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それぞれの大義
船上の密約
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かつて――コクエの国と呼ばれていたココ、ツクモ西部には、旧コクエ領内を縦断する恰好の、"タツヒゲ川"と呼ばれる大河が流れている。
この、タツヒゲ川とは、神川――ミモト川の支流に当たり、丁度、コクエを南北に分かつには適当な位置に流れていたため、南北黒柄は内戦の休戦協定の際、この川を国境線として用いた――故に、南北の対岸には、両陣営の砦が設けられ、常に両軍が睨みを効かせているのである。
その、相容れない理想と主義主張を理由に、対立している南北コクエの最前線――そんな清流に、1艘の小船が夜闇に紛れ、南側へと船首を向けて進んでいる!
本来ならば――南陣営の砦から、矢や界気に因る攻撃の集中砲火を浴び、跡形も無く沈没し、その行為は休戦の破棄と看做され、再びの全面戦争が始まってしまう様な暴挙だ!
だが――その様な動きは無く、川の流れも対岸の動向も、実に静かで穏やかな今は、月が綺麗な夜である。
「――船を、停めてください」
小船の舳先に座り、手を挙げて、船頭にそう言ったのは――四十半ばの、神経質そうな容貌の男――名を、サキチと言う。
サキチは、北コクエにおける外交担当の文官で、この様な最前線には、実に不釣合いな立場に居る公者である。
「この目印を過ぎてしまうと、越境となってしまいますからね。
"秘密交渉"の一環とはいえ、担当文官が、"越境"をしてしまうワケには行きませんから」
サキチは、そんな独り言を呟きながら、流域の間に、等間隔で川底へと差し込まれている、銛状の棒を指差す。
船頭とサキチが、黙ったまま南の対岸を見据えていると――二人が船を停めた場所へと、同じぐらいの小船が向って来る影が見えた。
こちらの小船に乗っているのは、"民衣"を纏った船頭と――同じく民衣を着た、明らかに南コクエの者だと解る風体の、三十路の後半かと思える、眼鏡を掛けた女だった。
女の名は――ユカリ、彼女も"共佑党指導部"……要は、南コクエ政府の対外交渉隊に所属する女性だ。
お互い、両者の姿を凝視しながら、2隻の小船は丁度、国境の目印である銛状の棒を境にし、舳先を交えた恰好で2隻は停まった
「――これはこれは、わざわざのご足労、痛み入ります」
サキチは、舳先で立ち上がり、ユカリへ向けて儀礼的な会釈をする。
「いえ……こちらこそ、急な申し入れに際し、快く応じて頂けて、感謝しております」
ユカリも――儀礼的な会釈で応じ、世辞も交えた言葉を言う。
「確かに、急な方針転換ですな。
以前から、北が申し入れていた、短期間の停戦条項強化の提案を、突然、受け入れたいとは」
サキチは、顎を擦りながら、こうして船を出した理由の本丸を口に出した。
「時勢が――大きく、変わりましたからね。
スヨウでの、件の事変を境に――」
ユカリはそう言って、渋い顔をし、朱陽の国がある南東の空を見やる。
そう――ヤマカキ事変から始まった、ホウリ平原の戦いの内にも、ツクモの情勢は動いていた。
その一つが、サキチの言う、南北コクエ間の停戦強化交渉だった。
これは元々、北コクエ現民守――ヒコザが、1年前の民守選挙の折から、公約に挙げていた政策の一つである。
大手商会の元頭領というキャリアを持つ、ヒコザは――
『――減税のために、国境警備隊の削減を目指す!』
