流れ者のソウタ

緋野 真人

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深淵

食堂

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娼街の一角にある、古びた小さな店――店名を告げる看板には、ただ一言だけ"食堂"を、意味する文字が書かれている。


――トントン……


その、古びれた食堂の引き戸を、オリエは二回叩いた。


「なんだい?!、昼の営業は、とっくに終わってるよ!」

――と、建物の中から、乱暴に来客に応じる声が聞こえた。

「おフミ婆さん、アタシだよ!」

オリエは、そんな粗暴な応対に臆する事など微塵も見せず、声高に返答する。

「なんだ、ヨクセのお嬢かい……晩の分の仕込みで、手が空かないから、勝手に入んな!」

「――あいよ」

オリエは、そう返答してから、ふいと後ろのレンに目を向け――

「――ねっ?、菓子を届けるだけなら、アンタに頼んでも良かったんだけど……お初のアンタじゃ、この返しにビビッちまいそうだからねぇ。

だから、アンタの紹介と、顔見せを兼ねて連れて来たのさ」

――と、一連のやり取りにおける自分の思惑を説明を受け、レンはうんうんと頷いた。




「――邪魔するよ」

オリエが戸を開けて入った先は、L字に並んだカウンタースタイルの席が10席ほどの造りで、看板に違わない狭い食堂であった。


「お嬢、よく来たねぇ」

そう、カウンターの厨房側からオリエに声を掛けたのは、痩身に割烹着を着た白髪の女性で、彼女は、せっせと野菜を切っている。

彼女が、オリエが菓子を届けに来たという、フミというこの店の店主だ。


「ああ、ちょいと婆さんに、試して貰いたい――って、おや?」

オリエは、用向きをフミに話そうとした際、客席に人の気配を感じて、そちらに目線を移した。


客席に居たのは、頬に大きな傷がある男――年の頃は、オリエと同年代であろうか?

地肌に着流し、というラフな格好で、腰には鍔の無い刀らしき物を提げた、この"傷アリ男"は――小鉢に入ったモノを肴に酒を呑んでいた。

「――先客が居たのかい。

リュウジ……久し振りだねぇ」

「……おぅ、そうだな、オリエ」

この、リュウジという男は、娼街一帯を取り仕切る、ヤクザ 組織いっかの幹部である。

オリエと彼は、子供の頃から面識があり、このオウビの街で共に育った――半ば"腐れ縁"の様な関係だ。


「珍しいじゃないかい?、アンタが婆さんのトコに来てるだなんてさぁ?」

オリエが、ニタニタとからかう様に言うと、リュウジは――

「今日は――"おめぇんトコのバケモノ"と契った、嬢ちゃんへのシノギ賃を渡す日だからな」

――と、来店理由を説明する。


"おめぇんトコのバケモノ"とは、恐らく――ソウタの事を指すのだろうが、その後の部分の説明は、少し待って頂きたい。


「いつもなら、舎弟若ぇのに、渡すのを任せるんだが――ふいと、婆さんの肴を食いたくなってな。

俺が出張るコトにしたのよ」

そう補足して、リュウジは猪口に残った酒を煽る。


「――よし!、終わりだぁ!、

――で、お嬢、用向きはなんだい?」

野菜を切り終えたフミは、手を洗いながらオリエの方を向く…

「ああ、ちょいと珍しい菓子を手に入れてねぇ。

それを、婆さんへのお裾分けを兼ねて、ウチで売るに値する品物モンか、味を試して貰おうと――あっ!、レン!、入んな!」

オリエは、レンを店内に入れるのをすっかり忘れていた事に気付き、慌てて彼女を声高に呼んだ。


「――失礼、します……」

――と、レンは何故か、そぉ~と忍ぶ様に入店する。

「おや?、見慣れない顔だねぇ……」

フミは顎に手を置き、値踏みする様にレンの様子を窺う。

「ああ、最近、おトキさんの代わりに、屋敷の管理を任す事にした、レンっていう娘さ」

オリエは、レンに手を向けて、フミに彼女を紹介する。

「はっ!、はい!、はじめまして!、レンと申します、よろしくお願いします」

――と、レンは深々と頭を下げ、フミに挨拶する。

「――ん?、もしかして、ミツカが言ってた……」

そこまで、フミが言いかけた所で、話に耳を傾けていたリュウジが――

「――ウワサの、"バケモノの恋人イロ"かぁ?!」

――と、酒を吹き出しそうな勢いで口を挟んだ。

「……えっ?」

レンが、二人の発言の意味を、上手く理解出来ずに聞いていると――

「なんだい、リュウジ――随分と、おめぇのトコだと、ハナシが先に進んでるねぇ?

アタシが、ミツカに聞いたのは――ソウタが、お嬢んトコに可愛い娘を連れ込んだらしいとしか……」

そこまでを聞いて、レンはこの強面の着流し男が、"バケモノ"と呼んだのがソウタの事だと気付き、それに付帯した"イロ"というフレーズから、自分がソウタの――"恋人"であると思われていると悟り、それを過敏に反応したレンは、ナニを想像したのか……釜の火が燃え上がるかの如く、真っ赤に顔を火照らせた。

「おらぁ――若えモンに、ヨクセの新入りは、バケモノのイロらしいと聞いたから、一家ウチのモンが、間違っても"手"を出したりしたら、一家の壊滅――オウビ中に血の雨が降る線まであるから、ヘタを噛ますじゃあねぇぞと、言ったばかりだ。

そういや、その話の出所も――」


――トントン!


