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締めて、トレモロ
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僕の夏は、コンビニで漫画の新刊を見つけたときだった。窓を越した日差しが女子の頬を食む季節だった。太陽が夏になったのに僕らの教室の冷房はつかないままで、そこでは、肌と夏との境界が曖昧になり、僕らは、アイスみたいに溶けてしまっていた。この間、コンビニでアイスを買った。ビニール袋も買った、三円のやつ。アイスを提げて歩くために、だ。少し風が吹くと、アイスと袋とが擦れてサラサラと音を立てるのだ。それを、少し高いイヤホン越しに聞くのが好きだった、休日の午後だった。僕は、気分が昂って「どっどどどどうど」と三回ハモった。ちょうどその時、目の前に落ちているノートに気がついた。その草臥れた表紙に日記とあったので、それをひょいと拾い上げ、そそくさと袋に押し込んだ、音がしなくなるのが少し悔やまれたが。そこから家までは、いつもよりもずっと遠かった。家に帰ってアイスを開けると、溶けて一つの塊みたいになってしまっていた、多分バラバラだったのに。誰かの日記は、学校用のカバンに滑り込ませた、あいつと読もうと思ったから。汗が首筋を伝い、少しの間、午睡してしまっていたことに気がついた。
チャイムが鳴って授業が終わると、教室は、活気を取り戻した酒場になる。酒場なんて知らないけど、多分活気を取り戻した酒場はこんな感じだ。首筋を走った水は、汗ではなく、久しぶりに起動させられた冷房から垂れた水だった。
「ウェーイ、お前さっき寝てたろ?授業中」
「寝てねぇ、全然寝てねぇ」
「見てこれ、また酒買ってきたわ、梅酒」うちの高校では最近、梅の缶ジュースが流行っている。バカはこれが大好きだ、例に漏れず僕も。
「それ好きね、お前」
「まぁね、おもろいから」
「おもろくねぇよ」梅雨が明けた空気は、まだ少し湿っている。が、笑いは乾いていた。殊に理由もないが少し気まずくなったので、話題探しにカバンに手を突っ込むと、拾った日記が指先に触れた。
「あ、これ、なんか拾ったんだよね、この前さ」
「なにこれ臭そう」
「お前もうTwitter辞めろよ」
「いや、それとこれとは関係ないだろ」
表紙に手を掛けるとなにか、強いものを感じて、少し指先が震えた。腕の筋が引き攣って、動きづらい。ふっと軽く息を吐き力を入れて捲ると、そこには、白が茫洋と広がっていた。僕らは、顔を見合わせて、首を傾げた。パラパラとページを繰ってまた繰ってとしていくと、ちらほらと短い文章が増えていった。ボールペンのインクは、ところどころ滲んでいた。
俺はこれから無職だ。就職氷河期とかいうやつを引き摺ってここまで来てしまった。不遇の世代というのを引き摺ってここまで来てしまった。どうすればいい。何を言っても無駄だ。
母が宗教にハマった。いや宗教かどうかもわからない。LINEの返信がおかしい。なにか俺のことを気にかけてくれている感じだけどだめだ。父の目に似ている。
近所のやつらに見られている感じがする。どうせ俺を見下している。なにか言われた気がしたがよくわからなかった。何を言っても無駄だ。
今日は久しぶりに友達と飲んだ。なんとなく楽しかった気がする。だけどあいつは視線が泳いでいた。気を使わせているのか。俺の言葉は届かなかった。あいつにはどれも響いていない感じだった。気楽にななんて言うなよ。くそ。楽しかったはずなんだよ。そんな目で見ないでくれ。
妹が結婚した。おめでとう。届かない。
本当の価値を探しに行こうと思う。お終い。
僕らはしばらく黙ったままだった。どちらかが「死んじゃったのかな」と呟くやいなや、チャイムが鳴り授業が始まった。教室は煩いままだった。
帰路にまた、あのコンビニに寄り、そこで、この間と同じアイスを買った。今度は、手提げを持っていたので、ビニール袋は買わなかった。太陽が仕向ける夏は、僕らがいくら拒んでも無駄だった。そこに意味はなくて、弱い僕らが被るだけだ。太陽系の重力は余りにも重くて、彼は無重力になってしまったんだ。光は余りにも眩しくて、彼は目を眇めたまま、戻らなくなってしまったんだ。さて、僕らは、本当に友人関係だったか。あいつは、本当にそこに居たのか。アスファルト舗装が焼かれ、打水で蒸されている。さまざまな光景が蒸し返される。
僕は、自転車のペダルを強く踏んだ。足が廻っている。初蝉が鳴いている。風鈴の音が揺曳している。
例のごとく、一つの塊を貪ろうと引出しからスプーンを取り出し、リビングの長机に落ち着いた。隣では、母がテレビを眺めながら、コーヒーを飲んでいた。コップの結露は、ガラスの側面を急かされるように滑り落ち、氷結は、からりと擦れて離れ離れになっている。暮れ泥む空の照り返しが、テレビの側方に、窓枠の影を落としている。短いテレビ広告がいくつか流れたかと思うと、画面がパッと切り替わり、ニュース速報になる。どうしてこうも突然、僕の夏は飛び込んでくるのだろうか。
チャイムが鳴って授業が終わると、教室は、活気を取り戻した酒場になる。酒場なんて知らないけど、多分活気を取り戻した酒場はこんな感じだ。首筋を走った水は、汗ではなく、久しぶりに起動させられた冷房から垂れた水だった。
「ウェーイ、お前さっき寝てたろ?授業中」
「寝てねぇ、全然寝てねぇ」
「見てこれ、また酒買ってきたわ、梅酒」うちの高校では最近、梅の缶ジュースが流行っている。バカはこれが大好きだ、例に漏れず僕も。
「それ好きね、お前」
「まぁね、おもろいから」
「おもろくねぇよ」梅雨が明けた空気は、まだ少し湿っている。が、笑いは乾いていた。殊に理由もないが少し気まずくなったので、話題探しにカバンに手を突っ込むと、拾った日記が指先に触れた。
「あ、これ、なんか拾ったんだよね、この前さ」
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近所のやつらに見られている感じがする。どうせ俺を見下している。なにか言われた気がしたがよくわからなかった。何を言っても無駄だ。
今日は久しぶりに友達と飲んだ。なんとなく楽しかった気がする。だけどあいつは視線が泳いでいた。気を使わせているのか。俺の言葉は届かなかった。あいつにはどれも響いていない感じだった。気楽にななんて言うなよ。くそ。楽しかったはずなんだよ。そんな目で見ないでくれ。
妹が結婚した。おめでとう。届かない。
本当の価値を探しに行こうと思う。お終い。
僕らはしばらく黙ったままだった。どちらかが「死んじゃったのかな」と呟くやいなや、チャイムが鳴り授業が始まった。教室は煩いままだった。
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