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3 夏の終わり

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「噓じゃないわよね……」

 加奈さんが出て行ったあと、奥さんがぽつりと言った。

「嘘って?」

 わたしは奥さんの顔を見た。

「前に一度あったのよ。さっきと同じように、お会計のときに、財布を失くしたから支払いを待ってほしいって。で、その時も名前と連絡先を聞いてたんだけど、いつまでたっても音沙汰がなくて。電話してみたら、全然知らない人が出たの。話しぶりから、多分本当に無関係の人だったんだと思うわ。きっと名前や住所もデタラメだったんでしょうね」

「それでどうしたんですか? 警察に言ったんですか?」

 奥さんは横に首を振った。

「泣き寝入りよ。警察に言ったってどうせ無駄でしょ。どこの誰だかわからないし、もうそこら辺にはいないんだろうし。それに大した額でもないから、警察なんかに行って大げさになるのも面倒くさかったのよね」

「いくらだったんですか?」

「千五、六百円だったかな」

「でも、さっきの人はそんなことする人には見えませんでしたよね」

 わたしはそう感じたのだった。

「それがね、前の時も全然そんな風には見えなかったのよ。やっぱり若い女の人でね、身なりも言葉遣いもちゃんとしてて」

「まあたしかに、そうは見えないからこそ騙されるんであって、『いかにも』だったら詐欺は成り立たないわよね。それにそういう人たちって、それくらいの絶妙の金額を狙ってやってるんだと思うわ。金額が大きいと警察に通報される確率が高いけど、千円とか二千円ぐらいなら、奥さんが言ったみたいに、逆に警察に行くのも面倒って思う人の方が圧倒的に多いんじゃない?」

 清風さんがそう言ってお茶を口に運ぶと、今度は悠斗君が口を開いた。

「電話番号が本当に本人のものかだけでも確認させてもらえばよかったですね。スマホ見せてもらって」

 それはいいかもしれない。今となってはもう遅いけれど。

「まあいいじゃないか。本当に困っているかもしれないんだから。どっちにしろ無いものを出せとは言えないし」

 みんなの言うことは、たしかにそれぞれ一理ある。なかなか難しい問題だ。

 それからしばらく、また清風さんのお見合いの話で盛り上がっていると、交番に行った加奈さんが泣きそうな顔で戻って来た。

「お財布、届いてなかったんですか?」

 わたしは恐る恐る聞いた。

「はい。それで…………」

 加奈さんは少しうつむいて口ごもったまま突っ立っている。

「それで……何ですか」

 わたしはそっと促すように言った。加奈さんは自分を落ち着けるかのように短く一つ深呼吸をした。

「大変申し上げにくいんですが、お金を、貸して頂けないでしょうか」

 一瞬静かになった。今さっき詐欺の話をしていたばかりだ。これはもしや、という思いが、多少なりとも誰の頭にも浮かんだに違いない。飲食代のみならず、さらにお金まで借りるという一歩先行く詐欺ねえさんだったとしたら……。

「とりあえず、座って」

 マスターが言った。加奈さんは空いているカウンター席に腰掛けた。

「交番へは、ちゃんと行ったんだよね?」

 マスターが尋ねる。

「行きました。そして遺失届っていうのを出してきました。今のところは、どこの交番にも届いていないということでした。拾われて届け出があり次第携帯に連絡をくれるらしいんですけど、届くかどうかもわからないし、警察でお金を貸して頂けないか頼んだんです。だけどそういうことはできないって断られてしまって……」

 奥さんが少し驚いたように口を開いた。

「できないの? 昔そういう話聞いたことあるような気がするけど。今はダメなのかしら。一般市民が困ってるっていうのに警察は助けてくれないんだ?」

 全くそのとおりだ。何なんだ警察。でも、それって本当の話だろうか……。

 加奈さんはさらに続けた。

「モバイルの電子マネーはあるんですけど、100パーセントどこでも使えるわけではないし、ポストペイなのでクレジットカードを止めちゃうと……」

 つまるところ、加奈さんがモバイルで使っている電子マネーはクレジットカードと紐づいているので、カードを止めると使えるのかわからないということらしい。

「桜木加奈さんだっけ? それで、いくら貸してほしいわけ?」

 どことなく探るような口調で清風さんが尋ねた。

「二千円あれば、何とか……」

「たった二千円? だってあなた横浜から来てるんでしょ?」

「帰りの飛行機のチケットはもう取ってあるし、宿泊代も先に支払ってあるんです。だから、空港までのバス代があれば……」

 どうも話ができ過ぎている気がしないでもない。だって、二千円。警察に行こうと思わせない程度の、絶妙な金額。

「でも食事もとらなきゃいけないでしょう? 何かと雑費もかかるんじゃない?」

「広島空港までのバス代は千円ちょっとだったから、いくらか余裕があるので」

「羽田から家まではどうやって帰るの?」

「家族に連絡して迎えに来てもらうか、タクシーでも。向こうに着けばどうとでもなりますから」

 清風さんは少しの間何か考えている様子だったけれど、ちらっと悠斗君に目配せしてから加奈さんに言った。

「ねえ、あなたのスマホ見せてくれない?」

 加奈さんはキョトンとしている。

「失礼かもしれないけど、あなたがさっき書いてくれた電話番号、本当にそうなのか確かめさせてほしいの。だってあなたが桜木加奈さんだって証明するものが何にも無いんだもの」
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