな。だがな、俺の割れた顎はこれ以上割れねぇぜ?」

 顎に届く直前にガスは手でマーの拳を受け止めていた。受け止めながらも余裕を見せて喋る。

「隊長に求められるのはよ、勿論強さもあるが・・・」

 マーの拳を握りつぶそうと指に力を籠めるガスの横っ面に蹴りが飛ぶ。

「指揮官としての一番重要なのは的確に状況判断をして作戦を遂行する力」

 左腕でマーの蹴りを受け止め、ガスは彼女の脚を脇に抱えそのまま野次馬へ無造作に放り投げた。

 野次馬のオーガ達は喜びながら彼女をキャッチすると囲みの中央まで押し戻した。

「つまりだ。その能力以外は隊長と言えど、大して俺らと変わりがないって事さ」

 マーの放つパンチや蹴りを尽くガスは躱していく。

「寧ろ、事務仕事がある隊長より訓練で体を動かしている平団員の方が強くなる可能性もあるってわけよ」

 パンチを打つと見せかけてガスは流れるような動きで彼女に浴びせ蹴りを食らわせた。

 オーガの巨体から繰り出される蹴りの威力は凄まじい。小型の亜人であれば一撃で地面の染みのようになるだろう。

 ドスンという鈍い音と共にマーは地面に這いつくばった。

「く!油断したか・・・」

「勝負あっただろ?まだやるのか?」

「まだだ!」

「あっそ」

 ガスは起き上がろうとするマーの顔面目掛けて、サッカーボールを蹴るように蹴りを放った。

 流石にこれを食らえば重傷は免れないが、最早避ける手段はない。

「ああ、ヤイバ・・・」

 蹴りが目の前に迫った時、氷の壁がガスの脚とマーの顔の間に立ちはだかる。氷の壁はガスの脚ごと凍らせてしまった。

「おい!糞が!ヤイバ!何のつもりだ!決闘を邪魔するな!」

 しかしヤイバは動いていない。詠唱の構えすらとっていないのだ。

「ひぇ!闇魔女だ!」

 野次馬がそう叫ぶと群衆の間から、ワンドを構えたイグナが現れた。夜の闇から現れた彼女の瞳は闇の渦に渦巻いている。

 その後ろにはゴブリンのヤイバとワロティニスが続く。

「氷の壁は私が放った。この決闘は一時中断させてもらう。皆解散しなさい」

 熱狂していた群衆は冷や水を掛けられたように白け、ぶつくさと文句を言いながら解散していった。

「で、でも闇魔女様。私、隊長から香水を返してもらってないのです!」

 鉄騎士団の女子は自分の目的だけは果たそうと必死ににイグナに訴える。

「香水?」

「これだ・・・」

 マーは香水を諦めたのか、すんなりとイグナに差し出した。

 イグナはスンスンと匂ってから、何か心当たりがあるのか虚ろな目をするヤイバを見る。

「これをヤイバに嗅がせたの?」

「ああ」

 イグナは直ぐに【知識の欲】で香水を鑑定し始めた。

「それより、カリウ!僕の体を使って変な事していないだろうな?」

 ゴブリンのヤイバはそう自分に言うも返事はない。

「おい!カリウ!」

 イグナは香水を鑑定をし終えたが、持ち主に返そうとはしない。腰のポケットポーチをゴソゴソと探ると、ヤイバの元へ行き薬草を乾燥させたものを少し燃やして、煙を嗅がせた。

