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第6唱 竜王の呪い
うごめく
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「プレヒトは……仲間は、町人は、今頃どうしているのでしょう」
カーマンの声は震えている。
聞いているだけで、ラピスの胸も痛くなった。
今空を見上げていても、雪片のひとかけらすら落ちてこない。
けれど数刻進んだ先の町は、猛吹雪に閉ざされているという。
突如発生し、異常な速度で広がる病と共に。
雪。
疫病。
流行り病。
母。
死。
不安を煽る言葉と想像が、どんどん頭の中を占めていく。恐ろしくて、ロックス町の人々が心配で、なんとかしなくてはと焦りばかりが募って。
早鐘のような鼓動を持て余し、さらに強く犬に抱きつくと、いつのまにか横に来ていたヘンリックも、ラピスごと覆いかぶさるように抱きついてきた。
「怖いね」
「うん」
素直にうなずくヘンリック。その頭を撫でていたら、ちょっとだけ落ち着いた。
ディードは唇を噛みしめ、兄の横に立っている。
こんなときは、いつも変わらず冷静なジークの存在がいっそう頼もしい。
「各所へ連絡は?」
「申しわけありません、まだです。団長たちと会うことを優先したので」
「ああ、助かった」
その視線がギュンターたちへ、そしてラピスたちへと向けられる。
ラピスはついつい失念してしまうのだが、この国の王太子と王子が、ここにいるのだ。カーマンが焦ってジーク一行を探しに来たのは、だからこそだろう。
ジークはてきぱきと段取りを決めていく。
「まずは王都とゴルト街へ連絡。ロックス町の一時封鎖の手配、騎士団詰所に対策本部を設置、専門家の招集、情報収集。援助手段についてはゴルト街の顔役にも相談するのが良いだろう。それから――ラピス。ゴルト街に引き返すが、いいな?」
「はい、そうしましょう!」
当然だ。集歌より人命救助が最優先。しかし……
「お前たちは、今すぐ王都に戻れ」
そう言われたギュンターとディードは、「せめてもう少し」とか、「俺たちが情報を持って帰ったほうが、王都からの援助も早いでしょう!?」などと反論し、首を縦に振らないジークと揉め出した。カーマンがおろおろしている。
「ぼくは、どうしよっかなぁ」
ヘンリックが期待に満ちた目を向けてくるので、
「僕と一緒に、も少し残ってみる?」
そう提案すると、嬉しそうにうなずいた。
乳兄弟が心配でやって来たのだろうに、旅そのものが楽しくなったのだろうか。ディードがギュンターと共に王都に帰るなら安心、というのもあるのだろうけれど。
思うまま感じたままに行動するヘンリックの、ジークとは別の意味で“いつもの”彼らしい振る舞いを見ていると、なんだか元気が出てきた。
「僕、ヘンリックのそういうとこ好き」
「な、なに言ってんの!? いきなり」
赤い頬をさらに赤くして跳び上がっている。
ディードたちと別れるのは、やはり寂しい。だからヘンリックが残ってくれるなら、ラピスも嬉しい。
「僕も役に立てること、あるかなぁ」
暗い考えがぐるぐる空回りする思考が切り替わり、そんなふうに考えられるようにもなってきた。
そのとき。
急に、空が黒く染まった。
曇天の暗さとか、そんなものではない。
夜闇の色とも、また違う。
雲そのものがどす黒く染まり、生臭い、嫌なにおいの風が吹いてきた。
大気に耳障りな何かの音が混じって、耳鳴りがする。
「何これ! まだ昼間だよね!?」
「皆、集まれ!」
ヘンリックの悲鳴、ジークの声。
どろりと淀んだ川の中にいるような不快な薄闇の中、皆でぴたりと身を寄せ合ううちに、誰からともなく、驚愕の声が上がった。
――黒雲が、身をよじらせて空を往く。
竜だ。
雲だと思っていたものが。
これまで出会った古竜たちの途轍もない巨躯よりさらに巨大な、空そのもののような竜。
空を埋め尽くす臓物のごとく蠢き、遠くの空に今、墓穴のごとくぽっかりと、どろり、濁った眼がひらいた。
その瞬間、辺りが目も眩むほど白く光った。
直後、轟音が空も地も震わせる。
立て続けに稲妻が、縦横無尽に走り抜けた。
悲鳴を上げて抱き合うディードとヘンリックに、ギュンターが覆いかぶさる。
ラピスはジークの腕の中から、信じられない思いで、うごめく空を見ていた。
そこに浮かぶ不吉な月のような眼が、閉じて。
現れたときと同じくらい唐突に……
竜は、消えた。
――なぜ、そう思ったのか。
それはラピスにもわからない。
でも、そうなのだと、確信してしまった。
