上 下
1 / 4
プロローグ:始まりの鐘の音

曇り空と憂鬱

しおりを挟む

 時が止まればいいと思っていた。
 今が永遠に続けばいいと願っていた。
 この一瞬を永遠に引き延ばして、その日常の中で暮らしていたいと希っていた。


 時計の秒針が、重々しい静寂を際立たせるようにコチコチとなっている。月の光がほのかに暖炉の輪郭を映し出し、まるで死の世界に迷い込んだかのような妖しさを映しだす。
 冷めきった暖炉の前に移ると、静かにその傍に置いてあった椅子へと座る。月明かりに照らされた彼女の顔は、どこか妖艶で、死を彩っているかのような美しさがあった。

 彼女は、少し寂しげな顔をしながら静かに窓を眺める。

「あの日も、こんな夜だったかな」

 夜の水面を揺らすように、静かに音が伝播する。
 
 部屋の中央に置かれた、一人で使うには少し大きい机を見ながら彼のことを思う。
 あの夜と少し違うのは、夜を暖かく包むランプの光がないことくらいだ。








 永遠とも思えるほど長い、幾星霜を経て私は彼と出会った。彼と出会うまでは、ただ永遠とも呼べるほど長い寿命がただ終わるのを待つだけだった。しかし、そんな空に立ち込める分厚い雲のように閉ざした私の心は、たった一つの出会いが全てを変えた。

 彼と出会った日は、暗鬱とした雲が重苦しく広がる日のことだった。向かい風が、私が森に入るのを拒んでいるようだ。森が会話しているかのようにザワザワと騒ぎ出す。
 
「今日はちょっと風が強いかしら」

 せっかくの曇り空だというのに、どうやらこの森は少しの散歩も許してくれないようだ。今日は風が強いから明日は晴れかもしれない。そうなると今度曇り空になるのはいつか分からないのだ。そう考えると、自然と私の足は早くなる。
 今日はイーシャの花とパモモの実を実をとってこないといけないのだ。そしたら、この前作った鎮静薬と混ぜ合わせて、三日ほど煮込まないといけなくて……

「いてっ」

 私の意識は、そんな声と共に現実に返された。考え事をしていたからだろうか、もしくは木々の話し声がうるさかったからだろうか、ちょっとだけ油断していたのかもしれない。普段ならそうなる前にこの場から静かに去っていたはずなのに、その小さな生き物が私の近くに来るまで気づくことができなかった。

 目の前に男の子が降ってきた。
 いや、多分それはちょっとだけ違うのだろう。突然草むらから飛び出してきたかと思うと、そのまま私の目の前に倒れてきたのだ。

「だ、大丈夫?」

 私が彼に手を伸ばして、ゆっくりと体を起こさせる。

 彼はものすごくような顔をして、まんまるとその大きな目を見開いた。
 幼い茶色色の瞳が、私の顔を反射した。無邪気な顔をした彼が、私の心を少しざわめかせる。そんな気持ちを無視して、私は脳面のような顔をするように努める。私は、話し方を思い出すように彼の目を見ながらゆっくりと話し始める。

「あなたはここに何をしにきたの?」
「森を探検しようと思って!」

 元気よく答えた彼は、んっ、と手に持っていたものを私の方へと突き出した。その手には子ども用の小さなナイフと、小さなポーチが握られている。
 小さなポーチは誕生日にもらったのだろうか、花の刺繍が施されている。よく手入れされた、シワのない緑色のシャツを着た彼は、満面の笑みを浮かべて私を見上げていた。

「ここには近づかないように言われなかったの?」
「ううん」
「私のことは知ってる?」
「ううん」
「お姉さんはどうしてここにいるの?」
「私はね――」

 そう言って言葉を切ると、私は辺りを見渡した。

「私は、ここに住んでいるの」
「この森で?」
「そうよ。この森で一人で住んでいるの」
「へえ、それはすごいなあ。けど一人で住んでいて寂しくないの?」
「寂しくないよ。私の館には本がたくさんあるから」
「本ってどんな本が置いてあるの?」
「えっと、それはね――」

 私は彼に、『マンゴラドラの恋愛相談室』という本の話をしようとしたが、その瞬間、突然強い風が吹き始めた。男の子は、突然の風にびっくりしたようでその身をすくっと丸める。
 私は目を細めて周りを見渡した。分厚い曇り空だった空はますます暗くなり、嵐を予感させるように渦を巻いている。木々は激しく揺れ、葉っぱや枝が狂ったように踊りながら飛ばされていた。動物たちは恐怖に震えて隠れ場所を探している。

「これは……、大変だわ。早く帰らなくちゃ」
「え、お姉さんどうしたの?」
「今から嵐が来るわ。この森は危険になるから、あなたも早く家に帰りなさい」
「でも……」
「でもじゃないわ。早く行きなさい!」

