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第8唱 竜の書
話し続けるドロシアと、反省するラピス
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ドロシアが婚約相手と対面したのち、知ったことがある。
彼もまた、彼女と再婚することを望んではいないようだった。
自分の娘くらいの年の子を後妻にすると思えば、祖父よりよほど真っ当な反応だとドロシアは思った。
それでも当人たちの気持ちはおかまいなしに話は進み、十八の誕生日に籍を入れる運びとなった。
姉たちは妹に同情を寄せたが、陰では「わたしたちは二十も年上の男と結婚させられなくてよかった」と、安堵していたことを知っている。
家族すら助けてくれない。
いくら祈っても、竜だって何もしてくれない。
祈ればどうにかなるなんて信じていたわけではないが、ドロシアは月殿に通い続けた。家にいたくなかったからだ。
加えて、大祭司長に会えないかと期待してもいた。とんでもなく高位の人なのに、不思議と彼にならなんでも話せるから。
聖職者であっても説教臭いことを言わない。厳格かと思えば「それはマズイのでは」というような不謹慎なこともさらりと口にし、考えも行動も読めない。
何よりドロシアが大祭司長を気に入ったのは、隠しもせず『呪法を扱える』と言ってのけたことだった。
何度目かの会話のときにそう聞かされたのだが、そのきっかけは些細なことだったのだろう。話の流れを今では思い出せない。
なぜそんな話を自分に聞かせるのか、そのときはわかっていなかったが……
いたずらを打ち明けるようにニヤリと笑って禁忌の話をする彼に、ドロシアも、ほかの人には言えないマズイ考えを打ち明けるようになっていた。
「祖父を呪い殺せたら、わたしは自由になるでしょうか」
その質問を、アードラーは鼻で嗤った。
「独りですべてを背負う覚悟があるなら、祖父の生死に関わらず、お前はとっくに自由だ。だが生まれ持った恩恵を捨てる気がないなら、恩恵に伴う義務や交換条件がお前を支配する。それだけのことだろう」
もっともな話だ。
ドロシアは結局、今の恵まれた生活水準を落としたくはない。
あくせく働かずとも流行の高価な衣服や宝飾品を身に着けることができて、美しい庭と調度品に囲まれた屋敷に住み、身の回りのことはすべて使用人がやってくれる生活。
アードラーはドロシアの甘さを見抜いて同情の欠片も見せない、だが説教もしない。そこまでドロシアに興味も執着もないからだ。
と言うより、数多いる信者も彼を崇める祭司たちもアードラーの眼中にはなく、冷徹な彼の心を動かすことなどないように見えた。
何か大きな虚無を抱いているような。
すべての感動がそこに呑まれ、消えていくような。
アードラーのそういう底知れぬところが良いと、ドロシアは思う。
「でもいっそ、竜が我が家を踏み潰しちゃえばいいのにって。そう思うのも本当なんです」
そう言うと、アードラーはニヤリと笑った。
「そんなことで満足か」
「えっ」
「どうせなら、この世界のすべてを壊したいとは思わないのか」
その瞬間のアードラーには、初めて熱を感じた。
まぎれもない老人なのに、そのときだけは、若かりし頃の面影と力強さが透けて見えた。
(この人、かなりの美少年だったに違いない)
そう思った。
☆ ☆ ☆
両親にまつわる衝撃の事実を知り、口をひらいたまま呆然としているイーライにかまわず、ドロシアは話し続けている。
「ちなみにあの方の情報網によるカーレウム家の近況だけどね。後妻さんは順調に財産を食い潰しているようよ。ラピスくんのお父様に恩義のある経営陣や従業員たちが頑張ってはいるようだけど、赤字続き。このままじゃ破産ね」
