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当世の刀聖
定宿
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「うわぁ~!」
本日、2度目の、レンの驚嘆の声である。
娼街のうらびれた街並みを通り抜け、今度は大きな屋敷が軒を並べる、オウビの中でも高級住宅街にカテゴリーされる一帯を歩くソウタとレンは、一軒の屋敷の門前に立っていた。
瓦屋根が敷かれた、立派な建物の造りは、平屋でこそはあるが、そこに住む者が持つ財力や権力の大きさを物語っている。
レンの驚嘆の声の意味は、市場街では田舎ではお目にかかれない人の多さへの驚きだったが、この屋敷を前にしての意味は、単純に、その建物が放つ威厳を受けてのモノである。
――ドンドンッ!
木造のこれまた立派な門を、ソウタは無造作に強く叩いた。
「――オリエさん!、居るんだろ?!」
ソウタが声高に、屋敷の主だと言う"オリエ"を呼ぶが、屋敷からの返答が無い。
「……やっぱ、屋敷への人の補充はしてねぇみたいだな。
返事が無いのが良い証拠だぜ」
ソウタはそう言うと、徐に力を込めて、門を開け始めた。
「?!、あっ!、あの……ソウタさん?」
テンの背中の上で、オロオロと顔を強張らせているレンは、周囲を気にしながら――
「だっ、大丈夫なんですか?、勝手に開けちゃって……屋敷の人に怒られるんじゃ?」
――と、素直な不安を吐露した。
「――大丈夫だよ。
言ったろ?、定宿にさせて……貰ってるってぇっ!」
ソウタは、なかなか開かない重い門を――
「つい、この前までならぁ……屋敷の管理を、任された婆さんが、一人居たんだがぁ――その婆さん、最近亡くなっちまって、この様子だと、荒れ放題に、してるんだろうなぁっ!」
――そう、苦笑しながらの説明と共に、テンが入れるぐらいの広さまで門を開けた。
「その婆さんの後任に、君をどうかと思って――連れて来たのさ」
「!?、こっ!、このお屋敷をですかぁ?!」
レンは、門を見ただけでもそれとなく解かる、この屋敷の周囲を見渡して――
(こんな凄い、お屋敷を管理する仕事に、私なんかを紹介するなんて……このお屋敷の持ち主と、ソウタさんとのカンケイって――?)
――と、心中で邪推したレンは、ソウタの姿をまじまじと見詰めて――
(……よく考えれてみれば、私、ソウタさんの事――優しい所と、親切な所しか見ていない。
旅の流者なのは、よく解かっているけど……一体、どんな生業をされているんだろう?)
――レンは、得体の知れなさが増して来た、ソウタという人間の底の深さに、不気味さと同時に興味も覚えていた。
「――よし、もう入れるな?」
二人は、重々しい音を響かせながら開いた門を抜け、ソウタは手を貸してレンを、テンの鞍上から降ろしてやる。
――先に見える、広い母屋へ連なる、びっしりと砂利が敷き詰められた、邸内の道に足を踏み入れたレンは、またもこの屋敷の威厳に圧倒された。
母屋への道の周りには、キレイに整備された庭園が広がっていて、都会の一角であるため、敷地の広さはそれほどでもないが――これもまた、持ち主の財力が伝わる立派な造りだ。
「庭は、定期的に専門の職人が来るから――そう、気にしなくても良いぜ?」
――と、ソウタは、辺りをキョロキョロと見渡しているレンの肩を軽く叩き、テンの馬具を外しながら、彼女へ励ます様な事を言う。
ソウタは、レンの落ち着かない様を、仕事への不安からだと早合点して言ったのだった。
その気遣いを、敏感に悟ったレンは――
「あっ、違うんです――ただ、お屋敷の凄さに驚いてしまって」
――と、照れ臭そうに頬を赤らめ、モジモジと下を向いた。
「そっか。
――さて、俺はテンを厩に置いて来るから、母屋の前で待ってな」
「はい、わかりました」
母屋へ続く道と、厩がある離れの方へ向う道へと別れ、レンは、とぼとぼと母屋の玄関へと歩いて行った。
(――ホント、静かで、誰も居ないみたい……)
レンが、そんなコトを考えながら歩くと、"敷地の広さはそれほどでもない"と、表したとおり、直ぐに母屋の玄関前に着いた。
「――えっ!?」
レンは、その玄関に掛かっている、暖簾に染め上げられている文字を見て――本日、3度目の驚嘆の声を挙げた。
『ああ、暖簾がかかっているから、居ないと思っていた屋敷の主が居ると思って――』
――いやいや、そんなレベルの驚きではない。
暖簾に記された文字の意味は、屋敷の主を示す重要なヒントだったからだ。
では何故、レンは驚いているのか?
