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04.悪足掻きに辟易する

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 婚約破棄の話し合いのためにワイズ侯爵家にお邪魔したら、ビクトルが身勝手な報告をしていたことが判明して、アナスタシアは随分と驚いた。

 アナスタシアが実際にこの目で見ているのに、まさか、ビクトルが言い逃れをしようとするなどとは思いもしなかったのだ。
 もっと言えば、昨夜と同じ言い訳だったことにも驚いた。
 なんて芸のないことを。

 さすがに、あれだけ堂々と不貞をしておいてこちらの勘違いにさせられるのは、アナスタシアとしても許容できない。
 映像を取り寄せておいて本当によかったと思う。

 ただし、映像を見たことで実際に何があったのかが明らかになり、これで婚約破棄に向けて話も進めやすくなったと思ったのも束の間。
 侯爵夫妻からは謝罪をされながらも、やはり、援助金のこともあって、マリアとかいう令嬢とは別れさせるから何とか婚約を継続してほしいと懇願されて、アナスタシアと父のバーナードはどうにも返答に困っていた。

 親は別れさせると言っているけれど、ビクトルはそれをどう思っているのだろうかと彼を見れば、ビクトルは眉をぎゅっと寄せて唇を噛んだまま黙っている。

 この事態をどう切り抜けようかと悩んでいるのかもしれないが、親の言葉に驚いたり否定する様子はないから、もしかしたら考えることに集中していて親の声はまともに聞こえていないかもしれない。

 そう思って放っておいたのだが、ビクトルが突然大きな声を上げて、しかもアナスタシアを責めてきたのだから、この場にいる全員が呆気に取られてしまった。
 一体何の話を始めたのだろうか。

「お前が縋ってくれば、俺があの場を執り成して婚約破棄はなかったことにしてやったのに。それをお前が簡単に了承するから、今、こんなことになっているんだ!」

 続いたビクトルの言葉が理解できなくて、アナスタシアは目を瞬かせる。
 この男の頭の中はどうなっているのだろうか。

 あの場で事情を読んで婚約解消を勧めたのはアナスタシアなのだ。
 そのアナスタシアが婚約破棄に異を唱えるわけがないことを、なぜビクトルはわからないのだろう。

 それに、ビクトルの言葉をそのまま解釈すれば、彼は婚約破棄をしたくなかったかのようにもとれる。彼はマリアと結ばれたいのではないのか?

 実際のところは、ビクトルが自分の計画が頓挫して、自分に有利に進められなくなったことに癇癪を起しているだけなのだが、そんなことを知るわけがないアナスタシアは、本気で意味がわからなかった。

 それはアナスタシアだけでなく、父のバーナードを始め、侯爵夫妻でさえ、ビクトルの言葉をどう捉えればいいのかわからず困惑していたのだが、ビクトルの妄言は更に続く。

「そもそも、マリアと仲良くなったのだってお前が原因なのだ!」

 どうしてこうも理解できない話ばかり続くのか。
 アナスタシアは、そろそろ、表情を繕うことも、ため息を隠すこともできなくなってきた。

「お前がマリアを虐めたりするから、その相談を受けていたのだ。いくら俺とマリアの仲がいいからって、嫉妬して虐めるなんて最低だぞ!お前のような非道な女よりもマリアを選ぶのは当然だろう!」

 罵られているのはわかるが、はっきり言ってまったく身に覚えがない。
 アナスタシアは、ここまでありもしない話をされると、傷ついたり怒ったりするよりも、一周まわってその創作力に尊敬すらしてしまいそうだった。

 虐めとやらはマリアが言い始めたことなのだろうか。
 事実無根だからこそ、今咄嗟にビクトルが思いついたとは思えない。

 何にせよ、こんな冤罪をかけられるのはたまったものではないため、アナスタシアはまず否定することから始めた。

「虐めたこともなければ、嫉妬する理由もありませんわ」
「何だと?!お前は俺が好きだったんじゃないのか!?」

 そう言われて、アナスタシアはまたしても目を瞬かせる。
 昨夜父にも言われたが、どうしてそういう話になってしまうのだろう。
 これまでそんな素振りを見せた覚えが一切ないのだが、何をもってそんな勘違いをされてしまったのだろうか。

「わたくし、貴方様を慕っているだなんて申し上げたことはありませんが」
「何?」
「定例のお茶の席では、毎回、最初のほんの数分しかいらっしゃいませんし、その数分もいかにわたくしのことが気にくわないかのお話ばかりでした。一緒にお出かけしたことも、贈り物は仕方がないにしても、お手紙をいただいたことさえありませんのよ?そのうえ、わたくし以外の女性と懇意にされたのです。お慕いする要素はないと思いますわ」

 父にこの話をしたときは絶句されたものだが、侯爵夫妻もこのことは知らなかったようで、視界の片隅でおふたりが絶句されているのが見えた。
 同席していた執事さんのほうをチラッと見れば、彼は目を逸らしていたから、知ってはいたようだが、黙っていたかビクトルに口止めされていたのだと思う。