「ま、まさか! ママからそんな話聞いたことない!」
破産と聞いて我に返ったイーライが先に叫んだので、ラピスは驚きの声を上げそこねた。
ラピスが居た頃は、父が亡くなってなお家業は盛んなままだと思っていたし、破産の危機だという暗さもなかった。
――いや。よく考えると、ラピスが相続すべき財産をグウェンが浪費しているという危惧は聞かされていた。父が生きていた頃は何度も、父に連絡し相談するようにと執事たちから忠告されていた。
「ラピス、大丈夫かい?」
動揺が顔に出ていたのだろう。ディードが心配そうに覗き込んでくる。
ラピスはこくりとうなずいた。
「うちで働いてくれてたみんな、大丈夫かなぁ……」
「王都に戻ったら、こっちでも調べてみるよ」
「ありがとう……」
クロヴィスの家に移るとき、安堵の涙を浮かべて送り出してくれた人たちの顔を思い出す。みんなが仕事を失ったらどうしようと、心配でたまらない。
新しい生活が楽しくて幸せすぎて、彼らに対する気遣いの足らなかったことを、ラピスは心から反省した。
「みんないつも僕のことを心配してくれていたのに、僕、お金のことを深く考えてなくて……」
「仕方ないよ、子供だもの」
「お金に限らず、よく心配されてたし……」
「仕方ないよ、ラピスだもん」
ヘンリックも慰めてくれたが、落ち着いたら一度、カーレウム家の様子を見に行こうと心に決めた。クロヴィスも賛成してくれるに違いない。
ドロシアが、「ラピスくんは優しいなぁ」と感心したように言った。
「わたしなら、嫌いな継母たちのものになった家なんかどうでもいいけど」
「嘘だよね、ママーッ!」
遠い空に向かって叫ぶイーライのことはまたも無視して、ドロシアは話を戻した。
「どこまで話したかしら。そうそう、わたし、あの方のお手伝いをさせてもらうようになって、大図書館の、一般には閲覧禁止の『竜の本』も覗かせてもらえたわ。けどそれは呪法に関する情報が集められた竜の本だったから、本当はチラとでも、わたしなんかが見ちゃいけないものだったのよ」
彼もまた、彼女と再婚することを望んではいないようだった。
自分の娘くらいの年の子を後妻にすると思えば、祖父よりよほど真っ当な反応だとドロシアは思った。
それでも当人たちの気持ちはおかまいなしに話は進み、十八の誕生日に籍を入れる運びとなった。
姉たちは妹に同情を寄せたが、陰では「わたしたちは二十も年上の男と結婚させられなくてよかった」と、安堵していたことを知っている。
家族すら助けてくれない。
いくら祈っても、竜だって何もしてくれない。
祈ればどうにかなるなんて信じていたわけではないが、ドロシアは月殿に通い続けた。家にいたくなかったからだ。
加えて、大祭司長に会えないかと期待してもいた。とんでもなく高位の人なのに、不思議と彼にならなんでも話せるから。
聖職者であっても説教臭いことを言わない。厳格かと思えば「それはマズイのでは」というような不謹慎なこともさらりと口にし、考えも行動も読めない。
何よりドロシアが大祭司長を気に入ったのは、隠しもせず『呪法を扱える』と言ってのけたことだった。
何度目かの会話のときにそう聞かされたのだが、そのきっかけは些細なことだったのだろう。話の流れを今では思い出せない。
なぜそんな話を自分に聞かせるのか、そのときはわかっていなかったが……
いたずらを打ち明けるようにニヤリと笑って禁忌の話をする彼に、ドロシアも、ほかの人には言えないマズイ考えを打ち明けるようになっていた。
「祖父を呪い殺せたら、わたしは自由になるでしょうか」
その質問を、アードラーは鼻で嗤った。
「独りですべてを背負う覚悟があるなら、祖父の生死に関わらず、お前はとっくに自由だ。だが生まれ持った恩恵を捨てる気がないなら、恩恵に伴う義務や交換条件がお前を支配する。それだけのことだろう」