それは――屋敷の主が、そのヒントを見ただけで、どの様な人物なのかが解かる名詞が、その暖簾に染め上げられているからである…
しかも、田舎娘のレンでも、すぐにピンっと来るほどの。
「――おまたせ。
おっ!、暖簾が掛かってるってコトは居るんだな、オリエさん」
テンを、厩に置いて来たソウタも、暖簾を見つけて――
「相変らず、呼んだのが聞こえねぇってコトは、来客をおトキ婆さんに任せっきりにする気が抜けてねぇな……」
――そう、未だ乏しい屋内からの反応に、呆れた様子で苦笑する。
一方のレンは、暖簾を凝視したまま――
「……あの、ソウタさん?」
――そう、震える声で尋ねて、錆付いた骨格で繋がれた人形の様に、ゆっくりと首を振り向かせてソウタの方を向く。
「暖簾に……"ヨクセ"と、入っているというコトは、ココって……ヨクセ商会の偉い方のお屋敷――ですよね?」
レンは、冷静に状況を判断して、そう尋ねた。
レンが言った"ヨクセ商会"というのは、ツクモでは知らぬ者などいないとされる、世界規模の商社の名前を指す。
ヨクセ商会とは、オウビを拠点に食料から武器まで、様々なモノの商いと物流を、津々浦々で行なっている大店である。
50年前にヨクセ商会を創業した、オリカズという流者は、小さな船会社の船乗りから身を起こし、先の大戦でも経済面で戦況を動かしたとまで言われている、稀代の大流者である。
ヨクセ商会は、その先の大戦以降、急激に業績を伸ばし、今ではヤマカキの様な田舎にまで、その名が知れ渡っている程なのである。
「――おっ!、やっぱり、レンは察しが良いなぁ♪
ああ、そうさ、この屋敷は……ヨクセの"頭領"の屋敷さ」
ソウタは、呆気なくそう答えた。
「――そっ?!、そそそそそそそっ!、そんなトコロに、私を?!」
ツクモ世界において、"商会"と名の付く組織の『頭領』ともなれば、解かり易く言い替えれば――大財閥の会長である。
レンは、そのソウタの豪気な提案と、娼婦から商会の頭領までという、彼の幅広過ぎる交友関係に心底驚いた。
「――じゃっ!、屋敷に入って、雇って貰う相談を……」
ソウタが、そう言って暖簾を避けて、戸を開けようとした、その時――
――ガラガラガラ……
――と、暖簾の向こうから、戸を引き開ける音がした。
「ソウタ――よね?」
そう言って、戸の向こうから出て来たのは、ピシッと決まった和服姿の女性だった。
年の頃は30代後半、ショートカットに短く整えられた黒髪には、飾り気こそは無いが、ボーイッシュと表するのは適当に思えない、熟れた色香も漂わせている。
和服の上には、暖簾と同じく"ヨクセ商会"と染め抜かれた法被を羽織っていて、商会の者であるのが一目で解かる。
女性を視認したソウタは――
「おっ!、ほら、やっぱり居たんじゃないっスかぁ、オリエさん。
居る気配はするのに、返事がねぇモンだから心配したんだぜ?」
――と、安堵した表情で笑顔を見せた。
彼女こそが、この屋敷の主であるヨクセ商会の頭領――オリエである。
「変に思ってたのは、コッチの方だよ。
どうせ、ソウタだろうと思って、勝手に入って来るはずと放って置いたら……"女の声"がしたモンだから」
オリエは、ソウタの後ろに居るレンに気付くと、表情を一気に強張らせ、直ぐにソウタの肩をむんずと掴み、自分の側へとグイッと引き寄せた。
「――なっ!、何すんだ?!、オリエさん!」
「あんたぁ――っ!、二十歳を過ぎたからって、ロクな甲斐性も持ってないクセに、定宿に女を連れ込もうって魂胆かい?!」
オリエは、鋭い眼光でソウタを睨み、平手打ちの構えを振り被った。
レンは、オリエのそのセリフを聞いて――
(――はっ?!、凌辱されるとか、遊郭に売られるとかは想定出来てたけど、その展開は想定していなかった!)
