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第5唱 母の面影
ジークと深夜のお喋り
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高熱を出して寝込んでいたラピスだが、古竜と対面したあとは元気モリモリ、みごとなまでに瞬時に回復した。
深夜だというのに、ディードが茶店から持ち帰ってくれたパイやケーキを完食して、「今度は腹痛を起こすのでは」と別の意味でみんなを心配させたほどだ。
日中ずっと眠っていたから、ラピスは目が冴えてしまっていた。
皆には寝直すよう勧めたものの、宿内もすっかり騒がしくなっている。
古竜を目撃した客や従業員たちが右往左往する気配とざわめきやら、睡眠を妨げられた者たちの怒声やらが、最上階のラピスたちの部屋にまでとどいていた。
ゆえに「無理に寝なくても、眠くなるまで起きていよう」というヘンリックの提案に一同賛成し、宿ご自慢の果実茶をいただいていたのだが。
会話の中でラピスが、想い出したばかりの母の子守歌を歌って聴かせると、言い出しっぺのヘンリックがすぐにコテンと机に突っ伏して寝てしまい……彼を寝室に運んでいったギュンターまでが、戻って寝椅子に横になるや寝息を立て始めた。
「どうしてみんな、ちゃんと寝台で寝ないんでしょうか」
文句を言いつつギュンターに毛布を掛けてやっていたディードだが、「その子守歌、ほんとに効くね……」と何度もあくびを嚙み殺している。だからラピスが寝室に追い立てると、彼もすぐに眠りに落ちた。
やはりみんな疲れているのだろう。
ラピスはただひとり起きて付き合ってくれているジークにも、横になるよう勧めた。
「一緒に起きていてくれて僕はとても嬉しいのですけど、ジークさんももう、休んだほうがいいですよ」
「眠れるときに寝ているから、大丈夫だ……」
本音を言えば、やはり真夜中にひとりで起きているのは寂しいので、ジークがそう言ってくれたことにラピスはすごくホッとした。その気持ちを隠せずニコニコしてしまうくらいに。
そうして夜が更けていく中、天井まで届く陶製のストーブに描かれた花の名を当てっこしたり、ジークの子供時代の話を聴かせてもらったりした。
中でもラピスが驚いたのは、赤ん坊のジークを抱っこしていた乳母が手を滑らせて、床に落とされたにも関わらず、泣きもせずそのまま這い這いしていたらしいという話だった。
「実際は、衝撃で盛大に漏らしていたようだが……」
「赤ちゃんのときから忍耐強く、口数が少なかったのですね……ご無事で本当によかったです」
ラピスくらいの年頃には、よく親にお茶会に連れていかれたという。
そういう場では子供らは、順番に自作の詩を朗読させられるのがお決まりになっていて、それが真冬の屋外で剣を振り続けるより苦痛だったらしい。
どんな詩を披露したのかと尋ねると……
「真実を封じて笑む也。痛苦に耐える価値があろうか。其は誰もが知る現実と虚構、放てば戻る肉だまり」
「うーん? どういう意味の詩でしょう。題名は?」
「コルセット」
家に帰ってから、母親に死ぬほど怒られたという。
「そんなあ。頑張って考えたのに、怒られたなんてお気の毒です」
「以降、茶会には呼ばれなくなったから、怪我の功名とも言える……」
そのとき、背後でギュンターが噴き出した。いつの間にか目をさまして、話を聞いていたらしい。
「駄目だ。もっと団長ネタを仕入れたかったのに、面白すぎて耐えられませんでした。ツッコミ役のいない会話、楽しすぎる!」
「……笑われる要素など、ない……」
「そうですよ? ジークさんは一生懸命生きてきたんだなって、よく伝わってきました」
ラピスがそう言うと、ギュンターはまた大笑した。
彼の笑いのツボがわからず、きょとんとしていると、ジークが卓の上の焼き菓子を手に立ち上がり、ギュンターの口に押し込んで黙らせた。
ギュンターはちょっぴり寝酒を飲んでいたから、きっと少し酔っているのだなとラピスは思った。
「ジークさんはお酒をあまり飲まないですね」