「なっ!お前は足繁く我が家に通っていたではないか!俺に会いに来ているのに俺がいなくて落胆しただろう?他の女といるのを見て嫉妬しただろう?」
「なんですの、それ。そもそも、侯爵家に伺っていたのは侯爵様や侯爵夫人からお話を聞くためで、貴方様に会うためではありませんでしたのに」

 ビクトルが勘違いしていた理由も父と同じだったことにも驚くが、実情を知らなかった父はまだしも、ビクトルに限っては思い上がりも甚だしい。約束をしていたわけでもないし、不誠実な態度ばかりのビクトルになんか会いに行くわけがない。

 ともあれ、これだけ言えば、嫉妬しない理由を理解してもらえただろうと思ったのだが、ビクトルの話はまだ終わっていなかった。

「だとしても!お前が虐めていたことは事実だろう!?」
「ですから、虐めていないと申し上げております。そもそも、マリア様とお話したのは昨日の夜会が初めてですわ。わたくし、あの方と共通科目でも一緒になったことがないんですけれど、彼女はどちらの科で学んでおりますの?それも存じませんのに虐めることなんてできませんわ」
「白々しい嘘を付くな!」

 そう言われても、知らないものは知らないし、やってないものはやってない。
 だが、きっと、そう言ってもまた嘘だと言われるのだろう。ならば。

「では、その虐めとやらの証拠をお見せくださいます?」
「証拠だと!?マリアがそう言ったのだから、それで十分だろう!」
「被害者の証言が証拠になると?」
「当然だろう!」

 ビクトルにそう言い切られて、アナスタシアはほとほと呆れてしまった。
 そんなものは証拠にはならないことがわからないのだろうか。

 うんざりしてきたアナスタシアは、ここで少し反撃しようと思う。

 実は、今日は、婚約破棄の他にもうひとつ話があるのだ。
 朝になって思い出して父に相談していたことなのだが、予定では、婚約破棄の話が済んだら父から侯爵にこっそりと話をしてもらうつもりだった。
 だが、ビクトルがこの調子ならば、ここでその話を出してしまいたい。

 そう思って父を見たら、父も娘の考えを読んでくれたようで頷いてくれた。
 ならば、遠慮なく言わせてもらおう。

「そうですか。そういうことでしたら、わたくしからもお話がありますわ。先日、とある子爵家のご子息から相談を受けましたの」
「お前も不貞をしているではないか!」
「相談を受けた、と申し上げたのが聞こえなかったのですか?話をしただけで不貞になるならば、世の中不貞だらけですわ」

 いちいち下らない茶々を入れないでほしい。
 また小さくため息をついてしまったが、アナスタシアは気を取り直して話を進めることにする。

「とにかく、その方が仰るには、婚約者様からいただいたカフリンクスを、ビクトル様に無理矢理取り上げられたということでしたの。そんな恐喝紛いなことをされるビクトル様もご立派とは言えませんわね?」

 思わず、お返しとばかりにビクトルを見下げて言ってしまって、アナスタシアは品がなかったかと反省したが、さっきまで散々悪態をついてくれたのだから、少しくらいは許してほしいものだ。

「なっ!出鱈目を言うな!」
「出鱈目ではありませんわ」
「そんなのは、その子爵家の奴が嘘をついているのだ!お前が嘘をついている可能性だってあるだろう!」

 実は、カフスリンクスと言ったときにビクトルの目が一瞬泳いだことに、アナスタシアは気づいていた。
 だとすれば、ビクトルにはきっと身に覚えがあるだろうに、この件でも白を切るつもりなのか。もちろん、そんなことはさせないが。

「そのように言われるのでしたら、わたくしがマリア様にした虐め、とやらも、マリア様が嘘をついているという可能性もありますわよね?」
「マリアは嘘なんてつかない!」
「どうして、マリア様の話は真実で、子爵子息の話は嘘になるのです?どちらも裏付けを提示してはおりませんのに」
「そうに決まっているからだ!だいたい、証拠なんてないだろう!」
「証拠?被害者の証言が証拠になると仰ったのはビクトル様ですわ」
「ぐっ……!」

 自分で言ったことが自分に返ってきて、ビクトルは言葉に詰まった。

「ビクトル、いい加減にしろ。見苦しい。アナスタシアの言う通りだ。アナスタシアが虐めをしていたというならば、被害者の証言ではなく証拠を出せ」
「父上!」

 ここまでずっと黙って成り行きを見ていた侯爵も、さすがにこの話には黙っていられなかったようで、口を出してきた。

「しかしアナスタシア。例え言い包めるためだとしても、いくら何でもそのような話をでっちあげられるのは困る。それこそ、証拠はあるのか?」
「勢いに任せてお話してしまい、申し訳ありませんでしたわ。ですが、残念ながら先ほどのお話は真実でございます。証拠もございますわ」
「なんだと……?」

