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第一部 婚約破棄されました
12、叶恵さんのクリスマス:中
しおりを挟むクリスマスイブ、日本ではえ?キリスト様?などと馬に蹴られそうな恋人たちの聖なる夜。私的には25日と今いちどちらで盛り上がるべきか迷うクリスマスというイベントだが、そんな本日、次長やら同期の雑用を引き受けたりして出勤した私への対応が皆変であった。
「おっしゃあ! 夜に会ってくれるって!」
「おい、やめるんだっ、後でやれ」
「ああ、仕事中に悪い、メール見てつい」
「違う!」
やめろ!!何故そこで私を見る!!そして何故そこでハッとした顔をして頷き合う!!ええい、そのごまかし笑いをやめんかい!!存分に喜べよ!!馬で蹴ってこいよ!!
「先輩、今日はゆっくり休んでくださいね。私もすぐに手伝いますから! あっ、これやっておきます」
「美華ちゃん…」
天使スマイルだ。
優しい。普段もとても可愛くて優しいが今日は輪を掛けて親切だ。
そんな死にかけの老人を介護するみたいにしなくてもまだ昇天は先だと思うんだけど……
「小林くん」
「課長」
ハッと咄嗟に戦闘態勢で身構えると、目をうるうるさせた課長がそこに居た。
…この目、何処かで見たような…
「今日はパン…じゃない、パンを買ってきたからお食べ」
「あ、ありがとうございます」
パンツと言い間違えかけたパンを受け取って納得した。
なるほど、このソフトな攻撃達――
思い出したぞ、リターンズか!!と
「次長助かりました。もう哀れみの目が痛くって」
「いや、私が頼んだのもあるし気にしないでくれ。それに哀れみというより皆気を遣っているんだろ」
「分かってはいるんですけどね」
お昼休み。予期せぬあまりのソフト攻撃に困った私は次長シェルターに逃げ込んでいた。次長シェルターは凄いぞ。向けられた視線は全て次長の麗しき微笑みによって記憶ごと遮られるのだから!
もっきゅもっきゅと課長からの差し入れを食べていると、次長がふっと微笑む。
やっぱり麗しい。
「小林くんは元婚約者が今どうなっているか興味あるかい」
予期せぬ質問に驚くと、頬杖をついた次長が此方を見ていた。次長がアイツのことを知っているのは、まぁ婚約破棄である種有名になったのもあるが、会社同士少なからず取引があるっていうのと次長の広い人脈によるものなのだろう。
あの自分で決心した日から幾許してぱたりと連絡を取らなくなり、アイツとはもう一月以上声を聞いてすらいない。私は今アイツがどうなっているのか全く知らないのだ。
慈愛というのに近い、多分何を答えても失望や笑いはしないのだろうと、その微笑みを見て思う。ならばと私は自分の中の答えを探してみた。捨てられた頃の受け入れたフリをしていただけの私は何を聞かれてもはぐらかしたり、敢えて耳に入らないようにしていたけれど、時間を置いた今、もう一度今の自分の答えを探すいい機会だと思ったのだ。それに、次長は今まで好奇心だけで私に質問してきたことなど無かったから、信頼しているというのもある。
私はゆっくりとだが考えて、次長の胸を借りる気持ちで言葉を紡いだ。
「そう、ですね。正直に言うとあんまりかな、と。冷たいかもしれませんが、繋がりが薄まって他人に近付いている今、聞いたところでという思いがあります」
時の流れは偉大というか、いつからか日々鳴っていた電話やメール音が無くなったことを寂しく思うことが減っていた。無いことが日常となり、アイツのことを考えない日々が日常となる。そうしてそれに慣れることでようやく、全部を忘れて無理に走ろうとして蹲ってしまうのでなく、いい想い出だったと不器用ながらも片付けていって前に歩き始めれていた。といっても強がりも過分にある回答だけれど
たぶん、私の中で別々の道を歩き始めたのだと、もう昔みたいな深い関わりは出来ないのだと理解できたからかもしれない
私の答えを聞いて、そう、と次長は頷いた。
「小林くんは見かけに依らず強いんだね」
「ええっ、何処からそうなりましたか。もう婚約破棄された日には泣いて泣いて酷かったですよ」
「でも周りにあたらず、一人で全部抱えて前に進んでいるだろう? 私ならまず相手とその女を社会的と物理的と金銭的に追い込むところから始めるから」
ほら、私子どもいるしね? と笑顔の次長。流石です!格好いいです次長!次長をフる相手なんて、この叶恵も許しません!
若干信者モードが出てしまったが、買い被りを苦笑いで否定する。そう見えているのか、恥ずかしい
「違いますよ、そんな度胸も器もないだけです。それに影でやけ食いとかもしちゃってますし」
「そうかい? 謙虚だねぇ、まぁ小林くんのファンは皆隠れファンだしね」
「なんですかそれ、初めて聞きましたよ」
冗談に笑ってしまう。あっ、もしや次長非公式ファンクラブのメンバーだということはバレてるよ?という意味だろうか、や、やばい?
