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緒戦
老将
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「――むう、糧食が、心許無いか……」
ホウリ平原の南側に陣を構えた、スヨウ第三軍の軍団将――マサノリは、随伴する第五軍からの報告に、苛立つ素振りを見せていた。
この、禿げ上がった頭部が印象的な、齢六十を超えた老将は……先の大戦の頃から、スヨウ軍の主力に身を置く、生粋のスヨウ武士である。
「やられたな――皇軍の着陣前に、このホウリ平原を抜ける腹積もりだったのだが」
『――オウクを"解放"し、悪宰相ロクスケを捕らえ、彼奴をオウザンの白州に引きづり出せ――』
――という、ノブタツからの勅命を受けた、スヨウ第三軍とその将たるマサノリは、順調に大陸中央部を縦断して進軍……だが、迅速なコウオウ軍の対応に因り、この鬱蒼とした背の高い雑草に覆われ、やたらとだだっ広い、このホウリ平原で足止めを喰らう状況と相成っていた。
「ふっ――流石は、コクエ軍で名を馳せた"閂のカツトシ"よな」
マサノリは、ニヤッと笑って、丘の上に見えるカツトシの陣幕を凝視した。
"閂の~"という、カツトシの異名は、先のコクエ内戦の序盤――後に、革命思想を掲げて、南コクエを起こす事となる、当時のゲリラ組織『共佑党』の鎮圧に、コクエ第二軍が派兵された際、畏怖を込めて、その党員たちが呼んだ異名だ。
派兵の2年前――これも、後に南コクエの首都となる、シバクの街にあったコクエ正規軍の砦を制圧するため、共佑党が先導した三千名の不平民者が武装し、大挙として蜂起した事件があった。
当時、シバクに駐屯していた、コクエ軍の兵は約一千――決定的な数の差で、陥落已む無しと思われた状況だったが、砦に訓練の視察に来ていた、"守将"カツトシは、その一千足らずの兵を巧みに指揮して防戦。
コクエ北部にある都――キョウカからの援軍が到着するまでの14日間、砦に篭城して守りきり、援軍と共にその反乱を鎮圧して見せた。
このカツトシの奮戦が、革命を2年遅らせたと言われる程、後の戦況を左右した一戦であり、共佑党は、その苦い敗戦を"シバクの屈辱"と名付け、同時にこのままでは、革命の志しは果たせぬと察して、北に勢力を持つ、もう一方の反政府グループ――『皆主連合』との共闘へと方針転換に及んだ。
その際のカツトシの采配や策を――
『砦の門は、どう足掻いても、ガッチリと大きな"閂"をはめられた様に、動かせなかった』
――そう評していた事に、件の異名は由来する。
"無能守将"の方は、主に皆主連合が内戦末期の戦で、第二軍に大勝した際、民者を中心に、恥辱を込めて揶揄し始めたのが由来だったが、公者――特に、ある程度、当時の実情を知り、策の意などがよく解る、マサノリの様な武人からすれば、共佑党の名付けた"閂の~”の方が、印象深く記憶に残っている。
(――正直、解せぬ部分もある派兵の命ではあるが……将たるワシが、イチイチ愚痴を溢しては、参じておる三軍の皆に失礼じゃからな)
マサノリは、ガサガサと禿げた頭頂部を掻き、これからの動きを思案している"フリ"をして、此度のヤマカキ事変から列なる、一連のスヨウ軍の動きを思い出していた。
(外交筋からの話では、クリ社を介してまで来た、不戦の交渉依頼を……有無を言わせず、突き返す旨の命があったと聞く。
あの惨状を目の当たりにした、ノブタツ様のお気持ちはお察し出来るが――この、聖域たる皇様の土地を、侵すという歴史的な決断は、幾ばくか拙速過ぎるであろうよ……)
奇しくも、スヨウ軍の対外戦略を司る、第三軍団将マサノリにも、ヤマカキ事変の真実は知らされていない。
しかし、政治のイロハも、ある程度は理解出来る、軍団将クラスの軍上層部の者ともなれば――此度の強引な動きは、不自然に思えて当然である。
マサノリは、疑念を振り解こうと頭を振るい、近習に侍る副官らしき女性武士、リノに――
「――明朝の"総攻め"、準備は進んでいるか?」
――と、明朝に決行する旨の、策の進捗を問うた。
「――はっ!、はいぃ!