――そう考えて、ソウタに対して咄嗟に身構えを見せる。
「――違うっ!、違ぁ~うっ!、俺はそんなつもりなんて、微塵も思ってねぇ~っ!」
バタバタとオリエの手を振り解きながら、自身の身の潔白を訴えている、ソウタの横顔を見据えるレンは――
(……でも、ココまで世話を焼いてくれるぐらい、とっても良い人だからなぁ……もし、"そう"なっちゃったとしても、この際――ってぇ⁉、私っ!、ナニを考えているのぉぉぉっ⁉)
――と、自然としなっと緩んでいる、自らの姿勢を恥じて頬を赤らめた。
ソウタに対しての疑惑は、アッサリと解消され、二人は庭園が望める屋敷の居間へと通された。
「――そうかい。
ヤマカキでの一件に、実は、生き残りがいたとはねぇ……」
オリエは、ソウタからレンとの事の経緯を聞き、それを飲み干そうとする様に、茶を一口啜った。
「ああ――それで、両親を亡くして、行く所もねぇって言うから……住み込みで、アンタに雇って貰えねぇかなとね」
ソウタは、自分の練ったプランを全て、オリエに伝えた。
「ふむ――確かに、おトキさんの後任が決まらなくて、悩んではいたけど……」
オリエは、まじまじとレンの姿を見ながら、顎に手を置いて考えるそぶりを見せる。
「――だろうな、居間までは、客人が来る事もあるからキレイにしてても、戸を一つ開けると――」
「――あっ、ダメ!」
オリエの指摘を無視して、ソウタが隣室の襖を開けると――書物や書類が、乱雑に山積みされ、その上には埃が積もっていたりもしている、オリエが執務をしている部屋を晒した。
「――婆さんが居ないだけで、この有り様だ。
後釜探しは、仕事上、衛生上、共に急務でしょ?」
ソウタは、弱みを握った様で、決断に悩むオリエを揺さぶる。
「――何が出来る?」
――と、オリエは腕を組みながらレンの方に向き直り、改めて面接の類を始めた。
「はっ!?、はい!、家では母から家事を一通り仕込まれているので、お屋敷に関わるコトなら、一通り出来ると思います……」
レンは、緊張した面持ちで、懸命に答えた。
「う~ん……文字は読める?
おトキさんには、書類の整理とかも手伝って貰ってたんだけど……」
――いわゆる"圧迫面接"のつもりなのか、はたまた、レンが朴訥な田舎娘に見えるからか、オリエは識字が出来るかを問うて来た。
――ツクモの識字率は、せいぜい7割ほどだ。
特に、レンの様な地方出身者には、教育が行き届いていない地域もあるので、識字出来ない者も多い――スヨウとコウオウの国境、星石採掘が主要産業という、ヤマカキ村出身である事は、"それ"に引っ掛かる。
「大丈夫です――両親が、元々公者だったので、教えて貰っていました」
そんな、オリエとレンのやり取りに、ソウタが口を挟む。
「話した感じではあるが、この娘は、結構な水準の教育を受けてるぜ。
アンタが仕込めば、婆さん以上に手伝えると思うけどなぁ?」
――ちゃっかりと、ソウタはレンの採用を後押しし始めた。
「――アンタが使えないと思っても、せめて、しばらくは置いてやってくれねぇかな?
俺が、いつも借りるトコでも良いからさぁ……俺が、長く逗留してるとでも思って、頼むよ」
――と、終いにはレンの行く末を案じて、ソウタは頭を下げて懇願する。
「おやおや?、それじゃあ最初に言ったとおり、この娘を定宿のココに"囲う"ってのかい?」
「ぐっ……じゃあ、それでも良いよっ!、この娘を路頭に迷わせるよりはマシだっ!」
からかう態でのオリエからの問い掛けに、ソウタが渋々ではあるが、そうきっぱりと言い切ると、横のレンは先程の心境を思い出し、俯いて頬を染める。
「――へぇ、ビンボー流者のアンタに、そこまで言わせる娘かい……どうにかしてやりてぇ気持ちは、重々解かったよ。
まあ――アタシも、おトキさんが逝ってから、一人っきりでこの屋敷に居るのも、正直寂しかったからねぇ……」
「!、じゃあ――?!」
レンは目を輝かせ、オリエににじり寄る。
「ああ、採用さ――よろしく頼むよ」
オリエかのら嬉しい返事を受け、レンはホッとした表情で溜め息を吐き、心底の安堵感だからか、呆けた様子で涙を流した。
本日、2度目の、レンの驚嘆の声である。
娼街のうらびれた街並みを通り抜け、今度は大きな屋敷が軒を並べる、オウビの中でも高級住宅街にカテゴリーされる一帯を歩くソウタとレンは、一軒の屋敷の門前に立っていた。
瓦屋根が敷かれた、立派な建物の造りは、平屋でこそはあるが、そこに住む者が持つ財力や権力の大きさを物語っている。
レンの驚嘆の声の意味は、市場街では田舎ではお目にかかれない人の多さへの驚きだったが、この屋敷を前にしての意味は、単純に、その建物が放つ威厳を受けてのモノである。
――ドンドンッ!