泳ぐ目を隠すためにジューっと苺・ワシを飲んでいると、弁当を片付けた次長が立ち上がった。
「まぁ私も小林くんのことが好きだしね。君の為になるかは分からないけど、一応伝えておくよ。正月に会うかもしれないし、君は知らないでいるよりも知っている方がいいと考える人間だろうから。営業は信用が大事だからね、会社内部で信用を失った今、彼等は苦しい立場に立たされてる」
次長の言葉に湯気が出そうになった私だが、その言葉ですぐに頭が冷えた。
「正直な話、男側にはあまり影響は出ないんじゃないかって思ってました」
別に悪いとかではない。そりゃこれで私だけが職を失っていたら流石に恨み言の十や二十でもこぼれただろうが、何だかんだと私の職場は優しかったし、幸か不幸か別々の職場だったのである。だから私の職場と同じ様に向こうではもっと軽く扱われて、小説でもよくあるが、それこそ向こうの男達の間では「今度は上手くやれよ」みたいな笑い話のネタにでもされているのだろうとさえ思っていたのだ。
「んー、君の隠れファンや向こうの会社の善意気取りの偽善者が社会正義を振りかざしてるってのと、彼等自身の自業自得もあるからね。どうも今の彼女さんを取り合って揉めたらしいし、私の考えだと近々職を変えるんだと思うよ」
「そう…、ですか」
「そうだね」
次長にとってはやはり他人事であるのだろう。其処にこれといった感情があるわけではない。私も、何と言うべきか言葉にするには難しい。
箸を置いて、弁当を重ねて、風呂敷を畳んで結び直して、俯きながら自分の感情を整理。
迷う、いや、自分の初めから出ていた答えを見つめ直していただけで迷いではない
次長がもう時間だねと声を掛ける頃、苺・ワシにストローを入れて潰した私はその背に声を掛けた。
「やっぱり小林くんは強いと思うよ」
笑われるかと思った答えに、次長は優しくそう返した。
◇
「お先に~」
「おっしゃー! お疲れ様でしたー!」
「また月曜!」
そんな浮かれた声が飛び交う。勢い込んで前のめりに仕事していた私は、ふと周りを見渡したら大分人影が減っていることに気付いた。渋る美華ちゃんは無理やり帰したが、どうやら部下育成ゲー好きの課長に伸びると見込まれ、もといその代わり仕事はちょい増えた田中くんはまだ残るみたい。
それにしてもみんな早い。まぁ毎年のことながら0にはならないのはご愛嬌だろうけど。私も例年通り残っているし、役職が上の人ほど残っている。
働き方改革の波により徐々に早く帰れるようになっているが、とはいえ仕事量はほぼ変わらないしねという哀しき現実だ。
そこに次長や課長の姿を見つけて、帰り支度中の次長にお疲れ様ですと会釈した。
あー、立つとポキポキ背骨が鳴る。音を鳴らすと気持ちいいが、背骨が鳴るのって大丈夫なんだろうかと毎度思う。
私も仕事が終わったので、休憩がてら自分の分のココアを注ぐついでに残っている人分のを注いでいると、会社のコール音が鳴り響いた。
いつも聞いているが、いつもより静かな場で聞くと少しどきりとする。
次長が受話器を取った声をココアに息を吹きかけながら聞いていると、珍しく焦った声が聞こえた。
ただならぬ様子に慌てて私も顔を出して様子を伺う。
何度かの言い合いの様な押し問答の末、荒く受話器を置いた次長は巻いていたマフラーを外した。
周りは恐る恐る様子を伺っているが、疲れたその様子に思わず私はお茶を持っていった。
「次長、お疲れ様です。…あの、何か問題が?」
「ああ…、ありがと。いや、なに、今からデータの打ち込みだけしてくれとね。どうしても必要らしく」
仕方ないと切り替えて麗しスマイルに戻った次長だが、ちらりと時計と机に飾られた家族写真に視線を投げていたのが分かってしまった。
…、うん、次長非公式ファンクラブメンバーとして当たり前ですね
「次長、データの打ち込みだけでしたら良ければその仕事やらせて頂けませんか」
「小林くん? いや、しかし」
「独り身ですとこの時間に帰りたくないんです。それに手持ち無沙汰ですし、此処は助けると思って! 大丈夫です! 次長の名前に傷をつけないよう精一杯やりますので」
そう次長非公式ファンクラブメンバーの名にかけて!
押しに押しまくれば、クスクスと参ったと言いたげに次長が笑った。どうやら私の勝ちらしい
「小林くん、またこの借りは返すよ、ありがとね」
「はい次長、駅前のランチを食べに行きましょう」
最低限の引き継ぎだけ受けて、次長を見送る。あのいつもの2割増し麗しスマイルが見られたのだから、むしろ料金を払いたいくらいだ。さて、よっし頑張るかとまた席に座って意気込んでいると、視線を感じた。
ん? 何だい田中くん、心配しなくても次長の代わりなんだから失敗しないよう頑張るぞ?はっ、まさか俺の出番をよくもっ的な感じか?もしやメンバー…、いや、此処は例え可愛い部下でも譲れんな
強い視線から思わずさっとUSBを庇っていると、ため息を吐いて視線が逸らされた。
なんだろう、軽く馬鹿にされた気がする
まぁいいかとカタカタ仕事を続けた。
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