――という、軍事などの安全保障よりも、減税などの景気刺激に因る経済強化を重視した主張で、民守の座を射止めた彼にとって、コレは、肝煎りの政策だった。
一見――この停戦強化は、国土防衛を軽んじた突拍子な政策に思えるかもしれないが、南北の対立は表向きは継続中であっても、休戦から今日までの10年余り、武力衝突はほぼ皆無なので、このヒコザの主張は意外と的を得ていた。
それに――少なからず、一国としての南北統一を望む意見も、北コクエ国民の間では根強く、その辺りの票も狙って、ヒコザはこうした融和政策を振りかざしたのである。
「――そうでしょうな。
スヨウとも、コウオウとも、国境を接する南からすれば、言わば軒先で喧嘩を始められたのと同じですものな」
サキチは、気の毒そうに、哀れみの眼差しも向けて、ユカリに向けてそう言う。
「この急な転換は、他国へ矛先を向けて見せた、スヨウへの牽制として――南西の境を固めようという意図ですかな?」
サキチは、首を傾げ、両手も平に返して、南コクエの意図を探る。
「ええ――共佑党の施政に批判的なスヨウが、翼域の"鍵"を開けようとした事は――安全保障上、国家存亡に関わる危機となりかねませんし、その翼域内に領地を持つコウオウが、自衛を理由に初めて堂々と軍を動かしたコトも、コレも近隣安保において、由々しき事態の一つ……それに加え、そのコウオウが――」
ユカリは、険しい表情で苦悩を匂わし、意味深な部分で言葉を濁す
「――"刀聖"を抱えて、戦に臨んだ……ですな?」
サキチは、人差し指を立てて、ユカリの濁した言葉を邪推して見せる。
「――ご名答。
実戦経験が無い、烏合の衆と目されていた皇軍が、事実上の初陣で旧三大国の一角――しかも、名将として名高いマサノリを相手にしながら、悠に退けて見せた――更に、その片棒を担いだのが、太古からの絵空事にある、刀聖だったとなれば――この戦を機に意気上がり、コウオウが他国に矛を向け始めるのではと、警戒するのも当然の理屈でございましょう?」
ユカリは、こめかみに汗を滲ませ、唇も堅く結んで渋い顔をする。
「――では、コウオウとの境を強化すると?、それは少々――現実的ではないのでは、ありませぬかな?
あの可憐な皇が、戦勝の美酒に酔って、他国へと侵略を始めるとは、流石に思え難く、占報での物言いを観ても、軍部を掌握出来ずに暴走させてしまうほどの、愚君とは言えぬでしょう?」
サキチは、一つ一つ順に根拠を挙げながら、何かとケチを付ける様な物言いをしてみせる。
「――勘繰りは、そろそろ止めて頂けますかな?
北も、"本当の意図"を、秘めたままでの提案だったのでしょう?」
――が、ユカリはサラっと、北の痛いトコロを突き返して、苛立ち気味に意図をはぐらかす。
「ふふ……これは、失礼致した。
では――本題に話を移して、"両民守"が記した、約定書の交換と参りましょうか?」
サキチが、懐から書状を取り出しながらそう言うと、ユカリはスッと手を挙げて――
「――『民守』は、そちらの俗称に過ぎぬでしょう?、『両』を付けるのは、お止め頂きたい。
我らに、立場の上下はございませぬ故――これは『コクエ共生共和国』、国民の総意と認識して貰いたい」
――と、険しい表情と口調で言って、サキチを睨む。
(やれやれ――本当に、面倒な人たちだ)
サキチは、心中でそう呆れるも、愛想笑いを見せて――
「これは失礼しました――では、我らが民守――ヒコザよりの書状と、黒柄共生共和国からの書状の交換を」
――という、気遣いをした文面に替え、ユカリを促す。
「――では、お納めください」
「こちらも――」