「……竜王、様……?」
灰色を取り戻した空から、はらはらと涙のように、雪が降り出した。
カーマンの声は震えている。
聞いているだけで、ラピスの胸も痛くなった。
今空を見上げていても、雪片のひとかけらすら落ちてこない。
けれど数刻進んだ先の町は、猛吹雪に閉ざされているという。
突如発生し、異常な速度で広がる病と共に。
雪。
疫病。
流行り病。
母。
死。
不安を煽る言葉と想像が、どんどん頭の中を占めていく。恐ろしくて、ロックス町の人々が心配で、なんとかしなくてはと焦りばかりが募って。
早鐘のような鼓動を持て余し、さらに強く犬に抱きつくと、いつのまにか横に来ていたヘンリックも、ラピスごと覆いかぶさるように抱きついてきた。
「怖いね」
「うん」
素直にうなずくヘンリック。その頭を撫でていたら、ちょっとだけ落ち着いた。
ディードは唇を噛みしめ、兄の横に立っている。
こんなときは、いつも変わらず冷静なジークの存在がいっそう頼もしい。
「各所へ連絡は?」
「申しわけありません、まだです。団長たちと会うことを優先したので」
「ああ、助かった」
その視線がギュンターたちへ、そしてラピスたちへと向けられる。
ラピスはついつい失念してしまうのだが、この国の王太子と王子が、ここにいるのだ。カーマンが焦ってジーク一行を探しに来たのは、だからこそだろう。
ジークはてきぱきと段取りを決めていく。
「まずは王都とゴルト街へ連絡。ロックス町の一時封鎖の手配、騎士団詰所に対策本部を設置、専門家の招集、情報収集。援助手段についてはゴルト街の顔役にも相談するのが良いだろう。それから――ラピス。ゴルト街に引き返すが、いいな?」
「はい、そうしましょう!」
当然だ。集歌より人命救助が最優先。しかし……
「お前たちは、今すぐ王都に戻れ」
そう言われたギュンターとディードは、「せめてもう少し」とか、「俺たちが情報を持って帰ったほうが、王都からの援助も早いでしょう!?」などと反論し、首を縦に振らないジークと揉め出した。カーマンがおろおろしている。
「ぼくは、どうしよっかなぁ」
ヘンリックが期待に満ちた目を向けてくるので、
「僕と一緒に、も少し残ってみる?」
そう提案すると、嬉しそうにうなずいた。
乳兄弟が心配でやって来たのだろうに、旅そのものが楽しくなったのだろうか。ディードがギュンターと共に王都に帰るなら安心、というのもあるのだろうけれど。
思うまま感じたままに行動するヘンリックの、ジークとは別の意味で“いつもの”彼らしい振る舞いを見ていると、なんだか元気が出てきた。
「僕、ヘンリックのそういうとこ好き」
「な、なに言ってんの!? いきなり」
赤い頬をさらに赤くして跳び上がっている。
ディードたちと別れるのは、やはり寂しい。だからヘンリックが残ってくれるなら、ラピスも嬉しい。
「僕も役に立てること、あるかなぁ」
暗い考えがぐるぐる空回りする思考が切り替わり、そんなふうに考えられるようにもなってきた。
そのとき。
急に、空が黒く染まった。
曇天の暗さとか、そんなものではない。
夜闇の色とも、また違う。
雲そのものがどす黒く染まり、生臭い、嫌なにおいの風が吹いてきた。
大気に耳障りな何かの音が混じって、耳鳴りがする。
「何これ! まだ昼間だよね!?」
「皆、集まれ!」
ヘンリックの悲鳴、ジークの声。
どろりと淀んだ川の中にいるような不快な薄闇の中、皆でぴたりと身を寄せ合ううちに、誰からともなく、驚愕の声が上がった。
――黒雲が、身をよじらせて空を往く。
竜だ。
雲だと思っていたものが。
これまで出会った古竜たちの途轍もない巨躯よりさらに巨大な、空そのもののような竜。
空を埋め尽くす臓物のごとく蠢き、遠くの空に今、墓穴のごとくぽっかりと、どろり、濁った眼がひらいた。
その瞬間、辺りが目も眩むほど白く光った。
直後、轟音が空も地も震わせる。
立て続けに稲妻が、縦横無尽に走り抜けた。
悲鳴を上げて抱き合うディードとヘンリックに、ギュンターが覆いかぶさる。
ラピスはジークの腕の中から、信じられない思いで、うごめく空を見ていた。
そこに浮かぶ不吉な月のような眼が、閉じて。
現れたときと同じくらい唐突に……
竜は、消えた。
――なぜ、そう思ったのか。
それはラピスにもわからない。
でも、そうなのだと、確信してしまった。
「……竜王、様……?」
灰色を取り戻した空から、はらはらと涙のように、雪が降り出した。
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