木造のこれまた立派な門を、ソウタは無造作に強く叩いた。
「――オリエさん!、居るんだろ?!」
ソウタが声高に、屋敷の主だと言う"オリエ"を呼ぶが、屋敷からの返答が無い。
「……やっぱ、屋敷への人の補充はしてねぇみたいだな。
返事が無いのが良い証拠だぜ」
ソウタはそう言うと、徐に力を込めて、門を開け始めた。
「?!、あっ!、あの……ソウタさん?」
テンの背中の上で、オロオロと顔を強張らせているレンは、周囲を気にしながら――
「だっ、大丈夫なんですか?、勝手に開けちゃって……屋敷の人に怒られるんじゃ?」
――と、素直な不安を吐露した。
「――大丈夫だよ。
言ったろ?、定宿にさせて……貰ってるってぇっ!」
ソウタは、なかなか開かない重い門を――
「つい、この前までならぁ……屋敷の管理を、任された婆さんが、一人居たんだがぁ――その婆さん、最近亡くなっちまって、この様子だと、荒れ放題に、してるんだろうなぁっ!」
――そう、苦笑しながらの説明と共に、テンが入れるぐらいの広さまで門を開けた。
「その婆さんの後任に、君をどうかと思って――連れて来たのさ」
「!?、こっ!、このお屋敷をですかぁ?!」
レンは、門を見ただけでもそれとなく解かる、この屋敷の周囲を見渡して――
(こんな凄い、お屋敷を管理する仕事に、私なんかを紹介するなんて……このお屋敷の持ち主と、ソウタさんとのカンケイって――?)
――と、心中で邪推したレンは、ソウタの姿をまじまじと見詰めて――
(……よく考えれてみれば、私、ソウタさんの事――優しい所と、親切な所しか見ていない。
旅の流者なのは、よく解かっているけど……一体、どんな生業をされているんだろう?)
――レンは、得体の知れなさが増して来た、ソウタという人間の底の深さに、不気味さと同時に興味も覚えていた。
「――よし、もう入れるな?」
二人は、重々しい音を響かせながら開いた門を抜け、ソウタは手を貸してレンを、テンの鞍上から降ろしてやる。
――先に見える、広い母屋へ連なる、びっしりと砂利が敷き詰められた、邸内の道に足を踏み入れたレンは、またもこの屋敷の威厳に圧倒された。
母屋への道の周りには、キレイに整備された庭園が広がっていて、都会の一角であるため、敷地の広さはそれほどでもないが――これもまた、持ち主の財力が伝わる立派な造りだ。
「庭は、定期的に専門の職人が来るから――そう、気にしなくても良いぜ?」
――と、ソウタは、辺りをキョロキョロと見渡しているレンの肩を軽く叩き、テンの馬具を外しながら、彼女へ励ます様な事を言う。
ソウタは、レンの落ち着かない様を、仕事への不安からだと早合点して言ったのだった。
その気遣いを、敏感に悟ったレンは――
「あっ、違うんです――ただ、お屋敷の凄さに驚いてしまって」
――と、照れ臭そうに頬を赤らめ、モジモジと下を向いた。
「そっか。
――さて、俺はテンを厩に置いて来るから、母屋の前で待ってな」
「はい、わかりました」
母屋へ続く道と、厩がある離れの方へ向う道へと別れ、レンは、とぼとぼと母屋の玄関へと歩いて行った。
(――ホント、静かで、誰も居ないみたい……)
レンが、そんなコトを考えながら歩くと、"敷地の広さはそれほどでもない"と、表したとおり、直ぐに母屋の玄関前に着いた。
「――えっ!?」
レンは、その玄関に掛かっている、暖簾に染め上げられている文字を見て――本日、3度目の驚嘆の声を挙げた。
『ああ、暖簾がかかっているから、居ないと思っていた屋敷の主が居ると思って――』
――いやいや、そんなレベルの驚きではない。
暖簾に記された文字の意味は、屋敷の主を示す重要なヒントだったからだ。
では何故、レンは驚いているのか?
