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第12唱 竜とラピスの歌
次の歌は……
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「色も綺麗になったような」
ヘンリックの言う通り、体色も変わった。泥にまみれたようだったのに、澄んだ暗色になっている。遠目にも剥がれてぼろぼろだった鱗も、いつのまにか端整にそろって艶めいていた。
ピクリとも動かないのは相変わらずだけれど、泣けてくるほど痛々しかった様相を思えばずっといい。
古竜たちは、穏やかな眼差しを王に向けている。
最初はひどく悲しそうだった彼らも、今はその目に力を増し、どんな嵐からも王を守ろうという決意が滲み出ていて、ラピスはそれを心強く思った。
(絶対、竜王様に元気になってもらわなきゃ)
決意を新たに、深呼吸して。
雪降るように歌い始める。
氷に覆われた世界の記憶を見せてくれた、真白き古竜を見つめながら。
それは太陽の熱すら遮る氷の世界。
大気を冷やし、海を冷やし、大地を冷やし。
氷河と氷床は、少しずつ少しずつ大気の質を変え、海流に影響を与えて、陸のかたちや位置すら変えていく。
世界は、その過酷な地と海に順応する命を待っていた。
雪白の古竜は、ただただ静かに見守り続ける。
やがて死が支配する氷の海にも、微生物が姿を見せた。
彼らを餌とする貝類や甲殻類、魚類も増えていく。
するとそれらを餌とする鳥、動物たちが現れた。
彼らは長い時間をかけて姿を変え、身体機能を進化させていく。
厳しい環境に適応しようと、懸命に。
命とはなんと奥深いことか。
大胆さと緻密さを併せ持っている。
そうして必死に、生きている。
――守ってあげられたらいいのに。
こんな厳しい世界を創って、心が痛む。申しわけない。
どんなちっちゃな命もこぼさず、すべてを守ってあげられたらいいのに――
熱心に見つめ続けていると、竜王が問うてきた。
『楽しいか?』
『楽しい。これからもっと変化する。命が増えるよ』
そう答えた。
――この世界は、そこに生きる命にとって過酷すぎるだろうけれど。
でも、この世界があるからこそ、生まれるものがある。
氷の地の存在が、ほかの多くの地を守りもする。
死が、別の何かを生かす。
でも……本当は皆、なんの苦労もなく平穏に生きたかろう。
すべての命が苦しまず済むよう、守ってあげられたら、いいのに……――
ラピスの歌がそこで途切れると、
『ありがとう……優しい歌い手よ』
雪白の古竜から、穏やかな波を思わせる、心地良い歌が返った。紺青の眼を潤ませて。
『そなたは心の広い優しい子だ。傷を隠して笑う相手の、痛みや悲しみを感じ取る力があるのだね。本当にいい子だ。おかげで長く凝っていた痛みも消え去ったよ。ありがとう』
『ど、どいたしまいて』
いつのまにか、ラピスは泣いていた。おかげで呂律がおかしくなった。
優しいのは竜のほうだ。
彼らは世界を創造できるほどの力と、永遠とも呼べる命を持つのに、ときに無情に消えていく、彼らにしてみればあっという間に終わる命のひとつひとつを、悼む心まで持ち併せている。
それはひどく切なかろう。想像しただけで苦しくなるほどに。
波が揺れるように踊っていたディードとヘンリックが、驚いて寄ってきた。
「ラピス! どっか痛めたのか!?」
「急に疲れたのか!? 急に腹減ったとか!?」
すっかり竜酔いも醒めたようだ。
古竜たちからも、慈雨のような声が注がれた。
『泣かないで、優しい歌い手』
『我らはそういう存在なのだ。それで充分、幸せなのだよ』
『けれど我らのために泣いてくれて、ありがとう。本当にありがとう』
陽光を弾く雨粒みたいにキラキラと、七色の鱗の欠片が降ってくる。
