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2 マコト君と悠斗君

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「はい。お茶どうぞ」

 奥さんがお茶を出すと、おばあちゃんはうれしそうに丁寧に頭を下げた。

 おばあちゃんがお茶を飲むのを待って、清風さんが話しかけた。

「おばあちゃんお名前は?」

「神山幸子」

「カミヤマサチコさんって言うの?」

 おばあちゃんは子供のようにうなずく。清風さんのことをヒデユキと呼んでいるのに、そのヒデユキから「お名前は?」と聞かれても疑問に感じないのだろうか。それにそもそも、神山幸子さんというのは本当にこのおばあちゃんの名前なんだろうか。

「あんた、この辺で神山さんって知ってる?」

 わたしは横に首を振った。

「ねえ奥さん、この辺で神山さんって知ってる?」

「知らないわねえ。あなた知ってる?」

 マスターも、「わからないなあ」と首を捻った。

「どうしたらいいのかしら」

 清風さんはおばあちゃんの顔を見ながらカウンターの上に頬杖をついた。

「交番に連れて行くのが一番いいんじゃないか? っていうかそれしかないよ。家族だって、自分たちで捜して見つからなかったら警察に言うだろうから」

「そうよねえ。じゃあおばあちゃん、そのお茶飲んだら一緒に交番行こうか」

「ヒデユキと一緒に?」

「そう。俺と一緒に」

 清風さんはやさしく言った。ヒデユキさんというのは、このおばあちゃんの何なんだろう。息子か、孫か。どっちにしろ、心を許したとても大事な存在なのだろう。

「そうだ奥さん、サンダルか何かお店に置いてないですか?」

 わたしは聞いた。

「サンダル? 置いてないわね。どうして?」

「おばあちゃん裸足なんです」

「そうだったの? あら……」

「じゃあわたし、ちょっとその辺で何か履くもの買ってきます」

 わたしが立ち上がると、清風さんは「待って。これで」と言って一万円札を差し出した。わたしはそれを受け取ってお店を出た。



 交番まではそう遠くない。おばあちゃんを負ぶった清風さんと、ゆっくりと歩いて向かう。

 おばあちゃんは、わたしが買ってきたカーキ色の“偽物のクロックス”を履いている。いったいどれだけ裸足で街を彷徨ったんだろうと思うと胸が痛い。早く家族のところへ帰れるといいけれど。

 歩いている間、おばあちゃんは一貫して、清風さんのことはヒデユキ、わたしのことはノリコちゃんと呼んだ。

 ほどなく尾道駅前の交番に着いた。青い壁が印象的な四角い建物だ。キホン、警察に用はないから入ったことはない。入り口はガラス張りの自動ドアになっていて、カウンターの向こうに中年の男性警察官が一人座っているのが見えた。

 ドアが開くと同時に、警察官は顔を上げた。

「こんにちは。どうされました?」

 そう言いながら立ち上がる。

「このおばあちゃんが、道路の真ん中に座っていて……」

 わたしたちは状況を説明した。すると警察官は「あー。もしかしたら」と言った。

「おばあちゃんお名前は?」

 警察官の問いかけに、おばあちゃんはきょとんとしたまま黙っている。清風さんが聞いた時は答えたのに。

「あの、さっき、神山幸子さんって言ってました」

 わたしは代わりに答えた。

「あーはいはい神山幸子さんね。ええとね、さっき久保交番の方にご家族の方が来ちゃったみたいなんですよ。いなくなった言うてね。ちょっと連絡してみますからね。お待ちくださいね」

 警察官はそう言うとデスクの上の電話の受話器を取った。どうやらおばあちゃんの名前は本当に神山幸子さんだったようだ。清風さんとほっと顔を見合わせる。

「……はい。そうです。先ほどの。ええ。神山幸子さん。ええ。こちらに。はい。……」

 いくらかそんなやり取りをしてから、警察官は電話を切った。

「あのですね、久保交番の方からご家族に連絡をとって、ここへ迎えに来てもらうようにしますのでね。ちょっと掛けて待っとってもらいましょうか。そこへね」

 警察官といくつかやり取りした後は、おしゃべりする雰囲気でもなく、黙って三人で座っていた。

 二十分くらいたった頃だろうか。交番の外に勢いよく自転車を乗りつける音がして、ほどなく高校生と思われる制服姿の男の子が入って来た。

「ばあちゃん! 捜したんよ。どこ行っとったん。心配するじゃろ」

 彼は一気に力が抜けたような安堵の表情を浮かべた。あれっと思った。見た顔だ。

「神山さん?」

 警察官が男子高校生に声をかけた。

「あ、はい」

「あのね、この方たちがおばあちゃんを見つけて保護してくれちゃったんですよ。それでここへ連れて来てくれてね」

 男子高校生はわたしと清風さんを見て、やはり一度あれっという顔をしてから深々と頭を下げた。向こうも何か思ったようだ。間違いない。

「マコト、ヒデユキが迎えに来てくれたんよ。そしてほら、ノリコちゃん。あんたも久しぶりじゃろ」

「え? ああ、うん」

 高校生はおばあちゃんの足元に目を留めた。

「ばあちゃんその靴どうしたん?」

 わたしは口を挿んだ。

「あ、これは。こっちで用意したの。おばあちゃん、裸足だったから」

「裸足? そうですか……。どうもすいません」

 それから間もなく、わたしたちはみんな一緒に交番を出た。

「本当にありがとうございました」

 マコト君はまた丁寧に頭を下げた。とてもしっかりとしたお祖母ちゃん思いの孫なんだなと思った。それに比べてわたしはどうだろう。まだまだ元気な祖父母に、いつも甘えてばかりいる。

 マコト君が、自転車は一旦置いておばあちゃんをタクシーで連れて帰るというのでわたしは言った。

「自転車はわたしたちが届けるよ。家どこ?」

 それは悪いからとマコト君は断ったけれど、どうせ帰り道だからと嘘を吐いた。と言ってもマコト君の家は図書館の近くらしいので、清風さんの別荘からはそんなに遠いわけでもない。わたしはマコト君と連絡先を交換し、「じゃああとでね」と言って別れた。
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