ごっ、ご指示どおりぃ……前線の隊には、煌々と松明を点けさせ、その影に、後続の隊を隠して進軍させ、秘かに敵が陣を敷く丘を包囲する――という指示を、全兵に通達して、策を順調に進めているとの報告を受けています」
――リノは、緊張した様でそう返答した。
この、リノという女性武士は――レンぐらいの年頃の若い娘で、その容貌は、最前線に至る事が必至な第三軍には、かなり不釣合いに思える、何とも頼りなさを感じる女性だ。
「リノよ……意味が重複しとるぞ?
『ご指示どおり』に『~という指示を』などと……」
マサノリは、呆れた様子でリノの失言を指摘し、苦笑いを見せる。
「!、あわわわ――ごめんなさい!、おじいちゃ……あっ!」
――そこまで言い掛けて、リノは突然口を抑える。
「――ギリギリ、アウトじゃなぁ。
もう、お前も、スヨウの公者で、ワシは、その上官じゃぞ?
普段の様に"おじいちゃん"と呼ぶのは、控えねば成らぬと、申したはずじゃ……」
マサノリはそう言って、うつむくリノを諭す。
「ううっ、はいぃ~……」
リノは、申し訳無さそうに、さらに深くうつむいた。
この、リノという娘――実はマサノリの孫……ではなく、老いてから養女として迎え入れた、血の繋がりを省けば、正真正銘の"娘"である。
マサノリがリノを引き取った経緯にも、コクエの内戦が関わっている。
当時――マサノリは三軍を率い、コクエで噴出した内戦から逃れたい難民の中から、スヨウへの亡命を希望する、約五百名の民者を守り、スヨウへと逃がす任務を命じられ、山越えを経てコクエへと派兵された。
当時のリノは、生まれたばかりの乳飲み子だったが、亡命を希望した実の両親に連れられ、その亡命を希望している難民キャンプの中に居た。
難民たちと首尾良く合流した三軍は、取って返して帰路に着いたのだが――如何せん、大勢の難民が山越えの足枷となってしまい、思う様には進めない状況に陥ってしまう……
そこに、コクエの南側を勢力圏としていた共佑党は、民の流出を防ごうと、連れた難民ごと三軍を襲撃!
迅速な難民との合流を優先した、少数の編成だった三軍は苦戦を強いられ、将たるマサノリの脳裏には、自身の討ち死と、軍団の全滅も頭に過ぎった。
厳しい状況の中、マサノリは、両親が共佑党の放った矢に倒れ、遺体の側で泣きじゃくる赤ん坊――リノの姿を見つけ、名前が刺繍された血だらけの産着に包まれた、その幼く小さな身体を抱きかかえ――
「――我らの双肩は!、この幼き赤子の未来という!、途方も無く重き荷を背負っているのだぁ!、総員!、力の限りを超えてでも奮起せよぉ~~~~~っ!!!!!」
――と、絶叫を挙げて皆を鼓舞し、奮い立たせてこの状況を打破し、スヨウへの帰還と難民たちの救出を果たしたのだった。
そして、マサノリが、幼きリノを自分の養女として迎え入れるという一連の話は、逸話となってツクモ中に広まっており、マサノリはその後、いわゆる武運兆級祈願のゲン担ぎとして、派兵の度に彼女を陣に同行させている事は有名な話でもある。
そんなリノも、公者となれる十七の誕生日(※両親の死亡で詳細な誕生日は解らないので、あの戦いの日付け)を迎え、彼女は養父が将を務める、第三軍に入隊したのである。
ちなみに――引き取った当時には既に、マサノリにはリノと同い歳の孫も居て、その孫と共に育ったリノは、自然と父とは呼ばずに『おじいちゃん』と呼んでしまうのだった。
マサノリ自身も、彼の実子たちも――親子並みに年の離れた娘を、末の妹と思うのは少々苦しい気持ちもあり、おじいちゃん呼ばわりを許しているのである。
「――今は、陣内に二人きりだし、近くに居るのも、勝手知ったる三軍の者ばかりじゃから、失言を責めはせぬが……気を付けねばならぬぞ?」
マサノリはそう言って、落ち込むリノの頭を撫でて励ます。
「はい、気をつけまぁす……」
リノはうな垂れて、溜め息を漏らしながらそう返す。
「ほらぁ!、シャキっとせんか!、お前は、今や三軍の副将でもあるのじゃぞ?