それは――屋敷の主が、そのヒントを見ただけで、どの様な人物なのかが解かる名詞が、その暖簾に染め上げられているからである…
しかも、田舎娘のレンでも、すぐにピンっと来るほどの。
「――おまたせ。
おっ!、暖簾が掛かってるってコトは居るんだな、オリエさん」
テンを、厩に置いて来たソウタも、暖簾を見つけて――
「相変らず、呼んだのが聞こえねぇってコトは、来客をおトキ婆さんに任せっきりにする気が抜けてねぇな……」
――そう、未だ乏しい屋内からの反応に、呆れた様子で苦笑する。
一方のレンは、暖簾を凝視したまま――
「……あの、ソウタさん?」
――そう、震える声で尋ねて、錆付いた骨格で繋がれた人形の様に、ゆっくりと首を振り向かせてソウタの方を向く。
「暖簾に……"ヨクセ"と、入っているというコトは、ココって……ヨクセ商会の偉い方のお屋敷――ですよね?」
レンは、冷静に状況を判断して、そう尋ねた。
レンが言った"ヨクセ商会"というのは、ツクモでは知らぬ者などいないとされる、世界規模の商社の名前を指す。
ヨクセ商会とは、オウビを拠点に食料から武器まで、様々なモノの商いと物流を、津々浦々で行なっている大店である。
50年前にヨクセ商会を創業した、オリカズという流者は、小さな船会社の船乗りから身を起こし、先の大戦でも経済面で戦況を動かしたとまで言われている、稀代の大流者である。
ヨクセ商会は、その先の大戦以降、急激に業績を伸ばし、今ではヤマカキの様な田舎にまで、その名が知れ渡っている程なのである。
「――おっ!、やっぱり、レンは察しが良いなぁ♪
ああ、そうさ、この屋敷は……ヨクセの"頭領"の屋敷さ」
ソウタは、呆気なくそう答えた。
「――そっ?!、そそそそそそそっ!、そんなトコロに、私を?!」
ツクモ世界において、"商会"と名の付く組織の『頭領』ともなれば、解かり易く言い替えれば――大財閥の会長である。
レンは、そのソウタの豪気な提案と、娼婦から商会の頭領までという、彼の幅広過ぎる交友関係に心底驚いた。
「――じゃっ!、屋敷に入って、雇って貰う相談を……」
ソウタが、そう言って暖簾を避けて、戸を開けようとした、その時――
――ガラガラガラ……
――と、暖簾の向こうから、戸を引き開ける音がした。
「ソウタ――よね?」
そう言って、戸の向こうから出て来たのは、ピシッと決まった和服姿の女性だった。
年の頃は30代後半、ショートカットに短く整えられた黒髪には、飾り気こそは無いが、ボーイッシュと表するのは適当に思えない、熟れた色香も漂わせている。
和服の上には、暖簾と同じく"ヨクセ商会"と染め抜かれた法被を羽織っていて、商会の者であるのが一目で解かる。
女性を視認したソウタは――
「おっ!、ほら、やっぱり居たんじゃないっスかぁ、オリエさん。
居る気配はするのに、返事がねぇモンだから心配したんだぜ?」
――と、安堵した表情で笑顔を見せた。
彼女こそが、この屋敷の主であるヨクセ商会の頭領――オリエである。
「変に思ってたのは、コッチの方だよ。
どうせ、ソウタだろうと思って、勝手に入って来るはずと放って置いたら……"女の声"がしたモンだから」
オリエは、ソウタの後ろに居るレンに気付くと、表情を一気に強張らせ、直ぐにソウタの肩をむんずと掴み、自分の側へとグイッと引き寄せた。
「――なっ!、何すんだ?!、オリエさん!」
「あんたぁ――っ!、二十歳を過ぎたからって、ロクな甲斐性も持ってないクセに、定宿に女を連れ込もうって魂胆かい?!」
オリエは、鋭い眼光でソウタを睨み、平手打ちの構えを振り被った。
レンは、オリエのそのセリフを聞いて――
(――はっ?!、凌辱されるとか、遊郭に売られるとかは想定出来てたけど、その展開は想定していなかった!)