 光の無かったヤイバの目に輝きが戻る。

「ん?あれ?僕は何を?」

「大丈夫?ヤイバ」

 カリウであるはずのヤイバをイグナはヤイバと呼んだので、ゴブリンのヤイバは困惑する。

「イグナ母さん、何でカリウをヤイバと呼ぶのですか!」

「誰です?このゴブリンは?」

 カリウが入っているはずのヤイバは憤慨するゴブリンを見て不思議がる。

「君こそ、いつまで僕の真似をしているのだ!さっさと僕の体から出て行け!」

「出て行けと言われても僕は正真正銘ヤイバだ!」

「僕だってヤイバだ!」

 イグナはゴブリンを見て静かに首を振った。そして悲しそうな目でゴブリンを見つめる。

「貴方はヤイバではない」

 静かに、しかし確信を持って言うイグナをゴブリンは目を見開いて見返した。

「なんだって・・・?僕がヤイバじゃない?どういう事です?」

 氷から脚を何とか抜いたガスも、四つん這いから立ち上がるマーも、カリウが入っているはずのヤイバも、全く関係は無いがたまたま話を聞いていた通りすがりのゴブリンのヤンスも、どういう事だとイグナとカリウを見つめた。

「僕がヤイバじゃないですって?じゃ、じゃあ僕は一体・・?」

 いつの間に魔法を発動したのかイグナの瞳は夜の街を彩る魔法のネオンにも負けない位、怪しく虹色に輝いていた。

「本人の魂と貴方の魂を見比べてみてわかったけど、貴方はヤイバの残留した記憶を自分の記憶だと勘違いしている。魂自体はカリウ」

「では僕は最初からカリウで、頭の中の記憶はどこからか飛んできたと?」

 イグナは静かに頷いた。

「稀にあること。生まれ変わりだと騒ぐ人の殆どがこれ。夢魔の悪戯か、マナによる自然の悪戯かはわからないけど、誰かが残した記憶を自分のものだと勘違いしてしまう。実際にある話」

「そんな・・・僕が紛い物・・・。そんな・・・」

 こちらを気の毒そうに見るヤイバと目が合った。

 自分自身が一番解っているのだ。ヤイバは直ぐに他人の感情を感じ取り共感してしまう事を。

 彼は―――本物の彼は偽りである自分を確実に憐れんでいる。それが解ってしまう自分は何なのか。

「運命の神カオジフは意地悪だ・・・。僕のこれまで生きてきた記憶も想いも全てが偽の物だったなんて!だったら・・・だったら生きているってなんなんだよ!」

 そう叫ぶとカリウの視界はぐにゃりと歪む。そしてそのままパタリと倒れてしまった。

「彼は暫くすれば何もかも忘れて、またカリウとして生きていく。問題ない」

 ヤイバは倒れたカリウを抱きかかえると悲しい顔をする。

「もう一人の僕か・・・。彼の言う通り、生きているって何なんでしょうね。記憶がすり替わってしまえば全く別の人生を歩んでしまう。もう一人の僕は自身を疑う事無くここまでやって来たのに全否定されてしまった。それは凄く悲しい事だ・・・」

 悲しそうな顔をしてカリウを見つめる兄にワロティニスは寄り添った。

「でもお兄ちゃんはお兄ちゃんだよ・・・・」

「そう。ヤイバはヤイバ。魂に合っていない強烈な記憶はいずれカリウの精神を巻き込んで崩壊していく。だからこれで良かった」

 少し間を置いてからイグナは別の案件を思い出し、香水の持ち主の方を向くと口を開いた。

「それから、貴方の香水を返すことはできない」

「えーー!何でですか?闇魔女さまぁ~!」

「この香水にはフーリー家の敷地だけに生息する珍しい植物サルフグリが使われている」

「サ・・・サルフグリ・・・?」

 女騎士は復唱する事でイグナも意識してしまいお互い顔が真っ赤になった。

「そう、その木の実は特定の者にだけ催淫効果を発揮する。ヤイバもその対象。だからフーリー家では門外不出にして厳重に管理していたはず」

「そんな事言われても・・・」

「これをどこで買ったかは知らないけど、貴方はフーリー家を甘く見ている。リツの一族は恥をかかされる事を非常に嫌う。その為には不名誉な事でも平気でやってしまうほど冷血な一族。だとすれば貴方の命も危ない」

