弟がいた時間(きせつ)

川本明青

文字の大きさ
上 下
36 / 46
8 奈留の役割

しおりを挟む
病院の、道路を挟んだ向かいにあるファミレスに入った。

時間帯のせいか空いている。奈瑠たちは窓際のボックス席に座った。

「昨日、知世ちゃんと会ったの」

「えっ」

「向こうから会えませんかって連絡が来て、それで。勇樹たち、別れたんだってね」

勇樹はやはり元気がないように見える。引きずっているのだろうか。

「でも、けんか別れみたいなことではなかったんでしょう? 知世ちゃんは、これからも勇樹は大切な人に変わりないって言ってた」

「うん」

「知世ちゃんから、合鍵返すの忘れてたから、わたしから返しておいてほしいって頼まれたんだけど、今日は持って来てないの。まさかこんな所で会うとは思ってなかったし。また今度持って行くね」

嘘だった。本当は、失くさないようにと自分の家の鍵と一緒にキーホルダーに付けて持っていたのに、それを返してしまったら、もう二度と会えなくなってしまうような気がしたのだ。

「ねえ勇樹……」

昨日見たことを話すかどうか迷った。女子高生と関係を持つなんて許されることではないけれど、また部外者がしゃしゃり出て事態を引っ掻き回すことはしたくない。なのに……。

「あの子とつき合ってるの?」

結局口に出してしまった。

「え?」

「ごめん。昨日見ちゃったの。勇樹と女子高生が、家の中に入って行くの……」

「…………」

「知世ちゃんと会った後にね、勇樹んちまで行ったの。鍵を返そうと思って。そしたら、偶然……」

勇樹は黙っている。否定しないということは、認めたということなのだろうか。やはりどうも顔色がよくない。

「ねえ勇樹、やっぱりちょっと体調悪いんじゃないの? どうして病院に?」

少しの沈黙の後、勇樹はおもむろに口を開いた。

「ガンが、見つかって……」

「えっ……」

「ステージⅡaの、乳ガン……あ、俺がじゃなくて、母親が」

「えっ……」

驚いて、また驚いた。だから勇樹の顔色はよくなかったのだ。

「それでさっき病院にいたの? 手術は?」

「手術は明日なんだ。今日、入院したところで」

「そうだったんだ……」

「昨日電話してきて、『乳がんになっちゃって、手術受けるために明日入院するから一応言っとくわね』って、いきなり……。俺に心配させないようにギリギリになって言ったんだと思う」

注文した飲み物が運ばれてきても、勇樹は手を付けようとはしなかった。

「Ⅱaの乳がんの五年生存率って八十パーセントを超えるらしいんだ。でも裏を返せば、二十パーセントは死んじゃうってことだろ」

「そんなふうに考えちゃ……」

「俺何も言えなかったんだ。電話もらったとき。何て言ったらいいのかわからなかった。普段からあんまり連絡もとらないし、あの人は好きな仕事をして、元気に生きてるのが普通って思ってたんだよな。だけど一瞬で怖くなった。もし死んじゃったらって思うと。なんでもっと気にかけてやらなかったんだろうって。本当はすごく心細かったと思うんだ。ガンだってわかって。でも、俺には昨日まで黙ってて。俺ずっと親不孝してきたからさ、母さんがこのままいなくなったらって思うと泣けてきちゃって。育ててもらった恩返しもまだ何もしてないのにさ。隆治が死んで、ばあちゃんが死んで、また大事な人を亡くすかもしれないって思ったら、俺……」

「勇樹……」

「昨日は車で出かけてなかったから、電車に乗って帰るのに涙止めなきゃって思うんだけど、そうすると逆に止まらなくて。それを、駅でたまたま見られたんだ。あの子に。それで彼女、また俺の後を付いて来てたみたいで。前のときと同じパターンだよ。俺は全然気づいてなくて、家に入ろうとしたらいきなり声をかけられた。俺、不安で、ちょっとでも誰かにそばにいてほしくて、それで、彼女と一緒に家の中に……。でも何もない。姉ちゃんが心配してるようなことは何も。誓ってない。昨日は俺の方が子供みたいだった。彼女は大人だよ。実は彼女のお母さんも一昨年同じ病気で亡くなってるんだ。それは以前再会したときに聞いていて。彼女『勇樹先生のお母さんは絶対大丈夫だよ。うちのお母さんとはステージだって違うんだから。勇樹先生がそんな顔してたらお母さん困るでしょ』って言って抱きしめてくれた。すごく、ありがたかったよ」

