ひるまのつき

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海に行きたい。
彼女がそう言ったのは、海水浴にはまだ早い6月のある日だった。

「海って、早すぎるだろう?」

だいたい彼女は、カナヅ…。
訊いてみると、泳ぎたいのではなく、いつか子供の頃に両親に連れられて行った海岸で貝殻や石、ガラス片なんかを拾って遊んだことを思い出してもう一度やってみたくなったということらしい。

「しかし、歩けないのにどうやんだ?車椅子、砂にめり込んぢまうぜ。」

小さい頃はまっ黒になるまで外を駆け回って遊んだ彼女も、今は首をめぐらすことさえ困難な難病患者。外出だってままならない。

「だってぇ」

それきり、しょげてしまった彼女は口数も少なくなり、どこかを見つめるともなく見ながらため息をつくようになった。
彼女がそんな様子では、俺もおもしろくないから、買い出しついでに雑貨屋で見かけた袋詰めの貝殻を買って帰った。
ところが、

「ひとりであのショップに行ったの? ずるい!」

喜ばせようとしたのがあだになり、怒らせてしまった。
そういえば、あの店は彼女がまだ歩けた頃によく一緒に行ったっけ。
病気で身体のバランスがとれなくなり、小さな商品が所狭しと並んでる店に迷惑をかけるからと行くのを諦めたのだった。

「もう、しらない!」

彼女は一度ねると手のほどこしようがないから、しばらくそのことには触れないことにした。

数日後、彼女は俺が買った貝殻をテーブルに広げ、病気のせいで曲がったままのまっすぐに伸びなくなった指先でつつきながらこう言った。

「あたしが拾った貝殻やガラスや石は、邪魔になるからって捨てられちゃうのに、どこの誰かわからない人が拾った貝殻はこうやって加工までされて商品になるんだね、へんなの。そいで、どこかのお人好しさんが買っちゃうんだ。」

それを経済行為と言って、それで世の中が成り立ってんだろと言いたいのをぐっと飲み込んで

「捨てられちゃったのか?」と訊いてみる。

「うん。お母さんがね…。」

彼女の母親は部屋が散らかることをひどく嫌う人で、拾って持ち帰った物に理解がなかった。
その人はもう亡くなって、いないのだが。
彼女はいろいろ思い出したのか、黙り込んでしまった。

「たくさんあったのか?」

「ううん。だって、ほら…。」

拾って帰っても、その都度、捨てられちゃうから。

「でも、きれいだったんだよ! ころころの丸いのとかヘンテコな模様のとか、きれいな色の貝殻もあったし、磨いたみたいに角がないガラスのかけらも。小さいけど枝珊瑚もあったもん。何か作りたかったな。アクセサリーかオブジェ。」

「そっか。」

ハンドメイド好きな彼女の悔しい気持ちは分かるけど、簡単に、じゃあ行こう!とは言えないわけで。
俺は頭と心がグルグルした。
それでもなんとかしてやりたくて、翌日、彼女のケアマネージャーに相談した。
ケアマネはこっちがびっくりするほど乗り気で、主治医との交渉から車の手配まであっという間にこなしてくれた。
当日、車椅子ごと車に乗せられた彼女は不機嫌だったけど、あれはたぶん照れ隠しだな。
ケアマネに見送られて出発し、1時間ほど走ったころ、

「なんか磯くさい」

と彼女が言う。

「当たり前だろ!海に来たんだからさ。」

慣れない車の運転で気を張っていた俺は、思いがけず大きな声を出してしまって驚いた。

「そうだね」

彼女の返事は小さな声なのにはっきり聞こえた。

浜辺に大きなビーチパラソルを立て、砂の上にレジャーシートを敷いて、彼女を車椅子ごとのせてやる。
彼女は不満そうだが

「砂まみれになりたくないだろ?」

と言ったら、黙って頷いた。

彼女は、しばらく引いては寄せる波を眺めていたが、

「やっぱり海ってでっかいね!」

と言ったあとはずっと黙っていた。

強い陽射しや暑さが負担にならないようにと午後になってからの出発だったから、すぐに夕方となり、あたりはだんだんと紫色に変わっていく。
黄昏時になって、風が冷え始めた頃

「帰ろうよ。」

彼女が言った。




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