婚約破棄されまして(笑)

竹本 芳生

文字の大きさ
上 下
263 / 1,449
連載

年越し準備! 7

しおりを挟む
 月島はたどたどしい指使いでシャツのボタンを外していたが、俺の視線に気付いて手を止めた。

「そう熱烈に見つめられると、些か居心地が悪いのだが」
「いや、別に……」

 指摘を受けて目を反らしたが、どうにも気になって仕方がない。完全にスイッチが入ってしまっている。
 そんな俺の様子に気が付いたのか、月島も熱を孕んだ瞳で俺の顔を覗き込んできた。

「実は私も、満足出来ていないのだ」
「月島……」

 掠れた声で熱っぽく名を呼べば、向こうも完全にその気になったようだ。洗ったばかりのシャツを放り出した月島に腰を抱かれ、至近距離で見つめ合う。
 そっと月島の頬に手を伸ばせば、捉えられて手首にキスを落とされた。

「篠崎く……」

 その時。
 何だか盛り上がりを見せた空気を霧散させるように、ぐうと小さな音が鳴った。


「…………月島ぁ」


 思わず気が抜けて崩れ落ちそうになる。批難の色が多分に交じった声を上げれば、月島は慌てて腹部を押さえた。

「し、仕方ないだろう。昼から何も食べていないのだ」

 別に俺もムードがどうとか細かいことを気にするタイプではないのだが、流石に今のはひどかった。なまじ顔がいい分、がっかりさもひとしおである。
 気まずそうに言い訳を並べる月島の姿に、ついつい笑いが込み上げてくる。

「ふ、はは」
「笑ってくれるな、生理現象だろう」
「はいはい、そうだな。仕方ないな」
「心がこもっていない」

 むくれている月島というのも新鮮だ。何だかとても愉快な気分だった。
 今なら、ほんの気まぐれを起こして助けてやるのもやぶさかではない。

「しょうがないな、晩飯食って行けよ。多めに作ったからさ」
「いいのか?」

 月島の目が吸い寄せられるように食卓へ向かう。相当腹を空かせていたようで、心なしか目が輝いている。
 完璧人間も所詮は人間。空腹には勝てないらしい。

 まだまだ込み上げてくる笑いを抑えながら、月島の食事を用意していく。俺の真向かいに座るよう促せば、シャツのボタンを閉め直した月島が大人しく席へと収まった。
 あの月島が、俺の家で食卓についているとは、まあ随分と異質な光景である。
 俺が食事を再開したのを見て、月島も「いただきます」と手を合わせてから箸を取った。

「まさか君の手料理を食べる日が来るとは」
「俺も、まさかお前に手料理を振る舞う日が来るとは思ってなかったよ。いいからさっさと食え」

 少しぬるくなった味噌汁を飲みながら月島の様子を伺う。
 月島は一口味噌汁を啜ったのち、サバのみりん焼きに手を付けて驚いた声を上げた。

「美味しいな」
「そりゃどーも」

 その後もお浸しやポテトサラダに手を伸ばしては、逐一感動した声を上げる。随分と幸せそうに食べてくれるものだ。よっぽど手料理に飢えていたのだろうか。
 何にせよ、自分が作った料理を美味そうに食べてくれている姿は、見ていて悪い気はしなかった。

「お前、いつも飯とかどうしてるんだ」
「基本的に外食か、買ってきたもので済ましている。料理は……どうにもな」
「ふぅん。お前にも苦手なことがあったんだな」

 何でもスマートにこなす完璧超人かと思っていたが、月島も人の子だったようだ。

「……塩を少々とか、適量とか言われても分らないのだ。仮にもレシピ本を謳うのなら、何グラムで何分何秒加熱するのか明記してほしいものだね」
「あー、なるほどなぁ」

 たかが夕飯作りで計量器を持ち出して、グラム単位で材料を量る月島の姿が容易に想像出来てしまった。
 おそらく感覚的なことには弱いのだろう。その四角四面さは月島らしいと感じた。

 
「ごちそうさまでした」
「はいはい、おそまつさまでした」

 食事を食べ終えた月島が、手を合わせて一礼する。
 そのまま食器を片付けようとするのを制止して、洗面所へと押し込んだ。

「皿は洗っておくから、お前はシャワー浴びて来いよ。俺はもう入ったから」
「何から何まですまないな、失礼する」
「あと服は洗濯機に入れておけ、夜の間に洗濯しておくから。どうせ裸で寝るだろ?」
「私が言えたことでもないが、ムードも何もあったものではないな……」