ワシに"何か"があれば、お前が兵たちを率いる立場なのだぞ?」
「う~っ!、ソコがヘンなんだよぉ~!
仕官一年目の、ホントなら見習い兵の私を……いきなり、副将に任ずるなんてぇ~っ!
古参の人達や、御家方様のお考えは絶対ヘンだよぉ~!」
そう――リノは、十七歳という、スヨウ軍史上最年少――いや、ツクモ中の軍事勢力の中でも、恐らく例が無い若輩の身での、軍団副将に就任していた!
リノの入隊が決まった際、三軍の古参兵たちから、ノブタツに――
「――赤子の頃より、リノは我らを勝利に導く、傑出した功績を持ちたる英傑でございます。
功から察して、見習いの一平卒に置くのは、果たして如何なモノか――」
――と、当時空席となっていた三軍副将への推挙が進上されたのが、この驚く様な人事のカラクリである。
その進上を見て、ノブタツは――
「――はっはっはっ!、三軍の者どもは随分と粋なコトをっ!
確かに、三軍の士気を支えるという面で、義父の功績の半分はリノのモノじゃからなぁ……よぉし!、我が国、稀代の英傑を副将に任じよう!」
――と、快諾してリノを副将に据えていた。
「御家方様のお考えを、"ヘンだ"などと――お前、場が場なら、その首が飛んでおるぞ?
それに、口惜しいが、御家方様のお言葉のとおり、今やお前の方が、兵たちからの人気は上じゃわい」
マサノリは、からかう様にリノに言って、彼女の頬をツンと指で突いた。
「私は……作戦とかだって、全然知らないし、何より――戦の経験が少な過ぎるよ……
にっ、人気だけじゃ、兵の事を守れないんだからね?」
リノは、照れた素振りで、さりげなく自分の人気の高さは否定せず、自分の若輩さだけを卑下する。
「策の勉強は、ワシが教える事を熱心に聞いとるし、戦場の雰囲気には、子供の頃から慣れてしまっておるじゃろう?