『うぅ、ごめんなさい……』
ラピスはぐいっと涙を拭った。
竜たちに元気になってもらいたいのに、気を遣わせてどうする。優先すべきは自分の感傷ではなく、竜王を救うことなのに。
「ごめんね、ディード、ヘンリック。大丈夫だよ、疲れてないしお腹も減ってないよ」
二人にも謝り、安心してもらったところで。
次の歌をと思ったものの、はたとラピスは考え込んだ。
古竜に教わった創世の記憶の歌は、すべて歌ってしまった。
「うーん。次は何を歌おうか」
乳兄弟に相談すると、二人も「「うーん」」と眉根を寄せた。
「古竜たちが幸せになれる歌、だよね?」
「うん」
「わっかんねえ。へそ踊りで盛り上がってもらうとかじゃ駄目かな」
ディードがペチンとヘンリックのおでこを叩いた。
「痛っ!」
「ふざけるな」
「へそ踊り? おへそが踊るの? 僕、見たことないなぁ……どんな歌?」
「真面目に考慮しなくていいから、ラピス」
「ほえ」
オススメであるなら採用したかったが、ディードは反対らしい。
自分たちを優しく見下ろしている古竜たちと、ようやく変化が見えた竜王に、早く次の歌を歌ってあげたいのだけれど。
「ん~」
ラピスは上半身が横に傾くほど考え込んだ。
「そんなに悩むこたあ、ないだろう」
「そうなのでしょか」
「ああ。ラピんこは、もうわかってるんじゃないでしょか」
「そうなのでしょか? ラピんこは……って、ふおあっ!?」
ラピスは奇声を発して振り向いた。
同時にディードとヘンリックからも、「「あーっ!」」と大声が上がる。
「なんだその顔」
視線の先、月の精みたいな白皙が、ブホッと派手に吹き出した。
「三人そろって、目も口も真ん丸。……あいつらとおんなじ顔だな」
白い指が示したのは、呆然と古竜たちを見上げているジークとギュンター。
「お、お、おししししょ……」
「驚き過ぎだろ」
優しい笑顔に、一度は閉じたラピスの涙腺が決壊した。
「おじじょおざばーっ‼」
ヘンリックの言う通り、体色も変わった。泥にまみれたようだったのに、澄んだ暗色になっている。遠目にも剥がれてぼろぼろだった鱗も、いつのまにか端整にそろって艶めいていた。
ピクリとも動かないのは相変わらずだけれど、泣けてくるほど痛々しかった様相を思えばずっといい。
古竜たちは、穏やかな眼差しを王に向けている。
最初はひどく悲しそうだった彼らも、今はその目に力を増し、どんな嵐からも王を守ろうという決意が滲み出ていて、ラピスはそれを心強く思った。
(絶対、竜王様に元気になってもらわなきゃ)
決意を新たに、深呼吸して。
雪降るように歌い始める。
氷に覆われた世界の記憶を見せてくれた、真白き古竜を見つめながら。
それは太陽の熱すら遮る氷の世界。
大気を冷やし、海を冷やし、大地を冷やし。
氷河と氷床は、少しずつ少しずつ大気の質を変え、海流に影響を与えて、陸のかたちや位置すら変えていく。
世界は、その過酷な地と海に順応する命を待っていた。
雪白の古竜は、ただただ静かに見守り続ける。
やがて死が支配する氷の海にも、微生物が姿を見せた。
彼らを餌とする貝類や甲殻類、魚類も増えていく。
するとそれらを餌とする鳥、動物たちが現れた。
彼らは長い時間をかけて姿を変え、身体機能を進化させていく。
厳しい環境に適応しようと、懸命に。
命とはなんと奥深いことか。
大胆さと緻密さを併せ持っている。
そうして必死に、生きている。
――守ってあげられたらいいのに。
こんな厳しい世界を創って、心が痛む。申しわけない。
どんなちっちゃな命もこぼさず、すべてを守ってあげられたらいいのに――
熱心に見つめ続けていると、竜王が問うてきた。
『楽しいか?』
『楽しい。これからもっと変化する。命が増えるよ』
そう答えた。
