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第12唱 竜とラピスの歌
ありがとうの歌 1
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ラピスの最初の『大好き』の記憶は、やっぱり母ルビアだ。
今思えば、自分については多くを語らない人だった。
だから母の両親や生家について、ラピスは何も知らない。
尋ねたことはあるが、すでに亡くなっていると聞かされて、幼かったこともありそれで納得していた。
母は家族や使用人はもちろん、たまの外出で顔を合わせる程度の商店街の人々のことまで驚くほどよく見ていて、何に喜び、何に悲しみ、何をしてあげられるかを、いつも考えていた。相手の長所や美点を見つける名人だった。
そしてなんと言っても、竜と交流する術を教えてくれた最初の師だった。
そして父ジョゼフ。
血のつながりがないことは早々に聞かされていたが、なんの問題もなかった。本当に仲の良い家族だった。
一途に誠実に妻子を愛した彼は、家族を守るため懸命に働いた結果として留守がちでもあったけれど、共に過ごす時間は笑顔と愛の言葉で溢れていた。
そのひたむきさゆえ、妻を喪って以降は人が変わったようになってしまい、ラピスも胸を痛めたけれど。
どんなときも全肯定で愛してくれる家族に恵まれたことは、幸い以外の何ものでもない。その記憶が、その後の孤独な時期のラピスを支えてくれた。
両親を喪って、将来の見えぬまま日々を過ごしていた。
でも、歩き続ければ景色は変わる。
ラピスはクロヴィスと出逢えた。
秋風が森を彩り、気の早い木々は葉を落とす季節。
一番の心の支えは竜で、竜の歌を聴くことが何よりのご褒美だった日々。
星降る夜に、奇跡のように、大魔法使いが現れた。
偉大で愛情深い師との出逢いを経て、ラピスの世界は一気に広がった。
底冷えのする屋根裏部屋から、夢のように心地良いクロヴィスの家へ。苺鈴草が群生する野原へ。山へと誘う広大な森へ。
そして、さらなる竜の導きにより出逢った、ジークとディード。
二人はさらに広い世界へと旅立つきっかけをくれた。
旅に出たからこそ、ギュンターやヘンリックとも出逢えた。
大好きな人がいっぱい増えた。
初めて訪れる街、村、森、湖、山。
初めて体験することだらけ、初めて知ることだらけ。
恐ろしい思いもたくさんしたが、いつだって優しい人たちが助けてくれた。
そしていつだって竜は、人と世界とを守ろうとしてくれていた。
避けられない悲しみも、残酷な現実もあることを、ラピスも知っている。
それでも涙の向こうに見える青空はいつも美しかった。
季節ごと装いを変える森も、はるかに連なる山々も。
陽光に煌めく川や湖も、雨上がりの虹も。
心地よく汗を拭う夏の風も、ほのかに果実の香のする緑陰も。
楽しげに揺れて輝く木漏れ日も、炎のような夕焼けも。
凍りつきそうな雪の世界も、繊細に造形され一瞬で消えていく雪の結晶も。
忠実な馬も、愛嬌いっぱいの犬も、愛らしい猫も、気まぐれな野の動物たちも。
大好きな人たちの笑顔も、声も。
一緒に過ごす時間も。
ゆったりと空を往く飛竜も、不意に現れる地竜も。
『つらいことがいっぱいあっても、やっぱり世界は綺麗だな、美しいなって。そう思わせてくれて、ありがとうございます。大好きな人がいてくれる世界を、本当にありがとうございます。この世界を創ってくれて、心からありがとうございます!』
――尽きず心に浮かぶ『ありがとう』を一気に歌い上げて、ラピスは「ほひ~」と火照った頬を両手であおいだ。
ミロちゃんに乗って空を飛んでいるみたいに心地よく歌えたけれど、竜たちにも伝わっただろうか。
高揚でにこにこと笑みの引かぬまま竜たちを見上げると――
古竜たちは、一声も発しない。
あんなに賑やかだったのに、しいんと静まってラピスを見つめ返している。
沈黙が、きらきらと星の砂のように、鱗が舞い落ちる音だけを連れてきた。
(ありり?)