後は――将としての経験だけじゃから、そんなに自らを卑下するな」
マサノリは、小さく笑みを作り、ポンッとリノの華奢な肩に手を置いた。
「――将軍」
――と、マサノリとリノが居る、スヨウ第三軍本陣の天幕がゆらりと揺れて、そこから聞き慣れた三軍兵の声が聞こえた。
「――どうした?」
マサノリは険しい表情で、呼びかけた兵に用件を問う。
「はっ!、オウザンの都より、御家方様からの陣中見舞いを持って来たと、近衛一軍の者が、御目どおりを願っております」
兵は、身を正してそう答え、天幕の先から少しだけ顔を覗かせた。
「御家方様から?、解った――通せ」
「はっ!」
兵はジャラジャラと甲冑を揺らしながら、陣を後にする。
「今頃に陣中見舞いだなんて、ちょっと皮肉だね……」
リノは顔をしかめて、兵の後ろ姿を目で追う。
「ふっ――そうじゃな。
今頃は行程どおりなら、オウクを包囲しておるはずじゃったからなぁ。
我らへのオウザンからの斥候として、進行具合を確かめに派遣された者じゃろうから――遅行の責を報告されてしまうわなぁ」
"皮肉"という表現で、陣中見舞いの意味を聡明に見抜いた、義理の娘の慧眼に、ニヤッと笑みを作って、マサノリはそう応じた。
「要は――"監視役"でしょ?、御家方様は、私たちを信頼していないのかしら?」
リノは不満そうに、頬を膨らませて、オウザンのある南の空を見上げる。
(信頼――されておらんかもなぁ。
ノブタツ様なら、ワシが、派兵に疑念を抱いている事――気付いておっても、不思議では無いさなぁ)
マサノリは、またも笑みを作って、側に置かれた茶を一口啜った。
「――将軍は、ココでお待ちです」
マサノリが湯呑みを置いた瞬間、天幕が揺れて三つの影が映った。
一つは、先程報告に来た兵と似た影――そうなると、追従した二つが、例の監視や……いや、ノブタツからの使者なのであろう。
「一軍よりの使者だな?、入れ――」
影に気付いたマサノリは、低い声でその三人に声を掛けた。
「――失礼致します」
その声を合図に、使者2人の影が天幕をまくって陣内へと入る。
「――スヨウ第一軍、シゲマルであります」
やって来たのは、ノブタツの小姓を務めるシゲマル――"側近中の側近"である。
「――同じく、スヨウ第一軍、ユキムネ……に、ござりまする」
もう一人は、奇異に見える黒い能面を着けた――半ば、失礼な風体の男だった。
ホウリ平原の南側に陣を構えた、スヨウ第三軍の軍団将――マサノリは、随伴する第五軍からの報告に、苛立つ素振りを見せていた。
この、禿げ上がった頭部が印象的な、齢六十を超えた老将は……先の大戦の頃から、スヨウ軍の主力に身を置く、生粋のスヨウ武士である。
「やられたな――皇軍の着陣前に、このホウリ平原を抜ける腹積もりだったのだが」
『――オウクを"解放"し、悪宰相ロクスケを捕らえ、彼奴をオウザンの白州に引きづり出せ――』
――という、ノブタツからの勅命を受けた、スヨウ第三軍とその将たるマサノリは、順調に大陸中央部を縦断して進軍……だが、迅速なコウオウ軍の対応に因り、この鬱蒼とした背の高い雑草に覆われ、やたらとだだっ広い、このホウリ平原で足止めを喰らう状況と相成っていた。
「ふっ――流石は、コクエ軍で名を馳せた"閂のカツトシ"よな」
マサノリは、ニヤッと笑って、丘の上に見えるカツトシの陣幕を凝視した。
"閂の~"という、カツトシの異名は、先のコクエ内戦の序盤――後に、革命思想を掲げて、南コクエを起こす事となる、当時のゲリラ組織『共佑党』の鎮圧に、コクエ第二軍が派兵された際、畏怖を込めて、その党員たちが呼んだ異名だ。
派兵の2年前――これも、後に南コクエの首都となる、シバクの街にあったコクエ正規軍の砦を制圧するため、共佑党が先導した三千名の不平民者が武装し、大挙として蜂起した事件があった。
当時、シバクに駐屯していた、コクエ軍の兵は約一千――決定的な数の差で、陥落已む無しと思われた状況だったが、砦に訓練の視察に来ていた、"守将"カツトシは、その一千足らずの兵を巧みに指揮して防戦。
コクエ北部にある都――キョウカからの援軍が到着するまでの14日間、砦に篭城して守りきり、援軍と共にその反乱を鎮圧して見せた。