――この世界は、そこに生きる命にとって過酷すぎるだろうけれど。
でも、この世界があるからこそ、生まれるものがある。
氷の地の存在が、ほかの多くの地を守りもする。
死が、別の何かを生かす。
でも……本当は皆、なんの苦労もなく平穏に生きたかろう。
すべての命が苦しまず済むよう、守ってあげられたら、いいのに……――
ラピスの歌がそこで途切れると、
『ありがとう……優しい歌い手よ』
雪白の古竜から、穏やかな波を思わせる、心地良い歌が返った。紺青の眼を潤ませて。
『そなたは心の広い優しい子だ。傷を隠して笑う相手の、痛みや悲しみを感じ取る力があるのだね。本当にいい子だ。おかげで長く凝っていた痛みも消え去ったよ。ありがとう』
『ど、どいたしまいて』
いつのまにか、ラピスは泣いていた。おかげで呂律がおかしくなった。
優しいのは竜のほうだ。
彼らは世界を創造できるほどの力と、永遠とも呼べる命を持つのに、ときに無情に消えていく、彼らにしてみればあっという間に終わる命のひとつひとつを、悼む心まで持ち併せている。
それはひどく切なかろう。想像しただけで苦しくなるほどに。
波が揺れるように踊っていたディードとヘンリックが、驚いて寄ってきた。
「ラピス! どっか痛めたのか!?」
「急に疲れたのか!? 急に腹減ったとか!?」
すっかり竜酔いも醒めたようだ。
古竜たちからも、慈雨のような声が注がれた。
『泣かないで、優しい歌い手』
『我らはそういう存在なのだ。それで充分、幸せなのだよ』
『けれど我らのために泣いてくれて、ありがとう。本当にありがとう』
陽光を弾く雨粒みたいにキラキラと、七色の鱗の欠片が降ってくる。
『うぅ、ごめんなさい……』
ラピスはぐいっと涙を拭った。
竜たちに元気になってもらいたいのに、気を遣わせてどうする。優先すべきは自分の感傷ではなく、竜王を救うことなのに。
「ごめんね、ディード、ヘンリック。大丈夫だよ、疲れてないしお腹も減ってないよ」
二人にも謝り、安心してもらったところで。
次の歌をと思ったものの、はたとラピスは考え込んだ。
古竜に教わった創世の記憶の歌は、すべて歌ってしまった。
「うーん。次は何を歌おうか」
乳兄弟に相談すると、二人も「「うーん」」と眉根を寄せた。
「古竜たちが幸せになれる歌、だよね?」
「うん」
「わっかんねえ。へそ踊りで盛り上がってもらうとかじゃ駄目かな」
ディードがペチンとヘンリックのおでこを叩いた。
「痛っ!」
「ふざけるな」
「へそ踊り? おへそが踊るの? 僕、見たことないなぁ……どんな歌?」
「真面目に考慮しなくていいから、ラピス」
「ほえ」
オススメであるなら採用したかったが、ディードは反対らしい。
自分たちを優しく見下ろしている古竜たちと、ようやく変化が見えた竜王に、早く次の歌を歌ってあげたいのだけれど。
「ん~」
ラピスは上半身が横に傾くほど考え込んだ。
「そんなに悩むこたあ、ないだろう」
「そうなのでしょか」
「ああ。ラピんこは、もうわかってるんじゃないでしょか」
「そうなのでしょか? ラピんこは……って、ふおあっ!?」
ラピスは奇声を発して振り向いた。
同時にディードとヘンリックからも、「「あーっ!」」と大声が上がる。
「なんだその顔」
視線の先、月の精みたいな白皙が、ブホッと派手に吹き出した。
「三人そろって、目も口も真ん丸。……あいつらとおんなじ顔だな」
白い指が示したのは、呆然と古竜たちを見上げているジークとギュンター。
「お、お、おししししょ……」
「驚き過ぎだろ」
優しい笑顔に、一度は閉じたラピスの涙腺が決壊した。
「おじじょおざばーっ‼」
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