――そう考えて、ソウタに対して咄嗟に身構えを見せる。
「――違うっ!、違ぁ~うっ!、俺はそんなつもりなんて、微塵も思ってねぇ~っ!」
バタバタとオリエの手を振り解きながら、自身の身の潔白を訴えている、ソウタの横顔を見据えるレンは――
(……でも、ココまで世話を焼いてくれるぐらい、とっても良い人だからなぁ……もし、"そう"なっちゃったとしても、この際――ってぇ⁉、私っ!、ナニを考えているのぉぉぉっ⁉)
――と、自然としなっと緩んでいる、自らの姿勢を恥じて頬を赤らめた。
ソウタに対しての疑惑は、アッサリと解消され、二人は庭園が望める屋敷の居間へと通された。
「――そうかい。
ヤマカキでの一件に、実は、生き残りがいたとはねぇ……」
オリエは、ソウタからレンとの事の経緯を聞き、それを飲み干そうとする様に、茶を一口啜った。
「ああ――それで、両親を亡くして、行く所もねぇって言うから……住み込みで、アンタに雇って貰えねぇかなとね」
ソウタは、自分の練ったプランを全て、オリエに伝えた。
「ふむ――確かに、おトキさんの後任が決まらなくて、悩んではいたけど……」
オリエは、まじまじとレンの姿を見ながら、顎に手を置いて考えるそぶりを見せる。
「――だろうな、居間までは、客人が来る事もあるからキレイにしてても、戸を一つ開けると――」
「――あっ、ダメ!」
オリエの指摘を無視して、ソウタが隣室の襖を開けると――書物や書類が、乱雑に山積みされ、その上には埃が積もっていたりもしている、オリエが執務をしている部屋を晒した。
「――婆さんが居ないだけで、この有り様だ。
後釜探しは、仕事上、衛生上、共に急務でしょ?」
ソウタは、弱みを握った様で、決断に悩むオリエを揺さぶる。
「――何が出来る?」
――と、オリエは腕を組みながらレンの方に向き直り、改めて面接の類を始めた。
「はっ!?、はい!、家では母から家事を一通り仕込まれているので、お屋敷に関わるコトなら、一通り出来ると思います……」
レンは、緊張した面持ちで、懸命に答えた。
「う~ん……文字は読める?
おトキさんには、書類の整理とかも手伝って貰ってたんだけど……」
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――ツクモの識字率は、せいぜい7割ほどだ。
特に、レンの様な地方出身者には、教育が行き届いていない地域もあるので、識字出来ない者も多い――スヨウとコウオウの国境、星石採掘が主要産業という、ヤマカキ村出身である事は、"それ"に引っ掛かる。
「大丈夫です――両親が、元々公者だったので、教えて貰っていました」
そんな、オリエとレンのやり取りに、ソウタが口を挟む。
「話した感じではあるが、この娘は、結構な水準の教育を受けてるぜ。
アンタが仕込めば、婆さん以上に手伝えると思うけどなぁ?」
――ちゃっかりと、ソウタはレンの採用を後押しし始めた。
「――アンタが使えないと思っても、せめて、しばらくは置いてやってくれねぇかな?
俺が、いつも借りるトコでも良いからさぁ……俺が、長く逗留してるとでも思って、頼むよ」
――と、終いにはレンの行く末を案じて、ソウタは頭を下げて懇願する。
「おやおや?、それじゃあ最初に言ったとおり、この娘を定宿のココに"囲う"ってのかい?」
「ぐっ……じゃあ、それでも良いよっ!、この娘を路頭に迷わせるよりはマシだっ!」
からかう態でのオリエからの問い掛けに、ソウタが渋々ではあるが、そうきっぱりと言い切ると、横のレンは先程の心境を思い出し、俯いて頬を染める。
「――へぇ、ビンボー流者のアンタに、そこまで言わせる娘かい……どうにかしてやりてぇ気持ちは、重々解かったよ。
まあ――アタシも、おトキさんが逝ってから、一人っきりでこの屋敷に居るのも、正直寂しかったからねぇ……」
「!、じゃあ――?!」
レンは目を輝かせ、オリエににじり寄る。
「ああ、採用さ――よろしく頼むよ」
オリエかのら嬉しい返事を受け、レンはホッとした表情で溜め息を吐き、心底の安堵感だからか、呆けた様子で涙を流した。
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異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。
珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に!
やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活!
右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり!
アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。
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