このカツトシの奮戦が、革命を2年遅らせたと言われる程、後の戦況を左右した一戦であり、共佑党は、その苦い敗戦を"シバクの屈辱"と名付け、同時にこのままでは、革命の志しは果たせぬと察して、北に勢力を持つ、もう一方の反政府グループ――『皆主連合』との共闘へと方針転換に及んだ。
その際のカツトシの采配や策を――
『砦の門は、どう足掻いても、ガッチリと大きな"閂"をはめられた様に、動かせなかった』
――そう評していた事に、件の異名は由来する。
"無能守将"の方は、主に皆主連合が内戦末期の戦で、第二軍に大勝した際、民者を中心に、恥辱を込めて揶揄し始めたのが由来だったが、公者――特に、ある程度、当時の実情を知り、策の意などがよく解る、マサノリの様な武人からすれば、共佑党の名付けた"閂の~”の方が、印象深く記憶に残っている。
(――正直、解せぬ部分もある派兵の命ではあるが……将たるワシが、イチイチ愚痴を溢しては、参じておる三軍の皆に失礼じゃからな)
マサノリは、ガサガサと禿げた頭頂部を掻き、これからの動きを思案している"フリ"をして、此度のヤマカキ事変から列なる、一連のスヨウ軍の動きを思い出していた。
(外交筋からの話では、クリ社を介してまで来た、不戦の交渉依頼を……有無を言わせず、突き返す旨の命があったと聞く。
あの惨状を目の当たりにした、ノブタツ様のお気持ちはお察し出来るが――この、聖域たる皇様の土地を、侵すという歴史的な決断は、幾ばくか拙速過ぎるであろうよ……)
奇しくも、スヨウ軍の対外戦略を司る、第三軍団将マサノリにも、ヤマカキ事変の真実は知らされていない。
しかし、政治のイロハも、ある程度は理解出来る、軍団将クラスの軍上層部の者ともなれば――此度の強引な動きは、不自然に思えて当然である。
マサノリは、疑念を振り解こうと頭を振るい、近習に侍る副官らしき女性武士、リノに――
「――明朝の"総攻め"、準備は進んでいるか?」
――と、明朝に決行する旨の、策の進捗を問うた。
「――はっ!、はいぃ!
ごっ、ご指示どおりぃ……前線の隊には、煌々と松明を点けさせ、その影に、後続の隊を隠して進軍させ、秘かに敵が陣を敷く丘を包囲する――という指示を、全兵に通達して、策を順調に進めているとの報告を受けています」
――リノは、緊張した様でそう返答した。
この、リノという女性武士は――レンぐらいの年頃の若い娘で、その容貌は、最前線に至る事が必至な第三軍には、かなり不釣合いに思える、何とも頼りなさを感じる女性だ。
「リノよ……意味が重複しとるぞ?
『ご指示どおり』に『~という指示を』などと……」
マサノリは、呆れた様子でリノの失言を指摘し、苦笑いを見せる。
「!、あわわわ――ごめんなさい!、おじいちゃ……あっ!」
――そこまで言い掛けて、リノは突然口を抑える。
「――ギリギリ、アウトじゃなぁ。
もう、お前も、スヨウの公者で、ワシは、その上官じゃぞ?
普段の様に"おじいちゃん"と呼ぶのは、控えねば成らぬと、申したはずじゃ……」
マサノリはそう言って、うつむくリノを諭す。
「ううっ、はいぃ~……」
リノは、申し訳無さそうに、さらに深くうつむいた。
この、リノという娘――実はマサノリの孫……ではなく、老いてから養女として迎え入れた、血の繋がりを省けば、正真正銘の"娘"である。
マサノリがリノを引き取った経緯にも、コクエの内戦が関わっている。
当時――マサノリは三軍を率い、コクエで噴出した内戦から逃れたい難民の中から、スヨウへの亡命を希望する、約五百名の民者を守り、スヨウへと逃がす任務を命じられ、山越えを経てコクエへと派兵された。
当時のリノは、生まれたばかりの乳飲み子だったが、亡命を希望した実の両親に連れられ、その亡命を希望している難民キャンプの中に居た。
難民たちと首尾良く合流した三軍は、取って返して帰路に着いたのだが――如何せん、大勢の難民が山越えの足枷となってしまい、思う様には進めない状況に陥ってしまう……
そこに、コクエの南側を勢力圏としていた共佑党は、民の流出を防ごうと、連れた難民ごと三軍を襲撃!