リュウジの話を遮るように、また、古びれた引き戸を叩く音が響く……今度は少し、乱暴に。


「――婆さん!、アタシ!、連れて来たよ!」

今度は、レンも聞き覚えのある声だった。

「ウワサをすれば――だねぇ、ミツカ!、入んな!」

フミの応対に返答もせず、ミツカは無造作に引き戸を開けて、狭い店内に入って来た。

「……なんだい?、ウワサがどうとか聞こえたけど?」

当然の様に、挨拶も無く、ミツカは無遠慮に問いながら――

「――あらぁ!?、姐さん!、それに……ソウタが連れてた嬢ちゃんじゃないかい!」

――と、嬉しそうに言って、二人に抱き着いた。


今日も――"あんなトコロ"が、ハッキリと見えてしまっても、お構い無しに。


「ごっ、ご無沙汰してます……」

「ふ~ん……上手く、姐さんに雇って貰えたんだねぇ」

ミツカは、ニヤニヤと笑って、レンの姿を見据える。


「――ミツカぁ、話は後にしろ。

嬢ちゃんも、店に入れてやるのが先だ」

話を遮られたお返しとばかりに、リュウジは、"何かを"ミツカに催促する。

「はいはい――お頭、解ってますよぉ。

ユキ、ゆっくり、おいで……」

ミツカが、店の外に向けて優しい口調でそう言うと、引き戸がおずおずと揺れる音が聴こえ、外から静かに、女性の人影が入ってくる。

「――ミツカさん、連れて来てくれて、ありがと……」

そう言いながら入って来た女性は、レンと同年代ぐらいに見える、妙齢の小柄な女だった。


顔立ちも、レンとさほど遜色無い美人だが、一つ、決定的な特徴がある。

彼女は――長い手拭いで、両目を覆っていた。


レンは少し、キョトンとして、ワケが解らさそうな様で、その目を隠した女の挙動を凝視する。


目を隠した女を、ミツカは支える様に手を差し出し、女を椅子へ座らせる。

そんな様を観て、レンは気付いた。

(――!?、この女性ひと……目が、見えないの?)

レンの様子に、彼女が気付いたコトを察したオリエは、小声で――

「あのユキって娘はね?、リュウジの"孫分"……元舎弟んトコの若衆に襲われて、両目をドスで抉られちまったのさ」

――と、目を隠した女……ユキの抱える事情を教えた。

「……っ!」

驚き、言葉を失うレンへ、オリエは続ける――

「――で、そん時、アタシが娼婦このこたちの用心棒を、ソウタに頼んでいてね……アイツは、報復にその舎弟の一家を皆殺しにして、舎弟とその子分の首を、親分筋のリュウジに突き付けた。

筋の通らねぇ、舎弟とその子分の贖罪おとしまえとして、おユキの面倒を一生涯見ろっていう、契りをさせたのさ」


「――嬢ちゃん、今月のシノギだ」

ユキの隣りに席を替えたリュウジは、紙袋に入れた大きい金貨3枚を、ミツカとフミに見せて、ユキに握らせる。

「あっ、お頭……ありがとうございます」


大金貨3枚というのは、この街で暮らすにも充分な額である。


「ミツカも――世話、してくれてるみてぇだな」

「ええ、アタシだけじゃなく――"みんなで"、だけどね」

リュウジの労いに、ミツカは照れ臭そうにそう言って、こめかみを掻く。


ユキは、近くにある娼婦たちの集会所で、住み込みの留守居役として暮らしている――彼女が不自由な面を、娼婦仲間皆が、カバーする形で。


「――ホント、この娘たちは、ユキへの"シノギ賃"にも、悪さ一つしねぇからねぇ……関心してるよ」

――と、フミが腕を組んで、うんうんと頷く。

「まったくだ――おめぇらは、女にしとくのがもったいねぇ、"侠気持ち"だぜ」

リュウジも同意して、ミツカたちの侠気を褒める。


「婆さん、お頭――よしとくれよぉ~!」

ミツカは綻ぶ口元を抑え、恥ずかしそうに手を横に振り――

「――アタシたちはさ、ソウタに嫌われたくねぇだけさね♡

ユキの世話は、"惚れたオトコ"に、頼まれた仕事だからね」

――と、遠い目をして、小指を噛み…頬を紅潮させながら言う。


(えっ?!、いっ!、今の様子ってぇ……)

レンは、直感的に、ミツカの発言が、酔狂な戯れ言の類ではないコトを察した。


「――わははっ!、ホントに、アイツはバケモノだぜ~っ!

何せ、集会所を出入りしてる、百は下らねぇこの街の娼婦ら……全員をてめぇに惚れさせて、風みてぇに去って行きやがったんだからなぁ♪」

――と、リュウジは呆れた様に笑いながら、そう言って、猪口の酒をあおる。


そのリュウジの言葉を、唖然として聞いていたレンの耳元に、オリエが――

「――そ♪、ソウタにはねぇ……百人以上の"オウビ妻"が居るのよぉ~♪、レンも大変ねぇ、ライバル多くてさ♪」

――と、ニヤニヤと笑いながら囁いて、彼女をからかう。


ソウタを庇わせて貰うと、彼は誰一人とも"カンケイ"を持ってはいないと、ココに強調しておく。


――それが、先日、レンがミツカと出会った時、彼女がソウタの事を――

『――相変らずウブねぇ♡』

――と、評していたのが証拠である。


――だが、オリエに、あんな補足情報を囁かれたレンは……耳年増な一面を全開にして、様々な想像を膨らませ、顔色を紅くしたり、青くしたりして、脳内を大混乱させていた。
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