 侯爵は信じられない、といった目でアナスタシアの方を見てきたが、申し訳ないことに、これは事実なのだ。

「まず、相談されたことが真実である証拠に、子爵子息にどんなカフリンクスだったのか絵に描いていただいて、奪われたという日時と場所とともにサインも記していただきましたの」

 アナスタシアはそう言って、子爵子息に書いてもらった紙を差し出した。

 と同時に、ビクトルのカフリンクスをじっと見た。
 対面したときから気づいていたが、まさか、今日この場に該当のカフリンクスをしてくるとは思っていなかった。誂えたような流れだが、こちらには好都合だ。

「お、俺がしているのを見て、そいつが言掛りを付けて来ただけだ!」

 ビクトルも今日のカフリンクスが該当の物だとやっと気づいたようだ。
 焦ってはいるが、アナスタシアは追求をやめてあげようとは思わない。

 話には続きがあるのだ。

「カフリンクスの裏には子爵家の紋章とイニシャルが彫られているそうですわ」
「なっ!」
「それは見ただけではわからないな」

 父の援護もあって、ビクトルの逃げ場はなくなった。

「ち、違う!奪ったのではなく、貰ったのだ!」
「子爵子息の物だったことは認めるということですわね?」
「貰って何が悪い!」

 もう白状しているも同然なのに、まだ言い返してくるところは本当にすごいと思う。この様子では、更に言い訳をされるのではないかと思ったアナスタシアは、最後の切り札を切る。

「ビクトル様。先ほどご覧いただいた魔道具は、王宮の中庭だけに設置しているわけではないのですよ」
「なっ……!もしかして、」
「ええ。学園にも設置してあります。そして。子爵子息が指定した時間と場所の映像もお借りしてありますわ」
「……っ!!」

 映像に嘘がないことがよくわかっているビクトルは、遂に項垂れた。
 さすがに、もうこれ以上は言い返してはこないだろう。

「アナスタシアの虐めとやらも、その場面を記録した映像があれば立証できるだろう。アナがしていれば、の話であるが」
「わたしくは調べていただいても何ら問題はありませんわ。学園の警備の人間に交渉すれば、記録を見せてくれると思いますわよ?」

 そう言って、ビクトルにトドメを刺したのだが。

 ビクトルに振り回されてしまったが、今日の本題はこんなことではない。
 ここで、やっと、バーナードが話を戻してくれた。

「話が随分と逸れてしまいましたが、そろそろ婚約の解消について話を進めてよいでしょうか?」

 バーナードの言葉に、息子の悪行に唖然としていた侯爵夫妻も、ハッとして姿勢を正す。

「ご子息は婚約破棄と仰っていましたが、ここは白紙に戻す方がお互いに傷が浅く済むと思うのですが如何でしょう?まさか、不貞が明らかになり、諸々の話を聞いた今となっても、婚約の解消を認めていただけない、なんてことはありませんよね?」
「………アナスタシアにもムーンレイ伯爵家にも不義をしてしまって本当に申し訳ない。解消という形にしてもらえるならば、こちらもありがたい」

 侯爵夫妻は、夜会の中庭の映像を見たあたりではまだ婚約の継続を願っていたが、ここまできたらさすがに素直に話を進めることにしたようだ。

「こちらも侯爵家のご事情は理解しておりますから、慰謝料の請求は致しません。お貸ししている魔道具もしばらくはそのままお使いいただいて結構ですし、これまで援助した分の返済も分割で構いませんが、先払いしている支度金だけは一括返済くださいますようお願いします」
「なっ!金を返せ、だと?」

 そして、金の話になった途端に、さっきまで項垂れていたはずのビクトルが、突如復活して驚いた体で声をあげたからこちらも驚いた。
 何故そこに驚くのか。むしろ、かなり優しい話だと思うのだが。

「ビクトル!馬鹿者!お前はもう黙っておれ。婚約がなくなり、縁がなくなるのだから、金を返すのは当然であろう」
「ですが、我が家は侯爵家なのですよ!」
「それがどうしたというのだ。侯爵家というだけで金を用意してもらえるならば、我が家が今こんなに困窮しているわけがない。お前はそんなこともわからぬのか!」
「マルティン伯爵だって金を出してくれたじゃないですか!」
「あれは非常時だったからだ!でなければ、縁も所縁もない我が家に援助する理由はない!」

 そう言われてビクトルは心から驚いているようだったが、本当に、この男の頭の中はどうなっているのだろうか。 
 侯爵夫妻は、家の立て直しに必死で子供の教育が行き届かなかったとは言っていたが、いくら何でもこれは酷すぎる。

 これから再教育を施すのかもしれないが、それはそれで大変だろうな。
 などと、すっかり他人事として考えているアナスタシアを横目に、父と侯爵夫妻は、粛々と婚約解消の内容を詰めていった。

 そうして、晴れて婚約が解消されたアナスタシアは、思うがままに魔道具の開発ができるだろう新たな生活を楽しみにするのだった。
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