迅速な難民との合流を優先した、少数の編成だった三軍は苦戦を強いられ、将たるマサノリの脳裏には、自身の討ち死と、軍団の全滅も頭に過ぎった。
厳しい状況の中、マサノリは、両親が共佑党の放った矢に倒れ、遺体の側で泣きじゃくる赤ん坊――リノの姿を見つけ、名前が刺繍された血だらけの産着に包まれた、その幼く小さな身体を抱きかかえ――
「――我らの双肩は!、この幼き赤子の未来という!、途方も無く重き荷を背負っているのだぁ!、総員!、力の限りを超えてでも奮起せよぉ~~~~~っ!!!!!」
――と、絶叫を挙げて皆を鼓舞し、奮い立たせてこの状況を打破し、スヨウへの帰還と難民たちの救出を果たしたのだった。
そして、マサノリが、幼きリノを自分の養女として迎え入れるという一連の話は、逸話となってツクモ中に広まっており、マサノリはその後、いわゆる武運兆級祈願のゲン担ぎとして、派兵の度に彼女を陣に同行させている事は有名な話でもある。
そんなリノも、公者となれる十七の誕生日(※両親の死亡で詳細な誕生日は解らないので、あの戦いの日付け)を迎え、彼女は養父が将を務める、第三軍に入隊したのである。
ちなみに――引き取った当時には既に、マサノリにはリノと同い歳の孫も居て、その孫と共に育ったリノは、自然と父とは呼ばずに『おじいちゃん』と呼んでしまうのだった。
マサノリ自身も、彼の実子たちも――親子並みに年の離れた娘を、末の妹と思うのは少々苦しい気持ちもあり、おじいちゃん呼ばわりを許しているのである。
「――今は、陣内に二人きりだし、近くに居るのも、勝手知ったる三軍の者ばかりじゃから、失言を責めはせぬが……気を付けねばならぬぞ?」
マサノリはそう言って、落ち込むリノの頭を撫でて励ます。
「はい、気をつけまぁす……」
リノはうな垂れて、溜め息を漏らしながらそう返す。
「ほらぁ!、シャキっとせんか!、お前は、今や三軍の副将でもあるのじゃぞ?
ワシに"何か"があれば、お前が兵たちを率いる立場なのだぞ?」
「う~っ!、ソコがヘンなんだよぉ~!
仕官一年目の、ホントなら見習い兵の私を……いきなり、副将に任ずるなんてぇ~っ!
古参の人達や、御家方様のお考えは絶対ヘンだよぉ~!」
そう――リノは、十七歳という、スヨウ軍史上最年少――いや、ツクモ中の軍事勢力の中でも、恐らく例が無い若輩の身での、軍団副将に就任していた!
リノの入隊が決まった際、三軍の古参兵たちから、ノブタツに――
「――赤子の頃より、リノは我らを勝利に導く、傑出した功績を持ちたる英傑でございます。
功から察して、見習いの一平卒に置くのは、果たして如何なモノか――」
――と、当時空席となっていた三軍副将への推挙が進上されたのが、この驚く様な人事のカラクリである。
その進上を見て、ノブタツは――
「――はっはっはっ!、三軍の者どもは随分と粋なコトをっ!
確かに、三軍の士気を支えるという面で、義父の功績の半分はリノのモノじゃからなぁ……よぉし!、我が国、稀代の英傑を副将に任じよう!」
――と、快諾してリノを副将に据えていた。
「御家方様のお考えを、"ヘンだ"などと――お前、場が場なら、その首が飛んでおるぞ?