二人は、筒に入った書状を交換し、お互い悪びれることなく、その筒を開ける。
二人が、交換した筒には――
『――本日より、向日四ヶ月――両国軍間での一切の戦闘行為を禁ずる。
その証として、両軍は本約定締結後三日の内に、関所番兵以外の、国境砦からの撤収を履行せし事――』
――などの、停戦の条文が並び――
『コクエ立憲民主共和国 民守 ヒコザ』
『コクエ共生共和国 同志筆頭 ユキオ』
――との、書状の隅には、両国の指導者の名前と共に、ハッキリとした印章も押されていた。
「――確かに、受け取りました。
ああ、そうそう……遅れましたが、ユカリさん。
今回の締結に際して、我らからの"土産"を、ご用意しております」
書状を確認したサキチは、そう言って、櫂を持った船頭を側に呼ぶ。
フード状の頭巾を深く被っていた、その船頭は――サキチの隣りに立つと、徐にその頭巾を脱ぐ。
「!?、こっ!、これは――」
――露わになった、船頭の顔を見たユカリは、口を大きく開けて驚愕の声を漏らした。
船頭の姿は、長身痩躯の美麗な顔立ちの女で、ショートカットの頭頂部には、"二つの猫耳"――そう、猫族の女である。
だが、痩躯に見える身体つきをよく観ると、まったく女性らしい緩みが無い、引き締まった筋肉が印象的な姿だ。
「もっ!、もしや貴女は……二十二年前の大武会で十六傑入りし『短槍の美少女』の異名で鳴らした、コケツ衆――スズ様では?!」
冷ややかな印象だったはずのユカリは、頭巾を脱いだ船頭を見るなり、興奮気味にそう言って、船頭に名を問うた。
「ああ、そうさ――でも、二十年以上も前の、世間のヒトが勝手に付けた、恥ずかしい異名で呼ぶのはよしておくれよ。
今じゃ、産んだ娘も巣立った、四十を超えたおばさんに――『~美少女』は無いだろう?」
猫族の女――スズは、気恥ずかしそうに、そう言った。
「しっ!、失礼しました」
ユカリは、スズよりも恥ずかしそうに、赤面して俯く。
「――これは意外でしたな。
冷徹なユカリさんの、取り乱した姿を拝めるとは♪」
サキチは、ニヤッとほくそ笑み、拝むポースをする。
「――っ!?、サッ!、サキチ殿!、これは、どういった企みなのです?」
ユカリは悔しそうに、苦虫を噛んだ思いを内に秘めてサキチに目的を問う。
「ふふ♪、言葉どおりに、我らからの土産の一端にございますよ♪」
サキチは、またもニヤッと笑みを浮かべ、スズへ向けて手を振り、その先の文言を委ねる様な素振りを見せる。
「アタシ――を含めた、コケツ衆五十名。
南コクエのトコで、しばらく傭兵をしろってさ」
サキチのジェスチャーを観たスズは、こめかみを掻きながら面倒臭そうに、委ねられた用件をユカリに伝える。
「なっ……!」
ユカリは驚き、口をあんぐりと開けた。
「これから――ソチラはスヨウなり、コウオウなりと渡り合う事となりそうな情勢でしょう?、コケツ衆の様な、強力な戦力が必要となる場面もあり得る。
コケツ衆との契約は、停戦期間と同じ四ヶ月間――その給金は、我ら北が既に払っておりますので、どうぞご活用ください。
これは、停戦強化の提案を呑んで頂けた、我らからのせめてもの礼にございますよ」
驚くユカリに、サキチは『土産』の意味をそう説明する。
「確かに、戦力は必要となるかもしれませんが……」
――そう、返答を濁すユカリの反応に、またサキチは、ほくそ笑みながら――
「――南の"主義主張"からすれば、金で雇う傭兵を抱えるというのは、大義である共生共営の精神に反する行為かもしれませんが、いざ戦となったら――背に腹は、替えられませんでしょう?