 月島は複雑そうな顔をしながらも、言ったとおりに服を洗濯機へ放り込んでいく。
 程なくして聞こえてきた水音を背に受けながら、俺は片づけを再開した。
 食器を洗い終わり、手持ち無沙汰にテレビを見始めたところで月島が戻ってくる。思えば風呂上がりの姿を見るのはこれが初めてだ。

 まだ髪を乾かしている途中らしく、タオルで乱雑に髪をかき回しては、時折鬱陶しげに前髪をかき上げている。様になっている動きに見惚れてしまった自分が悔しい。
 普段は長めの前髪を横に流して整えているが、今はまばらに落ちた髪が顔に影を作っていた。前髪の間から覗く瞳を見ていると、らしくもなく心臓が跳ねる。

 「……おや、君はこういうラフな髪型の方が好みかね?」

 月島が手を止めてこちらへ歩み寄ってくる。その言葉に否定も肯定も返さないまま、俺は月島を寝室へと引っ張り込んだ。
 今日も、長い夜になりそうな気がした。

 ◆

「なあ、最初の話を覚えているか」

 遅い朝食を取りながらそう切り出した月島は、心なしか硬い声をしていた。

「最初の話って?」
「サイトで出会ったときに君が言っていた話だ。セフレを募集している、と」
「ああ……確かにそんなことを書き込んでいたな」

 あの出会い系サイトでのやり取りは、半ば黒歴史として封印していたところもあった。
 思い出して頷けば、月島はしばし目を閉じ、再び口を開いた。

「あの話、改めて考えてみる気はないか」
「はい?」
「君と、私で、セックスフレンドにならないかと言っている」
「は?」

 唖然として月島の顔を見つめる。潔癖そうなこの男の口から『セックスフレンド』なんて単語が出てくるとは思わなかった。
 しばし二の句が継げずに固まっていたが、答え自体は一瞬にして固まっていた。


 絶対無理、である。


「——無理。俺とお前で『フレンド』っていう響きが無理、ありえん」
「引っかかるのはそちらなのだな……」
「ほっとけ」

 確かに『セックス』までは良くて『フレンド』が無理というのは珍しいケースだろう。しかし、こればかりは理屈じゃない。過去の確執を思うと、例え便宜上の名称だとしても、月島との関係に『フレンド』なんて表現は用いられなかった。

 何より、コイツと継続的な関係を持つ気はさらさらなかった。
 確かに身体の相性がイイことは認める。少し、もったいないと思う自分がいることも認めよう。それでも、わざわざ進んで嫌いな男と関係を持とうとは思わなかった。

 ここ最近の俺の精神力は、プラマイゼロというかややマイナス気味だ。性欲を満たすだけなら、適当に引っ掛けた男の方がマシである。
 取り付く島もない俺の反応を見た月島は、元々無理を承知だったのか意外にもあっさりと引き下がった。

「分かった、ならば無理にとは言うまい。気が向いたら相手をしてくれると嬉しいね」
「はっ、そんな機会は訪れないだろうな。また誰かさんに酔い潰されでもしない限りは」
「……」

 何を言われようと、月島との関係はこれっきりにするつもりだった。
 今日この部屋から追い出せば、終わり。二度と敷居を跨がせることもないと思っていた。
 俺は不覚にも忘れていたのだ。月島という男の執念深さを。



「——こんばんは。邪魔するよ」 

 俺の決意とは裏腹に、月島は次の日も、その次の日も俺の部屋に足を踏み入れていた。
 その理由は、頻発した忘れ物にある。

「シャツを忘れて、ネクタイを忘れて、時計を忘れて……今日は何を忘れたって言うんだ、おい」
「ああ……忘れ物しておくのを忘れた」

 悪びれもせずそう言われれば、もはや噛み付く気力も残らなかった。コイツは俺が関係を受け入れるまで、いくらでも纏わり付いてくるつもりだろう。

 ……根負けである。

 俺はこれ見よがしに大きな溜息を吐くと、今日も月島を部屋に招き入れた。

「分かったよ。今回は、お前の粘り勝ちということにしておいてやる」
「光栄だね」

 我が意を得たりと言わんばかりの表情を見ていると腹立たしさしか湧かず、今後が思いやられる。
 せめてもの反攻に思いっきり嫌な顔をしてやれば、月島はますます笑みを深めて、慣れた足取りで俺の部屋へと上がり込んで行くのであった。
しおりを挟む
感想 5,634

あなたにおすすめの小説

(完)妹の子供を養女にしたら・・・・・・

青空一夏
恋愛
私はダーシー・オークリー女伯爵。愛する夫との間に子供はいない。なんとかできるように努力はしてきたがどうやら私の身体に原因があるようだった。 「養女を迎えようと思うわ・・・・・・」 私の言葉に夫は私の妹のアイリスのお腹の子どもがいいと言う。私達はその産まれてきた子供を養女に迎えたが・・・・・・ 異世界中世ヨーロッパ風のゆるふわ設定。ざまぁ。魔獣がいる世界。

王侯貴族、結婚相手の条件知ってますか?