戸惑って、隣に立つクロヴィスを見上げると。
彼もまた、言葉もなくラピスを見下ろしている。
その紅玉の瞳から、ぽつんとひとつ雫が落ちた。
あ、と思ったときには泉みたいに涙が溢れ出し、なめらかな頬をぽろぽろ転がっていく。
今思えば、自分については多くを語らない人だった。
だから母の両親や生家について、ラピスは何も知らない。
尋ねたことはあるが、すでに亡くなっていると聞かされて、幼かったこともありそれで納得していた。
母は家族や使用人はもちろん、たまの外出で顔を合わせる程度の商店街の人々のことまで驚くほどよく見ていて、何に喜び、何に悲しみ、何をしてあげられるかを、いつも考えていた。相手の長所や美点を見つける名人だった。
そしてなんと言っても、竜と交流する術を教えてくれた最初の師だった。
そして父ジョゼフ。
血のつながりがないことは早々に聞かされていたが、なんの問題もなかった。本当に仲の良い家族だった。
一途に誠実に妻子を愛した彼は、家族を守るため懸命に働いた結果として留守がちでもあったけれど、共に過ごす時間は笑顔と愛の言葉で溢れていた。
そのひたむきさゆえ、妻を喪って以降は人が変わったようになってしまい、ラピスも胸を痛めたけれど。
どんなときも全肯定で愛してくれる家族に恵まれたことは、幸い以外の何ものでもない。その記憶が、その後の孤独な時期のラピスを支えてくれた。
両親を喪って、将来の見えぬまま日々を過ごしていた。
でも、歩き続ければ景色は変わる。
ラピスはクロヴィスと出逢えた。
秋風が森を彩り、気の早い木々は葉を落とす季節。
一番の心の支えは竜で、竜の歌を聴くことが何よりのご褒美だった日々。
星降る夜に、奇跡のように、大魔法使いが現れた。
偉大で愛情深い師との出逢いを経て、ラピスの世界は一気に広がった。
底冷えのする屋根裏部屋から、夢のように心地良いクロヴィスの家へ。苺鈴草が群生する野原へ。山へと誘う広大な森へ。
そして、さらなる竜の導きにより出逢った、ジークとディード。
二人はさらに広い世界へと旅立つきっかけをくれた。
旅に出たからこそ、ギュンターやヘンリックとも出逢えた。
大好きな人がいっぱい増えた。
初めて訪れる街、村、森、湖、山。
初めて体験することだらけ、初めて知ることだらけ。
恐ろしい思いもたくさんしたが、いつだって優しい人たちが助けてくれた。
そしていつだって竜は、人と世界とを守ろうとしてくれていた。
避けられない悲しみも、残酷な現実もあることを、ラピスも知っている。
それでも涙の向こうに見える青空はいつも美しかった。
季節ごと装いを変える森も、はるかに連なる山々も。
陽光に煌めく川や湖も、雨上がりの虹も。
心地よく汗を拭う夏の風も、ほのかに果実の香のする緑陰も。
楽しげに揺れて輝く木漏れ日も、炎のような夕焼けも。
凍りつきそうな雪の世界も、繊細に造形され一瞬で消えていく雪の結晶も。
忠実な馬も、愛嬌いっぱいの犬も、愛らしい猫も、気まぐれな野の動物たちも。
大好きな人たちの笑顔も、声も。
一緒に過ごす時間も。
ゆったりと空を往く飛竜も、不意に現れる地竜も。
『つらいことがいっぱいあっても、やっぱり世界は綺麗だな、美しいなって。そう思わせてくれて、ありがとうございます。大好きな人がいてくれる世界を、本当にありがとうございます。この世界を創ってくれて、心からありがとうございます!』
――尽きず心に浮かぶ『ありがとう』を一気に歌い上げて、ラピスは「ほひ~」と火照った頬を両手であおいだ。
ミロちゃんに乗って空を飛んでいるみたいに心地よく歌えたけれど、竜たちにも伝わっただろうか。
高揚でにこにこと笑みの引かぬまま竜たちを見上げると――
古竜たちは、一声も発しない。
あんなに賑やかだったのに、しいんと静まってラピスを見つめ返している。
沈黙が、きらきらと星の砂のように、鱗が舞い落ちる音だけを連れてきた。
(ありり?)
戸惑って、隣に立つクロヴィスを見上げると。
彼もまた、言葉もなくラピスを見下ろしている。
その紅玉の瞳から、ぽつんとひとつ雫が落ちた。
あ、と思ったときには泉みたいに涙が溢れ出し、なめらかな頬をぽろぽろ転がっていく。
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