なぁ~に、金を払ったのは、北なのですから、雇った事にはならないのでは?」
――と、巧みな理屈を振りかざしてユカリを諭す。
「むむ、むぅ……」
そんな論旨に、更に困った素振りのユカリに対して、サキチは――
「――本音を申せば、スヨウなり、コウオウなりが、もし!、南を退け、侵して来る様な事になれば、次に矢面に立つのは我ら。
そうならないために、ソチラへ援軍を送りたくとも……建国以来の対立関係故に、それは困難なのです……だからこその!、傭兵を用いた間接的な支援なのでございますよ!」
――そう、芝居染みたオーバーアクションで、巧みな理屈を畳み掛ける。
ユカリは、サキチの論旨がかなり強引なのには気付いているが、特段、論破する言葉が思いつかずに押し黙る。
(流石は――商人上がりの民守の仕える者、喰えない御仁だ)
――そう、ユカリは観念した表情を見せ、ニヤッと笑う。
「わかりました、この土産――受け取りましょう」
「ありがとうございます」
ユカリの承諾の返事を受け、サキチは深々と感謝の会釈をする。
「――どうやら、面倒な話は、まとまったみたいだねぇ――よっ!」
スズは、甲板に忍ばせていた、自分の武器である短槍を持って、ユカリが乗る小船へと飛び移る。
「サキチの旦那――自分で漕いで、対岸まで帰れるかい?」
一応、船頭を務めていたスズは、サキチの帰りの心配をする。
「ええ、お気になさらず――丁稚の頃は、ヒコザ様を乗せて、月夜の水辺へと漕いでいたモノでしたから」
サキチは櫂を持って、様になる手つきで漕いで見せる。
「――じゃ、これから、アタシたちをこき使えるのは、南コクエだ――よろしく頼むよ」
スズは、そう言って短槍を抱え、小船の甲板に座り込んだ。
「――では、ユカリさん。
貴国の皆様へ、よしなにと……」
サキチは櫂を持ち、小船を北側の辺へ背走させる。
去って行く、サキチの後ろ姿を見やり、ユカリは――
(皇や刀聖という、化石が如き古き妄言は、ツクモの革命に向けて最大の障壁――この二者を討つは、共営民主主義社会の設立のために、共佑党が担わなくてはならない避け難き戦であると、同志ユキオは言った。
この約定の締結に因り、北という憂い無く、その戦いに邁進出来る――我らがツクモを、"新時代へと誘う時は近い!)
――そう、心中で叫び、ユカリは興奮気味に拳を握っていた。
――そんなユカリに背を向け、小船を漕ぐサキチは――
(――これで、ヒコザ様の公約は果たされ、当分北コクエは――軍事的に憂う事柄が無くなり、物資の生産や商業の活発化に専念出来る。
そして、その生産した物資を売り捌く算段として、宣戦に逸り始めた南の尻にも火を点け、スヨウやコウオウとの戦へと誘導し、"戦由来の好景気"を引き起こす――この企みで、北コクエは空前の経済大国となり、我らは"矛"ではなく、"銭と物"で、このツクモを征するのだ!)
――そう、心中で呟き、不敵な笑みを浮べて、夜闇に映える月を見上げるのだった。
この、タツヒゲ川とは、神川――ミモト川の支流に当たり、丁度、コクエを南北に分かつには適当な位置に流れていたため、南北黒柄は内戦の休戦協定の際、この川を国境線として用いた――故に、南北の対岸には、両陣営の砦が設けられ、常に両軍が睨みを効かせているのである。
その、相容れない理想と主義主張を理由に、対立している南北コクエの最前線――そんな清流に、1艘の小船が夜闇に紛れ、南側へと船首を向けて進んでいる!
本来ならば――南陣営の砦から、矢や界気に因る攻撃の集中砲火を浴び、跡形も無く沈没し、その行為は休戦の破棄と看做され、再びの全面戦争が始まってしまう様な暴挙だ!