「任務中はな」
「団長は飲めば底なしだよ」
焼き菓子を飲み込みながらギュンターが付け足す。
「そうなんですか! お師匠様もお水みたいに葡萄酒を飲みます」
「そうか……」
「食べものは何が好きですか?」
「……パンと水があれば、贅沢は言わない……」
それというのも、ジークの教育係だったご婦人が味オンチで、料理長と大喧嘩しようが、自分の味覚に絶対の自信を持っていた。
そのため彼女指導のもと出される食事はいつも奇天烈な味がして、唯一楽しみにしていたのが、彼女の影響の及ばぬパンだったという。
「ジークさん……毎日キテレツな食事を出されていたのに、そこでも黙って耐えていたのですね……僕、泣きそうです」
「おかげで任務中の粗食に不便を感じないから、泣くことはない……」
「ぜひまた、うちに遊びに来てください! お師匠様はお料理上手ですから!」
「……そうだな。確かに、とても美味だった……」
「でしょう!?」
「なになに、なんの話?」
ラピスはギュンターに、ジークとディードが初めてグレゴワール家を訪ねてきたときのことを話した。
「なるほど。それが馴れ初めで、初めての朝というわけですか」
意味ありげに笑ったギュンターは、今度は菓子じゃなく手刀を食らった。
思えば、秋の日射しの降り注ぐ日にジークとディードと偶然出会ってから、まだ間もないのだ。なのにこんなに親しく楽しく旅をしているなんて、とても不思議な気分だ。
「お師匠様のおうちに住めるようになってから、僕もパンが大好物になったんです。いろんなパンを焼いてくれて、どれもとっても美味しいので」
「そうだな……」
優しく微笑むジークに、ラピスも笑顔全開になる。
クロヴィスの優しさを理解してくれている人と話すと、心がぽかぽかした。
「好物が得意料理なんて、運命としか思えぬ出会いですね」
ギュンターの言葉に、ラピスは「運命!」と目を輝かせた。
「あの日ジークさんやディードと出会えたのは、地竜のおかげですからね! 竜のお導きです!」
「竜が結んでくれた、婚約者とのご縁! おめでとうございます、団長!」
ジークは微笑を浮かべたまま、ギュンターが許しを請うまで羽交い絞めにしていた。
深夜だというのに、ディードが茶店から持ち帰ってくれたパイやケーキを完食して、「今度は腹痛を起こすのでは」と別の意味でみんなを心配させたほどだ。
日中ずっと眠っていたから、ラピスは目が冴えてしまっていた。
皆には寝直すよう勧めたものの、宿内もすっかり騒がしくなっている。
古竜を目撃した客や従業員たちが右往左往する気配とざわめきやら、睡眠を妨げられた者たちの怒声やらが、最上階のラピスたちの部屋にまでとどいていた。
ゆえに「無理に寝なくても、眠くなるまで起きていよう」というヘンリックの提案に一同賛成し、宿ご自慢の果実茶をいただいていたのだが。
会話の中でラピスが、想い出したばかりの母の子守歌を歌って聴かせると、言い出しっぺのヘンリックがすぐにコテンと机に突っ伏して寝てしまい……彼を寝室に運んでいったギュンターまでが、戻って寝椅子に横になるや寝息を立て始めた。
「どうしてみんな、ちゃんと寝台で寝ないんでしょうか」
文句を言いつつギュンターに毛布を掛けてやっていたディードだが、「その子守歌、ほんとに効くね……」と何度もあくびを嚙み殺している。だからラピスが寝室に追い立てると、彼もすぐに眠りに落ちた。
やはりみんな疲れているのだろう。
ラピスはただひとり起きて付き合ってくれているジークにも、横になるよう勧めた。
「一緒に起きていてくれて僕はとても嬉しいのですけど、ジークさんももう、休んだほうがいいですよ」
「眠れるときに寝ているから、大丈夫だ……」
本音を言えば、やはり真夜中にひとりで起きているのは寂しいので、ジークがそう言ってくれたことにラピスはすごくホッとした。その気持ちを隠せずニコニコしてしまうくらいに。
そうして夜が更けていく中、天井まで届く陶製のストーブに描かれた花の名を当てっこしたり、ジークの子供時代の話を聴かせてもらったりした。
