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太陽に手を伸ばす教皇
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しおりを挟む「――そこまでが、私のみたものです」
ところ変わって王宮の執務室。小鳥の視点から見聞きしたことを伝え終えた私は、教皇と皇弟たちの会話の恐ろしさに身震いしつつも、ひとまず役目を果たせたことに安堵した。
静かに耳を傾けていた陛下が、重厚感のある艶やかな机の上で手を組んで呟いた。
「そう……。決行は式典の日、手段は毒か」
動物と感覚を共有することに慣れ、徐々にその時間が延ばせるようになった私は、国王からの指示で、皇弟殿下の滞在先付近に鳥やネズミを遣わせて、時折視点をつなげていたのだ。
そこから得た情報と、王国の諜報部からの情報を照らし合わせて、先ほどの会合の存在に気付き、すぐにでも内容を伝えられるようにと、公爵とともに王宮に招かれていた。案内された執務室は以前、私が意図せずに入り込んでしまった部屋だった。
部屋には陛下と私のほかに公爵と兄のアーサーがいた。陛下の前に椅子を並べて腰掛けた彼らはなにやら考え込んでいる。私も釈然としない気分だった。
――『二人も行方をくらませば、すぐに気づかれる』
神官はそう言っていた。つまり標的は皇太子のほかに、もう一人いるはずだ。一体、誰を攫うつもりなんだろう。それに例の毒とは何を指すのか……。盗み聞きには成功したものの、不可解な点が残った。
皇弟殿下のいう『計画』の全容が、あの後話されていたかもしれないと思うと悔やまれた。長く能力を使っていて疲れを感じていたところへ、殿下が近づいて来たことに動揺して、気持ちが乱されてしまった。
「申し訳ありません、私がもっとつないでいられれば……」
「いや、殺害の手段と決行日が分かっただけでも助かったよ。発動したままでいるのはきつかったろう。ご苦労だった。リンジー」
休んでいいと陛下に労われ、不敬だとは思いながらも姿勢を崩して、長椅子の背もたれにぐったりと身を預けた。倒れることも考慮して、私は、人一人が十分に寝そべることのできる大きさの長椅子に一人で腰掛けていた。馬車に酔った時のような吐き気と、体に力が入らない感じがした。
頬杖をついていた陛下が不意に壁の方を向いて声を張り上げた。
「それで、信じてもらえたかな。アレキサンダー殿下」
誰にともなく話し出したことを疑問に思っていると、陛下が視線を向けた先の壁が回転するように開いた。
「えぇ、リンジーの力は間近で見ています。――信じたくはありませんが、ね」
ばたん、と閉じた隠し扉の前に立っているのはアレキサンダー皇太子だった。白いシャツにベージュのトラウザーズとやや軽装の殿下は、目を丸くしている私を見てにこりと口角を上げた。
公爵と兄は平然としているから、もしかしたら彼が来ることを知っていたのかもしれない。そう思っていると、兄のアーサーがさっと立ち上がってもう一脚、椅子を用意した。
「お忍びでお呼び立てしたのさ。僕と繋がっていると知れたら面倒だからね」
陛下の説明に納得すると同時に、先ほどの報告を思い返してはっとした。私は彼の家族による暗殺計画を一言一句、そのまま伝えてしまった。
もちろん普通の家族とは違うだろうが、ナイジェル様は殿下の叔父様なわけで、その叔父が自分のことを殺そうとしているなんて、酷なことだろう。心中穏やかではないはずだ。
「しかし正当性を訴えたのが気になるな……。ナイジェル様の実母は元々公妾だろう?」
罪の意識を感じていた私は、陛下の言葉で現実に引き戻された。どうやら最後の方の皇弟の言葉が引っ掛かっているようだ。
陛下の疑問に一同が同意した。皇帝陛下の実母は皇帝を生んだ後すぐ亡くなり、その後、貴族女性が後妻として皇室に入ったはずだ。ナイジェル様はその後妻の御子だったようだ。
公妾だったとは知らなかったが、確かにそれはあまり外聞がよくない。身分としては初めから妃として迎えられた皇帝陛下の母上の方が身分は高いだろう。そうすると、確かに正当性を主張するのは腑に落ちない感じがした。
一同が考え込む中、一呼吸おいて皇太子が重い口を開いた。
「実は……伝え聞いた話ですが、私の祖母……前王妃には噂があったと聞いたことがあります。当時の宰相とただならぬ仲にあった、という」
「そんな……」
噂の内容は王妃が同郷の家臣と関係を持ち、子どもを産んだというものだった。皇帝夫妻に長らく子どもが出来なかったところへ、宰相に昇進してから妊娠が分かったことなどがあいまって噂になったらしい。
しかし、宰相は皇族の遠縁にあたるので身体的な特徴からは判断できず、生まれて来た子どもが皇太子としての資質を充分に満たしていたこともあって、結局ばかげた噂話として忘れ去られていったそうだ。