「酷い!私は露天で高級ブランドの香水が少し安く売られていたから喜んで買っただけなんですよ!」

「では露天商共々、これに関わった者は消される」

「そんなぁ~!」

 まだ幼さの残る顔を手で覆い、三メートルの女騎士は膝を付いて泣き崩れた。ドスンと地響きがしてイグナは少し振動で浮く。

 ガスも自分の身が心配になったのか、イグナにおずおずと質問をした。

「もしかして、俺もあぶねぇのか?闇魔女様・・・」

「危ない。私やワロティニスはリツと親しいし、ヤイバはフーリー家の者だから安全だけど、関わりの薄い貴方達は確実に消される」

「それは不味いよぉ!何とかしてくれよ闇魔女様。ヤイバも頼む!何とかしてくれ!俺、お前んとこの隊長には敵意を向けていたけどよぉ、隊員のお前らには優しかっただろう?なぁ、頼むよぉ」

 確かにガスは女にだらしないしが、上の者の理不尽には矢面に立って抗議してくれるし、後輩たちには優しかった。

「(う!そういえば僕はガス先輩を一方的に殴って気絶させてしまった負い目もあるし・・・)解りました。香水の事については直接サルフグリの実を盗んだ者だけを罰するように言っておきます。なので香水の事も喋らないでください。それから、それに付随して決闘の話も無かった事になります」

「そっか。決闘の発端も香水が絡んでいるからな。でもありがてぇ!約束したぞ!ヤイバ!」

「ありがとうございます!ヤイバ様!」

 二人はそう言うと、辺りをきょろきょろと窺いながら繁華街の闇に消えていった。

 それまで黙っていたマーは憔悴しきった顔で項垂れている。

「じゃあ何もかも香水のお蔭だったのだな・・・。少しは・・・少しぐらいは私に魅力があったのではないかと期待したのだが・・・」

 しかし、マーの目の光は消えていなかった。拳を顔の前に作り気合の篭った顔でヤイバを見る。

「でも・・・私は諦めないからな!ヤイバ!お前と交わしたキスの味は一生忘れないぞ!ハハハハ!」

 最後にとんでもない爆弾発言をして、マーも先の二人と同じく繁華街の闇に走り去って行った。

 通りすがりに話を聞いていたゴブリンのヤンスは、マーの後姿を見てポツリと呟く。

「ありゃあ、今夜はやけ酒でヤンスね・・・」

「ヤンスも話を聞いた以上、口を閉じておかないと危ないんじゃないの?」

 ワロティニスはヤンスにそう伝えると、ゴブリンはグルグル眼鏡を指で激しく上下させ動揺する。

「えぇぇぇ!アッシもですか?喋らないでヤンスよ!お口にチャックしておきますぅ!」

「ヤンス、悪いけどカリウを馬車に乗せて家まで送ってあげて。馬車代が余ったら自由に使っていい」

 イグナは金貨を一枚投げるとヤンスは勢いよくそれを空中でキャッチした。

「お任せあれ!でヤンス!」

 ヤンスがカリウを肩に抱えて歩き繁華街の夜に消えると、突然ワロティニスから怒気が溢れだす。

「ところで、おに~~~ちゃん!ゴリラ隊長とキスしたって本当?」

「あまり記憶がないから判らないよ」

「記憶がないって事は他にも色んなことをされた可能性があるって事でしょうが!」

「し、知らない!僕は何も知らない!」

「おにーーーちゃん!」

 ヤイバは妹の怒気の押されて逃げ出した。それをワロティニスは追いかける。

 イグナはやれやれといった態度でため息を吐き二人を見送ると、香水を眺めた。

(これは・・・いいものを手に入れた・・・。これをヒジリに使えば・・・。私の日である金曜日が楽しみ)

 人通りの少ない繁華街の片隅で、闇魔女イグナはニパッ!と笑った。
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