だが――その様な動きは無く、川の流れも対岸の動向も、実に静かで穏やかな今は、月が綺麗な夜である。
「――船を、停めてください」
小船の舳先に座り、手を挙げて、船頭にそう言ったのは――四十半ばの、神経質そうな容貌の男――名を、サキチと言う。
サキチは、北コクエにおける外交担当の文官で、この様な最前線には、実に不釣合いな立場に居る公者である。
「この目印を過ぎてしまうと、越境となってしまいますからね。
"秘密交渉"の一環とはいえ、担当文官が、"越境"をしてしまうワケには行きませんから」
サキチは、そんな独り言を呟きながら、流域の間に、等間隔で川底へと差し込まれている、銛状の棒を指差す。
船頭とサキチが、黙ったまま南の対岸を見据えていると――二人が船を停めた場所へと、同じぐらいの小船が向って来る影が見えた。
こちらの小船に乗っているのは、"民衣"を纏った船頭と――同じく民衣を着た、明らかに南コクエの者だと解る風体の、三十路の後半かと思える、眼鏡を掛けた女だった。
女の名は――ユカリ、彼女も"共佑党指導部"……要は、南コクエ政府の対外交渉隊に所属する女性だ。
お互い、両者の姿を凝視しながら、2隻の小船は丁度、国境の目印である銛状の棒を境にし、舳先を交えた恰好で2隻は停まった
「――これはこれは、わざわざのご足労、痛み入ります」
サキチは、舳先で立ち上がり、ユカリへ向けて儀礼的な会釈をする。
「いえ……こちらこそ、急な申し入れに際し、快く応じて頂けて、感謝しております」
ユカリも――儀礼的な会釈で応じ、世辞も交えた言葉を言う。
「確かに、急な方針転換ですな。
以前から、北が申し入れていた、短期間の停戦条項強化の提案を、突然、受け入れたいとは」
サキチは、顎を擦りながら、こうして船を出した理由の本丸を口に出した。
「時勢が――大きく、変わりましたからね。
スヨウでの、件の事変を境に――」
ユカリはそう言って、渋い顔をし、朱陽の国がある南東の空を見やる。
そう――ヤマカキ事変から始まった、ホウリ平原の戦いの内にも、ツクモの情勢は動いていた。
その一つが、サキチの言う、南北コクエ間の停戦強化交渉だった。
これは元々、北コクエ現民守――ヒコザが、1年前の民守選挙の折から、公約に挙げていた政策の一つである。
大手商会の元頭領というキャリアを持つ、ヒコザは――
『――減税のために、国境警備隊の削減を目指す!』
――という、軍事などの安全保障よりも、減税などの景気刺激に因る経済強化を重視した主張で、民守の座を射止めた彼にとって、コレは、肝煎りの政策だった。
一見――この停戦強化は、国土防衛を軽んじた突拍子な政策に思えるかもしれないが、南北の対立は表向きは継続中であっても、休戦から今日までの10年余り、武力衝突はほぼ皆無なので、このヒコザの主張は意外と的を得ていた。
それに――少なからず、一国としての南北統一を望む意見も、北コクエ国民の間では根強く、その辺りの票も狙って、ヒコザはこうした融和政策を振りかざしたのである。
「――そうでしょうな。
スヨウとも、コウオウとも、国境を接する南からすれば、言わば軒先で喧嘩を始められたのと同じですものな」
サキチは、気の毒そうに、哀れみの眼差しも向けて、ユカリに向けてそう言う。
「この急な転換は、他国へ矛先を向けて見せた、スヨウへの牽制として――南西の境を固めようという意図ですかな?」
サキチは、首を傾げ、両手も平に返して、南コクエの意図を探る。
「ええ――共佑党の施政に批判的なスヨウが、翼域の"鍵"を開けようとした事は――安全保障上、国家存亡に関わる危機となりかねませんし、その翼域内に領地を持つコウオウが、自衛を理由に初めて堂々と軍を動かしたコトも、コレも近隣安保において、由々しき事態の一つ……それに加え、そのコウオウが――」
ユカリは、険しい表情で苦悩を匂わし、意味深な部分で言葉を濁す
「――"刀聖"を抱えて、戦に臨んだ……ですな?」
サキチは、人差し指を立てて、ユカリの濁した言葉を邪推して見せる。
「――ご名答。
実戦経験が無い、烏合の衆と目されていた皇軍が、事実上の初陣で旧三大国の一角――しかも、名将として名高いマサノリを相手にしながら、悠に退けて見せた――更に、その片棒を担いだのが、太古からの絵空事にある、刀聖だったとなれば――この戦を機に意気上がり、コウオウが他国に矛を向け始めるのではと、警戒するのも当然の理屈でございましょう?」
ユカリは、こめかみに汗を滲ませ、唇も堅く結んで渋い顔をする。
「――では、コウオウとの境を強化すると?、それは少々――現実的ではないのでは、ありませぬかな?
あの可憐な皇が、戦勝の美酒に酔って、他国へと侵略を始めるとは、流石に思え難く、占報での物言いを観ても、軍部を掌握出来ずに暴走させてしまうほどの、愚君とは言えぬでしょう?」
サキチは、一つ一つ順に根拠を挙げながら、何かとケチを付ける様な物言いをしてみせる。
「――勘繰りは、そろそろ止めて頂けますかな?