「――そういう訳で事実無根だと言われているし、私も信じていなかったが……叔父上はそうではなかったらしい」
始終を語り終えた皇太子はどこか寂しげだった。
それを聞いた陛下がぽんと膝を打った。
「なるほど、それなら納得だ。彼が能力を持っていると見て間違いないだろう」
合理的かつ無慈悲に言い放った国王陛下は、皇太子に『三人のはたらきもの』の能力について、簡潔に説明する。
もし陛下の推測が正しければ――往々にしてこの御方は正しいのだが――、皇弟殿下は『三人のはたらきもの』でいう長男の能力を持っていることになる。仔細は分からないが、普通の人間を相手にした方法で命が奪えるのだろうか。なんとなくその場に重い雰囲気が漂った。
「あの……今日の空き家での話を、表沙汰にするわけにはいかないんでしょうか」
ふと、ある考えが浮かんだ私は、ためらいながら話し出した。
彼らが企んでいるのは皇族の暗殺に国家転覆を図るという大罪だ。公の場に皇弟と教皇を引きずり出して、国王の能力で自白に導いてしまえば、大騒動にはなるが、裁きは下せるはずだ。そうすれば誰の血も流れないでことがおさまる。事なかれ主義の私には最善の策に思えた。
陛下は一瞬固まった後で、急に茶目っけを出しながら話し出した。
「怖気づいた? 残念だけど証言として成立しないよ」
「それはその……陛下の、お力でなんとか……」
この場に兄と皇太子が同席していることを思い出して、私は婉曲的な表現をしながら口籠ってしまった。
「無理だね。あの狸爺、口のうまさで教皇まで上り詰めた男だよ。怪しげな能力を使った時点で、それを逆手にとって世論を煽るだろうね」
ばっさりと言われて、私は肩を落とした。やはりそう簡単にはいかないらしい。
「殺すか殺されるかって話をしてるっていうのに、君は本当にのほほんとしてるね~」
「それは、失礼いたしました……」
何がおかしいのか笑顔でいう陛下に、私は決まりが悪くて思わず縮こまる。
「褒めているんだよ。道徳にかなった立派な考えだ」
「陛下、もういいでしょう」
にやにやと追い討ちをかける陛下を諫めるように、ため息をしながら公爵が口を挟んだ。
「おぉ怖い。婚約者のいちゃいちゃに巻き込まないでおくれ」
「そんなことより陛下、いかがなさるおつもりですか」
揶揄うような言葉に私はかっと頬が赤くなった。隣に座っていた公爵が反論しようと口を開くより早く、少し剣のある言葉で話題を変えたのはアーサーお兄様だった。
「なんだ、オリバー。まだダールトンを敵に回しているのか。まぁいい。とりあえず今日はここまでかな。みんな茶でも飲んでいってくれ」
そう言うと陛下は猫のように伸びをして、兄に目配せした。
少しすると、執務室を出た兄に呼ばれて、わらわらと侍従がやってきた。彼らは無駄な物音ひとつ立てず、みるみるうちにお茶の支度が整えられていく。公爵は陛下に呼び寄せられると、席を立ちそばまで行って、顔を突き合わせるようにして何やら話し合っている。
喉は乾いていたが立ち上がるのが億劫だった。目を閉じて体を休ませていると、綿のぎっしり詰まった座面が沈んだ。見ると、いつの間にかグラスを手にした皇太子が隣に腰掛けていて、心配そうにこちらを見ていた。
「顔色が良くないね。飲める?」
差し出されたのは冷たい紅茶のようだ。きんと冷えたグラスをありがたく受け取った。
「あ、ありがとうございます」
「いいからそのままで。それに、今は敬語なんて使わないでよ」
体を起こそうとすると静止された。グラスを傾け、おいしいねと微笑む彼は、どうやらそのまま座り続けるようだ。
黙って並んだままのどを潤す。彼と顔を合わせるのはあの襲撃事件ぶりだ。無事に回復されたとは聞いていたが、本当に大丈夫なんだろうか。それに先ほどの会合の内容もきっと辛いはずだ。
「……アレックスはその、大丈夫?」
「僕? もうすっかり元気さ。君こそ、痛かったろう?」
あいまいな言葉は身体のことだと受け取られた。
痛ましげに肩口を見る彼に慌てて、もう平気だと伝えた。
「ありがとう助けてくれて。かっこよかったよ」
もう少年のころの面影はほとんどなくなっているのに、眩しそうに言う彼が、なぜだか子どもの頃に私の後を嬉しそうについてきた彼に重なった。
褒められた気分でへらへらと笑っていた私は、狩猟の時には反動で鼻血を出してしまったことを思い出した。一応貴族女性としてはあんまり覚えていてほしくない場面だ。
「その……忘れてちょうだい」
「忘れられないよ、君はとっても勇敢だった。十一年前と同じようにね」
じっと見つめる空色の瞳になんだか熱がこもっている気がして、身じろぎすると、皇太子はふっと微笑んだ。
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