それに、口惜しいが、御家方様のお言葉のとおり、今やお前の方が、兵たちからの人気は上じゃわい」
マサノリは、からかう様にリノに言って、彼女の頬をツンと指で突いた。
「私は……作戦とかだって、全然知らないし、何より――戦の経験が少な過ぎるよ……
にっ、人気だけじゃ、兵の事を守れないんだからね?」
リノは、照れた素振りで、さりげなく自分の人気の高さは否定せず、自分の若輩さだけを卑下する。
「策の勉強は、ワシが教える事を熱心に聞いとるし、戦場の雰囲気には、子供の頃から慣れてしまっておるじゃろう?
後は――将としての経験だけじゃから、そんなに自らを卑下するな」
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「――将軍」
――と、マサノリとリノが居る、スヨウ第三軍本陣の天幕がゆらりと揺れて、そこから聞き慣れた三軍兵の声が聞こえた。
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「はっ!、オウザンの都より、御家方様からの陣中見舞いを持って来たと、近衛一軍の者が、御目どおりを願っております」
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「はっ!」
兵はジャラジャラと甲冑を揺らしながら、陣を後にする。
「今頃に陣中見舞いだなんて、ちょっと皮肉だね……」
リノは顔をしかめて、兵の後ろ姿を目で追う。
「ふっ――そうじゃな。
今頃は行程どおりなら、オウクを包囲しておるはずじゃったからなぁ。
我らへのオウザンからの斥候として、進行具合を確かめに派遣された者じゃろうから――遅行の責を報告されてしまうわなぁ」
"皮肉"という表現で、陣中見舞いの意味を聡明に見抜いた、義理の娘の慧眼に、ニヤッと笑みを作って、マサノリはそう応じた。
「要は――"監視役"でしょ?、御家方様は、私たちを信頼していないのかしら?」
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(信頼――されておらんかもなぁ。
ノブタツ様なら、ワシが、派兵に疑念を抱いている事――気付いておっても、不思議では無いさなぁ)
マサノリは、またも笑みを作って、側に置かれた茶を一口啜った。
「――将軍は、ココでお待ちです」
マサノリが湯呑みを置いた瞬間、天幕が揺れて三つの影が映った。
一つは、先程報告に来た兵と似た影――そうなると、追従した二つが、例の監視や……いや、ノブタツからの使者なのであろう。
「一軍よりの使者だな?、入れ――」
影に気付いたマサノリは、低い声でその三人に声を掛けた。
「――失礼致します」
その声を合図に、使者2人の影が天幕をまくって陣内へと入る。
「――スヨウ第一軍、シゲマルであります」
やって来たのは、ノブタツの小姓を務めるシゲマル――"側近中の側近"である。
「――同じく、スヨウ第一軍、ユキムネ……に、ござりまする」
もう一人は、奇異に見える黒い能面を着けた――半ば、失礼な風体の男だった。
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異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。
珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に!
やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活!
右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり!
アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。
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俺しか使えない『アイテムボックス』がバグってる
十本スイ
ファンタジー
俗にいう神様転生とやらを経験することになった主人公――札月沖長。ただしよくあるような最強でチートな能力をもらい、異世界ではしゃぐつもりなど到底なかった沖長は、丈夫な身体と便利なアイテムボックスだけを望んだ。しかしこの二つ、神がどういう解釈をしていたのか、特にアイテムボックスについてはバグっているのではと思うほどの能力を有していた。これはこれで便利に使えばいいかと思っていたが、どうも自分だけが転生者ではなく、一緒に同世界へ転生した者たちがいるようで……。しかもそいつらは自分が主人公で、沖長をイレギュラーだの踏み台だなどと言ってくる。これは異世界ではなく現代ファンタジーの世界に転生することになった男が、その世界の真実を知りながらもマイペースに生きる物語である。
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