北も、"本当の意図"を、秘めたままでの提案だったのでしょう?」
――が、ユカリはサラっと、北の痛いトコロを突き返して、苛立ち気味に意図をはぐらかす。
「ふふ……これは、失礼致した。
では――本題に話を移して、"両民守"が記した、約定書の交換と参りましょうか?」
サキチが、懐から書状を取り出しながらそう言うと、ユカリはスッと手を挙げて――
「――『民守』は、そちらの俗称に過ぎぬでしょう?、『両』を付けるのは、お止め頂きたい。
我らに、立場の上下はございませぬ故――これは『コクエ共生共和国』、国民の総意と認識して貰いたい」
――と、険しい表情と口調で言って、サキチを睨む。
(やれやれ――本当に、面倒な人たちだ)
サキチは、心中でそう呆れるも、愛想笑いを見せて――
「これは失礼しました――では、我らが民守――ヒコザよりの書状と、黒柄共生共和国からの書状の交換を」
――という、気遣いをした文面に替え、ユカリを促す。
「――では、お納めください」
「こちらも――」
二人は、筒に入った書状を交換し、お互い悪びれることなく、その筒を開ける。
二人が、交換した筒には――
『――本日より、向日四ヶ月――両国軍間での一切の戦闘行為を禁ずる。
その証として、両軍は本約定締結後三日の内に、関所番兵以外の、国境砦からの撤収を履行せし事――』
――などの、停戦の条文が並び――
『コクエ立憲民主共和国 民守 ヒコザ』
『コクエ共生共和国 同志筆頭 ユキオ』
――との、書状の隅には、両国の指導者の名前と共に、ハッキリとした印章も押されていた。
「――確かに、受け取りました。
ああ、そうそう……遅れましたが、ユカリさん。
今回の締結に際して、我らからの"土産"を、ご用意しております」
書状を確認したサキチは、そう言って、櫂を持った船頭を側に呼ぶ。
フード状の頭巾を深く被っていた、その船頭は――サキチの隣りに立つと、徐にその頭巾を脱ぐ。
「!?、こっ!、これは――」
――露わになった、船頭の顔を見たユカリは、口を大きく開けて驚愕の声を漏らした。
船頭の姿は、長身痩躯の美麗な顔立ちの女で、ショートカットの頭頂部には、"二つの猫耳"――そう、猫族の女である。
だが、痩躯に見える身体つきをよく観ると、まったく女性らしい緩みが無い、引き締まった筋肉が印象的な姿だ。
「もっ!、もしや貴女は……二十二年前の大武会で十六傑入りし『短槍の美少女』の異名で鳴らした、コケツ衆――スズ様では?!」
冷ややかな印象だったはずのユカリは、頭巾を脱いだ船頭を見るなり、興奮気味にそう言って、船頭に名を問うた。
「ああ、そうさ――でも、二十年以上も前の、世間のヒトが勝手に付けた、恥ずかしい異名で呼ぶのはよしておくれよ。
今じゃ、産んだ娘も巣立った、四十を超えたおばさんに――『~美少女』は無いだろう?」
猫族の女――スズは、気恥ずかしそうに、そう言った。
「しっ!、失礼しました」
ユカリは、スズよりも恥ずかしそうに、赤面して俯く。
「――これは意外でしたな。
冷徹なユカリさんの、取り乱した姿を拝めるとは♪」
サキチは、ニヤッとほくそ笑み、拝むポースをする。
「――っ!?、サッ!、サキチ殿!、これは、どういった企みなのです?」
ユカリは悔しそうに、苦虫を噛んだ思いを内に秘めてサキチに目的を問う。
「ふふ♪、言葉どおりに、我らからの土産の一端にございますよ♪」
サキチは、またもニヤッと笑みを浮かべ、スズへ向けて手を振り、その先の文言を委ねる様な素振りを見せる。
「アタシ――を含めた、コケツ衆五十名。
南コクエのトコで、しばらく傭兵をしろってさ」
サキチのジェスチャーを観たスズは、こめかみを掻きながら面倒臭そうに、委ねられた用件をユカリに伝える。
「なっ……!」
ユカリは驚き、口をあんぐりと開けた。
「これから――ソチラはスヨウなり、コウオウなりと渡り合う事となりそうな情勢でしょう?、コケツ衆の様な、強力な戦力が必要となる場面もあり得る。
コケツ衆との契約は、停戦期間と同じ四ヶ月間――その給金は、我ら北が既に払っておりますので、どうぞご活用ください。
これは、停戦強化の提案を呑んで頂けた、我らからのせめてもの礼にございますよ」
驚くユカリに、サキチは『土産』の意味をそう説明する。
「確かに、戦力は必要となるかもしれませんが……」
――そう、返答を濁すユカリの反応に、またサキチは、ほくそ笑みながら――
「――南の"主義主張"からすれば、金で雇う傭兵を抱えるというのは、大義である共生共営の精神に反する行為かもしれませんが、いざ戦となったら――背に腹は、替えられませんでしょう?
