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禁断の箱庭と融合する前の世界(2)

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 ―――イグナちゃん・・・イグナ・・ちゃん―――

 常に身に着けている転移石”ルビ“から自分の名を呼ぶミミの声が聞こえる。じっとして動かなくなった妹を見てフランは不思議に思った。

「どうしたの?イグナ」

「ミミが呼んでるの。うん、そっちにヒジリがいるんだ?解った。直ぐ行く」

「ヒジリってドォスンの事?ドォスンなら小屋にいるじゃない」

「ヒジリはヒジリ」

 そう言うとイグナは転移石を使って孤児院へと瞬間移動した。

「ちょっとイグナ!・・・もう!ナンベルさんがいるから大丈夫だとは思うけど・・・。心配ねぇ」

 フランはヒジリが生きているかのような事を言ってこの場から居なくなった妹に困惑していた。

(まさか・・・。生きていたら嬉しいけどもぉ)

 孤児院の何も置いていないがらんとした部屋に転移石(てんいせき)は無造作に置かれている。転移してくる質量が大きければ大きい程空気が弾かれたように動くので、ある程度の空間を確保していないと条件によっては危険なのだ。

 以前、闘技場からドォスンやゴブリン達がこの部屋に転移して来た時にはガタガタと激しく孤児院が揺れた。窓が開いていなければこの部屋のガラスは粉々に砕け散っていただろう。

 ナンベルはミミと共に転移部屋の中で小さな風を感じた。

 少女は音もなく現れる。白髪は染められているが、本来の黒髪よりも色が薄く茶色っぽくなっていた。

 髪は老子戦の前に孤児院で切って以来四センチほど伸びていた。それを見てミミは親友の髪を小さなクマのぬいぐるみの綿にして大事にしまってある事を思い出した。

 魔人族の子供がよくやる友情の証だ。イグナの部屋にもミミの髪が入ったウサギのぬいぐるみが飾ってある。

「ヒジリはどこ?」

 イグナは開口一番大好きなオーガの所在を訪ねた。視線は部屋の中を探って細かく動いている。

「やぁよく来たねイグナちゃん。キュキュ。ヒジリ君はね・・・」

 色々と説明しようとしたその時、手下の古参オークがドアを勢いよく開けて入って来た。

「旦那ぁ!大変でさぁ。言われた通りヒジリを見張っていたら、他のオーガと一緒にゴブリン谷の方へ向かいやした!どうやら国境の戦いに参加するようです」

 ナンベルは天を仰いでから手で顔を覆っている。

 それはタイミングの悪い古参オークと戦場に出向いてしまったヒジリに対してのリアクションである。

 オークの報告を聞いた少女の心の内にある狂気が感情を激しく掻き毟る。

「戦争が始まるの?いや!いやあああ!戦争でヒジリが死んじゃう!ヒジリが死んじゃう!」

 しくじったと感じて立ち去ろうとするオークにナイフを投げたくなる衝動を抑制し、ナンベルは自分の体を抱えて震えながら蹲るイグナを優しく抱きかかえた。

「ヒジリは死なないハズですよォ?なんてったって無敵のオーガですから。よし!では一緒にヒジリの様子を見に行きますか?」

「な、なに言ってるの!先生!イグナちゃんが危ないでしょ!」

 ミミはとんでもない事を口走るナンベルに半分驚き、半分怒っている。

「ミミちゃわん?我らは魔人族ですゾ?イグナちゃんは地走り族だけど、魔法の術式が違うだけで実質魔人族みたいに強力なメイジですヨ。【姿隠し】で隠れていれば大丈夫です。先生はイグナちゃんの影を常に視界に入れておきます。【姿隠し】でもなぜか影だけは消せませんから。何かあったら直ぐに転移石で彼女を連れて孤児院に逃げてきますので安心してください」

 ミミはナンベルの悪い癖が出たと思った。物事の一番最後の最後で油断をして勝負には勝つが個人的には負けと断言できる出来事をこれまでに何度か見ている。

 以前にもナンベルが依頼を達成して孤児院に帰ってきたはいいが、暫くすると目が見えないと言って大騒ぎした事があった。

 対峙した敵の中に呪術師がおり、最期の際に解除の難しい呪いをナンベルにかけていたのだ。依頼料の殆どが解呪の儀式の費用に飛んでしまい、肩を落として椅子に座る彼の後姿をミミは馬鹿だなぁと思いながら見ていた。

「先生、ダメ!今回ばかりは絶対ダメ!イグナを連れて行ったらまたどこかでドジを踏んで彼女に大けがをさせてしまうかもしれないじゃない!それに人が沢山死ぬ戦場になんかに連れて行ったら彼女の心が完全に壊れちゃうでしょ!行ったら一生口きかないから!」