もっともな話だ。
ドロシアは結局、今の恵まれた生活水準を落としたくはない。
あくせく働かずとも流行の高価な衣服や宝飾品を身に着けることができて、美しい庭と調度品に囲まれた屋敷に住み、身の回りのことはすべて使用人がやってくれる生活。
アードラーはドロシアの甘さを見抜いて同情の欠片も見せない、だが説教もしない。そこまでドロシアに興味も執着もないからだ。
と言うより、数多いる信者も彼を崇める祭司たちもアードラーの眼中にはなく、冷徹な彼の心を動かすことなどないように見えた。
何か大きな虚無を抱いているような。
すべての感動がそこに呑まれ、消えていくような。
アードラーのそういう底知れぬところが良いと、ドロシアは思う。
「でもいっそ、竜が我が家を踏み潰しちゃえばいいのにって。そう思うのも本当なんです」
そう言うと、アードラーはニヤリと笑った。
「そんなことで満足か」
「えっ」
「どうせなら、この世界のすべてを壊したいとは思わないのか」
その瞬間のアードラーには、初めて熱を感じた。
まぎれもない老人なのに、そのときだけは、若かりし頃の面影と力強さが透けて見えた。
(この人、かなりの美少年だったに違いない)
そう思った。
☆ ☆ ☆
両親にまつわる衝撃の事実を知り、口をひらいたまま呆然としているイーライにかまわず、ドロシアは話し続けている。
「ちなみにあの方の情報網によるカーレウム家の近況だけどね。後妻さんは順調に財産を食い潰しているようよ。ラピスくんのお父様に恩義のある経営陣や従業員たちが頑張ってはいるようだけど、赤字続き。このままじゃ破産ね」
「ま、まさか! ママからそんな話聞いたことない!」
破産と聞いて我に返ったイーライが先に叫んだので、ラピスは驚きの声を上げそこねた。
ラピスが居た頃は、父が亡くなってなお家業は盛んなままだと思っていたし、破産の危機だという暗さもなかった。
――いや。よく考えると、ラピスが相続すべき財産をグウェンが浪費しているという危惧は聞かされていた。父が生きていた頃は何度も、父に連絡し相談するようにと執事たちから忠告されていた。
「ラピス、大丈夫かい?」
動揺が顔に出ていたのだろう。ディードが心配そうに覗き込んでくる。
ラピスはこくりとうなずいた。
「うちで働いてくれてたみんな、大丈夫かなぁ……」
「王都に戻ったら、こっちでも調べてみるよ」
「ありがとう……」
クロヴィスの家に移るとき、安堵の涙を浮かべて送り出してくれた人たちの顔を思い出す。みんなが仕事を失ったらどうしようと、心配でたまらない。
新しい生活が楽しくて幸せすぎて、彼らに対する気遣いの足らなかったことを、ラピスは心から反省した。
「みんないつも僕のことを心配してくれていたのに、僕、お金のことを深く考えてなくて……」
「仕方ないよ、子供だもの」
「お金に限らず、よく心配されてたし……」
「仕方ないよ、ラピスだもん」
ヘンリックも慰めてくれたが、落ち着いたら一度、カーレウム家の様子を見に行こうと心に決めた。クロヴィスも賛成してくれるに違いない。
ドロシアが、「ラピスくんは優しいなぁ」と感心したように言った。
「わたしなら、嫌いな継母たちのものになった家なんかどうでもいいけど」
「嘘だよね、ママーッ!」
遠い空に向かって叫ぶイーライのことはまたも無視して、ドロシアは話を戻した。
「どこまで話したかしら。そうそう、わたし、あの方のお手伝いをさせてもらうようになって、大図書館の、一般には閲覧禁止の『竜の本』も覗かせてもらえたわ。けどそれは呪法に関する情報が集められた竜の本だったから、本当はチラとでも、わたしなんかが見ちゃいけないものだったのよ」
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