 私は彼を押しやって、自分の家に向かった。彼は私に一瞬ついてこようとしたが、逃げるように私は振り返らなかった。彼と話している間に、時間が経ってしまったのだ。もうすぐ嵐の夜が来る。そして、夜になると私は――

 私は何も考えないように夢中で走り続けた。館に着くまであともう少しというところで、雨が降り始めた。雷が鳴り響き、稲妻が空を切り裂く。風が吹きすさぶ中、窓ガラスを叩くような激しい雨が降る。ドアを閉めると鍵をかけた。途端に私は糸が切れた人形のように、その場に崩れ落ちる。
 私は自分の部屋に向かった。そして、早く夜が終われと祈りながら毛布をかぶって縮こまる。しかしながら、嵐の夜はますますとその激しさを増していく。

 私はそのまま目を閉じてしまおうとした。

 しかし、その瞬間、ドアの外から激しくドアを叩く音が聞こえた。
 明らかに雨風がドアを叩く音とは異なる。もっと荒々しい音。そして、微かに聞こえる高い声。

「お姉さん!お姉さん!開けて!」

 それは男の子の声だった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【R18】義理の妹と甘い夜

ねんごろ
恋愛
俺には義理の妹がいる。 そんな彼女と過ごす夜の一幕。 どうぞご覧ください。

大魔法使いは摩天楼で禁呪を詠唱する

石崎楢
ファンタジー
異世界イルジアンを支配する大魔王ギルヴェル。孤独な若き大魔法使いユウキ・ナザンが大魔王との決戦の中で禁呪を詠唱した時、呪文が暴走し時空が裂けて現世に転移した。転移後の現世で那山優輝として充実の学園生活を満喫していたある日、東京に突然現れたイルジアンの世界樹ヴィーザム。街中に溢れ出るモンスターの群れ、灰色の空に包まれた東京。この世界を侵食していく恐るべき意思に対し優輝は個性豊かな仲間たちと共に立ち向かっていく。

【完結】父が再婚。義母には連れ子がいて一つ下の妹になるそうですが……ちょうだい癖のある義妹に寮生活は無理なのでは?

つくも茄子
ファンタジー
父が再婚をしました。お相手は男爵夫人。 平民の我が家でいいのですか? 疑問に思うものの、よくよく聞けば、相手も再婚で、娘が一人いるとのこと。 義妹はそれは美しい少女でした。義母に似たのでしょう。父も実娘をそっちのけで義妹にメロメロです。ですが、この新しい義妹には悪癖があるようで、人の物を欲しがるのです。「お義姉様、ちょうだい!」が口癖。あまりに煩いので快く渡しています。何故かって?もうすぐ、学園での寮生活に入るからです。少しの間だけ我慢すれば済むこと。 学園では煩い家族がいない分、のびのびと過ごせていたのですが、義妹が入学してきました。 必ずしも入学しなければならない、というわけではありません。 勉強嫌いの義妹。 この学園は成績順だということを知らないのでは?思った通り、最下位クラスにいってしまった義妹。 両親に駄々をこねているようです。 私のところにも手紙を送ってくるのですから、相当です。 しかも、寮やクラスで揉め事を起こしては顰蹙を買っています。入学早々に学園中の女子を敵にまわしたのです!やりたい放題の義妹に、とうとう、ある処置を施され・・・。 なろう、カクヨム、にも公開中。

乙女ゲームのヒロインなんてやりませんよ?

メカ喜楽直人
ファンタジー
 一年前の春、高校の入学式が終わり、期待に胸を膨らませ教室に移動していたはずだった。皆と一緒に廊下を曲がったところで景色が一変したのだ。  真新しい制服に上履き。そしてポケットに入っていたハンカチとチリ紙。  それだけを持って、私、友木りんは月が二つある世界、このラノーラ王国にやってきてしまったのだった。

異世界楽々通販サバイバル

shinko
ファンタジー
最近ハマりだしたソロキャンプ。 近くの山にあるキャンプ場で泊っていたはずの伊田和司 51歳はテントから出た瞬間にとてつもない違和感を感じた。 そう、見上げた空には大きく輝く2つの月。 そして山に居たはずの自分の前に広がっているのはなぜか海。 しばらくボーゼンとしていた和司だったが、軽くストレッチした後にこうつぶやいた。 「ついに俺の番が来たか、ステータスオープン!」

学園長からのお話です

ラララキヲ
ファンタジー
 学園長の声が学園に響く。 『昨日、平民の女生徒の食べていたお菓子を高位貴族の令息5人が取り囲んで奪うという事がありました』  昨日ピンク髪の女生徒からクッキーを貰った自覚のある王太子とその側近4人は項垂れながらその声を聴いていた。  学園長の話はまだまだ続く…… ◇テンプレ乙女ゲームになりそうな登場人物(しかし出てこない) ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇なろうにも上げています。

処理中です...