なぁ~に、金を払ったのは、北なのですから、雇った事にはならないのでは?」
――と、巧みな理屈を振りかざしてユカリを諭す。
「むむ、むぅ……」
そんな論旨に、更に困った素振りのユカリに対して、サキチは――
「――本音を申せば、スヨウなり、コウオウなりが、もし!、南を退け、侵して来る様な事になれば、次に矢面に立つのは我ら。
そうならないために、ソチラへ援軍を送りたくとも……建国以来の対立関係故に、それは困難なのです……だからこその!、傭兵を用いた間接的な支援なのでございますよ!」
――そう、芝居染みたオーバーアクションで、巧みな理屈を畳み掛ける。
ユカリは、サキチの論旨がかなり強引なのには気付いているが、特段、論破する言葉が思いつかずに押し黙る。
(流石は――商人上がりの民守の仕える者、喰えない御仁だ)
――そう、ユカリは観念した表情を見せ、ニヤッと笑う。
「わかりました、この土産――受け取りましょう」
「ありがとうございます」
ユカリの承諾の返事を受け、サキチは深々と感謝の会釈をする。
「――どうやら、面倒な話は、まとまったみたいだねぇ――よっ!」
スズは、甲板に忍ばせていた、自分の武器である短槍を持って、ユカリが乗る小船へと飛び移る。
「サキチの旦那――自分で漕いで、対岸まで帰れるかい?」
一応、船頭を務めていたスズは、サキチの帰りの心配をする。
「ええ、お気になさらず――丁稚の頃は、ヒコザ様を乗せて、月夜の水辺へと漕いでいたモノでしたから」
サキチは櫂を持って、様になる手つきで漕いで見せる。
「――じゃ、これから、アタシたちをこき使えるのは、南コクエだ――よろしく頼むよ」
スズは、そう言って短槍を抱え、小船の甲板に座り込んだ。
「――では、ユカリさん。
貴国の皆様へ、よしなにと……」
サキチは櫂を持ち、小船を北側の辺へ背走させる。
去って行く、サキチの後ろ姿を見やり、ユカリは――
(皇や刀聖という、化石が如き古き妄言は、ツクモの革命に向けて最大の障壁――この二者を討つは、共営民主主義社会の設立のために、共佑党が担わなくてはならない避け難き戦であると、同志ユキオは言った。
この約定の締結に因り、北という憂い無く、その戦いに邁進出来る――我らがツクモを、"新時代へと誘う時は近い!)
――そう、心中で叫び、ユカリは興奮気味に拳を握っていた。
――そんなユカリに背を向け、小船を漕ぐサキチは――
(――これで、ヒコザ様の公約は果たされ、当分北コクエは――軍事的に憂う事柄が無くなり、物資の生産や商業の活発化に専念出来る。
そして、その生産した物資を売り捌く算段として、宣戦に逸り始めた南の尻にも火を点け、スヨウやコウオウとの戦へと誘導し、"戦由来の好景気"を引き起こす――この企みで、北コクエは空前の経済大国となり、我らは"矛"ではなく、"銭と物"で、このツクモを征するのだ!)
――そう、心中で呟き、不敵な笑みを浮べて、夜闇に映える月を見上げるのだった。
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「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
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