 イグナは時折見せる正気の顔でナンベルから飛び降りてミミと向かい合う。

「私は絶対に行く。皆はここで待ってて」

「そういうわけには行きませんよイグナちゃん!どうしても戦場に行きたいのであれば小生を倒してからにしてもらいましょうかネ!キュキュ!」

 大アリクイがやる威嚇のポーズのように両手を広げて立ち塞がるナンベルを見てイグナは口を押えて笑った。

「さっきと言っている事が違う。おかしい。ウフフ。ナンベルのおじちゃん、私の事を守ってね」

「勿論ですとも。でもイグナちゃんの心が壊れないようにいつもの幻術をかけさせてもらいますヨ。それ!【最期の花園】!」

 ズタボロの黒いローブを常に身に纏う怪しいピエロの体から一瞬の黒い光が放たれた。

 この闇の幻術はどんな出来事もポジティブに見させることが出来る。あまり戦闘で活躍する魔法では無く、平時緊張せずに何かをやり遂げたい時や、精神治療、末期の病気で苦しむ患者によく使われるのだ。

 狂気と正気の狭間で不安定だったイグナの顔が少しばかり穏やかになった。

(ヒジリ君が生きているという情報が徐々にイグナちゃんの心を安定させてきているような気がしますネ。小生も妻と娘を失った時に何度この魔法のお世話になった事か。使い過ぎの後遺症でこんなになっちゃいましたけド。キューーーーキュッキュ!)

 心配するミミをナンベルとイグナはハグをして大丈夫だと言って安心させ、ヒジリ達のいる国境の戦場へと向かった。


 魔剣”へし折り”を持ったヘカティニスは戦場を混乱させる暴風のようであった。

 魔法障壁効果のあるミスリルの全身鎧は樹族の魔法や魔力を帯びたメイスを物ともせず、彼らから受けるダメージで怯む事は無い。

 英雄傭兵の持つい平たい金属の塊のような無骨な魔剣は次々と敵を吹き飛ばしていく。

 かすっただけでも高確率で相手を骨折させる”へし折り”は戦場の彼方此方に痛みに呻く傭兵の山を作っていった。

 若い騎士ばかりで構成された紫陽花騎士団はその名の通り、春の新芽程初々しくも無く、夏の日差しに顔を向ける向日葵(ひまわり)の様な鮮やかさも無い、梅雨入りした頃に静かに咲く紫陽花のように微妙な練度の甘やかされた貴族の集まりだ。

 新米より少し毛の生えた程度の貴族たちの罵声や挑発には勢いこそあれど、戦場で無双する闇側の英雄に近寄れないでいた。

 先に向かわせた手練れの傭兵達が尽く地面に倒れ痛みに悶絶する姿を見て足が動かなくなっていたのだ。

 広範囲に魔剣を振るって複数の敵を薙ぎ払う派手なヘカティニスと違い、砦のオーガ達はパンチやキックで一対一の戦いを得意とする。娘を守れと鼻息荒く指示を出したゴールキ将軍だが実際は娘に守られていると感じて悔し紛れに大口を叩く。

「大将や指揮官との一対一での戦いこそ我が力は光る」

 実際その通りだ。砦のオーガ達と対峙した傭兵たちは一撃で弾け飛び無残な肉塊と化していた。

 元はヒジリを倒したエリムス・ジブリットが率いる紫陽花騎士団であったが、エリムスはジブリット家から絶縁されていて今や平民だ。

 自動的に団長に昇格した副団長はミスリルヘルムの下で狼狽しながら呟く。

「オーガとはここまで強い種族であったか?ゴブリンやオーク同様、容易に魔法に屈する存在であったはずであろう。たった十一匹のオーガにここまで蹂躙されるなぞ屈辱なり!」

 震えは団長の全身鎧をカタカタと鳴らし頬は恐怖する涙で濡れていた。

 背中に生暖かい水の感触を感じた馬が不快だと言わんばかりに首を振って鼻を鳴らす。

 その団長の肩にそっと手を置いて慰める貴族がいた。

「よく頑張った、紫陽花の。あ奴らはただのオーガでは無い。若い貴殿は見た事が無いかもしれんが、派手に暴れまわっているのは雪原砦のゴールキ将軍とその娘だ。敵わなくて当然じゃ。まさかゴールキまでゴデに来ておったとはな・・・」