中でもラピスが驚いたのは、赤ん坊のジークを抱っこしていた乳母が手を滑らせて、床に落とされたにも関わらず、泣きもせずそのまま這い這いしていたらしいという話だった。
「実際は、衝撃で盛大に漏らしていたようだが……」
「赤ちゃんのときから忍耐強く、口数が少なかったのですね……ご無事で本当によかったです」
ラピスくらいの年頃には、よく親にお茶会に連れていかれたという。
そういう場では子供らは、順番に自作の詩を朗読させられるのがお決まりになっていて、それが真冬の屋外で剣を振り続けるより苦痛だったらしい。
どんな詩を披露したのかと尋ねると……
「真実を封じて笑む也。痛苦に耐える価値があろうか。其は誰もが知る現実と虚構、放てば戻る肉だまり」
「うーん? どういう意味の詩でしょう。題名は?」
「コルセット」
家に帰ってから、母親に死ぬほど怒られたという。
「そんなあ。頑張って考えたのに、怒られたなんてお気の毒です」
「以降、茶会には呼ばれなくなったから、怪我の功名とも言える……」
そのとき、背後でギュンターが噴き出した。いつの間にか目をさまして、話を聞いていたらしい。
「駄目だ。もっと団長ネタを仕入れたかったのに、面白すぎて耐えられませんでした。ツッコミ役のいない会話、楽しすぎる!」
「……笑われる要素など、ない……」
「そうですよ? ジークさんは一生懸命生きてきたんだなって、よく伝わってきました」
ラピスがそう言うと、ギュンターはまた大笑した。
彼の笑いのツボがわからず、きょとんとしていると、ジークが卓の上の焼き菓子を手に立ち上がり、ギュンターの口に押し込んで黙らせた。
ギュンターはちょっぴり寝酒を飲んでいたから、きっと少し酔っているのだなとラピスは思った。
「ジークさんはお酒をあまり飲まないですね」
「任務中はな」
「団長は飲めば底なしだよ」
焼き菓子を飲み込みながらギュンターが付け足す。
「そうなんですか! お師匠様もお水みたいに葡萄酒を飲みます」
「そうか……」
「食べものは何が好きですか?」
「……パンと水があれば、贅沢は言わない……」
それというのも、ジークの教育係だったご婦人が味オンチで、料理長と大喧嘩しようが、自分の味覚に絶対の自信を持っていた。
そのため彼女指導のもと出される食事はいつも奇天烈な味がして、唯一楽しみにしていたのが、彼女の影響の及ばぬパンだったという。
「ジークさん……毎日キテレツな食事を出されていたのに、そこでも黙って耐えていたのですね……僕、泣きそうです」
「おかげで任務中の粗食に不便を感じないから、泣くことはない……」
「ぜひまた、うちに遊びに来てください! お師匠様はお料理上手ですから!」
「……そうだな。確かに、とても美味だった……」
「でしょう!?」
「なになに、なんの話?」
ラピスはギュンターに、ジークとディードが初めてグレゴワール家を訪ねてきたときのことを話した。
「なるほど。それが馴れ初めで、初めての朝というわけですか」
意味ありげに笑ったギュンターは、今度は菓子じゃなく手刀を食らった。
思えば、秋の日射しの降り注ぐ日にジークとディードと偶然出会ってから、まだ間もないのだ。なのにこんなに親しく楽しく旅をしているなんて、とても不思議な気分だ。
「お師匠様のおうちに住めるようになってから、僕もパンが大好物になったんです。いろんなパンを焼いてくれて、どれもとっても美味しいので」
「そうだな……」
優しく微笑むジークに、ラピスも笑顔全開になる。
クロヴィスの優しさを理解してくれている人と話すと、心がぽかぽかした。
「好物が得意料理なんて、運命としか思えぬ出会いですね」
ギュンターの言葉に、ラピスは「運命!」と目を輝かせた。
「あの日ジークさんやディードと出会えたのは、地竜のおかげですからね! 竜のお導きです!」
「竜が結んでくれた、婚約者とのご縁! おめでとうございます、団長!」
ジークは微笑を浮かべたまま、ギュンターが許しを請うまで羽交い絞めにしていた。
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