そういうことだったのかと思った。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる

Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。 でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。 彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。

アラフォー×バツ1×IT社長と週末婚

日下奈緒
恋愛
仕事の契約を打ち切られ、年末をあと1か月残して就職活動に入ったつむぎ。ある日街で車に轢かれそうになるところを助けて貰ったのだが、突然週末婚を持ち出され……

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

自信家CEOは花嫁を略奪する

朝陽ゆりね
恋愛
「あなたとは、一夜限りの関係です」 そのはずだったのに、 そう言ったはずなのに―― 私には婚約者がいて、あなたと交際することはできない。 それにあなたは特定の女とはつきあわないのでしょ? だったら、なぜ? お願いだからもうかまわないで―― 松坂和眞は特定の相手とは交際しないと宣言し、言い寄る女と一時を愉しむ男だ。 だが、経営者としての手腕は世間に広く知られている。 璃桜はそんな和眞に憧れて入社したが、親からもらった自由な時間は3年だった。 そしてその期間が来てしまった。 半年後、親が決めた相手と結婚する。 退職する前日、和眞を誘惑する決意をし、成功するが――

本日、私の大好きな幼馴染が大切な姉と結婚式を挙げます

結城芙由奈 
恋愛
本日、私は大切な人達を2人同時に失います <子供の頃から大好きだった幼馴染が恋する女性は私の5歳年上の姉でした。> 両親を亡くし、私を養ってくれた大切な姉に幸せになって貰いたい・・・そう願っていたのに姉は結婚を約束していた彼を事故で失ってしまった。悲しみに打ちひしがれる姉に寄り添う私の大好きな幼馴染。彼は決して私に振り向いてくれる事は無い。だから私は彼と姉が結ばれる事を願い、ついに2人は恋人同士になり、本日姉と幼馴染は結婚する。そしてそれは私が大切な2人を同時に失う日でもあった―。 ※ 本編完結済。他視点での話、継続中。 ※ 「カクヨム」「小説家になろう」にも掲載しています ※ 河口直人偏から少し大人向けの内容になります

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

イケメン御曹司、地味子へのストーカー始めました 〜マイナス余命1日〜

和泉杏咲
恋愛
表紙イラストは「帳カオル」様に描いていただきました……!眼福です(´ω`) https://twitter.com/tobari_kaoru ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 私は間も無く死ぬ。だから、彼に別れを告げたいのだ。それなのに…… なぜ、私だけがこんな目に遭うのか。 なぜ、私だけにこんなに執着するのか。 私は間も無く死んでしまう。 どうか、私のことは忘れて……。 だから私は、あえて言うの。 バイバイって。 死を覚悟した少女と、彼女を一途(?)に追いかけた少年の追いかけっこの終わりの始まりのお話。 <登場人物> 矢部雪穂:ガリ勉してエリート中学校に入学した努力少女。小説家志望 悠木 清:雪穂のクラスメイト。金持ち&ギフテッドと呼ばれるほどの天才奇人イケメン御曹司 山田:清に仕えるスーパー執事

片想い婚〜今日、姉の婚約者と結婚します〜

橘しづき
恋愛
 姉には幼い頃から婚約者がいた。両家が決めた相手だった。お互いの家の繁栄のための結婚だという。    私はその彼に、幼い頃からずっと恋心を抱いていた。叶わぬ恋に辟易し、秘めた想いは誰に言わず、二人の結婚式にのぞんだ。    だが当日、姉は結婚式に来なかった。  パニックに陥る両親たち、悲しげな愛しい人。そこで自分の口から声が出た。 「私が……蒼一さんと結婚します」    姉の身代わりに結婚した咲良。好きな人と夫婦になれるも、心も体も通じ合えない片想い。

処理中です...