「ムダン侯爵!ではあのグレートソードを持ったオーガが・・・」

「そう、死の竜巻ヘカティニスじゃ。紫陽花騎士団を下がらせろ。ゴールキ将軍め、四十年前の雪原での戦いの恨みここで晴らしてやるぞ!」

 隻眼のムダンはリューロックにも劣らない隆々とした筋肉にフン!と力を入れ周りに見せつけた。

 飾り気のない軍服に似た魔法の服が限界まで膨れ上がる。そして馬の横腹を蹴って駆けさせ鎖の付いた鉄球を振り回し、ゴールキに一気に近づく。

「やぁやぁ我こそは隻眼のムダン!名を世に轟かせたいと思わん者はこのワシに一騎打ちを挑まれい!」

 オーガ達は戦わずに引いていく腰抜け騎士団を深追いせずにボーっと眺めていた。戦意を失った者を倒しても名誉にはならないからだ。

 代わりに突如一騎打ちを申し込む鎖鉄球を持った樹族を興味深げに見つめ、オホォ!と声を上げた。

 鼻息荒く挑もうとする仲間をスカーは後ろから引き留める。

「やめておけ、好奇心は猫をも殺す!(ドヤァ!)あれは光の七武将が一人、隻眼のムダンだ」

 砦の戦士の若手であるザックがまだ幼さの残る顔の眉根を寄せた。

「猫が・・なんだって?スカー。あの筋肉達磨は七武将のムダンか・・・聞いた事がある。昔、雪原近くまで光側の軍が侵攻した時に迎え出た将軍と一騎打ちし、一昼夜戦ったという武闘派貴族、隻眼のムダン・・・あれがそうだと言うのか!」