時見 靜
恋愛
病弱な妹を虐げる悪女プリシア・セノン・リューゲルト、リューゲルト公爵家の至宝マリーアン・セノン・リューゲルト姉妹の評価は真っ二つに別れていたけど、王太子の婚約者に選ばれたのは姉だった。 どうして悪評に塗れた姉が選ばれたのか、、、 その理由は今夜の夜会にて

《完結》愛する人と結婚するだけが愛じゃない

ぜらいす黒糖
恋愛
オリビアはジェームズとこのまま結婚するだろうと思っていた。 ある日、可愛がっていた後輩のマリアから「先輩と別れて下さい」とオリビアは言われた。 ジェームズに確かめようと部屋に行くと、そこにはジェームズとマリアがベッドで抱き合っていた。 ショックのあまり部屋を飛び出したオリビアだったが、気がつくと走る馬車の前を歩いていた。

悪役令嬢は毒を食べた。

桜夢 柚枝*さくらむ ゆえ
恋愛
婚約者が本当に好きだった 悪役令嬢のその後

巻き戻ったから切れてみた

こもろう
恋愛
昔からの恋人を隠していた婚約者に断罪された私。気がついたら巻き戻っていたからブチ切れた! 軽~く読み飛ばし推奨です。

冤罪から逃れるために全てを捨てた。

四折 柊
恋愛
王太子の婚約者だったオリビアは冤罪をかけられ捕縛されそうになり全てを捨てて家族と逃げた。そして以前留学していた国の恩師を頼り、新しい名前と身分を手に入れ幸せに過ごす。1年が過ぎ今が幸せだからこそ思い出してしまう。捨ててきた国や自分を陥れた人達が今どうしているのかを。(視点が何度も変わります)

白い結婚はそちらが言い出したことですわ

来住野つかさ
恋愛
サリーは怒っていた。今日は幼馴染で喧嘩ばかりのスコットとの結婚式だったが、あろうことかバーティでスコットの友人たちが「白い結婚にするって言ってたよな?」「奥さんのこと色気ないとかさ」と騒ぎながら話している。スコットがその気なら喧嘩買うわよ! 白い結婚上等よ! 許せん! これから舌戦だ!!

精霊の愛し子が濡れ衣を着せられ、婚約破棄された結果

あーもんど
恋愛
「アリス!私は真実の愛に目覚めたんだ!君との婚約を白紙に戻して欲しい!」 ある日の朝、突然家に押し掛けてきた婚約者───ノア・アレクサンダー公爵令息に婚約解消を申し込まれたアリス・ベネット伯爵令嬢。 婚約解消に同意したアリスだったが、ノアに『解消理由をそちらに非があるように偽装して欲しい』と頼まれる。 当然ながら、アリスはそれを拒否。 他に女を作って、婚約解消を申し込まれただけでも屈辱なのに、そのうえ解消理由を偽装するなど有り得ない。 『そこをなんとか······』と食い下がるノアをアリスは叱咤し、屋敷から追い出した。 その数日後、アカデミーの卒業パーティーへ出席したアリスはノアと再会する。 彼の隣には想い人と思われる女性の姿が·····。 『まだ正式に婚約解消した訳でもないのに、他の女とパーティーに出席するだなんて·····』と呆れ返るアリスに、ノアは大声で叫んだ。 「アリス・ベネット伯爵令嬢!君との婚約を破棄させてもらう!婚約者が居ながら、他の男と寝た君とは結婚出来ない!」 濡れ衣を着せられたアリスはノアを冷めた目で見つめる。 ······もう我慢の限界です。この男にはほとほと愛想が尽きました。 復讐を誓ったアリスは────精霊王の名を呼んだ。 ※本作を読んでご気分を害される可能性がありますので、閲覧注意です(詳しくは感想欄の方をご参照してください) ※息抜き作品です。クオリティはそこまで高くありません。 ※本作のざまぁは物理です。社会的制裁などは特にありません。 ※hotランキング一位ありがとうございます(2020/12/01)

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。