「解説役助かるわ」

 スカーの皮肉を無視していま一度隻眼のムダンを観察した。

 体こそ小さいが鍛え上げられた腕は丸太のようだ。鉄球からは鋭い魔力の棘が出ており、打撃と刺突の効果があると解る。あれを食らえばオーガといえどただでは済まない。

 ムダンは明らかに目の前のゴールキに一騎打ちを誘っているが、敢えて無視して誰か勝負をしないかと挑発しているのである。

「おでが戦ってもいいか?父ちゃん」

 震える太い腕がスッとヘカティニスの前に出て彼女を止める。

 ゴールキの目は喜びでキラキラと輝いており若かりし頃の戦いを思い出し武者震いをしていた。

「久しぶりだな、ムダン!」

「おや?そこにいるのはゴールキか!年老いてお前だと気づかんかったわ!ガッハッハ!」

「白々しいわい!お前こそ!ノミの様に小さくて誰だか解らんかったぞ!ガッハッハ!」

 似たような豪快な笑いが戦場に響き渡る。笑い合った後一拍の間があり、お互い真剣な顔になった。ムダンは馬で、ゴールキは自分の足で走って間合いを詰める。

「いざ参らん!貴族の名誉を賭けて!」

「来い!お前を樹族の神の元では無く、我らが星のオーガの園に送ってやるわい!」

 振り回した鉄球は確実にゴールキを狙う。

 ゴールキは笑いながら無駄のない動きで回避し、すれ違いざまに馬の横面に軽いパンチを入れた。

 馬はブヒィと驚いて転ぶとムダンは重そうな体に似合わず跳躍して空中で回転すると、ストッと地面に立った。

 かっこよく着地したムダンにゴールキは言う。

「お前の攻撃は正確過ぎて避けるのは容易い。此方が予想した場所に必ず打ち込んでくる。昔から変わらんな」

「その割に、貴様は攻めあぐねておったではないか。ワシの攻撃は回避は容易くとも反撃は難しい。そうであろう?ゴールキ」

「まぁ、昔はな。それも今日までの話よ。今日、お前はここで負けて地面を舐める羽目になるからな。沈め!肉達磨!」

「お前が言うのか、それを!この筋肉マスク野郎が!」

 ゴールキは接近戦を挑もうと鉄球の間合いに入る。

 当然の如く鉄球が将軍に飛んでくる。

 それを避けて伸びきった鎖を掴み、ムダンを引き寄せた。

 クン!とつんのめって倒れそうになるもムダンは踏みとどまり、鎖を持ったまま【電撃の手】を唱えた。

 バチバチと音を立てて電撃はゴールキ将軍の持つ鎖から体に流れ込もうとするが、その前に将軍は手を離す。

 ムダンはしめたとばかりに鎖を引っ張り背後からオーガに鉄球を浴びせようとした。

 ゴールキは英語のrのようなポーズで背後から迫り来る攻撃を回避すると、鉄球は腕と胴体の間をすり抜けていく。

「中々やるな。爺の癖に!」

 ゴールキはガハハと笑って持ち主の元に戻りゆく鉄球と同じ速さで間合いを詰めていた。

「お前たちの寿命で言えばワシはまだまだ中年期の真ん中よ。お前こそ爺であろう」
 
 手繰り寄せた鎖でオーガのパンチを防ぐと後方にジャンプして衝撃を逃がした。

 二人とも次の一手をどうするか考えて睨み合っていると上空を飛ぶ何者かの影が気を散らした。

 それは二人の戦いを一瞥して通り過ぎたように見えたが旋回して高度を下げ、二人をまとめて食わんとばかりに大きな口を開けてズサーッ!と着地して間に割り込んでくる。

 口を開けたままのそれは、切れ長の狡賢そうな目を細めて念話で話しかけてくる。

「こんにちは諸君。この辺を縄張りにしていたあの大人しい引きこもりは、もう何か月も姿が見えない。だからここを僕の縄張りとさせてもらうよ。異論はないよね?答えは聞いていない」



 タスネとシルビィは天幕でシオ男爵は男か女かで言い争っていた。

 シルビィは自分のこけた頬と荒れた肌を触りながら、嫉妬丸出しの声で言う。

「あのきめ細やかなムッチムチモッチモチの吸い付くような肌。腰の括れ、小さいが膨らんだ胸。絶対女であると言える。顔なんて女そのものじゃないか。無駄に私より美人なのが腹立たしい」

「で、でも・・・シオ男爵の股間にこんもりがあったんでしょ?だったら男だよ、騎士様。顔も間近で見れば髭とか生えてるはず!」

「いーや!無かったね。こないだシオ殿の顔面を、両手で固定してまじまじと見つめたが髭なんて無かったし。寧ろ妖艶な唇が目についたぞ。あの唇は温泉でヒジリ殿の何かに吸い付いたかもしれない!」

「もう、騎士様ったらいやらしい!」

 二人きりなのでタスネはシルビィの肩をパシっと叩いて困り顔で笑っている。

「話に忙しい所申し訳ない、シルビィ様」

 何を言っても皮肉の音色が纏わりつく低い声が天幕の入り口から聞こえて来た。

「なんだジュウゾ。盗み聞きとは性質の悪い・・・。お前が直接来ると言う事は戦場で何かあったか?」

「如何にも。戦場に黒竜が現れました。ムダン様の部隊と雪原砦のオーガ達が交戦中です。それからゴブリン谷から英雄子爵のオーガによく似た個体が【高速移動】で接近中との事」

 シルビィとタスネはヒジリに似たオーガの話より黒竜が現れた事に驚いている。

「黒竜だと?遥か北方の山奥で暮らし、我らには興味を持とうともしなかったのに。ヒジリ殿に似たオーガはいつもの如く偽者だろう。捨ておけ。我が部隊もそちらに向かわせる。裏側も前線の支援と遠距離からの攻撃に専念してくれ」

「ハッ!」

 ジュウゾが音もなく立ち去ると、シルビィはさてとと言った感じで子爵にも支持をだす。

「タスネ殿もアラクネのレディを連れて一緒に来てくれ。黒竜の吐く火炎の届かない位置でアラクネを操るのだぞ?そうだな・・・砦の見張り場所にでもいてくれればいい。危なくなった逃げる事を優先するように。タスネ殿自体はあまり戦闘向きじゃないのでな」

 シルビィはよろよろと魔法の車椅子から立ち上がると歩き、天幕の入り口を斜めに捲って午後の日差しに隈のある目を細めた。

(黒竜か・・・。恐らくこの戦いが私の最期であろう。なぁに、もうすぐ愛しい人の元に行けるのだ・・・。喜ばしい事じゃないか。ハハハ!)

 シルビィが天幕から出ていくと静けさが辺りを覆う。

 ヒジリが死んでから初の戦にタスネはこみ上げる吐き気と不安で押し黙った。そして死刑宣告をされた囚人の様にトボトボと歩き、天幕の外に出た。

(貴族ってのは体を張って領民を守るのも仕事の内なんだもの。良い生活が出来て楽しい事ばかりじゃない。これが貴族になったアタシの背負う義務なんだ。頑張らないと・・・)

 恐怖心に抗うため、意識を無にしてぼんやりと歩くタスネと、死を覚悟して前を歩くシルビィは砦の方から聞こえてくるはずの悲鳴や怒号が無い事を奇妙に思い、門に向かって走り出した。

 二人が見た戦場の草原にはヒジリによく似たオーガが、怪我を負って動けなくなったヘカティニスを庇うように黒竜の前に立ちはだかっていた。
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